今回は、ナデ6141号電車です。戦前の通勤用電車の原型となった車両です。W.HやG.Eなど懐かしい名前が出てきています。
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重文になった鉄道車両
今回は、蒸気動車ホジ6014です。客車にボイラーを積んで走るという発想は今のディーゼルカーの元祖ともいえます。これも、「リニア・鉄道館」に展示されているようですが数年前に行ったときは見落としていました(朝日新聞 2020.11.4)。
客車廃車体訪問記 内地編73 福島県-4
【須賀川市立第二小学校北側】 37.293732, 140.372220 2020年11月1日撮影
オハフ46 2021
昨夏、未知の廃車体を、
https://425.teacup.com/ytrain/bbs の2019年7月14日
で紹介していたので、これはぜひ行かねばと思いながら、この度やっと訪問する機会ができた。
場所は、JR須賀川駅から徒歩10分、須賀川市立第二小学校の道路を挟んだ北側、長禄寺(ちょうろくじ)という曹洞宗の大きな寺の墓地の西側に隣接してほぼ南北に置いてある。倉庫のようである。外観は、20m切妻で屋根は張り替えてあり、台車はない。木製の窓枠が一部腐食している1m窓が10個と端に700mm下降窓、妻面に尾灯があるので、ハフであることがわかる。
現場に着くと、廃車体の前にライトバンが停まっており、妻面のドアが開いて、大人と子ども(野球のユニホームを着た小学生)が約10人、試合後のミーティングのようなことをやっていた。そのうちに賛美歌を歌い出し、訳が分からないまま15分程経つと終わって散会しはじめたので、リーダー格の人に挨拶してことわってから撮影した。その人に聞いたところによると現車は、地元のボーイスカウトの用具置場兼集会所(エアコン、外に水道がある)として使っているそうである。
【銘板】 昭和26年 名古屋日本車輌(後位)
昭和39年改造 土崎工場(前位)
昭和49年改造 大宮工場(前・後位) を確認した。
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ひっそり消えていく東武200型特急車
東武鉄道は伊勢崎線の特急「りょうもう号」専用車両200型を11月9日から一部「リバティりょうもう号」に置きかえると発表。徐々に置きかえられていくものと思われる。ひっそりというのは小田急の7000形ロマンスカーほど派手なスタイルではなく地味な特急車両であり話題性に乏しいからである。東京メトロでお別れ運転した時にファンがルール無視などして会社がうんざりしたことがあったそうでお別れイベントはやっても地味ではないかと思い、かってにひっそりと消えていくと書いたまでである。200型はその生い立ちも完全新造車ではなく1700型、1720型(DRC)の台車、主電動機を使用し、流線形ながら特に印象的な車両ではない。運行も観光地日光、鬼怒川方面に使用されず、ビジネス利用の多い伊勢崎線方面専用で何となく静かに消えていきそうな感じである。東急車両、アルナ工機が担当で1990年11月から98年1月にかけて6両9本計54両が製造された。最近新造車に置きかわり一部富山地鉄に譲渡された西武10000系ニューレッドアローにも同じようなひっそり消滅感を感じる。さて、「りょうもう号」車両には200型とほとんど同じスタイルの250型もあり併せて紹介するがこちらは全くの新造車で抵抗制御の200型に対してVVVFインバーター制御である。前者が75kw×4のオール電動車であるのに対して後者は190kw×4の3M3Tである。
それでは200型、250型の走行写真であるが、撮影地は何れも2020年10月25日伊勢崎線県-福居間である。
「りょうもう21号」赤城行き先頭203-6 パンタは下枠交差式、台車はミンデンタイプ▼
南海貴志川線と天王寺駅の南海電車
関三平さんの昭和の電車で南海貴志川線のことが投稿されていたのでコメントつもりでしたが投稿することにしました。貴志川線は高校生の時に鉄道友の会の見学会で訪れていたのです。その時の写真を少しばかり撮っていたので紹介いたします。この時は野上電鉄も訪れましたので海南にある日方には南海和歌山軌道線に乗って行ったようです。どのような順番で行ったのかわかりませんが、まずは和歌山軌道線の写真から
場所は和歌山駅前ののようです。古い和歌山市街の写真のあるサイトを見ているとわかりました。決め手は右側交差点の角にある紀陽銀行です。感じとして寒々としています。
重文になった鉄道車両
本日は京都市交通局2号電車です(朝日新聞2020.10.26掲載)。先日のデジ青の「レイル」誌の記事でも取り上げられていた車両です。「N」の説明もされています。
*「松風」も載せておきます。
一週間前は雨だったのに、今日はいい天気
重文になった鉄道車両
今回は「1号御料車」です、今の「御召列車」ですが、外観は明るく軽快な感じがします。さいたま鉄道博物館で展示中です。
今日は雨だった。それでも行ったよ!信貴山へ
3月末に近鉄線ツアーを実施する予定であったがコロナ禍で中止となりました。やっと何とかみんなで何かできるようになりました。ところで、うまい具合に近鉄のお得やん切符「近鉄1dayおでかけきっぷ」があり、これを利用して何かすることになったのです 。さて、どうするものかと考えたところ、米手さん投稿の「昭和の電車 近鉄6200系」のコメントに元信貴山電鉄のデ5形がでてきました。そうだ!信貴山に行こう。廃線跡も、東ケーブルの保存車両も見ることができるし、西ケーブルにも乗れるのだ!ということで、久しぶりにみんなと電車に乗ったりして遊ぶことができる事になったのです。ところが、今度は「天は我々を見棄てたのか!」数日前からの天気予報によると雨が降るような怪しい天気のようです。こんな時はあたらない方がよいのですが、残念ながら大当たり。それでもめげずに信貴山へ。
あ、阪急や!
