晩秋風景

KAWANAKAです。

準特急先輩に神戸電鉄を取材せよとも取れるコメントを頂いたというわけではないのですが、冬を迎える風景には良いかも知れないねえ、と思って休みの度に出かけた。その月の内なら日曜4回乗り放題1800円というのがあって、三宮から新開地までも料金に含まれるから安い。大阪までの定期があるので、三宮までの休日を金券ショップで買うと片道240円(安い!)。みなさんも利用してはどうですかね。JRを使わずにかなり広い場所まで遠征ができますよっ。

神戸電鉄は紅葉の名所はないと思うが、それなりの原風景が大都市の景色とごっちゃ混在しているので、イケルかも知れない。行ってみると意外と残り柿子があったりして、しかし中々、線路と良い位置関係にはないのですが、探してみるとそこそこありました。場所を言うと面白くありませんので、興味があればそのうちコメントなどに載せようかと思います。

晩秋といえば残り柿子でしょう(と勝手に決めました)。いくつかあるうちの2枚を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

↑バックがクサイので少しぼかしてみました。

次に、線路脇に残った柿が撓わに残されている場所がありました。近くに古い民家もあり、そこにも1本残った柿の木がありました。晩秋の日本の秋と思います。このような風景が好きですねん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もう1つはススキでしょう。ススキは誰でも撮ていますがここまで枯れてくると、秋も終わりという感じです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ぶらり散歩をしていると野焼きをしているおばさんがいました。断って何コマか撮りましたが恥ずかしがって、ケツを向けます。仕方がないので、これでもどうぞ、というところです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これで秋の仕事もお納めになり、いよいよ冬へと向かっていきます。晩秋の日本の風景です。

PS: WAKUTA氏がハルカスの写真をいっぱい発表されています。ついででなんですが、阪堺線松虫あたりはよく見える場所で好きですね。もっといっぱい紹介して欲しいと思います。発展する街と古い街が混在していい雰囲気を醸し出す場所が他にないかなあと・・。

オマケです。

2012年冬の中国鉄路の旅 Part5 长春路面電車と軽軌

第6日目 11月17日

① 図们 前日20;30( K7368次)→5:45长春
② 长春19:46(2727次)→翌日9:10绥芬河

定刻に夜明け前の長春に到着しましたが、前回と同様に本站から離れた臨時站です。
少し歩かないと本站まで行けませんが、降った雪で思うように進めません。

途中で朝飯にしました。チェーン店のお粥屋ですが、中々でした。

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あべのハルカス

東京では、スカイツリーが話題になっていますが、大阪特に南大阪で話題になりつつあるのが「あべのハルカス」です。近鉄があべの近鉄百貨店に建設中の日本一高いビルとなります。元南大阪の住人としてはその周辺が気になり今回環状線から時計方向に見てきました。初めての事で今回紹介する場所以外にも最適なポイントはあると思います。最初は環状線の寺田町駅天王寺方面行きのホーム先端からです。

多少邪魔者が入りますが仕方ないです。次に阪和線の美章園に向かいましたが適当な場所がみつかりません。次は南大阪線の河堀口です。突然ラビット復元色が現れ慌てました。

さらに阪堺線です。ビルを正面に狙えるのがあべの筋、下町の情緒を入れられるのが東天下茶屋あたりでしょうか。

もう一つの大阪名所通天閣とのツーショットは、えびす町駅です金網が気になります。

最後に南海です。車両が小さくなりますがなんばパークスの屋上庭園からです。アクリルの壁越しとなりますが我慢しましょう。

これら以外にもいい場所はあると思います、ビル完成後も楽しみです。

国立駅の線路改良工事

あと10日ほどに迫り、お知らせのパンフも各駅の構内に配置されています。

 

現行の景色で何か証となる様なものを撮りたいと考え快晴の今朝、富士山と中央ライナー(3572M、E257系)を同一画面に入れました。

 

線路改良後には中央東線の通過列車は画面右側の通過線を走りますので、現行の線路上を優等列車が通るのは武蔵野線への列車以外、稀な事となります。

 【追補】

富士山をもう少し鮮明に映すため、コンデジからミラーレス一眼に変更しました。そして富士山に露出を合わせてみました。

2012年12月12日 3562M/青梅ライナー、従来線の最終走行日

 

 

2012年12月12日 3572M/中央ライナー

 

 

どですかでん様、見つけました!

