2015年 西方見聞録 ルーマニア鉄路の旅 Part25 Stație Oradea(オラデア駅)

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DSCN9880_100▲ オラデア(Oradea)駅の留置線で静態保存されていた142-044号蒸気機関車。動輪は4軸の1D2軸配置、最高速度110km/h、長距離の高速旅客用としてブカレストのN.Malaxaで36台、RESITAでは43台が1937~1940年に製造されています。設計はオーストリアで、オーストリア連邦鉄道(BBO)Class214をコピーしたものです。煙突横に付けられた長いデフレクターが印象的です。前照灯にも車両番号が取り付けられているのは初めて見ました。屋外とは言え綺麗に保存され、いつでも走れる(?)ように留置線に置かれているのも良いですね。
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樽見鉄道と桜

樹齢 推定1500余年と言われる 世界的に有名な「淡墨桜」のある岐阜県本巣市の「樽見駅」へは「大垣駅」から樽見鉄道で一時間余りの旅になります。沿線の各駅や線路沿いには多くの桜が植えられていてこの季節はきれいです。特に「谷汲口駅」の周辺は多くの桜が植えられて多くの人たちが集まります。
4月9日はすでに満開を過ぎ少し葉桜となりかかっていましたが 何とかまだ絵になる状況でした。
↓ 大垣行 ハイモ295-516 唯一の樽見鉄道色塗装車です。
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2015年 西方見聞録 ルーマニア鉄路の旅 Part24 Cluj-Napoca(クルージ・ナポカのトラム)、夜のクルージ・ナポカ駅

DSC_640637▲ 夕闇迫った中世時代から続く街並みを行くトラム。この路線にはかつて、煙を噴き上げながら蒸気トラムが走りました。今日は重い靴にもめげずに鉄路・トラム沿線を歩いての撮り鉄でした。
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2015年 西方見聞録 ルーマニア鉄路の旅 Part23 Stație Cluj-Napoca(クルージ・ナポカ駅)と列車

DSC_6246_100DSCN973760▲ クルージ・ナポカ駅広場に静態保存されている大型蒸気機関車の150-139号機
第2次世界大戦後に増加した貨物輸送に対応すべく東ドイツの50型をコピーして製造されました。動輪は5軸E型の貨物用、1946~1650年に282台が投入されていました。

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代用急電

湘南代急クハ68078京都1954.9.27サイズ小

関センセの「代用食時代の急電」を見て、確かこの老人も撮って居る筈と、限りなくかすれ果てた記憶を絞り出して探すと、あった。1954年9月27日撮影京都とあるから、老人が高校3年の時である。この時代食料不足は解決しており、学校でも2玉うどんが15円だったか。国鉄初乗り10円、市電も8円だったか10円だったか、今なら300円か350円に相当し、けして安くはないことになる。

本当に食い物が乏しかったのは1946、47年だった。センセお書きの通り、米糠やフスマの方が多い「パンにやや近い代物」でもあればいい方。インフレの最中で、ズンドコ節で半世紀ぶりに思い出したが、「米は遅配で物価は高い/たまの日曜に買い出し行けば/駅に着いたらポリスが待ってて/お手々つないでブタ箱へ/トコズンドコズンドコ」というのもあった。京都では米の代わりにタケノコ(というより「やや軟い竹」に近かった=我々はパンダではない)やお茶まで配給されたが、「茶腹も一時」との洒落だったのか。老人が高校生になり背丈がやや伸びたのは、幼少のみぎり食い物がなく、致し方なくタケノコや土筆を食せざるを得なかったかららしい。

その後小学校で給食が始まったが、最初は米軍放出の果物ジュースや、脱脂粉乳だった。ジュースは今思えばホテル用クラスの高級品で、余り甘くない上、名前さえ知らないグレープフルーツがあって、ジュースといえば甘いものと思い込んでいる敗戦国の憐れな小学生からは、苦いという苦情すらあった。ララ物資での脱脂粉乳も実態は家畜のエサ用だった由で、これは当時でもうまくはなかった。旧日本陸軍の退蔵牛缶は味が濃く流石に美味かったが、余程古いとみえ、こんな食糧事情の悪い時ですらジンマシンが出る児童も少なくなかった。海草がたっぷり入ったパン(のごときもの)も、腹を空かしきっていた当時でもうまいもんじゃなかった。

