撮影地今昔-大船渡線-

1966年1月と12月、二度大船渡線、矢越-折壁間を訪れていました。岩手県東磐井郡室根村、現在は岩手県一関市、震災の被害が少なかった地です。すぐ隣は宮城県気仙沼市、甚大な被害を蒙ったところで、気仙沼から先、今も鉄道は復旧していない様です。

震災前、その気仙沼在住の見ず知らずの人から、Mailが届き、「ネットで大船渡線の写真を見た。できれば自分のHPに写真を貸してくれないか。今昔比較をしたい」。筆者は勿論即OKで当人のHPに掲載された。筆者もデジ青に投稿をと、用意したのが2011年3月10日。そして翌日あの大震災。気仙沼の人は、大被害に遭われた。本人一家は無事なれど、祖父母を失われ、住宅は跡形もなしとか。当然この記事はお蔵入り、3年半過ぎ、頃は良しと本日投稿。

▼矢越駅に近づく、貨378レ機C58 1966.01.03 午後3時30分頃、正月で補機なし。

1C2421▼同じく、客326D 1966.12.31
4C3308

           ▼同じ場所における「今」。2007年9月
OLYMPUS DIGITAL CAMERA▼矢越駅通過 貨374レ 機C58 1966.12.31
昔「何故撮影地をわざわざこの地に選んだのか?記憶がありません。前に通過した時、なんととなく気に入ったのでしょうか。農村の原点風景とか何とかで」。

11C3310▼同駅、今「撮影時駅前の人に伺ったところ、昭和41年(1966年)当時の地点の矢越駅裏の山は、昭和50年代に老人ホーム建設のため整地されましたが、計画が中止になりそのまま整地した」とのことでした。2007年9月

OLYMPUS DIGITAL CAMERA▼昔「貨物は駅を素通り。藁葺きでこそないが、大屋根の家屋が何棟も見える。」
13C3311              ▼よく見ると、姿違えど大屋根は今も大屋根。2007年9月

OLYMPUS DIGITAL CAMERA▼客332D 196601.03 矢越駅東方
16C2415            ▼同所の今 2007年12月
OLYMPUS DIGITAL CAMERA矢越駅から東の折壁方東方へ。朝方の雪は消えてしまった。
貨379レ 機C58307【関】 1966.12.31

21C3316          ▼今「丁度カーブの辺りに植林した感じでした」、2007年12月
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
▼貨381レ 機C58244【関】 1966.12.31
32C3317

▼今「当時はこの道路が国道284号線、現在は道路右上に284号線が出来、この道は旧道となっています」 2009年2月

OLYMPUS DIGITAL CAMERA▼1966年のダイヤ、客扱いはすべてDC。蒸機牽引は貨物のみ、普段は補機付も多し。
66dia、こんな具合の今昔でした。今の画像がもう少し大きければ、と勝手な欲深い思いです。「今」の方のHPは、
http://www.ougonrail.com/
で、「津波被害の様子」は12箇所にわたり、生々しく悲惨な様子が記録されています。
その他、今回の新旧比較や沿線各地、震災前の四季の写真なども。ぜひご覧ください。

また、「昔」のHPには煙吐く蒸機も沢山あります。ご覧下さい。
http://kabutogoe.web.fc2.com/funado/funado.html

撮影地今昔-大船渡線-」への4件のフィードバック

  1. tsurukame様
    大船渡線も乗ったことがありませんが、そういうことよりも播但線に続きカラーを含めて今昔対比写真を連続発表していただき有難うござます。遠くの山並みが変わらなくても周辺の風景の変化に興味が沸きます。こんなに発展したのかと思う反面よく見ると過疎が進んでいるように思える場所もあるようです。最近は少子高齢化で町や村がなくなるとの話も出おり、その頃にはこの世におりませんがこれから50年経つとどうなっているのか興味と心配もあります。都会の対比写真を見てもしぶとく同じ暖簾で営業を続けている店もあるようでこれまた面白いです。何れにしましてもこういう対比写真は特に高齢者は理屈抜きに懐かしく感じるものです。車両も同じで先日北陸線の各駅停車で元急行用のクハ455やクモハ475に乗車しましたが、通勤用に改造してロングシート部分が増えていましたが、153系の流れを組む外観と車内は健在で半世紀前の旅を思い出しました。tsurukameさん、今後も更なる対比写真の発表をお願いします。それにしましても当時は兵庫県から岩手県は遠かったでしょう。

  2. 準特急様
    こんにちは。コメントを拝見しました。そんなに遠くとは感じませんでしたよ。まだ20歳代でしたからか、それとも飛行機など思いもつかなかったからか、いやいや何しろお金がなかったから、遠い、不便、不都合は当たり前だったからかもしれません。それに3度の飯より、フィルム、特にカラーフィルム代にお金を使いましたから。

    今昔対比写真は、撮影地もいいですが、何の気もなくホームの片隅で撮った写真でも面白い事がこの間分りました。但し、頭の中だけではダメで、昔の写真を片手にする事が条件。帰ってから比較すると、ズレがあり、効果が弱くなってしまいました。

    準特急さんもよくお出かけですから、今昔対比ができれば見せてください。

  3. 1960年折壁生まれです。1979年に一関の高校を卒業して上京してからは滅多に大船渡線に乗車する機会は無くなりましたが、折壁駅から一関まで通学で利用してました。実家が折壁郵便局なので手伝いで折壁駅まで行ってキハユニから降ろされた郵便袋をリアカーで郵便局まで運んだのを懐かしく思い出します。

  4. 奥野治様
    一ノ関と言えばロッテの佐々木朗希投手が注目されていますね。それにしても折壁-一ノ関の通学は相当時間がかかったのではないでしょうか。

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