5月の晴れ間に 日常+αを記録する ③

開業40周年の三陸鉄道へ

5月の最終、もう一件だけ「日常+α」載せます。先週になりますが、三陸鉄道に乗って来ました。いままで三陸鉄道では、佐竹保雄さん主宰の「トレランス号」に、佐竹さんの東北復興への願いを思いながら、2回に渡って乗りました。今回は、私にとっての思い出の地である大槌を中心に瞥見してきました。過去、デジ青誌上でも、三陸鉄道の前身である、国鉄山田線の大槌駅のこと、そこで何気に撮った写真が、意外な展開を見せて、「トレランス号」が走る端緒にもなったことも書きました。 「TOLERANCE 10」 大槌を行く! | DRFC-OB デジタル青信号

「トレランス」に乗車してから5年が経過し、この間にも、地域の復興はさらに促進されて、三陸鉄道を取り巻く状況も変化していると聞きます。現地でその空気に触れるべく、家族とともに大槌入りとなりました。釜石から三陸鉄道で3つ目の駅が大槌、震災で街も鉄道も壊滅したが、もとJR山田線は三陸鉄道に移管されて、大槌駅も旧駅とほぼ同じ場所に設けられた。その三陸鉄道は、ことし開業40周年を迎え、そのヘッドマークも掲げられている。車両も開業時の36-100形が、三鉄のオリジナル塗装のままで走っているのが嬉しい。

続きを読む

快速急行

奈良の駅名研究家さんより「快速急行の停車駅名」と題して5月23日に投稿があった。私は駅名を研究をしていないのでコメントはできなかったが、これまで撮った関西、関東の私鉄快速急行を発表してみたいと思う。併せて、本題から外れるが快速特急も数枚用意した。

快速急行の最初は奈良-三宮間の直通列車1027である。2022年7月21日近鉄奈良線の石切駅で始めて下車した。生駒のトンネルを大阪側に出た所にあるカーブした駅である。▼

阪神電鉄の香櫨園駅はカーブした下り普通列車4連を撮るにはいい場所である。香櫨園は昔は海水浴場がありここで泳いだことがある。2022年12月17日この時は近鉄の上下快速急行がすれ違ったが手が震えてピンボケ。左奈良行き後部5801と右三宮行き先頭9730。▼ 続きを読む

豊橋鉄道東田本線(豊橋鉄道市内線)

5月26日にはDRFCクローバー会のイベントで豊橋鉄道市内線、名鉄西尾・蒲郡線を訪ねるツアーが開催され、現在15名の方から参加申し込みを頂いています。
そのメンバーのおひとりである丹羽さんより、豊橋鉄道市内線の珍しい写真を送っていただきましたので紹介させていただきます。丹羽さんは、湯口さん、沖中さんと同世代の大先輩ですが、昨年の長良川鉄道の乗車会に参加され、今回も参加申し込みをされました。
丹羽さんはよく海外に行かれ、昨年発行したクローバー会会報第6号には英国ブラックプールのトラム、終戦直後の名鉄の思い出を投稿されました。
今回送っていただいた写真は1961年から現在まで幅広い年代のもので、今回はすでに廃車された車両についてご紹介をさせていただきました。尚、写真はプリントしたものを頂き、私の方でスキャンしましたので、画質が落ちてしまいましたがお許しください。
↑ モハ200形(203号)1962.1撮影
旧旭川市街軌道12号で、1949年2月に4両購入した。1965年5月廃車 続きを読む

第107回:快速急行の停車駅名

私鉄特有の種別である「快速急行」は、特別料金不要の上位種別です。「特急」でないこともあり、乗車機会確保のため、各駅に停車する区間もあります。

今回は、私も難波・三宮方面に向かう際、大変お世話になっている快速急行にスポットライトを当てました。皆さんの最寄りの快速急行停車駅は何処でしょうか。

続きを読む

5月の台湾(5月7日)その5

第5日、最終日も東部幹線、三貂嶺の撮影が中心です。
三貂嶺は台湾の武田尾(JR西福知山線)とも称される山峡の駅で、猴硐の隣です。このあたり一帯はハイキングの名所で、時間があれば三貂嶺から猴硐まで歩いてみるのもいいのでしょうが、どうも線路端で列車を撮るのが専らの性分ですので今後もそのような機会はなさそうです。さて、猴硐は、下り列車を撮るのに適しているのですが、三貂嶺はその逆、上り列車を撮るのにはよいのですが、下りはなかなかうまく撮れません。同じ立ち位置で上りも下りもバシッときれいに撮れる場所はこのあたりにないものでしょうか。
▲三貂嶺へ向かう前に莒光511次を狙います。客車の定期急行列車である莒光号も貴重になってきました。汐止