コロナ、コロナで疲れ気味の昨今、とうとう関西行きを決行した。毎度の私鉄撮影で10月12日は夕刻阪神電車の福ー伝法間の淀川橋梁に向かった。ここは何回か行ったことがあるが、橋梁の工事を行うので撮影は今の内と聞いていたからである。工事はすでに始まっていて広角レンズで邪魔なものを避けて撮影した。10月半ばになると関西でも陽の落ちるのが早くなり、遅くまで無難に撮れるのはこのような場所に限られる。最近は車体に宣伝PRが盛んでカラフルな電車が行ったり来たりする。そのような中でそろそろ引き上げようかなと思っていた時マルーン色の電車がやってきて思わず阪急電車が来たと勘違いした。よく考えてみるとデボ1形復刻塗装の5802Fで前にも撮ったことがあるがこの時は一瞬驚いた。阪急や近鉄の2200系等の色は文字通り栗色や赤みがかった茶であったが、この5802F東花園行きはマルーンというよりも焦げ茶色の印象で昔の阪神の旧型車に近い感じがした。総本家さんの「夕景を求めてチョイ撮り」のようにはいかないが、よく20m車6連の横撮りができたものと思う。この時に携帯にマルーンさんから電話があり撮影を切り上げた。▼
名張の風景
例年は、菜の花に続いてひまわりが栽培される美旗~伊賀神戸間ですが、今年はひまわりが無くなりコスモスが咲いています。先日の雨で少し元気がなく「一面に!」という景色ではなくなりました。今日は平日で「伊勢志摩お魚図鑑」も走っています、以前の鮮魚列車は朝大阪へ行き、夕方帰ってくるというダイヤでしたが、改正後は上本町からすぐの折り返しとなり、当地では午前中に(美旗10:11松阪行き快速急行)戻ってきます。
ゾロ目ナンバー
「保存蒸機とその現役時代(43)」はⅮ51777であったがついでに京王の7777を掲載したところ、総本家青信号特派員さんから京阪の5555もそろそろ引退しそうだとのコメントがあった。探したらつまらない写真が1枚出てきたのでⅮ511111と併せて掲載する。皆さんも3桁でも結構なのでこんなんあるでと載せてくださると有難い。私鉄4桁では阪急7777、3333、阪神1111、小田急1111、京急1111、東急8888、5555などがあるが何れも編成の中間に入っている。
ラッシュの運行を終えたのか萱島駅到着後回送の5555。2017年5月8日▼
続いて亀山区で給水中の稲沢第一区のⅮ51111。1963年5月3日▼
しかし、こういうのばかりを追いかけているといい写真は望めない。
重文になった鉄道車両ー3
今回は233号機関車となります、製造初年は1903年初めて国産の量産に成功したようです。京都鉄道博物館に展示中とあります。大阪も京都も何度か行っていますが、つい馴染みのある車両に目がいってしまっていました。
下之一色線車庫界隈
保存蒸機D51777は保存機の中では良好な状態であり光線具合もまあまあであったがそれだけではだめで残念賞であった。同じ刈谷市の公園内の名古屋市電に話題が移ってしまった感がある。これはたまたまその保存市電名古屋市1600型と同型の下之一色線の姿を載せたところ京都市の伏見線と対比されたりして興味を持たれたこともあるようだ。私などは伏見線など沿線の歴史に興味ある路線も京阪の中書島に急カーブして出入りする姿を見ただけでその後総本家さんの秀作を見て「しもた!撮っといたらよかった」と悔やんでいる次第である。
紫の1863さんに教えていただいた津島軽便堂写真館というのを拝見したが、その当時高校生であった方が何とカラーで沿線を紹介されておられる。私も訪問した下之一色車庫あたりを改めて白黒で発表してみた。いずれも1968年11月8日の撮影である。同線は下之一色電車軌道として1912(大正元)年に設立され翌年尾頭橋ー下之一色間を開業。1937(昭和12)年名古屋市に買収された。廃止は1966(昭和44)年2月である。場所は名古屋市中川区にある。
全線6.5Kmの単線であり、途中この様に列車交換を行っている。▼
