昭和の電車 改訂版(188)ー名鉄モ510型ー

前回の反応を見ようと過去帳を繰ってみたら、なんと!飛ばしていました。家内が捨てたらしいのです。

というわけで初見参です。
紫の1863さん、もう一度写真を見せてください。

 岡崎公園で 最後の京都市電

みどり豊かな岡崎公園にある観光案内所、京都市電1800形

京都・岡崎公園に、“市電コンシュルジュ”として、観光案内所に使われていた京都市電1800形1860号が、所期の目的を終えたことと、車体に破損もあることから、観光案内所としての使用を止めて、無償で譲渡先を募っていましたが、交野市で霊園開発を手がける会社に譲渡されること決まりました。本日、打ち合わせで岡崎公園へ行く用事があり、最後の別れに行って来ました。

交野市の霊園開発社と言えば、大宮交通公園に保存展示されていた北野線N電の引き取り先として知られています。N電は修復されて、現在では「ハピネスパーク交野霊園」の待合所として使われていますが、1860号の保存先については、別の霊園と聞いています。移送時期も不明ですが、梅小路公園での保存車以外では貴重な原型を保った京都市電だけに、岡崎公園から見られなくなるのは残念です。深い緑に囲まれて。

車内は閉鎖中とは言え、市電時代を知らない世代からも注視を浴びる。

赤い鳥居との組み合わせも岡崎公園ならでは。

 私の好きな電気機関車たち   ⑩

東北の赤い電機

久しぶりの掲示板投稿になりました。なかなか投稿頻度は上げられませんが、セッセと投稿を続けます。「電気機関車」シリーズ、前回はED70を紹介しましたが、赤い色に塗られた交流電機は、線区、周波数の違いで、多くの形式があり、とくに交流線区が多岐にわたる東北地方には、さまざまな交流電機が見られました。

東北本線の電化は黒磯を境に、北は交流50Hzと決定されて、昭和34年7月に黒磯~白河が開業した。北陸線用として、すでにデビューしていたED70をベースに50Hz用として、さらに高性能化したのがED71である。まず1~3が、別々のメーカーで先行試作されテストされ、写真の1号機が量産車として選定され、昭和35年の福島電化用に量産機が41両、さらに蒸機置換用として11両が新製され、全部で55両が揃った。昭和39年には寝台特急「はくつる」が登場、黒磯~仙台で、鶴をあしらった青いヘッドマークを輝かせた。その後、後継のED75がデビューし、活動範囲は狭められていくが、昭和57年まで働き、同じスタイルのED70より長命だった。写真の試作1号機は、当時貨物の補機専用に限定使用されていた。ED71 1 福島 (昭和46年9月)

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昭和の電車 改訂版(187)ー高松琴平電鉄300号ー

ことでんと言えば乙訓の長老です。
手が空くと長老様のお宅へ上がり、作品集の写真を預かって帰って来ていますが、なかなか整理がつきません。そんなときに今回の記事を見て探し出したのがこの写真です。例によって撮影場所や日時は不明ですが、文中にある「300型120型500型」と近鉄南大阪線から来たという「23号」の写真です。残念ながら丸窓はすべて改造された後です。

木次からの便りが届きました

クローバー会の木次線ツアーは平成29年4月でしたが、あれからもう4年が経過しました。その際に大変お世話になった「C56108保存会」の堀江会長殿から会報が毎号送られて来ています。この度 第8号が届きました。A3判 両面刷りの会報です。すべてをご紹介します。

C56108保存会会報「ちどり」

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昭和の電車 改訂版(186)ー神戸市電500型J車ー

この当時の電車には“丸窓”が多かったのでしょうか?
京福や上田や他にもあったような気がします。

前回の掲載時にお一人だけ檜垣禮司 様からコメントを頂きました。ありがとうございました。tsurukameさんや湯口さんからもウンチクを頂きたいものです。

岩日線と国鉄バス岩益線のこと

昨年は転職して九州の大分県に行き、最南部の都市で働いていたのですが、いろいろと思うように行かないこともあり、3月で退職。
大阪に戻ろうと思ったけれど、件の伝染病が猛威を揮っており、それもどうかなと考えて、今山口県と広島県の境の都市に来ています。
ここでぶらぶらと次策を練っているのですが、市内見物よりも郊外に興味が湧いて、奥地によく自動車を走らせています。

写真は文化財級建築の岩徳線西岩国駅ですが、本来は徳山までのショートカット、一説には新幹線以前の弾丸列車の構想で、ここにステーションを作る構想だったらしい。
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昭和の電車 改訂版(184)ー名鉄8800系ー

私はオレンジバーミリオンの“初代パノラマカー”が一番カッコイイ!と思います。

三江線のその後

平成30年の廃止からもう3年が経ちました。ぶんしゅう氏やワラクロ氏が現地に足繁く通われ、最後の姿をしっかりと記録されたと思います。地方線区が廃線になると、駅舎の撤去はそれほど難しくはないものの、レールを剥がしたり、鉄橋の桁を外したりするのは大きな費用もかかるため放置される例が数多くあります。トンネルや鉄橋はそれなりに安全対策はされるでしょうが、わびしい光景を晒すケースが多いようです。三江線沿線では地元住民が駅周辺を公園にして、地域振興を図っている例もあります。

令和3年4月2日 中国新聞朝刊

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芸備線の行く末は?

