たいへんな状況が続いています。われわれにとっては「外での活動こそ、日常生活を送るうえで必要欠くべからずの行動」と叫んでみても、もう通用しなくなりました。良識あるクローバー会会員にあっては、Stay Home、粛々の日々とは思います。こんな時こそ、唯一の活動の場となった“デジ青”こそ活発化して、元気の証明にしたいと思います。すでに事務局からの勧めもあって、多くの投稿、コメントが寄せられており、何よりです。私も参加して、“懐古もの”に焦点を当てて、私の元気を表現したいと思います。
棒鼻
“ぼうばな”という一風変わった停留場名の由来は、竹田街道沿いの宿場のはずれに、支配境を示す棒杭が立っていて、これを棒端(ぼうばな)と呼んだところから来たと言われています。江戸時代、棒鼻は伏見領と竹田村の境であり、交通、物資輸送の結節点でした。それを示すように、停留場の横には、竹田街道に敷かれていた車石が今でも保存されています。
ここまでは、国道24号と言われた竹田街道上を走っていた伏見線ですが、近鉄京都線を潜ると、国道24号は、この棒鼻で東に向いて分かれ、本来の竹田街道は細い街路となって南下し、伏見の街へと入って行きます。伏見線も、竹田街道の西100mほどを専用軌道となって、並行しながら、南下をしていきます。
今回も先輩のMさんの貴重な写真も貸していただいて掲載しました。厚く御礼申し上げます。
▲竹田街道の併用区間とは分かれて、専用軌道に入ったところに棒鼻の停留場があった。伏見線においても、棒鼻は結節点であり、渡りポイントもあってラッシュ時などは「臨」の棒鼻行きもあった。


























