先般の記事の「京阪鴨東線開業」で、大西顧問の思い出を書くときに、「青信号」のバックナンバーを見返していて、私が書いた記述を見つけました。ちょうどDRFC創立30周年に当たる57号で、それを祝う寄稿のなかの一文でした。
「鉄道同好会、この名を口にする時、懐かしさと安らぎを覚える。ちょうど、東北か北海道のローカル線、カマは何でもいい。とある山間の駅に停車して5分の交換待ち、オハ61かスハ32の窓をギシギシ開けると、ひんやりした空気とともに、カマの匂いと熱気を感じた時のような…」なんて書いていました。ウ~ン、自分でもなかなかの比喩だなと思いました。この記述には伏線があって、この号の発行年に、マイテを連結した「同志社号」が走り、みんなで旧型客車に乗って名古屋まで一周しました。この思い出が印象に残り、鉄道同好会と客車を重ね合わせて記述したものと思われます。
ことほど左様に、“客車”という車両には、今さらながら、格別の愛着と懐古の念が湧いてきます。もちろん、この季節でも冷房など全くない、窓は最上段まで開けっぱなし、時折、黄金水がミスト状になって降りかかる、あの客車です。当会でも、山科人間国宝を頂点に、米手さん、井原さんからも、客車について熱く語られています。私は客車の来歴については、とくに詳しくありませんが、忘れそうになっていたフィルムの一片から、客車の持つ魅力を語ってみたいと思います。
▲客車の魅力、そのひとつは、“客を乗せる車”だと思っている。乗客によって作り出された何気ないシーン、それは、季節や地域によっても違うが、今から見ると、なんとも素朴で、清々しい、幼い日を思い出すようなシーンが頭をよぎる。九州の12月、午前7時前でも真っ暗な高森線高森駅でも、一番列車に続々と高校生たちが乗り込む。C12の蒸気、客車の吐き出すスチーム、窓から洩れる室内灯で、影絵のようなシーンが表れた。セーラー服の女子高生が一人入っただけで、なんとも味わいのあるシーンが撮れたと思っている(昭和48年12月)。
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