保存蒸機とその現役時代(43)
愛知県刈谷市の交通児童公園(駅から徒歩10分)に保存されているD51777。1944(昭和19)年9月大阪の汽車製造会社製造で製造番号は2260。履歴の概要は多治見→米原→多治見→名古屋→中津川とあり名古屋鉄道管理局管内で一生を終えた様である。廃車は1972年9月である。
屋根付きで綺麗に保存されていた。ナンバープレートは青の中津川色である。名古屋は赤ナンバーが有名であるが私の好みは緑である。撮影は2012年12月26日▼
続いてその現役末期の頃で1971年9月24日上松駅出発の下り貨物列車の姿である。この日はDRFCの諸氏と寝覚ノ床が見える旅館で1泊した覚えがある。▼
蒸機の保存地にはよく市電などが近くに保存されている。これは名古屋市交通局1603号で1951(昭和26)年11月日本車両製造であるが、詳しいことはわからない。▼
季節のご挨拶(Season’s Greeting)
あんなに暑かった夏も終わり、早、10月となりました。皆さん如何お過ごしでしょうか。私は熱中症やコロナで悩まされた後期高齢者、基礎疾患持ちですが、今度はインフルエンザの準備も必要です。さらに腰椎滑り症で1日8000歩歩けと言われ、それならと近場の線路際まで散歩しています。先日9月28日は富士山の初冠雪でしたが、その日に撮った京王ライナー2代目5000系です。後ろにかすかに見えるのが富士山です。
重文になった鉄道車両-2
重文になった鉄道車両-2は123号機関車です。最後は「加悦SL広場」でも展示されていたようです。
保存蒸機とその現役時代(42)
今回は何れも後ろ姿である。保存機は地元で保存会を結成したり定期的に清掃やメンテを行っているものもあるが、その多くはいたずらや部品の盗難にあっているようである。このⅮ51245は正面と炭水車後部照明が盗難にあってなくなっている。よく見ると給水温め器のカバーもない。そのため後ろ側から撮った結果、炭水車がバカでかくなってしまった。場所は元の信越本線、現在のしなの鉄道の坂城とテクノ坂城の中間で坂城町文化センターの武道館裏のわんぱく広場である。撮影は2018年7月22日の暑い日であった。しかし、ここは坂を下りていくと近くを走るしなの鉄道を併せて撮影することができる。それにしてもわんぱく広場という名前は保存地にふさわしくない。なお、坂城駅横に169系電車が保存されているのでそれも追加添付した。169系は国鉄急行電車165系の派生型で横軽対策された信越線ゆかりの車両であるがこの保存車輛はしなの鉄道にも譲渡されて活躍していた。
D51245は1939(昭和14)年9月、国鉄浜松工場で製造され製造番号は36。新製後、浜松、金沢、敦賀、福井等北陸本線沿いで活躍、1962年に上諏訪に転属、その後稲沢を経て1966年に中津川所属となり中央本線で活躍した。1973年7月に廃車されている。▼
重文になった鉄道車両-1
先日紹介しました、JR東海相談役須田寛様が執筆された「重文になった鉄道車両」の第1号となる「1号機関車」が掲載されました。ご存知のように大宮の鉄道博物館に展示されています。万世橋の鉄道博物館では見たことがあるのですが、大宮はまだ行ったことがありません。関東方面もしばらくご無沙汰になっています。米手さまのご要望もあり本文はできるだけ拡大して載せているつもりですが画像がうまく行っているか若干心配ではあります。
なんとか読めますね。
『楽』リニューアル
クローバー会でも乗車会を実施した20000系「楽」がリニューアルされました。しばらくの間、土曜・日曜に一般客を乗せて上本町~五十鈴川を1日1往復します。残念ながら乗車券は完売とのことですが運転日も追加されているようです。「楽」は1990年に登場し、今回は30年ぶりのリニューアルとなります、外観の塗装が「漆メタリック」とガラッと変わっています。写真は自宅より徒歩5分の撮影場所です。