ひっそり消えていく小田急30000形特急車旧塗装

11月2日に同じような題で東武200型を紹介したが今回は 小田急30000形Excellent Express  略してEXE(エクセ)の旧塗装である。30000形は1996(平成8)年それまでの3100型(NSE)の置き換えで登場した。10編成70両あり4両、6両に分割できる。観光特急に加えて通勤客輸送も考慮したもので展望席がなく茶系の色が人気をなくしているのか地味な存在である。2017(平成29)年からリニューアルが行われ、外装もシルバーとグレイメタリックに変更しEXEαとして登場している。EXE30000型旧塗装編成はまだ見る機会はあるが、ひっそりと消え去ろうとしている。そこで新旧の外観を見ていただくこととする。併せて、西の特急王国近鉄にあって間もなく消え去ろうとしている近鉄特急旧塗装も掲載した。

 

それでは旧塗装から始める。

2015.2.19 鶴巻温泉-伊勢原間 はこね4号30556 ▼

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 昔も今も 紅葉は叡電で ②

デオ600さよなら運転

2008年には、叡電で最後まで残った、吊り掛け、非冷房、非ワンマン対応のデオ600の残り1編成が廃車になっています。これを記念した「さよならラストラン」が行われたのが同年11月1日(土)で、沿線では、早めの紅葉が見られました。この時は、乙訓の老人、ぶんしゅうさんと朝から出かけ、途中で、1900生さん、いまは亡きぷるぶるさんや、893-2さんとも出会い、クローバー会メンバーともに、秋の1日、たっぷり写し、デオ600を見送りました。宝ヶ池~八幡前の高野川鉄橋を渡るデオ600、比叡山もそろそろ色づき始めていた。この鉄橋での2連撮影は、立ち位置やタイミングに苦労する。 続きを読む

重文になった鉄道車両

今回は、東京地下鉄1001号電車です。本文にある自動列車停止装置は大阪の地下鉄にもありました。天王寺駅のホーム下にあり、列車が出発した後に「打子」が立ち上がるのが見えていました。機械式で最も安全確実ですね。  (朝日新聞2020.11.28)

 昔も今も 紅葉は叡電で ①

デオ700系の原色時代

気がつくと、紅葉も散りはじめの時期となりました。桜よりは見頃が長くて、“遠方へ行って思いきり紅葉撮影”と思うものの、ことしも叶わず、結局は、いちばん近くの叡電に行って、短時間撮っただけで帰ってくることが、毎年の例となりました。でも、言い方を替えれば、叡電の記録をほぼ毎年続けることとなり、それはそれで価値はあることと自分を慰めています。デジカメを持って叡電へ行った、2007年以来の紅葉時の思い出を綴っていくことにします。

2007年当時は、まだ知られていなかった八瀬の瑠璃光院へ行くため、八瀬遊園(現・八瀬比叡山口)へ行くと、デオ720の初期色が2両並んで発車を待っていた。同系は、その後、「ひえい」に改造されたり、塗装も変更され、すっかり初期の面影はなくなってしまったが、京福電鉄グループを示すクリームにマルーンの塗り分けが、私にはしっくり来る。

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現役生の写真展やってます

DRFC現役生の写真展が、ネット上で行われています。どうぞ皆さま、下記のURLをクリックし、お気に入りの写真を選んであげてください。投票締め切りは29日(日)です↓

写真展特設ページ – 同志社大学鉄道同好会 (jimdofree.com)

また、同志社EVE用に作成した会のPR動画がYouTubeに公開されているようです。とても良い出来ですので、こちらも併せてご覧ください↓

【D-Tube】鉄道同好会 – YouTube

通信機能付携帯電子計算機で投稿してみました。

通信機能付電子計算機とは俗にスマホといいます。簡単に投稿できる方法がないかとあれやこれやと考えたところスマホはどうかとやってみました。

被爆電車広電650形

トミカの広電がスーパーで売っていたので買いました。写真がそのトミカです。

 

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昭和の電車 改訂版(127)ー阪堺電車モ501型ー

大阪顔の電車

よみがえった大阪顔をした電車の写真 | DRFC-OB デジタル青信号 (drfc-ob.com)

「ひろでんの日2020」

11月23日 広島電鉄千田町車庫でイベントが開催されました。100名の事前申し込みだったため、当たらないだろうと申込みせずにいたのですが、156号や101号が走るとは想定していなかったので、尾道へエトセトラを撮りに行ってしまいました。特に156号は江波車庫の一番奥に保存されており、以前は一言声をかければ入れてくれた車庫も、最近はシャットアウトです。江波から千田町を往復するとわかっていたら、広島に行ったのにと悔やまれます。11月24日の中国新聞記事です。

