今日6月21日は近畿、東海、関東甲信越はいつもの年より遅れて梅雨入りとなった。晴天順光が好きな私であるが、雨に濡れた紫陽花もいいのではないかと思いいつもの箱根登山鉄道大平台に向かった。雨となると高齢者はかってを知った場所にして安全に注意すべきと考えた。少し前に撮った京王井の頭線と共に発表してみる。
2024.6.10高井戸-浜田山間各停渋谷行き1734▼
今日6月21日は近畿、東海、関東甲信越はいつもの年より遅れて梅雨入りとなった。晴天順光が好きな私であるが、雨に濡れた紫陽花もいいのではないかと思いいつもの箱根登山鉄道大平台に向かった。雨となると高齢者はかってを知った場所にして安全に注意すべきと考えた。少し前に撮った京王井の頭線と共に発表してみる。
2024.6.10高井戸-浜田山間各停渋谷行き1734▼
豊橋鉄道 柳生橋支線
路面電車に関わる小ネタをしばらく綴っていきます。先般行われた豊橋ツアー、もう一ヵ月が過ぎての後出し投稿で失礼します。丹羽さんからは、本欄でも貴重な豊橋市内線を紹介していただき、旭川電軌や三重交通神都線から来た貴重な車両を紹介していただきましたが、私も、過去に一度だけ、豊橋市内線の車両を撮っていました。かつての柳生橋支線を走っていた3700形です。
現在、豊橋の市内線は、先日みんなで乗った駅前~赤岩口・運動公園前の東田本線だけですが、以前は駅前~市民病院前、新川~柳生橋の2支線がありました。駅前~市民病院前は昭和44年に休止・廃止、もう一方の新川~柳生橋0.9kmの柳生橋支線は、昭和
51年廃止で、私も直前に短時間撮りに行きました。そこで走っていたのが、日本最初の半鋼製電車と言われる3700形でした。柳生橋支線の廃止後も3702が生き残り、鉄道友の会「エバーグリーン賞」を受賞、平成19年まで「レトロ電車」として活躍し、廃車後は豊橋市こども未来館に保存展示されていることが、丹羽さんの原稿にも書かれています。
▲豊橋の駅前大通りをまっすぐ進んだ東田本線は、新川で左へ曲がり北へ向かう(写真の上方向)。その新川から分岐していたのが、手前の柳生橋線で、専用に走っていたのが細面のモ3700形(昭和50年6月撮影)。
今回は名古屋~新宮・紀伊勝浦間を結ぶ特急南紀に注目です。昨年、キハ85系が引退しました。その後はHC85系が充当されています。
愛知県・三重県・和歌山県の3県にまたがって走る南紀にぜひご乗車ください。
日本一短いローカル私鉄である紀州鉄道です。起終点含めて駅数は5と、そこそこあります。なかなか訪ねることのないローカル線にお邪魔してきました。
京都市交通局では、6月1日にバス系統の再編成、ダイヤ改正を行い、社会問題化したオーバーツーリズムによるバス混雑の緩和のため、観光特急バス、EX100号、EX101号の運転を開始しました。ほかにも、朝ラッシュ時に、主要停留所のみ停車の「快速」や、観光客の多い東山、金閣寺方面の路線などを増便しています。
▲観光特急は2系統あり、EX100号は「観光特急“楽洛”清水寺・祇園・銀閣寺ライン」が副称で、京都駅~五条坂~祇園~銀閣寺の往復、EX101号は「観光特急“楽洛”清水寺ライン」が副称で、京都駅~清水寺・五条坂の往復、いずれも主要停留所のみ停車で、運転時分の短縮も狙った。EX101は、京都駅を出ると、次は終点の清水寺・五条坂となる。
ある駅から探索を開始
先般のクローバー会の豊橋ツアー、参加の皆さんとともに楽しんできました。晩は豊橋駅の居酒屋で、名物の味噌煮込みおでんで気勢を上げたあと解散となりましたが、その日、私はは豊橋に泊まって、翌日は一人で飯田線へ行きました。飯田線は、旧型電機・電車が走っていた頃には、よく訪れたましたが、それらが消えてからは全く足を踏み入れたことがなく、今回、約50年ぶりの飯田線入りとなりました。2扉、転換クロスの213系5000代車は、超ガラガラで、窓から見える渓谷美とともに、実に快適な乗り鉄一人旅となりました。思い出に残る駅や、以前から憧れていた駅に下車して、周辺を自分勝手に思いのままの街歩きを楽しみました。
▲雨に洗われて新緑の鮮やかさを増す飯田線、乗車して一時間あまり、ある駅に到着し下車した。島式ホームには、乗車の313系、交換の213系と、飯田線の現有形式が顔を揃えた。
ささやかな写真展、やってます。
今年は1974(昭和49)年7月に湖西線が開業してから、50年を迎えます。その前身とも言うべき江若鉄道も、廃止されてから55年となり、地元の大津市、高島市から、展示や講演の依頼を頂戴しています。湖西線はまだしも、江若に至っては、今までイヤッと言うほど展示・発表をして、いったい江若で何杯メシを食うんや、と言われていますが、私のような老人の存在を覚えていただいて、人
繋がりでお声掛けしていただき、すべて有難くお受けすることにしました。未確定の展示もあり、内容が確定した催事から紹介していきます。