甘味といえばサッカリンかズルチンと称す、人工甘味材しかなかった折、キューバ糖が配給になり、国中が沸いたことがある。これも砂糖とは言え実態は工業用の低質糖で真茶色、しかも貨物船にバルク―砂利並に船倉に直積されていたのである。そんなことは知らぬ敗戦国民は国中挙げて大喜びし、NHK(しかなかった)では「甘い砂糖はキュッバー キュッバー キュッバー」なる歌を放送した。カルメ焼きが大流行したが、我が家ではついにふくらましに成功しなかった。

 

国鉄クハ68078

クリームと茶色のツートンカラーで、前に“急”の丸いプレートを付けた電車ははっきりと覚えています。記事によると昭和25年とあり、私は4歳だったことになります。80系だったか52系だったかははっきりしませんが、二枚窓の流線型だったことを記憶していますので80系だったのでしょう。当時歩いて通行できた大宮陸橋から見下ろしたのです。
クハ68078_NEW クハ68078(文)_NEW

2015年 西方見聞録 ルーマニア鉄路の旅 Part22 Cluj-Napoca(クルージ・ナポカ)のトラム

DSCN968849 DSCN969150▲ 車両後部の展望室からロケハンをしていましたら珍しいのか興味津々で見られていたお買い物帰りのお姉さんと弟さん。
「何処から来たの?何人」かと聞いてきます。日本人だよ、京都から来たよと答えるとさらに興味を示して「何を撮っている、何処に行くの」と英語で続けてきます。
降りられるまでの間、会話が続きました。
寂しい一人旅の始まりでしたが、地元の皆さんと直接にコミニケーションできる事で楽しい時間も持てます。降りられる時は「Have a nice day」と一言残していただきました。

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2015年 西方見聞録 ルーマニア鉄路の旅 Part21 Cluj-Napoca(クルージ・ナポカ)の鉄道駅とトラム

DSCN95755202_切符▲ クルージ・ナポカトラムのセルフ車内改札機です。上から切符を差し込んでから下のボタンを押して、切符に穴を開けます。旧共産国のトラムには一様に同じタイプの改札機が車内に数カ所設置されています。ところがスムーズに穴あけボタンが作動すればいいのですが、時折壊れているのがあります。困っていると近くにおられた乗客が「壊れているよ、仕方ないね」と身振りを入れて教えてくれます。
この切符ですが、全線均一の4Lei(約122円)です。初めは1回乗車券と思っていましたら2回券でした。左右に印刷されている矢印2ケ所はそのための表示でした。分かったのは2日目で既に切符を買いすぎていました。

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2015年 西方見聞録 ルーマニア鉄路の旅 Part20 Cluj-Napoca(クルージ・ナポカ)へ

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01_MAP第11日目 2月21日 その1

今日は
Vişeu de Susから南西へ約170キロにあるJudețul Cluj(クルジュ県)の県都のCluj-Napoca(クルージ・ナポカ)へと向かいます。
Vişeu de Susから鉄道や車で帰路につかれる方もおられますが、殆どの方はチャーター車でCluj-Napoca空港へと乗車されます。

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阪急2300と柴島浄水場の桜

桜にちなんで以前に柴島浄水場の桜を撮りに行った時の写真を探し出して見てみると、写っている阪急電車が2300であった。京都に通学でよく乗っていた電車であるが、あまりにも日常的であったので写真がなかった。この2コマが唯一の2300の写真で、正面が写っているのは1コマだけである。撮影した場所も今は高架工事が進んでいて、いずれは電車の窓から桜が見えなくなるであろう。(2012年4月9日撮影)

阪急2300と柴島浄水場の桜(中間車)-1阪急2300と柴島浄水場の桜-1

三次のハチロク

先日 48650の保存活動についてのご紹介をしましたが、今日 雨も小降りになったので 開通成った尾道自動車道を通って三次まで行ってきました。48650が保存されている広場は折しも桜まつりの会場になっていて、にぎやかなのは良いのですが、ゆっくり撮影ができませんでした。

保存中の48650

保存中の48650

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新京成電鉄8000系に寄せて

8509 26-9-6

滝不動~三咲間を走行する8510編成/(26-9-6)