令和2年11月24日 中国新聞朝刊

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飽きもせずに「エトセトラ」

馬鹿のひとつ覚えのように「エトセトラ」でお邪魔します。GoToトラベルの後押しもあってか、運転日は団体ツアー客で予約が埋まり、なかなか個人客が指定券をゲットしにくいという話も聞いています。まだ広島・呉方面への遠出はせずに、三原近辺だけで、新たなアングルを探しながら、撮影を続けています。下手な近作をご紹介します。

令和2年11月9日 呉線安芸幸崎・須波間にて 上りエトセトラ

国道185号線との並走区間で、特に大型トラックやバスに並走されると台無しになるのですが、この日は幸いにも邪魔が入りませんでした。遠くに見える造船所は、安芸幸崎にある今治造船広島工場です。

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加太会だより

発売中の週刊文春11月26日号に、加太会幹部の1960年度生鶴紘明先輩の写真が掲載されてます。そのいきさつは次のとおりです。

デジ青の記事を検索し、週刊文春から写真の提供依頼がありました。週刊文春11月26日号。巻末に『夢の軌跡』大和ハウス工業第2回の連載記事があり、寝台急行『大和』の話が出て、イメージ写真として、昭和40年、小生撮影下り『大和』が、掲載されています。記事と写真に10年の開きがありますが。資料提供は大和ハウス工業らしく、撮影者名は表記されていません。

記事の写真については、デジ青掲示板2013年7月9日の「C57急行大和を曳く」をご覧ください。デジ青はいろんな方がご覧なのですね。その筋では周知のことなんでしょうか。世の役に立ち嬉しいことですね。ダイワとヤマトを掛けた記事と画像も編集者の機転でしょうか
デジ青を立ち上げた皆さん、ここまで育てられた投稿者や関係者の皆さん、勤労感謝の日に謝意を表します。
 

 

保存蒸機とその現役時代(47)

縁のない場所に保存されていると言えば四国の伊予西条のC5744がある。この機関車ははるばる北海道から来たものであるが、そもそもC57は四国では活躍したことはないのではないか。伊予西条は元国鉄総裁の十河信二氏の出身地であるが、誘致関係者が廃車後すぐに西条市市民公園に誘致し、2014年7月に現在の四国鉄道文化会館南館に移設された。

C5744は1938(昭和13年)3月に三菱重工神戸造船所で製番228で製造された。新製後は高崎に配属され、以降43年9月尾久、47年12月仙台、58年5月に渡道して小樽築港、66年3月室蘭、69年10月岩見沢第一と配属を変え1976年3月に廃車されている。現在風に言えば前半部はJR東日本、後半部はJR北海道で活躍していたと言える。

 

2017年7月26日 四国鉄道文化会館南館に保存中のC5744 ▼

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昭和の電車 改訂版(126)ー加越能鉄道デ7050型ー

いいかげんな電車の現役時代 | DRFC-OB デジタル青信号 (drfc-ob.com)

いい加減な電車の原型 | DRFC-OB デジタル青信号 (drfc-ob.com)

「いい加減な電車」の写真があったやちゃ。よかったら越ノ潟へ行ってこられ。 | DRFC-OB デジタル青信号 (drfc-ob.com)

加越能鉄道に関しては反応薄、とばかり考えていましたが、前回時には乙訓の長老様はじめどですかでんさん、西村雅幸さんから貴重な写真と寄稿文を頂きました。

 

鉄印帳旅の始まりは信楽から

今日は、信楽駅に行って参りました。目的は、鉄印帳と信楽高原鐵道の鉄印の入手です。午後に用事があったため、信楽駅ではたったの6分の滞在で折り返しの貴生川行きに乗車。次はもっとゆっくりしようと思います。

鉄印帳は、簡潔にいえば御朱印帳の鉄道版です。ちなみに、近場で鉄印を入手できるのは、信楽高原鐵道のほかに京都丹後鉄道、北条鉄道、智頭急行、伊勢鉄道があります。体力に自信のある方、御「鉄印」巡りなどはいかがでしょうか。 続きを読む

 やっぱり蒸機が好き 九州の蒸機 私鉄・専用線編④

鹿児島交通

長かった「九州の蒸機」もホントの最終回となりました。今回は私が見た唯一の私鉄蒸機、鹿児島交通です。ただ現役での活躍はとうの昔に終わっており、機関区のある加世田に、赤錆を浮かべた廃車体が、ズラリと放置されていた、墓場のような光景でした。以前、準特急さんからも、1967年に訪問された時の寄稿があります。私は、その2年後の1969年の訪問ですが、顔ぶれが少し違っていて、改めて写真を中心に紹介していきます。現在、加世田駅跡は、鹿児島交通加世田バスセンターとなり、南薩鉄道記念館もあり、野外に保存車両も展示されています。