平成30年4月に三江線が廃止されてからもう3年が過ぎました。三江線の次は、誰が考えても芸備線新見口、木次線、福塩北線という流れでしょう。ナリを潜めていたJR西が動き出しました。廃止ありきではないと予防線を張りながら、備後庄原・新見間の沿線自治体や住民と芸備線のあり方について協議する体制を作りたいとの提案です。それはそれで進めるべきだと思いますが、芸備線、三江線に限らず北海道、四国はじめ全国各地に共通する重い課題を、「地方創生」と言いながら地元任せにして見て見ぬふりをする江戸幕府は一体どこを向いているのでしょうか。

掲載から少し時間が経ってしまいましたが、6月9日の中国新聞の記事をご紹介します。かなりの紙面を割いての報道でしたので、いくつもに分けてスキャンしたので見にくい点はご容赦を。

令和3年6月10日 中国新聞

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近場撮影会ご報告

伝言板でお知らせの西武40000系甲種回送に合わせて行いました撮影会、幸い天候にも恵まれ予定通り催行され、集合場所の石山駅には総本家青信号特派員さんはじめ4名が集まりました。まずは定番の瀬田川鉄橋で撮影の後、膳所ー石山間で本命の西武40000系甲種回送を撮影しました。2時間余りの撮影会でしたが、運動かねての外出まずはこれくらいが良いのではないでしょうか。私は所用があって失礼しましたが他の方は、引き続き反省会へと向かわれました。また、場所を変えてこのような集まりをやりたいと思います。

↑ 本命の甲種回送です。光線の具合はあまりよくありませんが、開けた場所で、珍しく我々以外に2組の撮影者がいました。

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昭和の電車 改訂版(183)ー近鉄“幻の「しまかぜ」ー

前回に続いてこれも“夢の特急”

昭和の電車 改訂版(182)ー長野電鉄3000系ー

これは実現してない“夢の特急”です。

昭和の電車 改訂版(181)ー撫順炭鉱101系(満鉄ジテ)ー

これ以前の投稿記事にジテを訪問した貴重な報告がありました。ぶんしゅうさんと準特急さんの記事です。この他にも湯口先輩の投稿もあったように思うのですが見つけられませんでした。

ぶんしゅうさんのジテ報告です。

2009年 秋の中国一人旅 Part7 ジテ発見!

準特急さんのジテ報告です。(1)

最新! 中国東北部・韓国駆け足紀行

準特急さんのジテ報告(2)

流線形車両-5-(最終)

 

【京阪電車】 2004年のF0500Z列車

こぱんだの保護者です。
ようやく本命のネタになりました。
2004年にはまだデジカメは使っていませんでしたので、ポジを使っての撮影でした。
というわけで、2004年7月のF0500Z列車です。

京阪2612F
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家の近くで撮る

私、ブギウギ拙宅は、大阪メトロ御堂筋線江坂駅とJR西日本おおさか東線南吹田駅の間にあります。コロナ禍の散歩がてらですが、自転車で10分程度の城東貨物線神崎川橋梁での写真をご笑覧いただきたいと思います。

配1792レ 5月29日 EF65PF人気あります。このスジはPFなのでいつも複数の撮影者がいますが、大勢ではありませんので長閑なものです。 続きを読む

色々な切符

2005年前後に使っていたHDD内のネタ、第8弾です。
誤謬や錯誤の、ご指摘など、宜しくお願いします。

【大誤乗の巻】(昭和49年10月26日:1974年)
東海道新幹線、東京~名古屋間(366.0営業キロ)

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仕業表哀歌

鉄鈍爺(てつのろじい)です。古いHDD内のネタ、第7弾です。
誤謬や錯誤の、ご指摘など、宜しくお願いします。

旧国鉄、日田彦山線の運転時刻表(の一部)です。
運転士が指差呼称し、確認する為のものです。

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【京阪電車】2021年の急行F0500Z列車

88年度生のこぱんだの保護者こと山本 晃司です。
先日、京阪電車の急行F0500Z列車のネタを書きました。その続きです。

京阪 F0500Z列車 13021F 続きを読む