デジ青記事の転載依頼

会報でもお知らせしていますが、、デジ青に掲載された記事の写真を使わせてほしいとの依頼が届きます。昨年は8件、一昨年は9件、今年もすでに3件の依頼がありました。使用する目的は様々ですが、先日あったのは松本市教育委員会文化財課様からの依頼です。2011年7月に湯口さんが投稿された松本電鉄浅間線記事の写真で、松本駅の鉄道給水源が写っているので歴史資料として活用したいとのことです。写真に写っている蒲鉾状の建造物が明治35年の鉄道開業に合わせて建設された給水源井戸の上部構造です。旧浅間線の学校前駅付近は湧水が豊富でここから松本機関区に送水していました。現在は道路拡幅の為道路下に埋もれていて、今後この地下遺構を調査されます。これに合わせて施設の沿革を示す歴史写真として浅間線の電車の写真と共に使用したいと言われています。デジ青の記事が歴史的資料として活用されるのは、大変喜ばしいことです。もし他にもこのあたりの写真を撮られていましたらご提供したいと思っていますのでご連絡ください。
デジ青の記事は鉄道ファンだけでなく多くの方がご覧になられています。みなさんの貴重な写真や資料もどんどん紹介していただくことをお待ち申し上げます。
また、昨年開設した伝言板は会員のみが閲覧できるページです。近況報告や会員同士のメッセージのやり取りなどで、交流を深めていただくのにも使っていただければと思います。掲示板、伝言板の両方を使い分けて今後もデジ青の活性化にご協力ください。

 市電が走った街 京都を歩く 四条線①

祇園〈1〉  Gion

新春の「祇園」と言えば、八坂神社の初詣風景しかない。しかし四条線のあった昭和47(1972)年までの初詣風景はなく、やむを得ず、東山線時代の初詣風景で代用。

年が改まって、もう二週間。気を入れ直して、掲示板投稿に励み、日常の記憶を綴っていきます。さて、京都市電の四条・大宮・千本線が廃止されたのが、昭和47(1972)年1月23日で、まもなく廃止50年を迎えることになります。昨年末も、50年絡みの話題を採り上げ、それ以前にも、本欄で廃止後50年の伏見・稲荷線を特集したばかりと思っていたら、もうつぎの四条・千本・大宮線が控えているわけですね。やはり、50年前の昭和40年代は、激動が続いていたことの証だと思います。ことしも「50年前」から始めたいと思いますが、四条・千本・大宮線は、距離も長く、停留所も多くあって、一挙にとは行きません。まずは祇園~四条大宮の四条線として、「祇園」から始めて行くことにします。

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昭和の電車 改訂版(244)ー国鉄モハ52型ー

子供の頃に、“流線型”といえば、このモハ52とC55でした。ところがどちらも見たことがありません。飯田線にいたことがあるようですが、これも知りません。

⇧ 菱屋の藤田さんのコレクションからお借りしました。晩年のモハ52です。

⇧ 先日惜しくも逝去された中村進一氏のコレクションからお借りしました。阪和線時代のモハ52。

関三平先生からの年賀状

「昭和の電車」作者の関三平先生からカラーの年賀状が届きました。
ご存じのように、関先生は鉄道マニアであると共に迷路図作家として、かの有名な“日本迷路公団”総裁でもあらせられます。この年賀状にはその総裁としてのご高説が図面と共に発せられていますが、難解なので今回は鉄道部分だけを掲載して皆さんに読んで頂きます。

市内線開業110年を迎える広島電鉄

クローバー会の皆様、明けましておめでとうございます。コロナの完全収束が見通せず、またしても旅を自粛せざるを得ない気配のなかで、このデジ青があるおかげで、あのBOXの雰囲気そのままに皆様が身近に感じられ、有難い限りです。管理者殿にも感謝です。今年1年もよろしくお願い致します。さて2022年の投稿も新聞切り抜きからスタートとなりました。今年は広電市内線開業110年ということで、中国新聞元旦号には特集記事が載りました。分割してご紹介します。宮島線は開業100年です。

令和4年1月1日 中国新聞朝刊

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昭和の電車 改訂版(242)ー名鉄3400系ー

明けましておめでとうございます
今年もがんばって投稿致しますので、皆様からのコメントをお願い致します。
新年は流線型の特急シリーズ。

初頭を務めるのは名鉄の流線型特急3400系です。

準特急さんのレポートです。かえりみますと、準特急さんは本当に全国を渡り歩いて撮影されていたのですね。頭の下がる思いです。これからも投稿、お願いしますよ!

名鉄3400系