▲ 13:20 オラビタから2時間5分の乗り鉄を終えて終点のアニーナ(Anina)に着きました。ひと気のないAninaの街でしたが、学校帰りの中学生のお嬢さん達が笑顔で迎えてくれました。聞かれるのは何処から来た? 何人なの?です。日本人だよと答えるとびっくりした様子でした。初めて見る東洋人だったのでしょうね。スーパーがないかと聞きましたが、指さされた方向は遠く、折り返し時間に駅に戻るのは難しく諦めました。
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杉津 半世紀後の眺め
tsurukameコンビの杉津越えの写真、うらやましく拝見しました。準特急さまのコメント通り「もうちょっと早く生まれていたら」です。昭和37年4月と言えば 私はピカピカの中学1年生。ようやく意を決して一人で京都から遠出をしたのが、中3の昭和39年5月10日。柳ケ瀬線の廃止の日でした。木之本から当時の終点疋田(無人駅)まで柳ケ瀬トンネルを越えての往復乗車でした。キハ521単行は満員で、途中中ノ郷駅(有人駅)で乗客が入場券を買おうと出札口に殺到し、列車が発車できないひと幕があったことを思い出しました(私もそのひとり)。勿論北陸トンネル開通後で、鳩原ループも出来ていて、旧線である柳ケ瀬線が廃止されたわけです。従って北陸旧線はかろうじて柳ケ瀬越えを知るのみで 杉津越えは狩勝などとともにあこがれの線区でした。
新刊本の紹介
3月14日に大津市歴史博物館で講演を行ったばかりの総本家青信号特派員さんが今度は京都市電の本を出版されました。当会では湯口徹さんが島秀雄記念優秀著作賞受賞のほか数々の著書を発表され、山科の人間国宝さん、乙訓の老人さん、田淵仁さんも出版されておりますが、今回の総本家さんもこれに続くものであり、当会にとっても嬉しいことであります。総本家さんはこれまで出版の手伝いや共著で数多くの本を発表されてきましたが、今回は単独出版であります。
さて、本の紹介ですが
題 : 「京都市電」 昭和を歩く -街と人と電車-
発行所: トンボ出版(大阪市中央区森ノ宮2-3-1 Tel 06-6768-2461)
発行日: 2015年4月10日
です。 本の表紙 ▼
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2015年 西方見聞録 ルーマニア鉄路の旅 Part33 Oraviţa(オラビタ)へ
今日は昨夜悩んだ末、朝1番の列車でルーマニア最古の鉄道路線が残るOraviţa(オラビタ)へと向かう事にしました。
邪魔な荷物はホテルに預けて、翌日には戻ってくる1泊2日の行程です。カメラバックだけの身軽な恰好にして、夜明け前にホテルを出発しました。
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北陸トンネル開通前夜-杉津駅付近、半世紀前
1962(昭和37)年4月、2回生の春休み。同好会の亀田満夫さん(筆者と併せてツルカメコンビのもう一方の方)と撮り鉄・乗り鉄に出かけました。初日は北陸トンネル、開通があと2ヶ月に迫り、トンネルの開通で廃線となる新保-山中信号場間です。
ここで、北陸トンネルと旧・北陸本線の概要を紹介します。地図に書き込みました。
敦賀-今庄間の縦断面図です。(日本国有鉄道線増課より)
(新)北陸トンネル経由敦賀-今庄、と(旧線)敦賀-今庄間
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これは「コンヤの電車」と一緒ですか。
湯口先輩の「コンヤの電車」を見ていると、これと同じような電車を撮ったことがあるのを思い出しました。乙訓の長老様のコメントを読んでみると、ドイツで撮ったような気がして写真を見てみると、1994年6月にドイツのフランクフルトであった国際化学技術・バイオテクノロジー見本市視察ツアーに参加して、ケルンに行った時に撮った電車とよく似ていることがわかりました。ケルンで3連泊して企業と大学を訪問したのですが、自由行動の時間があったので市内をぶらついて撮ったものです。さて、これは同じ電車なのでしょうか。
コンヤ( Konya)のトラム
クモハ73106東ウラさんより送っていただきました写真を掲載します。