阪急のアロハ特急についての情報を教えて下さったどですかでん様、TMS181号(1963年7月号)に中島新治氏製作で、阪急800型アロハ特急が掲載されていました。記事にも「当時の常識を破って、黄色と空色の派手な塗り分けで登場して話題をまいた阪急802+805の自作ペーパー製」と書かれています。

2012年冬の中国鉄路の旅 Part4 国境の橋Ⅲ 琿春(珲春)

第5日目 11月16日

① 図門(Taxi)→琿春(珲春)→図们
② 図们20:30(K7368次)→翌日5:45长春

今日は、昨日のTaxiを再チャーターして、図们から東方向(珲春)へと向かい約60キロ先の国境の橋を目指しました。
【不運の鉄路】
 1932年に「珲春鉄路」が設立され、1935年に満鉄北鮮線の訓戎~珲春(14.8キロ)が、762mmのナローゲージで開業しています。訓戎~水湾に架かる国境の橋はこの時に建設されました。
1938年には、「東満洲鉄道」に買収され、1939年には輸送力増強のために1435mmへと改軌されました。国境の橋も、この時点で付け替えられています。その後、珲春以降の延伸が続きましたが、1945年のソ連の突然の侵攻により鉄路は破壊され消滅したようです。わずか10年で消えた不運の鉄路です

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小樽から江差へ、そして青森 1日目から3日目小樽まで

 青森の写真展から1ヶ月以上が過ぎた。私も青森へ行くことにしたのであるが、せっかく北の方へ行くのであるからあちこち行ってみようと計画をした。そして考えたのがとにかく船で北上することにした。理由は運賃が安いからである。いろいろ考えた結果、奈良から近鉄で名古屋へ行き、太平洋フェリーで苫小牧へ。苫小牧からとにかく函館に行き、ここから青森へ行くことにした。帰りは再び苫小牧に戻り、今度は新日本海フェリーで敦賀へ。そして奈良に帰る計画である。せっかく北海道に行くのであるから、小樽と江差に行き、津軽海峡は船で往復することにした。その結果、船中4泊、夜行高速バス1泊、ビジネスホテル1泊という7日間の旅となった。

 この旅では予期せぬことがあり、面白い旅となった。写真を中心にして構成したが、船とか建物などの鉄道以外の写真も多く出てくるので、この点は少しお許しを・・・

 では、1日目から3日目の小樽までを。 続きを読む

2012年冬の中国鉄路の旅 Part3 国境の橋Ⅱ 開山屯へ

第4日目 11月15日

① 丹東 前日14:42(K7378)→11:38龙井
② 龙井(Taxi)→開山屯→図们 

 丹东~龙井の1,066キロを約22時間かけて走るK7378次は東北地区のみを走る列車としては、走行距離の長い列車の一つです。
走行する和龙~白河は途切れた路線でしたが、 最近つながりこの列車が生まれました。使用される車両は旧型緑皮車で、暖房は車両ごとの石炭炊きのボイラーです。しかし、乗り鉄には応えられない車両です。
ただ、食堂車がないことが問題ですが、我々二人の主食はビールと白酒ですので、よく来る車内販売で十分でした。 続きを読む

目撃者、探しています!

