福山、三原、尾道などの備後路は行ったことがありません。しかし、となりの備中にあった井笠鉄道は行ったことはあります。今回、久しぶりに井笠鉄道が走っていたところを訪れることにしました。ここは西村さんにはご迷惑ですが案内をしていただくことにしました。とにかく、お任せです。井笠鉄道も訪れることをしていますので訪問地域は広範囲に及びます。西村さんの車(最新鋭無軌条単端軽油発動車)で各地を訪れることとなりました。まず、最初に訪れるところは井笠鉄道記念館で、場所はかつての井笠鉄道新山駅です。その道中で、三原から尾道までの途中の山陽本線線路際にある「遭難軍人之碑」に行きました。
これは西村さんの話によると、明治時代に日清戦争の傷病軍人を乗せた軍用列車がちょうど台風による高波で海岸沿いの線路が崩壊流失を知らずに通過しようとして脱線転覆し乗っていた軍人と乗務員が死亡した為に、その遭難者の慰霊碑だそうです。今は海岸より離れたところですが、当時はすぐ海だったようです。帰ってから国土地理院のHPで閲覧できる古い地図を見ても慰霊碑のあたりはすぐ海であることがわかりました。山陽道は慰霊碑のところより三原方面に戻った所から山側を通っていましたが、鉄道は山側に迂回せずにまっすぐに尾道の街にひかれていました。今、走っている国道2号線はどうも海であったようです。
まずは井笠鉄道があった笠岡へ急ぐことにしました。福山西ICで山陽道にはいり、笠岡ICで降りて井笠鉄道記念館に行きます。笠岡ICを降りてからのどかな道をしばらく走りました。走っていると、二人とも「線路を走っているみたいやな。ひょっとしたら井笠鉄道の線路跡かなあ。」「いや、もう少し東側を走っていたのでは」とか「左側に見える細い道がそうかもしれませんね。」としゃべってると、知らぬ間に新山にある井笠鉄道記念館に通じている県道48号線と交差するところに来ていました。














磐越西線が完成した頃から長く、新潟・新津発の上野行き列車は磐越西線経由だったと聞いた(上越線完成後も暫くの間は)が、撮影時は新潟-上野直通列車はディーゼルの『いいで』のみ。若松-上野間は『ばんだい』など5~6往復が存在した。