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ほとんど見かけたことがないコンヤの路面電車の写真ですが、
2011年8月、トルコ旅行の際に撮影しておりますので、添付いたします。
湯口様の時代からカラーリングは若干変更されていますが、
極端に大きなパンタグラフなどは1995年当時のままのようです。
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この地名ですが、ネットで調べると「コンヤ」が一般的なようです。
私も9月にトルコに行く予定です。現在トラムが走っている町を調べています
ので訪問地候補としてノミネートしておきます。
国鉄阪和線クハ6210に寄せて
モタ3000→モハ2250 → モハ20100番代に続いてクタ600→クハ6210→登場した。
関 三平氏は阪和形について詳細までご存じで、クハ6210がモカ2001→モニ3200と組んで荷電代用であったこともきちんと把握されておられる。
記録によれば期間は昭和25年7月13日~28年3月3日となっている。
グリーンとクリームの阪和特急・急行色に塗り替えられた時期は昭和31年と記されているが、もう少し詳しく見ると下記のようである。
ライバルの南海電鉄に対抗すべく70系が投入された。しかし南海は平行カルダン駆動に対し、旧態依然の吊掛式、ゆったり転換クロスシートに対し、シートピッチの狭い直角クロスシートと見劣りはしたが、利用者には好評であった。
最初に投入されたのは次の3編成である。
クハ76073+モハ70069+モハ70070+クハ76072 (31.11.30到着、31.12. 9使用開始)
クハ76075+モハ70071+モハ70072+クハ76074 (31.12. 1到着、31.12 .8使用開始)
クハ76077+モハ70073+モハ70074+クハ76076 (31.12. 9到着、31.12.14使用開始)
翌32年2月から理由は定かではないが、1両ずつ工場入りすることになったため、モハ61001とクハ6210が阪和特急・急行色に塗り替えられ入場車の穴埋めに連結された。
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コンヤの電車
あと10数月で傘寿がやってくるが、目出度いこと何ぞかけらも、なぁんにもない。ただ身辺整理を周りから責め立てられている。整理をしたって万が一にもへそくりや金の延べ棒が発掘されるはずもないのに。ふと見たネガの中に、綺麗に忘れていたトルコはコンヤの路面電車があった。トルコならイスタンブールの旧市街古典2軸電車が有名で、ぶんしゅう氏もアップしていた観光資源である。これは珍しくも何ともない、ごく当たり前でどこにでもある路面電車で、ただ従来あんまり出てこない(はず)というだけ。現像がイエローカメラなる、今はない安いのが取り柄のラボチェーンだったから、20年間での退色も激しい。まあ辛抱してご笑覧あれ。コンクリートの錘での架線緊張装置が右に見える。撮影は1995年9月17日、下は同行我が家の実力者(ヨメ様)による。
2015年 西方見聞録 ルーマニア鉄路の旅 Part32 Timişoara(ティミシュアラ)のトラム その4
城壁で囲まれた城内には数多くの由緒ある建造物が残り、今尚現役で使われています。これら中世時代の建造物に囲まれたティミシュアラ最古の広場、リベルタ広場(Piaţa Libertăţii)を走るトラム。設置されているのは聖マリアの像、聖ヨハネネポムク( Monumentul Sf. Maria şi a Sf. Nepomuk )です。
ただ広場の軌道はリニューアルが行われていて良いアングルでは撮れるポイントが少なく苦慮しました。観光案内についての案内はこちらをご覧ください。ルーマニア語ですが、ティミシュアラ観光案内の詳細が見れます。
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2015年 西方見聞録 ルーマニア鉄路の旅 Part31 Timişoara(ティミシュアラ)のトラム その3
ぐるっと鹿渡 第4日目 木曽谷を下って これは何なの 〇△?道 ガイドウェイバス