終戦直後に、こんな電車が走っていたとは思いませんでした。これを知っている人はわずかでしょう。阪急ファンでも知らないのでは?マルーンさん、知ってましたか?さらに、写真を持っている(リアルタイムで撮っていた)可能性のある人は、山科でD52のボイラー破裂を見た方とか、四国の私鉄を撮りまわっていた方ぐらいでしょう。

2012年冬の中国鉄路の旅 Part2 国境の橋

第3日目 11月14日

① ホテル7:30(車)→9:01上河口駅→10:55长甸駅→丹東駅
② 丹東14:42(K7378)→翌日11:38龙井

 朝7時前に目覚めました。昨夕の新義州駅の列車が気になります。急いで屋上に上がって見ました。逆光の向こうに新義州駅があります。
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伊賀線廃線跡Ⅱ

伊賀線廃線跡Ⅱとして大阪線桔梗が丘付近を紹介します。周辺は宅地開発が進み昔の面影は無いようですが、今でも判るポイントです。桔梗が丘から名張よりにある今は道路橋として使われている鉄橋があります。国道368の抜け道となっており、車1台がやっと通れる狭いものです。

次は桔梗が丘駅から見た廃線跡ですが、今は右側の工事車両等の留置線となっています。右斜め方向に上記の鉄橋があります。

同じ留置線の伊賀神戸方向です。

旧線は奥の林の方向を左方向に進み(痕跡は残っていません)「西原」「美旗新田」と繋がっていたようです。

旧型車さよなら運転の様子です。

この辺りの風景はいいのかどうか?あまり変わっていません。

 

 

KAWANAKAです。

錦秋版が2つ発表されて、まだ1つ叡電が出るのかも知れないが、そろそろ見納めなので、小生も休みを利用して小さな外回りをしているので、こんなことをしてまっせ、とお披露目したいと思います。

拙宅は高槻なので、休日の金券ショップに行けば200円で河原町か嵐山まで行けます。嵐電は乗り放題500円。

また近江八幡まで同じく金券ショップで900円くらいで近江鉄道の乗り放題は550円。この辺がリーズナブルに行ける範囲かと思います。そうそう京津線も500円やから安いわねえ。という訳で箱根や叡電ほどではないが、ぶらりと出かけました。嵐山から嵐電は桜と思いますが、いやいや紅葉もいけますのやでえ、というところを。第一、春の鳴滝みたいに押すなおすなの人出はありません。

まずは200円で嵐山へ。駅の線路脇のフェンスからできるだけ長焦点にすれば桜のあいだに存在感を出そうと頑張っているモミジが・・・。マルーンが同化していて鮮やかさは今ひとつかもしれませんが、確かに紅葉です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次に嵐電で500円払って鳴滝を通って宇多野まで。

宇多野の陸橋から仁和寺(かな?)が見えます。枝と車両の関係が上手くいかずですが、遥かにお寺が望めるのが如何にも宇多野らしいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、ここでウロウロとしていますと、宇多野で下車する若い二人連れに出会いました。断る時間もなく、距離も離れていたので数カット撮りましたが、如何にも京都、なにかポスターになりそうな写真になりました。撮ったでー、ということで目的達成の感がしましたが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、鳴滝は桜の名所ですが桜の紅葉もモミジのケバさがなく捨て難い。幸い同業者は皆無。落ち着いた色彩の中から電車が現れてきます。落ち着いてじっくり味わえる時間です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

京津線は紅葉は難しいのでまたの機会にして、550円で死ぬほど乗れる近江鉄道の無名の晩秋を載せて最後の投稿写真とします。場所はお分かりでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

一昔前の野蒜駅と仙石線


野蒜駅を発車したクハ68086他4連/ (50-5-2)

特派員さんより10月20日【25248】「被災地の鉄道はいま―1―」で仙石線野蒜駅の被災状況の報告があった。たまたま古いネガを見ていたところ、同駅の改築前の写真が見つかったのでご覧に入れたい。
前身の宮城電鉄時代が昭和3年4月18日、松島公園(現松島海岸)~陸前小野間の延伸開業時に建てられたものである。(50-5-2)

【同時期の仙石線風景】
(1)手樽~陸前富山~陸前大塚間
陸前富山~陸前大塚~東名間は海岸線ギリギリに線路が敷かれていた。陸前大塚~陸前小野間の津波による壊滅的被害は特派員さんの報告の通りである。