「昭和の電車」は、長野電鉄OSカー、上信電鉄1000系、新京成電鉄8000系、北総鉄道7000系と中小私鉄の高性能車が続いている。

新京成電鉄8000系は、昭和53年から60年にかけて6両編成9本が新製された。スタイルの特徴は正面の2枚窓で沿線の人や利用者から「狸」或いは「くぬぎ山の狸」と呼ばれている。
関 三平氏は「ふくろう顔」と言っておられるが、なるほど「ふくろう」にも見える。ちなみに乗物に全く興味の無い我が息子は、子供の頃「パンダ電車」と呼んでいた。本人は新京成電鉄で通学しており、やはり「狸」と呼んでいる。
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2015年 西方見聞録 ルーマニア鉄路の旅 Part19 CFF Vişeu de Sus(ヴァッサー渓谷森林鉄道) 最終日

DSC_597642▲ 11:46 ヴァッサー渓谷森林鉄道の冬季随一の撮影ポイント、ツララの滝横を走るコッペルMĂRIUŢA号。今日は最後の撮影ですが快晴とはならずの曇天です。しかし、この渓谷を走る列車を撮るには日差しがあると逆光になります。曇天の方が撮りやすいようです。 続きを読む

雨も撮る-(続)武庫之荘駅

乙訓の老人のコメントや、どですかでんさんの田原本線に刺激されて、連日武庫之荘へ。それも雨の中を。
阪急武庫之荘駅の南側、駅の東の踏切まで歩道沿いにぼんぼりが。すっかり濡れていました。人通りも少なく、ひっそり。
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踏み切りを越えてお立ち台へ。さすがに誰もいなくて独占状態。花は昨日より赤みが増したようです。今日のさくら号は5000系。
やっぱり、どですかでんさんみたいに、日本の青空が欲しいですね。
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雨の今日、目的は武庫川堤防のさくらで、バス待ちの時間に阪急を写しました。
武庫川の撮影時、雨が一番ひどくて靴はぐしょぐしょ。堤防上は毎年、人の少ない穴場でして、新芽若葉の緑、ユキヤナギの白、レンギョウとウンナンオウバイの黄色、そしてサクラの組み合わせが見所ですが、雨でサクラの散りが加速され、それほどでもなかったのでした。

桜咲く大和路 近鉄生駒線と田原本線

兵庫・ふるさと通信員さんの投稿に刺激されて、4月2日の午前に超晴天だったのでぶらぶらと歩いて近くの花見に出かけた時の写真を少しばかり。

桜と生駒線-w住宅地のバス道を下って行くと桜が一本あり、王寺に向かう生駒線の電車が俯瞰できる。遠くには三重との県境にそびえる高見山が見える。

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2015年 西方見聞録 ルーマニア鉄路の旅 Part18 CFF Vişeu de Sus(ヴァッサー渓谷森林鉄道) 古典的ディーゼルカーに乗って

DSC_527907▲ 撮影途中でお会いしたおばあさん。出発する際には「行ってらっしゃい、頑張ってね」と手を振ってのお見送りをしていただきました。にっこりと送り出す笑顔がこの地の優しさを感じました。
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2015年 西方見聞録 ルーマニア鉄路の旅 番外編 ヴァセル渓谷森林鉄道からヴァッサー渓谷森林鉄道への愛称変更について

【 このナロー鉄道の愛称日本語名の変更について 】
今回のこのナロー森林鉄道訪問記事を投稿するにあたり表題(愛称)の日本語については当初悩みました。過去に訪問されたネット記事を参考にと検索しましたがヒットする訪問記はなく、購入していた地球の歩き方(ブルガリア/ルーマニア 2013~2014年版 270頁)で名付けられています「ヴァセル渓谷森林鉄道」が一般的なのかと思いこれにしましたが、投稿後に地元で呼ばれている名前(愛称名)とは違っているとのご意見をいただき、改めて調べ直すことにしました。HP01_2▲ CFF Vişeu de Sus 公式HP のトップページです。
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三次のハチロクと「クラウドファンディング」

毎度新聞ネタで恐縮です。最近は新聞を読んでいても さっぱり意味の判らない単語が出てきて困惑してしまいます。今回は「クラウドファンディング」がそれです。今朝の中国新聞朝刊県北版の記事です。

H27-4-3 中国新聞朝刊

H27-4-3 中国新聞朝刊

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