今回は、もう展示が始まっているものです。地場の金融機関である、滋賀銀行さんからお声掛けいただき、湖西線近江高島駅近くの高島支店のロビーで行われている写真展で、先週末、現地へ行って設営して来ました。▲京都~大阪より長い路線長のあった江若鉄道のすべてを紹介するのは、小さな会場ではとても無理で、今回は、会場のある高島町付近に限定しての写真展です。
写真展「高島・今津を走った 懐かしの江若鉄道」
6月3日(火)~28日(金) (開催中、銀行営業時間内のみ)
滋賀銀行高島支店ロビー (湖西線近江高島駅下車、徒歩5分)
開業40周年の三陸鉄道へ
5月の最終、もう一件だけ「日常+α」載せます。先週になりますが、三陸鉄道に乗って来ました。いままで三陸鉄道では、佐竹保雄さん主宰の「トレランス号」に、佐竹さんの東北復興への願いを思いながら、2回に渡って乗りました。今回は、私にとっての思い出の地である大槌を中心に瞥見してきました。過去、デジ青誌上でも、三陸鉄道の前身である、国鉄山田線の大槌駅のこと、そこで何気に撮った写真が、意外な展開を見せて、「トレランス号」が走る端緒にもなったことも書きました。 「TOLERANCE 10」 大槌を行く! | DRFC-OB デジタル青信号
「トレランス」に乗車してから5年が経過し、この間にも、地域の復興はさらに促進されて、三陸鉄道を取り巻く状況も変化していると聞きます。現地でその空気に触れるべく、家族とともに大槌入りとなりました。
▲釜石から三陸鉄道で3つ目の駅が大槌、震災で街も鉄道も壊滅したが、もとJR山田線は三陸鉄道に移管されて、大槌駅も旧駅とほぼ同じ場所に設けられた。その三陸鉄道は、ことし開業40周年を迎え、そのヘッドマークも掲げられている。車両も開業時の36-100形が、三鉄のオリジナル塗装のままで走っているのが嬉しい。
奈良の駅名研究家さんより「快速急行の停車駅名」と題して5月23日に投稿があった。私は駅名を研究をしていないのでコメントはできなかったが、これまで撮った関西、関東の私鉄快速急行を発表してみたいと思う。併せて、本題から外れるが快速特急も数枚用意した。
快速急行の最初は奈良-三宮間の直通列車1027である。2022年7月21日近鉄奈良線の石切駅で始めて下車した。生駒のトンネルを大阪側に出た所にあるカーブした駅である。▼
阪神電鉄の香櫨園駅はカーブした下り普通列車4連を撮るにはいい場所である。香櫨園は昔は海水浴場がありここで泳いだことがある。2022年12月17日この時は近鉄の上下快速急行がすれ違ったが手が震えてピンボケ。左奈良行き後部5801と右三宮行き先頭9730。▼
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5月26日にはDRFCクローバー会のイベントで豊橋鉄道市内線、名鉄西尾・蒲郡線を訪ねるツアーが開催され、現在15名の方から参加申し込みを頂いています。
そのメンバーのおひとりである丹羽さんより、豊橋鉄道市内線の珍しい写真を送っていただきましたので紹介させていただきます。丹羽さんは、湯口さん、沖中さんと同世代の大先輩ですが、昨年の長良川鉄道の乗車会に参加され、今回も参加申し込みをされました。
丹羽さんはよく海外に行かれ、昨年発行したクローバー会会報第6号には英国ブラックプールのトラム、終戦直後の名鉄の思い出を投稿されました。
今回送っていただいた写真は1961年から現在まで幅広い年代のもので、今回はすでに廃車された車両についてご紹介をさせていただきました。尚、写真はプリントしたものを頂き、私の方でスキャンしましたので、画質が落ちてしまいましたがお許しください。
↑ モハ200形(203号)1962.1撮影
旧旭川市街軌道12号で、1949年2月に4両購入した。1965年5月廃車 続きを読む
私鉄特有の種別である「快速急行」は、特別料金不要の上位種別です。「特急」でないこともあり、乗車機会確保のため、各駅に停車する区間もあります。
今回は、私も難波・三宮方面に向かう際、大変お世話になっている快速急行にスポットライトを当てました。皆さんの最寄りの快速急行停車駅は何処でしょうか。



最近、2009年11月29日の大阪通信員さんの「通信だより」にコメントがあり、通信員さんの女性車両誤乗の話に加えて乙訓の老人さんの京都名物(?)のアイスクリームの天婦羅などの話に飛び、多くの方々からコメントが入っている。乙訓の老人さんは電車に関しても独特の隠語が入っているがとにかく面白い。今さら言うのも失礼かと思うがとにかく文才抜群と思う。
これだけではつまらないので吉田さんの札幌市電の続きを始めさせていただく。ローレル賞を取ったA830の一部が美濃の国に行った話をしたが早速紫の1863さんが美濃時代の写真を入れてくれた。札幌時代のA830の写真が少ないので拙写であるが、駅前の姿を発表する。1969.3.10 北24条行きA833 ▼
総本家さん程うまくないがもう1枚。1969.3.18 北24条行きA838 ▼
「あんな。札幌のA830はやなー。」 京阪、京都市電だけではなく日本全国の電車、ドイツの路面電車にも造詣が深くデジ青にも必ずと言っていいほど説明をいただいた日々が懐かしい。改めてご冥福を祈りたい。