陸前富山駅/ (50-5-1) 電車はジュラルミン製のサハ78202(昭和21年川崎車輌製)の改造車クハ79902(29年大井工場で全金改造)。


陸前富山~手樽/(49-4-29) クモハ73319+サハ78+モハ70047+クハ79902

陸前富山~陸前大塚/ (49-4-29) クモハ73331+サハ78+モハ72132+クハ79926

陸前富山~陸前大塚/ (50-5-1) クモハ54004+サハ78+クモハ54105+クハ68062

陸前富山~陸前大塚/ (50-5-1) 103系と同様の車体に載せ替えたクハ79600番代とクハ72970番代の4連

陸前富山~手樽/(49-4-29) クハ68060+クモハ54107+サハ78226+クモハ54004

陸前富山~手樽/(50-5-1) クモハ73003他4連

(2)高城町~松島海岸間
特派員さんからの報告の通り、あおば通り~高城町間は復旧されているが、陸前小野までの区間は被害が甚大過ぎて復旧は2015年までかかると言われている。高城町~陸前大塚間は海沿いであるが松島湾の入り江になっているため津波被害はなく、護岸工事を実施した上で現ルートで復旧、陸前大塚~陸前小野間は山側に線路を移設して復旧の予定である。仙台~塩釜~石巻の都市間輸送の他、仙台への通勤、通学客、松島への観光客等多くの人に利用されている重要な路線であり早急な復旧をお願いしたい。

高城川の鉄橋を渡る クモハ73022他4連/ (50-5-1)

同 クハ79208他4連/ (50-5-1)

クハ79926他4連/ (50-5-1) 左側は東北本線

クハ79600番代とモハ72970番代の4連/ (50-5-1)

松島海岸駅に進入するクモハ54004他4連/ (50-5-1)

高城町駅で休車中のモハ70125/ (50-5-1)
モハ70は昭和46年1月から2月にかけて、明石から123~125、11月に新前橋から047が転入したが、朝のラッシュ時の収容力に難点があったため、車体新製のクハ79600番代、モハ72970番代と交代して、50年2~3月にかけて047、124、125の3両は松本区に転属した。125のみ仙石線に残ったが使用されることなく52年3月廃車になった。

松島海岸駅と東北本線松島駅を結んでいた宮城交通のバス(37年式日野RB10)/ (50-5-1)

 (3)単線時代の本塩釜付近
撮影時、複線区間は仙台~西塩釜間で、西塩釜~東塩釜間が複線化されたのは56年11月であった。この区間は塩竈市内の中心部を通り複線化が困難であったため線路が付け替えられ、本塩釜駅と東塩釜駅は移転した。
単線時代の本塩釜駅は棒線にも拘らず仙台方面への折返し電車が存在した。

単線時代の本塩釜~西塩釜間/ (50-5-2)

本塩釜駅前/ (50-5-2) 後ろにホームに電車が停車している。

駅の直ぐ横の踏切を渡る宮城交通のバス(46年式いすゞBU10P)/ (50-5-2)

本塩釜駅前の宮城交通のバス(38年式日野RB10)/ (50-5-2)

 同 (40年式日野RC300P)/ (50-5-2)
元貸切車でヘッドライトきはいすゞのものを付けている。

本塩釜駅前の仙台市営バス(46年式RE100)/ (50-5-2)
当時仙台市交通局も塩釜までの路線を持ち営業所もあった。距離が長く交通渋滞のため定時運行が困難になったため50年代に廃止された。

スカイツリーと鉄道


7022 (24-10-8) 荒川区役所前

今年5月22日スカイツリーが開業し、常磐線や「ゆりかもめ」の車窓から眺めながら通勤している。
しからば、スカイツリーを入れて写真撮影が出来ないものかと思うのが人情で、可能な場所を探してみた。
東武の浅草~とうきょうスカイツリー間、尾久駅構内、錦糸町駅構内は比較的有名であるため、それ以外の場所を紹介する。