2015年 西方見聞録 ルーマニア鉄路の旅 Part30 Timişoara(ティミシュアラ)のトラム その2
2015年 西方見聞録 ルーマニア鉄路の旅 Part29 Timişoara(ティミシュアラ)のトラム その1
ティミシュアラも教会の多い町で、トラム沿線の車窓からは常に目に入ってきます。ローマカトリック教会Iosefinをバックに交差点を渡るのは、2系統GT4d型の3511号編成。
GT4d型は1973年にWegmannで製造されて、ドイツのベルリンブレーメンで走っていました。その内の10編成が2002年から2007年にかけてティミシュアラへとやって来ました。
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北総開発鉄道7000系に寄せて
北総開発鉄道(平成16年7月1日北総鉄道に社名変更)7000系は、昭和54年3月9日小室~北初富間開業時に新製した電車である。
関 三平氏の解説文は「新鎌ヶ谷」となっているが、これは誤りで「北初富」が正しい。
開業時より新京成電鉄と相互乗入を行い松戸まで直行し、都心との連絡は、新京成電鉄、常磐線を介して行われた。
6両編成3本が新製され、両端が制御車7000形、中間が電動車7100形で、編成は下記の通りであった。車体メーカーは3編成ですべて異なっていた。
←北初富 →小室 製作
7002-7104-7103-7102-7101-7001 川重
7004-7108-7107-7106-7105-7003 日車
7006-7112-7111-7110-7109-7005 東急
昭和59年3月19日住宅・都市整備公団が小室~千葉ニュータウン間を開業し、その運営を受託した。 続きを読む
2015年 西方見聞録 ルーマニア鉄路の旅 Part28 Timişoara(ティミシュアラ)へ ティミシュアラ北駅
▲ 15:31 オラデア駅ホームで撮影していますと駅員さんから日本人は珍しいから写真を一緒に撮ってとせがまれました。ルーマニアを旅していますといつもの事で、気軽に応じました。ツーショットを撮ってからお返しにお二人も撮られせていただきました。この女性駅員さんは「どこまで行くんだい、ティミシュアラなら次に入る列車に乗れば良いよ、ここで待ってなさいよ。」と、やさしく案内もしてくださいました。
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「江若鉄道の思い出」 終了しました
2015年 西方見聞録 ルーマニア鉄路の旅 Part27 Oradea(オラデアのトラム) その3
▲ オラデアトラムOTL(Oradea Transport Local)は1435㎜ゲージ、DC550V(現在は600V)で1906年に電化開業、旅客扱いが開始されました。シーメンスの電装機器を装着した2軸ボギー車のトラムの他、電気機関車牽引の貨物列車も走りました。ボロボロになっていた凸型電気機関車を復元して8月23日公園(Parcul 23 August)前のT字形トラム交差点中央に展示されていました。
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2015年 西方見聞録 ルーマニア鉄路の旅 Part26 Oradea(オラデアのトラム) その1 超低床車
▲ オラデアのトラム、OTL(Oradea Transport Local)のご自慢は、ウィーンでも採用されていますシーメンス(Siemens)製の100%超低床車ULF (A1)型トラムです。
一般に言われる低床式トラムの床面高さは300~350㎜ですが、このトラムは180㎜と世界一の低床を誇ります。動力装置は床下に置かずご覧のように床上の車体側面に収納されています。屋根にも電気機器を置くといった徹底ぶりです。車輪の車軸はなく乗用車に見られる左右独立車輪式台車が採用されました。これらによって路面や低い電停ホームからのバリアフリーが可能となり車椅子でも容易に乗降できます。車体長24,200mm、幅2,400mm、車重30㌧、出力52kw×6=312kw、最高速度70km/h。OTLではこの超低床車10編成が2008年4月より運用についています。シーメンス社のパンフはこちらへ。