福知山線道場界隈の記録

Tsurukame様のデジ青2016年1月31日[67822]「撮影地今昔-旧・福知山線・生瀬-道場間(6)」に関してコメントを差し上げたところ「お前もその辺で撮ってるならいっぺん出せよ」と言われ慌ててネガを探しました。劣悪な記録ですが、ここに報告致します。

撮影は全て1965年4月3日で、宝塚を7時35分発の423Dで道場に向かい武田尾側に気の向くままに歩いて撮影した。最初の上り728列車はC5736でピンボケの失敗。続く下り「まつかぜ」もどうってことはない凡作。

①最初はDF50[米子]牽引下り723列車大阪発福知山行き。Tsurukame様の地図では道場駅に近い第五武庫川橋梁と思われる。(8時45分頃)▼

s-65.3.5道場730レ

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はこぶら・津軽の雪飛ばし 2016年冬 Part9 津軽の白い野を撮る、帰路

DSC_9846_1004001 7:01 静寂の白い野をシャカシャカとロッドの音を響かせ行く黒いラッセル列車。カラーで撮っているのに関わらず、モノクロの世界しか残せませんでした。それが津軽の冬、みぞれまじりの氷雨降る中シャッターを切りました。雪飛ばしツアーでは1番気に入っている写真です。
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EF65に出くわしました

69043でKawanaka氏からEF65の紹介があり、EF65が今や絶滅危惧種になっていることを再認識しました。今日 鳥の写真撮影のために出かけたのですが、川の対岸を走るEF65に偶然出会いました。場所は山陽本線本郷・河内間で11:30頃です。空チキ6両を従えて上ってゆきました。番号は不明です。古いダイヤしか持ちあわせていないので、列車番号も定かではありませんが、工臨8866レなのでしょうか。1900生さん教えて下さい。

平成28年3月7日 山陽線本郷・河内間にて

平成28年3月7日 山陽線本郷・河内間にて

はこぶら・津軽の雪飛ばし 2016年冬 Part8 弘南鉄道の空雪ラッセル、津軽鉄道ストーブ列車

函館へ向かう飛行機では風雪・視界不良のため着陸不可能、伊丹新千歳に着陸地変更するかもとの案内がありました。雲間を抜けて何とか着いた函館では幸運に恵まれて日中にササラ電車に逢え、白い道行く函館市電も撮れました。順調と思われた旅が始まっていましたが、天候が急変して思わぬ雪解けになってしまいました。

青森ではそれでも5時起きで急行「はまなす」を撮影に行かれた方々もおられましたが、すっかり撮影意欲をそがれた私はホテルで朝食をとってから合流しました。向かうは弘南鉄道大鰐線です。
DSC_9635019
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中国新聞ネタ 3題

毎度のイージーな新聞切り抜きで失礼します。

1.三江線などについてのJR西日本社長インタビュー記事

平成28年3月5日 中国新聞朝刊

平成28年3月5日 中国新聞朝刊

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 福岡・北九州 路面電車 いま・むかし 〔5〕

 小倉・魚町

砂津で撮ったあと、小倉駅前へ戻ってきた。ふつう、大都市の駅前には路面電車の姿が欠かせないが、小倉駅前にはなく、300メートルほど離れた勝山通(国道199号)を通り過ぎるだけで、駅前に立ち寄ることはなかった。その後にできたモノレールも、今でこそ駅の内部まで乗り入れているが、開業当時は、この勝山通止まりで、徒歩連絡を強いられた。北九州線が駅前へ寄らなかった理由は、もともと合併する前の北九州5市の都市間の連絡が目的だったことと、以前の小倉駅は、現在とは違うところにあり、現在の小倉駅ができた当時、駅前はまだ未発達で、小倉の繁華街は、勝山通沿いにあったことに拠るのだろう。
60210 031sy北九州一の繁華街、銀天街と交差する「魚町」から西を見ている。バックの大きな建物は、井筒屋百貨店、ちょうど電光掲示は「さよなら電車展」の催事を案内している。北九州線の電車の塗装はよく変わったが、廃止前は、エンジに、前面に警戒色の黄の矢形と、暑苦しい色だった。

