連接車6

東西の私鉄特急列車にも連接車がある。何れも単に連接車というよりもその時代を代表する私鉄高性能特急車両であり、新しい試みが随所に見られる興味深い車両である。

近鉄では1958年に7連で中間に3車体4台車連接構造を持つ10000系初代ビスタカーを登場させた。このような意欲的な車両は見ていて飽きない。続いて翌1959年には改良されたビスタカー決定版10100系が3車体4台車構造でデビューした。詳しいことは当会の田淵仁さん著の「近鉄特急」JTBキャンブックスを参照していただきたい。

 

1968.11.8 伊勢中川 宇治山田行き特急後部モ10001 中間の3両が連接車

           1968.9.19  八木駅 ク10005

中間のク10005でビスタードームを持つ。  左の車両サ10004との間にシュリーレン空気バネの連接台車が見える。

 

  1968.9.19 三本松 10102+10202+10303  上本町行き特急

上本町よりが非貫通流線型で宇治山田よりが貫通形タイプ。三本松駅は今でもこの風景は変わっていない。

 

1968.11.8  伊勢中川付近 宇治山田行き特急 宇治山田よりの貫通タイプモ10100形

 

 

小田急ロマンスカーといえば展望席のある連接車のイメージが強い。しかし、10000の後に続く20000、30000、60000は連接車ではない。2004年度登場の50000は落ち込んでいる箱根への誘客のためか伝統的な展望席連接構造で真っ白で目立つ派手なイメージの車両である。

 

 1969.11.16  鶴川~多摩川学園前 下り「さがみ」 3055~3051

3000系(SE)は1957年の登場で国鉄線で高速試験運転を行った話題豊富な車両。本来は8車体の連接車であるが、そのネガが見つからない。これは「えのしま」、「あさぎり」、「さがみ」などに使われた5連の姿で迫力がなく申し訳ない。大井川鉄道に譲渡されたものもあるが短命に終わった。産業遺産として海老名で1編成保存されており、鉄道フェスタなどで見ることができる。台車はシュリーレン。

 

 

  1999.6.19 秦野~東海大学前 「さがみ62号」新宿行き 

梅雨空の中、最後の活躍をしていた3100(NSE)。 3100系(NSE)の登場は1963年で3000系同様オルゴール電車であったが騒音としての苦情が多かったのかやめてしまった。台車はミンデンドイツ。

 

 2010.12.10 鶴川~玉川学園前 「はこね15号」箱根湯本行き7801

1980年登場の7000系(LSE)は3月ダイヤ改正で残るがこの塗装は消えるとか。台車はアルストームリンク。

 

 2010.11.5 渋沢~新松田 「はこね15号」箱根湯本行き7804

 

 

  2010.12.10 鶴川~玉川学園前 「はこね25号」箱根湯本行き10011

10000系(HiSE)は1987年登場だが3月のダイヤ改正で消える。2編成が譲渡先の長野電鉄で活躍中。台車はアルストームリンク。

 

 

  2010.2.20 相武台前~座間 「はこね27号」箱根湯本行き50902

足回りにスカートをつけて点検もし難いのではないかと思うがこういう個性的な車両は面白い。

 

 012.2.8 鶴川~玉川学園前 「はこね27号」箱根湯本行き中間車50202

50000系(VSE)の台車はボルスタレス。

連接車6」への3件のフィードバック

  1. 「連接車」と「昭和の電車」は、次は何が登場するのかワクワクしながら待っています。
    今回は大手の近鉄と小田急でしたが、大手私鉄の連接車は少数派で、今でも現役で走っているのは小田急と東急だけと思います。大手私鉄15社で、西武、京成、京浜急行、相模鉄道、阪急、阪神には連接車が入った実績はなかったと思います。
    JRも連接車は少数派で、ACトレインを試作して十分テストの上、京葉線用にE331系を新製したものの故障続きで現在運用を離脱しており、このまま廃車になるような噂も出ています。次回も楽しみにお待ちしております。

  2. 藤本哲男様
    有り難うございます。このジャンルは本来、藤本哲男様や乙訓の老人様の得意とするところで私のような知識のない人間の出る幕ではありません。前もどこかで誰かに話をしたか書き込みをしましたが、米手作市様がシリーズで出されている迷図作家さんの古い電車の新聞切り抜きで西鉄の500系連接車が出た時、(遠い九州やから)多分盛り上がらんやろうと書かれて、それなら乗っけてやろうと思ったのが始まりです。今まで連接車6まで発表しましたが、今回初めてコメントを頂き、それも知識人藤本哲男様という事で大変嬉しく思っております。詳しい経歴などは書けないので写真中心です。勿論個人の写真なので仙台市、鹿児島市、熊本市、東武日光軌道線、福井鉄道のゲテモノ等撮っていないものが結構あります。あと2回で終了させますので補足を大々的にやってください。鶴紘明先輩も大分交通別大線の連接車をお持ちなので登場させて頂けそうです。
    ところで、大手私鉄で京王は連接車ありましたっけ。気動車は如何ですか。満鉄のジテは電車は普通の台車でしたが、気動車時代は連接台車ではなかったですか。

  3. 早川様
    仰せの通り私鉄大手15社中京王電鉄にも連接車が入った実績はありませんでした。大変失礼しました。
    気動車の連接車も国内では存在しなかったと思います。
    私も撮り損ねた車両は結構あります。東武日光軌道線の連接車200形は確か撮影したと思いネガを探したのですが、写っているのは100形のみで、見ただけのようでした。幸い自宅から程近い東武博物館に203が数奇な運命を経て保存されております。鹿児島市電700形も撮り損ねた車両の一つです。特に路面系は広電、西鉄等の一部を除き、ラッシュ時と団体用のところが多く、昼間の営業運転中の撮影は難しかったように思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

wp-puzzle.com logo

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください