2018年夏、酷暑の旅 Part8 長崎市電を撮る その7 

第3日目 8月29日(水) その1

今日は10時の列車で筑豊直方へ向かい筑豊電鉄に初乗車しますます。早朝起き上がりそれまで長崎市電の今回最後の撮影です。
▲ 6:22 長崎駅前に1系統崇福寺行きの始発電車1500形1506号が到着しました。私の今日の撮影もスタートです。新幹線開業による長崎駅前再開発が進められると3ホーム化されますので2ホーム時代のシーンは押さえておきたいと撮り始めました。 続きを読む

 羽村さんが遺したアルバムから 〈5〉

百万遍の停留場で多くの乗客を乗せる800形のトップナンバー車、ポール集電の800形は、この年に新製が始まったバリバリの新車だった(昭和25年1月)。

今回は、羽村さんにとって、いちばん身近だった京都市電です。京都大学の近くにお住まいだった羽村さんにとっては、京都市電は趣味活動の原点でもあったでしょう。例の細密な系統図を描かれた「青信号」の記事“京都市電雑感”にも、冒頭で「京都に生まれ京都に育った小生にとって、京都市電は何と云ってもなじみの深い電車である(原文ママ)」と述べられています。これらの写真を撮られたのは、昭和25、26年であり、全盛時代の到達までには、まだ少し時代をさかのぼる終戦直後の空気が残っていました。

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垣間見た西オーストラリアの鉄道(下)

州都パースはイギリス統治時代の古い建造物が点在する近代的な都市で、パース中央駅から放射状に5方向に近郊電車が走っています。自由時間の少ないツアーだったので駆け足で体験乗車しました。

Transperthと呼ばれる鉄道網  鉄道だけではなくバスとフェリーがシステム化されている

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たつの市で開催される鉄道展について

過日、広島県立歴史博物館でこんなチラシを見つけました。兵庫県たつの市で10月20日から約1ケ月開催される展示会のチラシです。岡山近辺の鉄道遺産に詳しい小西伸彦氏による現地見学会や播電の展示など大変興味深い内容だと思います。ご参考まで。なお2会場の休館日が異なっていますのでご注意を。

おもて面

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全線開通した山陽本線

7月の豪雨災害で寸断されたJR山陽本線は、当初見通しより繰り上がり、9月30日に全線復旧、開通しました。被災以来86日ぶりとなります。その間復旧に向けて日夜尽力されたJR関係者はもちろん、代行輸送など陰で支えてこられた関係者の皆様に敬意を表したいと思います。

H30-9-29 中国新聞朝刊

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垣間見た西オーストラリアの鉄道(中)

この地図は鉄鉱石および石炭輸送の貨物鉄道を示します。赤が鉄鉱石、緑が石炭です。石炭輸送は主に東部、鉄鉱石が北部、西部となっています。

オーストラリア地図(その2) この地図で見るとPerthからPerenjoriまで近そうに見えますが直線距離で300Kmはあります。

古いホッパー車が保存されていたのがPerenjori駅前ですが、ここから港町のGeraldton(ジェラルトン)まで現在も鉄鉱石輸送が行われていました。ただそのPerenjori駅は鉱山駅という雰囲気ではありません。

Perenjori駅  長い待避線がある単なる交換駅

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「楽」の次の日

INUBUSE氏より先週の「楽」の次の日を書く要請があり投稿とします。実は「楽」の次の日も京都に行くことになり叡電にしようとなっていました。ところが当日の朝、丹波橋からの京阪電車の車内放送で「市原~鞍馬間が不通」であることを突然知りました。まだ台風の影響が残っていたとは予想外でした。結局「宝ヶ池」まで行くことにして、以前故澤村氏に教えてもらっていた比叡山を望む場所となりました。この日も多少くもっており、やはり比叡山に直接陽のあたる夕方近くがいいですね。出町柳に戻り、澤村氏のお墓参りを済ませ、「松本」にも顔を出し嵐電としました。

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 早回り ヨーロッパのトラムめぐり 〈2〉

ベルン(Bern) スイス
スイスのほぼ中心に位置するベルンは、スイス連邦の首都です。と言っても人口は、13万人程度、中世の街並みを残す旧市街は、ユネスコ世界遺産に登録され、シンボルである時計塔や、古いアーケード、点在する数多くの博物館・美術館などがあります。こんな、こぢんまりとした古い都にも、トラムが走っています。
ベルンの中心、旧市街地のメインストリート、シンボルの時計塔が見えるマルクト通り(Markt-gasse)を行く、ベルン交通局の真っ赤なトラムとバス。

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垣間見た西オーストラリアの鉄道(上)

先日レポートしました銚子電鉄訪問のあと、成田を飛び立って向かった先は西オーストラリアのパースです。パースを起点とした、鉄分とは縁の無い「花を見て回るツアー」につきあいました。オーストラリアへの観光客は東のシドニーやメルボルンを目指すのが通例のようで、西オーストラリアへの訪問者は少ないようです。オーストラリアは7つの州から成り立っていますが、西オーストラリア州は全土の1/3を占める広大な州で、その州都がパースです。西オーストラリア州の人口は250万人ですが、その90%はパースを中心とした南西部に集中していて、州の大半は広大な無人地帯です。

オーストラリア地図(その1)

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 早回り ヨーロッパのトラムめぐり 〈1〉

少し前ですが、ヨーロッパへ行って来ました。もちろんツアー旅行でしたが、時間を見つけては、各国で路面電車も撮りました。どうも私は、海外の鉄道になかなか興味が持てないのですが、いざ現地を訪れると、街並みに溶け込んだ優れたデザインのトラムがあり、限られた時間のなかでも、その魅力に触れることができました。乙訓老人からも、彼の地の魅力について何度も刷り込まれていましたが、その気持ちがやっと分かった次第です。では、チラリと見た、ヨーロッパのトラムの魅力を。
早朝、ストラスブール(Strasbourg)中央駅前を発車した、ストラスブール交通会社(CTS)のトラム(右)、左のイラストが描かれたドームが中央駅、パリとはTGVで2時間20分で結ばれる。

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大阪電軌デボ1000

近鉄は、いろんな私鉄を糾合して出来た大鉄道です。
子供の頃に父親が『ダイキに乗って・・・』と言うのを聞いて、ダイキとはなんだろう?と思っていたが、後に『近鉄』のことだと知って驚いたおぼえがあります。

でも、こんな面白い出で立ちの電車だったら楽しかったでしょうね!

大軌デボ1000

 羽村さんが遺したアルバムから 〈4〉

今回のアルバム、羽村さんが最も好きだった阪急京都線を採り上げます。以前、tsurukameさんからの寄稿でも、羽村さん撮影の阪急京都線について、詳細されています(2017年11月27日90622号)。今回は、スキャンしていて新たに発掘できた写真です。
前稿で乙訓老人の思い出にも書かれていますが、羽村さんが好きだったのは“阪急京都線”であり、“阪急”ではありませんでした。京阪電鉄を分離し、新制・京阪神急行電鉄として創立してから、まだ1年しか経っていない昭和25年からの撮影で、京都線は、“新京阪”の面影を十二分に伝えていました。
最初の撮影は、西京極駅で撮られたデイ100形2両の京都行き普通電車をとらえている。周囲の光景は、郊外の様相だが、右手には、西京極野球場(現・わかさスタジアム京都)が見える。この球場は、昭和7年、昭和天皇の成婚を記念して建てられたもの。また電車左手には、現在でも見られる、未成線として残った貨物線の分岐部がわずかに見えている(昭和25年11月)。

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同志社大学鉄道同好会 60周年企画近鉄「楽」乗車会に参加して

2018年9月23日(日)に、現役生が企画した、近鉄「楽」の乗車会に参加してきました。同志社大学鉄道同好会60周年企画として、現役生OBを合わせると約100名と盛況でした。当日 9:10 京都駅八条西口広場集合し、9:58 発車、一路宇治山田へ。車内ではサロンカーへいって展望を楽しんだり、また仲間達と歓談、そして配られたお弁当を美味しくいただきました。   ↑ 京都駅に入線する「楽」3番線には貸切の表示 続きを読む

銚子電鉄 駆け足乗り鉄旅

成田から久しぶりの海外旅行に旅立つ前に、初めて銚子電鉄を訪ねました。現役時代から半世紀、どうも千葉県とは縁がなく、未だに房総半島は未踏のままです。銚子電鉄も同様で、ようやく訪問がかないました。とは言え時間的制約もあり駆け足の乗り鉄旅ではありましたが、しっかり楽しむことができました。

JRで銚子駅に着いて、銚子電鉄に乗り換えるには一旦改札を出て、銚子電鉄の切符を買ってから再入場するものと思っていましたが、さにあらず。そのまま跨線橋を渡って銚子電鉄乗り場に行くようです。そして切符売り場があるのだろうと思いましたが、これもハズレ。いきなり無札で電車に乗り込むのです。

平成30年9月7日 JRのホームの先にある銚子電鉄乗り場へ。

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 北海道の鉄道被害を憂う 〈続〉

北海道胆振東部地震から2週間以上が経ちました。JR北海道ホームページによると、不通区間のうち、最後の根室本線富良野~東鹿越も9月26日に開通することになりました。震源近くの日高本線苫小牧~鵡川でも、一部代行バスが残るものの列車運転が始まり、これで、地震前に営業していた区間は、すべて復旧・営業再開することになります。以前、本欄の私の投稿で、廃止が取り沙汰されている線区が不通になり、なし崩し的に廃止に追い込まれるのではと心配しましたが、それが杞憂に終わり、安堵しているところです。ただ、以前から災害で不通になったままの日高本線・根室本線の一部は、バス連絡が続いています。
ブラックアウトで停電が続いていた北海道のなかで、札幌の繁華街ススキノにも電気が復旧し、名物のニッカウヰスキーの電照広告に灯が点いた時は、人だかりの中から歓声が上がったと報じています。“札幌”“灯り”の新聞見出しで思い出したのが、たまたまC62のネガスキャンをしていた時に一緒にコマにあった、この札幌駅前の夜景だった。北海道を転々としていた身には、煌々と灯りが点るのは、久しぶりの大都会の光景で、都会から来た旅行者にとっては、逆に心が安らぐような光景だった。ススキノでニッカウヰスキーの電照広告を見た人たちも、同じような思いにとらわれたのだろう。

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 羽村さんが遺したアルバムから 〈3〉

続いての撮影地は、京福電鉄叡山線(現・叡山電鉄)に移る。住まわれていた左京区内だけを走り、身近な鉄道へは以後もよく訪れることになる。最初に撮ったのが、京都市電1000型が叡山線を走るシーンだ。ご存じのように、宝ヶ池競輪場で開かれた競輪の開催日にあわせて、元田中駅にあった渡り線を通って、京都市電が山端(現・宝ヶ池)まで運転されていた。前年の昭和24年12月から運転を始め、羽村さんも、そのニュースを聞いて、行かれたのだろうか。ただ、低感度のフィルムのため、晴れていても走行中の車両を写し止めるのは難しい。そこで、羽村さんは、流し撮りで車両を止められている。偶然の所産なのかは分からないが(私も技量もないのに写したら流し撮りになっていたことがあった)、背後を空で抜いて、市電のポールが強調されている。撮影場所は、修学院の南方と思われる(昭和25年3月)。

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 羽村さんが遺したアルバムから 〈2〉

最初の撮影は、昭和25年3月12日、この写真から始まっている。背後の建物は、大正時代に建てられた二代目京都駅、撮影場所は、いまで言う、八条口側から撮られたもの。手前には多くの側線があり、京都駅に発着する客車の留置線になっていた。スハ32系の客車を8620型が入換えをしているところだろう。ハチロクは、この当時、梅小路区に14両も配置され、東海道本線の貨物列車の補機、大津、石山、草津あたりまでの軽貨物の牽引、奈良線の貨物、時には入換えと大活躍していた。

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 羽村さんが遺したアルバムから 〈1〉

またまた投稿が開いてしまいました。腰を落ち着けて投稿することにします。デジ青では、米手さんによる、献身的な電子介護が続いています。見ることが叶わなかった会内外の貴重な記録が、本欄でよみがえり、改めて、そのご苦労に讃辞を送るものです。
私も、もう一人、天に召された会員のネガを預かっています。それは、昭和44年に、37歳の若さで亡くなられた、羽村 宏 さんです。羽村さんといえば、青信号初期号で、京都市電の全系統をカラーインクで色分けして、一枚ずつ手作業で系統図を作られた伝説の人です。私とは年代が違い、お会いしたことはありませんが、亡くなられた時、私は青信号22号の総指揮をしており、OBからの一報で、出来上がり直前の青信号を止めて、急遽、訃報を載せたことを覚えています。
羽村さんは、お住まいの左京区吉田にちなんで“吉田急行電鉄”と名付けられた、鉄道模型・レイアウトが主な趣味でしたが、写真も昭和25年から撮られています。これらの写真・ネガは、親しかった乙訓の老人宅で静かに眠っていました。ある時、老人の自宅へ遊びに行った時、「これ、おまえが保管せぇ」と渡されたのが、この青いネガアルバムでした。2004年のことで、以来、10年以上が経ちますが、預かった私も、一部は、出版に使わせてもらったものの、ネガのスキャンもせず、眠ったままでした。
このことを、老人に相談しますと、“すぐにでもデジ青に発表してくれぇ”と、強い口調で激励され、電子介護の一環として、発表することにしました。預かっているのは私であっても、羽村さんの遺された写真は、クローバー会共有で受け継いでいくべきものと思っており、ならば、“デジ青”での発表がもっとも相応しい媒体だと思うに至ったのです。羽村さんが遺された青いネガアルバムは二冊、B5ヨコ型で、1ページに8点のセミ判のネガが収められ、二冊で300点余りのネガがある。鉄道模型を写されたものもあって、実物の鉄道写真は200点程度だ。いまのデジカメなら、半日で撮ってしまいそうな点数だが、羽村さんは、約5年掛けてじっくり撮られた。決して寡作ではなく、この時代の撮影スタイルはこんなもので、一枚一枚、心を込めて撮られたのだ。

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2018年夏、酷暑の旅 Part7 長崎市電を撮る その6 新地中華街~

第2日目 8月28日(火) その6

▲ 17:39 出島~新地中華街 出島通りから築山通りに出てきた370形373号。ご覧の通り架空電車線方式は直接吊架式に替わっています。道路幅に余裕がなくセンターポールを設置できないようです。

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