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吉野鉄道テハ1

子供の頃、父親がよく「大軌に乗って・・」とか「大鉄が・・・」と言っているのを聞いて、〈大阪にはややこしい電車があるのやな〉と思っていましたが今も変わりません。たしか参急もあったようですが吉野鉄道などというのまであるとは知りませんでした。いったい今の近鉄は何社が集まって出来ているのでしょうか?
吉野鉄道テハ1_NEW

はこぶら・津軽の雪飛ばし 2016年冬 Part7 青函トンネルを抜けて青森へ

第3日目 2月19日

6:00 旅に身体が慣れてきたようでしっかり睡眠で、スッキリと起きられました。まずは窓から外を見ますが、昨夜雪が降った様子はありません。続いてTVで朝の最新天気予報を見ますと、上空の暖気は座り続けて最高気温は5℃となり、道南・函館及び青森は雨になるとの予報です。大沼公園から北は雪予報で、同じ北海道でも道南は違うようです。

今日は普通列車に乗って雪飛ばしツアー集合地の青森へと向かいます。途中、木古内蟹田で乗換が必要ですので蟹田では下車して津軽線の撮影を予定していますが、天候次第では津軽線の乗り鉄旅も候補に入れました。
01_Map
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こんなところに能勢電(阪急)が

3月に入り 陽気に誘われて久しぶりに山に登ってみました。すると眼下に2両のマルーンが見えました。場所はMIHARA試験センターです。

1504+1554

1504+1554  パンタはたたんである

双眼鏡で確かめると左のMC車が1504、右のTC車が1554です。元阪急の2110と2159のようです。側面には大きく「MIHARA Liner」と書かれています。多分「MIHARA」は 単に三原の意味ではなく、「Multipurpose Integrated Highly-Advanced Railway Applications」 即ち「総合交通システム検証施設」を意味していると思われます。(苦しいこじつけの英語名ですが・・・)

それにしても どういう目的で能勢からここにやってきたのか よくわかりません。マルーンさん 教えて下さい。

EF65コネタ

KAWANAKAです。

最近の掲示板のコメントや巷の情報でEF65原色があと2両(1両?)とありました。そうなんですね。原色を追いかけておられる方もチャンスが減って大変と思います。炬燵猫なんかになっている場合ではなくなったと思慮します。さて、小生マターで恐縮ですが、どこかの経済学者のように減量のコミットしていないので相変わらず軸重を下げられていません。しかし、じっと炬燵猫では家族に叱られるので、段々と慣らし運転をするためにレールサイドに行く練習をすることにしました。大分痛みが軽減してきたということで、拙宅の土手を下った総武線に時々気が向いたらスクランブルして1発決めると帰還することにしました。

先月の19日、何か良い予感がして踏切に行くとお兄さんが一人。そこでの1枚をUPします。平日なのにご苦労さん。P1960063TM

本日3日も大変暖かいので、良い予感。13:50にスクランブル発進、レールサイドに13:55に待機しました。信号が青信号に変わりしばし待つこと3分。現れたのが19番。
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 佐竹さん 明日から「東北展」

佐竹保雄さんが東北地方の震災復興を願って、毎年3月を中心に開かれてきた「東北を旅して」展は、ことしで8回目を数えることになり、明日3月4日(金)から開催されます。

「東北を旅して」 その8
 3月4日(金)~11日(金)10~17時  5日(土)のみ21時まで開場
 ひとまち交流館京都 1階展示コーナー(京都市下京区河原町通五条下る)