鹿児島交通(枕崎~伊集院49.6km)の中間にあった加世田、ここに機関区があって、ホームからも稼働車と廃車体が同居する風景が一望できた。廃車体が長く放置されていたのは、大井川鐵道のように、蒸機を復活して観光資源にしたいという思惑もあったと言うが、その思いもむなしく昭和59年に大雨で被害が出て、復旧されることなく、廃止されてしまった。

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保存蒸機とその現役時代(46)

信州と言えば山国で勾配区間に挑むD51の姿がイメージされる。小海線、飯山線、大糸線などローカル線はC56の活躍が有名であったが、中央本線、篠ノ井線、信越本線等主要幹線はスイッチバックで苦闘するD51の重連が思い出されC57等軽快な旅客用パシフッィク機の出る幕はなかった。D51が多く活躍した信州の路線では中央西線が電化が遅かった関係もあり、最後まで残ったカマが保存されている例が多くD51209もそのような一つであった。保存場所はD51の活躍した路線ではなく、旧型国電で人気があった飯田線の伊那市下車徒歩15分くらいにある伊奈公園という見晴らしのいい緑に囲まれた高台にある。屋根がない分保存状態はよくない。

D51209は1939(昭和14)年、鉄道省浜松工場の製造で新製後は浜松に配属、以降1945(昭和20)年11月多治見、1955(昭和30)年稲沢第一で活躍、1973(昭和48)年7月中津川で廃車されるまで一貫して中部圏で活躍した。

2018.07.08 伊奈公園保存のD51209 赤ナンバープレートで集煙装置を外しての保存で煙突が短い ▼

冒頭D51は山岳区間で奮闘と書いたがこれは雪の中を下る姿でいただけない 1973(昭和48)年1月15日贄川付近下り貨物牽引D51209[中津川]▼

 

重文になった鉄道鉄道車両

今回はED40となります。アプト区間といえばED42を想い浮かべるのですが、国産初の本線用電気機関車で、片側運転台というのは初めて知りました。

(朝日新聞 2020.11.20)

貝塚公園に展示の20系

九州からまたまた小ネタで失礼します。福岡市東区の貝塚公園に20系客車が展示されています。すぐ近くに住む小学生が荒れ果てた車両の保存に向けてクラウドファンディングを立ち上げ、地元では話題になりました。

ここ貝塚公園は西鉄市内線の貝塚線(現在は地下鉄貝塚線)と西鉄宮地嶽線(現貝塚線)の接続駅貝塚駅からすぐのところ。その昔は競輪場で貝塚駅も競輪場前と呼ばれていました。少年は門司港~西鹿児島の急行かいもんに想いを馳せていたようですが、私は昭和44年博多~東京、上りのあさかぜに父親と乗車してからの想いです。食堂車で朝定食が500円、その中にオートミールなるものを食べたことが印象に残っています。

96も展示されていますが、こちらの説明はありません。間近で見ると塗装が剥げ落ち痛々しさが感じられました。門司港の九州鉄道記念館に移せればと思うのですが記念館自体の経営も逼迫している最中、それも叶わないな・・・と感じました。

 

 三日間の写真展 ご来場ありがとうございました。

たった三日間の写真展が終わってから、三日間以上も経ってしまい、報告するのも気が引けるのですが、 “ヒマを持て余して困っている方だけ限定”と本欄でご案内した京都市電写真展、多くのクローバー会員の皆さん、またいつもコメントをいただくサポーターの皆さんに来場していただきました。改めて、御礼を申し上げます。

繁華街の裏通りの極小スペース、ふだんなら5、6人でも多いぐらいのスペースに、一時は十数人にご来場いただき、“密”どころではない、超過密な状態で見ていただいた。今回はテーマを絞り「秋、そして冬へ。」として、この季節に似合うシーンで構成、従来展示の流用もあったが、約半数は新規プリントして入れ替えた。

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《特別寄稿》スカ形国電の時代(最終回)・・・河 昭一郎

《特別寄稿》スカ形国電の時代(その1)・・・河 昭一郎

《特別寄稿》スカ形国電の時代(その2)・・・河 昭一郎

クハ76028他6連下り 1963-11-17 逗子

横須賀線の電車運転は30系に始まり、32系へとバトンタッチされたが、不幸な戦争前後の混乱期を経て1951(昭和26)年3月には70系のスカ形電車が登場した。

しかし、在来車両の有効利用を命題としていたと考えられ、此の時期良く対比される湘南電車が新車のみで構成されていたのに対して横須賀線については新系列車両としてはモハ70、クハ76、サロ46(後のサロ75)のみで、当初はその製造両数も最小数であった。それに不足する車両は在来車を充当する事とし、関西から供給されたモハ42、モハ43、サハ48の他にそれまでの32系時代に活躍したクハ47、サロ45、サロ15が混結運用された。

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昭和の電車 改訂版(125)ー都電7000型8000型ー

例によって、藤本哲男さんから以下のレポートが投稿されました。

都電7000形、8000形