京成電鉄押上線/四ツ木~立石間
葛飾区内に住んでいる関係上、所用で葛飾区役所に行くことがある。最寄駅は京成電鉄立石で、自宅からは京成バスで金町駅に出て、京成金町線で高砂まで行き、更に押上線に乗り換える。更に駅から区役所まで徒歩10分弱かかり、タイミングが悪ければ小1時間かかることがある。自転車で行けば少々遠いが、途中の待ち時間ゼロで約30分で到着する。
いつもカメラ持参で、帰宅時に立石駅周辺、高砂駅の開かずの踏切、柴又付近で撮影する。立石駅付近は家が建て込んでおりバックは良くない(現役時代に使っていた言葉で「クサイ」)が、柵が低いため編成写真の撮影は可能である。

ある日のこと、たまには別の場所でと思い、四ツ木寄りに行くとバックにスカイツリーを入れて撮影できる場所があった。
四ツ木駅の立石より一つ目の小さな踏切で、車が通らないので落ち着いて撮影できる。通行人のおばさんから「たまに撮影している人がいるよ」と声をかけられたので、隠れた名所かも知れない。
電車は京成、北総、京浜急行、都営地下鉄の各社の車両が入り乱れて昼間でも約5分間隔(上下合わせると2分30秒間隔)でバンバン来るので飽きることがない。立石駅を含む四ツ木~青砥間の高架工事が始まると撮影できなくなる可能性が高い。

都営5300形の北総鉄道直通車
京成電鉄からのリース車7260形もよく運用についている。

踏切の反対側から。千葉ニュータウン鉄道所属の9100形

   【参考1】踏切の高砂側

青い京浜急行

京成電鉄3600系/両端がTcのため京浜急行には乗り入れない。

  【参考2】立石駅の押上寄り踏切

バックの建物は電車で隠れる。葛飾区役所の最寄駅で乗降客は多いが各駅停車しか停まらない。

【参考3】高砂駅構内の踏切


  高砂駅の青砥寄りのホーム端はお手軽撮影地として有名であるが狭いのが難点である。成田寄り2つ目の踏切の遮断機の横からの撮影で、ゴチャゴチャ観が何とも言えない。リバイバル塗装車、スカイライナー、シティライナーの撮影も可能である。

都電荒川線/荒川区役所前
三ノ輪橋終点からスカイツリーまで路線延長の要望が出ている。実現すれば経済効果は大きいと思われるが、三ノ輪橋付近の線路を付け替える必要があるため実現の可能性は少ない。
地平を走っているためスカイツリーの見える区間は少なく、都電と共に撮影できるのは荒川区役所前電停の早稲田寄りだけのため有名撮影地になっている。自宅から近いので気が向いた時に訪れているが同業者は見かけない。「写真館」に893-2さん撮影の夜景がある。

標準レンズではスカイツリーが小さくなってしまう。

反対側はこんな感じで、カーブの先は線路に沿って桜が植えられている。

以上2ヶ所紹介したが、他にも撮影可能な場所をご存知の方は是非ご紹介をお願いしたい。

京成電鉄では都内フリーの「下町日和きっぷ」を500円で発売しており、撮影には便利であるが日和らないよう有効に活用していただきたい。

山の上から見下ろすと

 我が街には瀬戸内海国立公園の一部にも指定されている筆影山(ふでかげ山)があります。標高311mと麓から山頂まで歩くにはちょうど良い山で、野鳥も多くよく歩きに行きます。山頂からは瀬戸内海の多島美が楽しめますが、途中の登山道から見下ろすと M重工の和田沖工場が足元に広がります。広い構内には各種試運転線があって、広電の連接車やゴムタイヤ式新交通の走行試験を見ることができます。平成18年3月に廃車になった広電550型555号が何故か試運転線上に留置されています。広電旧型車の置き換え用に新製されたと思われる3連接車?も見えます。また草むらには関東から来たと思われる電車の車体も置かれていますが、何鉄道の何型なのか私には判りません。どなたかご存知の方はご教授を。

広電555号。廃車から6年を経て かなり色あせている。

 

 広電旧型車の置き換え用新車?