今年は震災から5年目、そしてチェルノブイリ事故から30年となります。過去に佐竹さんが関わってこられた、さまざまな活動を振り返るとともに、もうひとつの柱として、佐竹さんが、昭和30、40年代に東北で撮られた鉄道写真が多数展示されます。さらに、三陸鉄道の現役運転士が撮られた「SL銀河」などの写真展示、そして、我がクローバー会有志も、ささやかではありますが写真協力しました。今回は、いつになく展示数が多そうで、本日、会場で準備に当たる精鋭メンバーも大いに張り切っています。

sysy60224 169_R「誰よりもたくさん東北へ行きました」と言われる佐竹さん、確かに預かったネガからは、初めて目にする珠玉の写真があふれていた。蒸機だけでなく、すべての鉄道車両をきっちり撮るのが佐竹流、写真は、仙山線作並駅に到着したED17+暖房車+客車、と言う模型のような編成。

はこぶら・津軽の雪飛ばし 2016年冬 Part6 函館市電の白い朝、その後

第2日目 2月18日 その2

昼食後は、白い道を行く函館市電の撮影は諦めました。こんな時はどうすりゃいいのか、どんなイメージを持って撮れば良いのか・・、自問自答しながらまずは現場だ、乗って車窓を見れば答えが出るかもと、もう1度湯の川までを乗って見てみる事にしました。

心がけは良かったと思うのですが、昼間で空席が目立つ車内です。座っての車窓も良いだろうと座ったシートは下から温風が出ています。食後は体が暖かくなったのとあいまって、ついウトウトと・・、ハッと気が付けば終点の湯の川まで着いていました。これでは残念ですが答えは出ません。

⑤ 十字街 13:00
⇒13:39 湯の川
DSC_5891008▲ 13:46 
眠気覚ましに降りてみましたが、見えたのはすっかり雪が溶けた路面に姿を映して湯の川を発車する724でした。
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 福岡・北九州 路面電車 いま・むかし 〔4〕

砂津

新幹線に乗ると、博多から小倉までは15分、ここにも、北九州市を横断するように西鉄北九州本線が平成12年まで走っていた。平成時代の廃止と言うと、つい最近のように思えるが、廃止になったのは、西端の黒崎駅前~折尾の5キロ余りで、代替バスの道路開通が遅れたため、ずれ込んだ。それ以前では、東端の門司~砂津間やほかの支線が昭和60年に廃止、そして小倉など中心部を走っていた砂津~黒崎駅前12.7キロは、平成4年に廃止になった。JR鹿児島本線が完全に並行していると言うのに、よく平成時代まで生き延びたものと思える。それでも小倉の街から路面電車が消えてから20年以上になる。廃止の年には、朝に黒崎から写し始めて、小倉までまる一日を全区間を歩き通して写した。

60210多くの電車が待機する、東の始終点となった砂津。連接車も待機する。

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はこぶら・津軽の雪飛ばし 2016年冬 Part5 函館市電の白い朝

第2日目 2月18日 その1

5:30 夜明け前、目覚ましの音で起き上がりましたが、身体が動いてくれません。
67歳、最近老いが進んだのか、離れた土地に行くと身体が慣れるまでに時間を要するようになってきました。
今回は短い旅ですがほんちゃんは明後日からです。今日は無理をしないでおこうと早朝のササラ電車の撮影を諦めて、撮影開始はホテルで朝食をとってからにしました。ホテル1階の朝食会場から外を見ますと、積もった雪から昨夜約10㎝以上の積雪を確認できました。
白い道行く函館市電の撮影を堪能できそうです。期待を持って出動しました。

DSC_9193028▲ 8:23 函館駅前市役所前 8008の行く白い道は、昨夜の降雪で期待通りに輝いていました。
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今も楽しめる倉吉線

ぶんしゅう様 「倉吉線を偲ぶ会」にご入会ありがとうございます。打吹駅前のラジオ体操の風景に感動です。7月21日なら多分夏休み初日なので これだけの子供たちが早起きして集まったのでしょう。6:13に442D倉吉行きが出るころに集まり始め 6:30から体操。6:39に443D山守行きが着く頃には体操が終わって、カードにハンコを押してもらって解散。・・・・・昭和の夏休み風景ですね。

