中国地方は早々に梅雨明けして、暑い毎日が続いています。今朝の中国新聞にこんな記事がありました。
電停の名前は「十日市町」ですが、交差点の名前(道路標識)は「十日市」です。
かつて、この交差点に信号操作所がありましたが、もう姿を消しました。
次の記事は広島とは関係ない北海道の話題です。
2031年3月ということは8年先ですから、自分が生きているかもアヤシイものですが、北海道新幹線札幌開業に伴い、函館本線の五稜郭・小樽?間の行く末が心配でした。この記事によれば、五稜郭・長万部間はJR貨物の貨物線として存続させることが検討されるとのことです。長万部からの山線は当然廃止でしょうし、砂原回りも廃線でしょうね。途中の各駅の多くは廃止され、いくつかが信号所として残り、遠隔操作されるのでしょう。保線もJR貨物が受け持つのでしょうね。JR貨物の約款を見たことはありませんが、JR貨物は旅客輸送ができないのでしょうか?コンテナ貨物の最後尾に客車1両をつないだ混合列車を走らせることはできないでしょうか?いろんなことを考えさせてくれる記事でした。
西村様
広電「十日市」のことは、少し前の鉄道雑誌の路面電車特集の冒頭、2ページ大写真でも紹介されていました。私も北九州ツアーの前の日に広島入りして、平和公園へ行ったあと、本川町の陸橋から、十日町交差点を写していました。望遠ズームでのぞくと、信号待ちの電車の向こうを、長い連接車が身をよじって曲がって、おまけにバスも絡んで、広島らしい写真となりました。私は、このような陸橋から見る広電のブルーモーメントの時間帯が大好きで、今まで胡町の陸橋はよく行きましたが、本川町もなかなか絵になると感じました。広島の街は、京都、大阪のように、中心部は、東西南北の碁盤の目状になっていると思われますが、実は5度ほど街路が東西南北線からズレています。そのため、十日町交差点の真後ろに日没するのは、8月20日ごろと、暦から読み解きました。この前後が、まさにブルーモーメント撮影に好適の季節と、ひそかに思っていたところで、私の企みを見通したような、的を射た記事提供、ありがとうございました。
総本家青信号特派員殿
早速のコメントありがとうございます。本川町の歩道橋は、わざわざ階段を登って横断する人はなく、ゆっくりと撮影できます。貴君お得意のブルーモーメントには確かに最適なポイントですね。広島に行っても、ほとんど夕方には三原に帰りますので、日没や夜間撮影、早朝撮影はありません。たまには、広島に泊まりで行くことも考えてみます。
西村雅幸さま
「十日市町」交差点はいまそんなスポットになっているのですか。確かに撮り易い交差点ではありますね。
過去何度か広島に立ち寄った際に元京都市電を撮ってきましたが、スタートはやはり原爆ドーム前でドームを入れてでした。しかしこの辺りは自動車交通量が多く、ここぞのタイミングで被られたりしてうまくいかないことが多かったですね。
当初は本数の多い都心部で狙うことが多かったのですが、そのうち前述のようなことから宇品付近など本数は少なくても確実に撮れそうな場所へ行くようになりました。十日市町交差点はそんな時に見つけたポイントでした。宇品まで行っている時間の無い時に重宝したところです。
十日市町電停には昨年春にも想い出があります。381系の復刻国鉄色とEF64を撮る前に立ち寄りました。もう1900もそろそろかなと思うようになり、機会を見つけては「乗り納め」をするようになりました。もう何回「納め」をしたかわかりませんが、だいたい半日ほどの時間で、まずはじめに充当系統が集まる「紙屋町西」電停でキョロキョロ見渡し、1900が見えたら移動して乗車というパターンを続けていました。しかしこれが意外に難しく反対方向の電車に度々乗り損ねることがありました。このため昨春は3系統西広島~宇品間に絞ってみようと十日市町に向かいました。すると幸先?よくドーム前を過ぎた辺りで宇品行1900とすれ違い、3系統に入っていることが確認できました。
見張り場所の十日市町交差点南西角に着くと、ひとつ前の西広島方土橋交差点から1900が曲がってきたので、「おっラッキー、続けて来た!」とこれに乗るべく喜び勇んで北東角の電停へ行こうとしました。ところが歩行者信号を2つ渡らなければなりません。直前に東へ渡る信号が赤になって足止めされ、件の1900はどんどん近づいて来ます。待っていると中々来ないのにこういう時に限って車が少なくアッという間に目の前に。しかし電車は交通信号とは異なる電車専用「電矢」で曲がるためもう一信号あとになり時間は充分と思ったのですが、タイミング良く電矢が出て曲がり始めたのでした。電車が曲がってからの青信号で慌てて渡りましたがもう一つ信号を渡らねばなりません。そのうち乗降が終わって行ってしまいました。目の当たりにしておりながら乗り損ねたショックと2本連続で行ったからには次はいつ来るだろうか、1時間半待てば帰っては来るだろうが、と思いつつ今度は渡らなければならない信号を減らすため南東角で見張ることにしました。どれくらい待たないとだめかな、などと思いながら待つこと5分、ナナなんとまたしても土橋交差点から1900が顔を出したのでした。3本連続で入っていたということですが、この予期せぬ幸運に感謝しつつ十日市町~宇品~西広島と1時間半の間、元京都市電の世界にタップリ浸った乗り納めとなりました。余談ながら途中であと1両すれ違いましたが、恐らく半時間~小一時間の間隔が空いていたと思われました。
今回のダイヤ変更で横川~宇品が充当予想系統では最長になりましたが、今までの経験やデータが通用しなくなり、運用がどうなるのか悩ましいところです。
西村雅幸さま
北海道の在来線はますます寂しいことになりますね。あの大幹線だった函館本線が小樽以北を残して機能を失うことになるなど、1964年にSL撮影初北海道旅行をご一緒した時には予想だにしなかったでことですね。
この記事は「貨物専用線」とほぼ決まったかのような記事ですが、小生はあくまで「少なくともその方向で残すための検討を進める」ことになったというだけで、詳細は未定だと思っています。
仰るように線路が残る以上、たとえば少なくとも函館近郊の七飯以南、場合によっては森以南の旅客輸送をどうするのか等々、まだまだ煮詰まっていない点が多いのと思われます。
貨物会社の旅客営業はアイデアとしては面白いですし、既に同様形態であるいさりび鉄道の範囲が延びるという可能性も無いではありません。
30数年前の「JR化」が時代の変化とともに綻びかけてきていることを考えると、さらに何等の工夫なしで本件を処理できるとはとても思えません。関係法案の改訂・修正や上下分離などのスキーム再検討など、知恵を絞る必要があるでしょうね。
「コンテナ列車に客車連結」などは形態的には模型的発想で楽しいものですが、地元の通勤・通学客の輸送という切実な問題からも十分検討されることが望まれると思います。
なお砂原線ですが現在の輸送形態をベースとしては残ると思いますね。上り貨物のためです。これを廃止して駒ヶ岳経由にするといかに強力なレッドベアーでも、単機で森→駒ヶ岳を登るのは無理でしょうし、昔と違ってこの間だけ補機を付けることはもう現代ではできないと思われるからです。しかしそう考えると砂原線を残して駒ヶ岳廻りを廃止する方がベターということになってきますね。
また山線は別途廃止が決まっています。