手前は湘南モノレール401号。奥の電車は何者?

EVEにクローバー会も協力

以前の掲示板で奈良の駅名研究家さんから紹介があったとおり、26日(月)から3日間、同志社EVEが今出川キャンパスで行われ、現役の鉄道同好会の皆さんも恒例の鉄道展を開きます。ことしは、初めてクローバー会もEVEに参加、鉄道写真展を行います。写真は、この2月、烏丸御池駅ギャラリーで開かれた「鉄路輝く」の中から、選りすぐりの約30点を展示することになりました。

  同志社EVE 鉄道同好会“鉄道展”

  今出川キャンパス 扶桑館101教室 (ハリス理化学館の北側)

  11月26日(月)~28日(水) 10時~20時(28日は18時まで)

各世代に思い出の残るEVE、その意義・内容も様変わりしていますが、それはそれとして、いっとき学生時代にタイムスリップしてみませんか。

某所から運び出し、会場に並べられた写真。足腰が弱ってきたにも関わらず運び出しに協力してくれた乙訓老人に多謝。

準備が一段落した現役生たち。展示はNゲージ運転会が中心だが、大阪地下鉄御堂筋線に関する研究成果の発表や、前面展望ビデオの上映なども。

扶桑館101教室。キャンパスの整備工事が急ピッチで進む今出川キャンパス、40年前の現役生はウロウロしながら会場に到着した。

錦秋箱根版

総本家さんの錦秋の叡電たより-1-[26504]を拝見。チャレンジ精神旺盛な夜間撮影にはとても及ばないが、私も毎年紅葉の時期には箱根登山電車の大平台付近を徘徊しているので、11月21日に撮影したものを載せてみる。

↑ 宮ノ下を下り上大平台信号所に向かう箱根湯本行き108

 

    ↑ スイッチバックの上大平台信号所を出て大平台に向かう箱根湯本行き 2005

伊賀線廃線跡

初めて投稿します、名張に移り住んで20数年が経ちましたwakutaです。最初にこちらに残っている近鉄伊賀線(伊賀鉄道)の廃線跡で明確にそれと分かる遺物がありますので紹介します。近鉄大阪線美旗駅の南数百メートルの小波田川にかかるプレートガーターがあります。周りは一面の田圃となっていて面影はありませんが鉄橋だけがポツンと残っています。

 

向こうに見えるのは大阪線です。伊賀線も伊賀鉄道と昔の名前に戻り、関東からの車両で牛耳られてきました。

錦秋の叡電だより -1-

今年の紅葉は、いつになく早いようだ。遠隔地へは行けないが、同志社で取材の用件があった時に、出町柳から叡電の沿線へ、“外回り鉄”してきた。市内から30分も乗れば、紅葉真っ盛りの景勝地へ行けるのも、京都ならではの魅力だ。

最初は、八瀬比叡山口へ。4、5年前から、季節ごと、時間帯ごとに定点撮影している(以前の掲示板でも雪の情景を発表)。その定点場所は、終端にある。ステンレス製の柵、その中央にある柵の一段目の足場によじ登って、到着する電車を狙うもの。ここから見ると、駅のドーム屋根が、まるで額絵のように、なって、季節ごとにそれぞれの表情を見せる。電車の側面が夕陽に輝く瞬間を狙ってみた。

鞍馬本線では、市原~二ノ瀬間にある、“紅葉のトンネル”を、日没後にライトアップしている。よくできたもので、電車が近づくと、車内が消灯され、運転室の遮光カーテンも上げられる。乗客からは歓声が上がる。後部の運転台からスローシャッターで、流れて行く紅葉を狙ってみた。満員の「きらら」に乗って貴船口に到着した。紅葉がらみのイベントが行われているので、多くの下車客がある。ホーム横の紅葉も真っ盛りで、ライトアップがよく映えている。全面展望の「きらら」が、そのシルエットを残して、闇の中に消えていった。