ところで ジパングクラブのPR誌「おとなび」を見ていましたら、倉吉線廃線跡ツアーがあるのでびっくり。ぶんしゅう様は「白兎51号」での現地入りだったようですが、今は「スーパーはくと1号」で倉吉入りです。倉吉線鉄道記念館となっている打吹駅も訪ねるようです。最後は須磨の大人が入浴されたという効能あらたかな関金温泉で背中を流してもらって旅をしめくくるようです。いつのまにか「昭和の名ローカル線」になっているのも驚きです。それにしても ラジオ体操の写真は記念館に飾るにふさわしい名カットだと思います。

現代の倉吉線旅

現代の倉吉線旅

山陽路を走る「特別なトワイライト」

ぶどう色のEF65+トワイライト・エクスプレスが走ると言うので、上郡へ遠征しました。
田園風景を走る、横からの眺めを見たかったのです。
綺麗な全編成を真横から!!

綺麗な全編成を真横から!!

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ダメ押し 倉吉線訪問記 1973年夏

投稿する函館の昔の写真をスキャンするためにネガを整理していたら探していた倉吉線のネガ2本が見つかりました。
もう少し早ければタイムリーだったのですが、遅れ馳せながらのダメ押しとして1973年7月21日(土)、私が初めて訪問しました倉吉線の紹介をさせていただきます。ただ当時の記録日誌は紛失してまだ見つかってはおらず、写真と時刻表を見て、合わせながらの紹介となりますので時間等が間違っているかもしれません。ご理解、ご了承願います。

① 京都22:08(臨時急行白兎51号)⇒4:36倉吉
▲ 4:36 前夜、京都から臨時急行白兎51号に乗って着きました。まだ夜明け前の倉吉駅です。駅前にひと気など全くありません。
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 福岡・北九州 路面電車 いま・むかし 〔3〕

西新

福岡市内線の今昔を撮影するなかで、もう一ヵ所、どうしても行きたいところがあって、高速バス発車までの約30分を利用して、急いで地下鉄で向かってみることにした。
60210 018syその場所は、天神から地下鉄で西へ4駅目の「西新」である。市内線時代は、貫線から城南線を分岐していた結節点だった。気になったのは、背後の煉瓦建築だった。私は近代建築にも興味があったので、当時から車両と絡めて撮るようにしていた。と言っても予備知識は乏しいから、たまたま見つけた場合だけだ。当時、建物は無人の様子だったが、戦前は、市内線の前身となる福博電車の本社であり、昭和17年に多くの私鉄を統合してできた西日本鉄道の初代の本社としても引き続き使われていた、西鉄にとっては由緒ある建物だった。

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はこぶら・津軽の雪飛ばし 2016年冬 Part4 夜の函館駅、寝台特急カシオペアを撮る

DSC_9124_1086▲ 21:05 函館駅8番線に到着したのは札幌16:12発⇒上野9:25着のDD51重連牽引の寝台特急カシオペアです。北海道新幹線開業により消えゆく列車になります。札幌発は今年3月20日、上野発は19日が最終運行日となります。(※ 今後は団体臨時列車としては運行)今まで乗車する機会のなかった豪華A寝台オンリーの寝台列車で、乗りたくとも最終日まで全席売切れです。最後の対面となりました。
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 福岡・北九州 路面電車 いま・むかし 〔2〕

天神

博多駅前からブラブラ歩きながら、天神まで来た。商業施設が高度に集積した、九州最大の繁華街も、昭和50年までは、貫線・環状線が交差する福岡市内線の要衝だった。
60210 020sy_R当時の天神のシンボルが、背後に見える岩田屋百貨店で、その南隣は西鉄福岡駅と接していて、改札口と岩田屋2階がつながっていた。九州初のターミナルデパートだった。貫線の西新行きが天神交差点を渡って行くところ。その後、西鉄の天神ソラリア計画により、交差点から南下したソラリアターミナルビルのなかに福岡駅、バスターミナルが入り、この場所はパルコが入店した。いま見ると建物外装が違い、新築のように見えるが、中身は当時のままである。写真では、機動隊、パトカーに囲まれて行進するデモ隊が見える。昭和47年の浅間山荘事件後は、学生運動も下火になって、我々の現役時代と比べると、行進もずいぶんおとなしくなっていた。

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