西大山
最後は“日本最南端の駅”西大山。以前にも書いたが、正確には日本最南端は、沖縄ゆいレールだが、普通鉄道では、いまも最南端であることに変わりない。ただ碑の「日本最南端駅」はツッコミから逃れるため、今は「JR日本最南端駅」に変えられているらしい。
▲昭和42年、高校2年生の春、指宿のユースを朝に出発して西大山へ向かった。開聞岳のふもと、菜の花が咲き乱れる、南国ムードいっぱいのなかに駅はあった。乗降客は自分一人だけ、最南端駅訪問の感激の余り、三脚にカメラを載せて何枚も自分撮りをした。約40分の滞在のあと、枕崎発西鹿児島行き726D、キハ2050ほか3両編成の列車で、鹿児島機関区へと向かった。その後、指宿枕崎線に乗ったことはあるものの、西大山は二度と降りることはなかった。
▲初訪問から50年近くが経つが、ネットなどを見ても、周囲に少し人家が建っただけで、それほどの変化はないようだ。ただ、写真の右手に、国道226号のオーバークロスができており、ここから、開聞岳の向こうに陽が落ちる頃、ライトを点灯した列車が向かって来る写真が、よくポスターなどに登場する。一度、いつの日にか、こんな写真を撮りに行ってみたいと思っている。
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あと30分で年も変わろうというところで、やっと最終回となりました。最近の駅は、乗り降りするだけの通過点から、駅そのものが目的地となる場合があります。思い返せば、私の場合、駅そのものが撮影の目的地だったような気もします。こんな視点で九州を例に始めたものですが、記録としての鉄道写真を語るとき、駅は、時代を鋭敏に映す舞台でもあったと痛感しています。
今年もいろいろありましたが、写真であれ、文字であれ、自分を表現することの重要性をとくに感じた一年でした。しかし私も、来年は前期高齢者の仲間入り、自分を表現する時間は限られてきたと実感します。来年も新たな気持ちで、この場で発信を続けていきたいと思っています。
お疲れ様でした。
とはいうものの、これで終わりは寂しいかぎり。
何とか続けて頂けませんか?
鉄道写真というと車両が中心ですが、やはり駅や人物が入らないと「時代の証言」とはなりません。特派員氏の「駅を旅する」写真には時代の証言が聞こえます。この時代を共有する者とって自分が生きてきた証明でもあります。どうか、タイトルが変わっても続けて下さい。
また、他の会員諸氏でその時の匂いや音を感じられる写真をお持ちの方はご協力下さい。
米手さま
年が変わってしまいましたが、暖かい励ましの数々、ありがとうございました。
はい、今年も新たな気持ちで、シリーズを考えていきます。テーマは変わっても、視点は変わりません。あくまでも、鉄道の時代背景を伝えていきたい、ということです。“匂い”のある、時には“臭い”のあの写真も発表していきたいと思っています。