続きを読む

5月の台湾(5月6日)その4

第4日は、猴硐の付近をうろうろしました。
猴硐は、東部幹線の北方、瑞芳の隣で普通列車と莒光号が停車する駅です。一般には猫村として猫好きな人がよく訪れる場所でもあります。ここに来たのは終焉が近づくDR3100自強号を撮るためです。柴連(ディーゼルカー)自強号は、DR2800~3100が東部幹線、南廻り線と非電化区間を含む路線の速達列車として活躍しましたが、2020年の環島全線電化により相次いで引退。現在、車齢の若いDR3100のみが樹林ー花蓮間に2往復が運行されていますが、全線架線下を走る柴連自強号運用はもうすぐ終わるようです。特急「花嫁のれん」のように全線電化区間を走る優等列車は他にもあるので、引き続き波動輸送用等でも存続してほしいものです。柴連自強号は、基本編成が3両×3編成の9両、繁忙期は4編成となり12両で走っていて、モノクロスながらなかなか迫力がありました。台湾と言えば、非電化の南廻り線を力強いディーゼルがゆくイメージだったので、消滅は寂しいのですが、こればかりはどうしようもありません。
▲R150型の最終番
エンジン音ははっきり言ってけたたましく、遠くからでも近づいてきたことが判ります。これに比べるとDD51やDF200の何と静かなことか。

続きを読む

 5月の晴れ間に 日常+αを記録する ②

日常シリーズ、つぎは福井へ向かいました。敦賀延伸後の新幹線に初めて乗って、着いた福井は、絶好の五月晴れ。ある切符を握りしめて、福井鉄道の電車に乗って、まずは、左右に田園が広がる三十八社に下車しました。この日は、ずっと青空が広がっていて、至るところで、みごとな水鏡が見られた。えちぜん鉄道番田にて(以下、2024年5月8日)

続きを読む

今読んでも面白い老人文章

最近、2009年11月29日の大阪通信員さんの「通信だより」にコメントがあり、通信員さんの女性車両誤乗の話に加えて乙訓の老人さんの京都名物(?)のアイスクリームの天婦羅などの話に飛び、多くの方々からコメントが入っている。乙訓の老人さんは電車に関しても独特の隠語が入っているがとにかく面白い。今さら言うのも失礼かと思うがとにかく文才抜群と思う。

これだけではつまらないので吉田さんの札幌市電の続きを始めさせていただく。ローレル賞を取ったA830の一部が美濃の国に行った話をしたが早速紫の1863さんが美濃時代の写真を入れてくれた。札幌時代のA830の写真が少ないので拙写であるが、駅前の姿を発表する。1969.3.10 北24条行きA833 ▼

総本家さん程うまくないがもう1枚。1969.3.18  北24条行きA838 ▼

「あんな。札幌のA830はやなー。」 京阪、京都市電だけではなく日本全国の電車、ドイツの路面電車にも造詣が深くデジ青にも必ずと言っていいほど説明をいただいた日々が懐かしい。改めてご冥福を祈りたい。

 

5月の台湾(5月5日)その3

3日目はナローゲージの日です。
嘉義の手前の新営糖廠では、古典のディーゼルカー勝利号が復元されており、他の糖廠保存鉄路によくある観光トロッコより本格的な保存鉄道となっています。嘉義の阿里山鉄道も長らく区間運転でしたが、いよいよ7月から全線開通するとのことです。この日は奮起湖までの山岳路線には乗りませんでした。嘉義から北門まで1区間と距離は僅かですが、都市鉄道の雰囲気を楽しみました。台湾のナローは、ずっと冬場に走る虎尾糖廠のサトウキビ列車を追っていましたが、他にも面白いものがあることを再認識しました。
▲新営糖廠のディーゼルカー勝利号

続きを読む

5月の台湾(5月4日)その2

2日目は藍皮解憂号の乗車です。
コロナ真っ只中の2020年、南廻り線の電化完成により同線で残っていた3671、3672次普快列車の運行停止で旧型の客車も終わりかと思われましたが、一日一往復の観光列車、藍皮解憂号として運行が継続されています。これは乗る値打ちがあります。藍色の重連ディーゼル機関車と旧型客車5連、撮るだけで十分と思いましたが、固定窓の車両や通勤電車とは違います。乗ってよかったと思いました。残してくれていて有難う、と言いたいです。
▲台東行きの藍皮解憂号を金崙大橋の上から撮ります。

続きを読む

5月の台湾(5月3日)その1

莒光666次を始発潮州から終点台東まで12時間乗り通します。週末の金曜日のみ運行されている座席夜行ですが、貴重な定期運行です。近いうちに動力集中式の電車E1000型(広義には前後に機関車が付いた客車か)運用に変わるとの報もあります。台湾を九州になぞらえると、例えばですが、鹿児島の東、国分か隼人から鹿児島、熊本、博多、大分を経て宮崎に行くような列車です。潮州から台東までは南廻り線の自強号(特急)に乗れば、遅くとも2時間かかりません。国分か隼人から宮崎まで特急きりしまに乗ってもそんなものでしょう。それをわざわざ遠回りする莒光号に乗るのも我ながら物好きと思います。わざわざというか全線乗り通す客は想定しておらず、高雄など南部の都市から台北など北部の都市に夜遅くに到達するのと、夜行列車として台東をめざすのは同じ列車でも異なる使命を併せ持っていると言えましょう。さて莒光号の客車は、リクライニングシートもよく倒れ、快適な乗り心地なのですが、空調を効かせ過ぎで寒すぎます。そんな時に限って車掌がつかまらない。他の人も申し立てないのか、言ってもどうすることもできないのか、着込んで耐えている人が多かったように見えました。かつての客車急行のように長時間停車もありません。莒光666次は、潮州を17時35分に出発、高雄18時18分、台南19時、嘉義19時50分、彰化20時57分、台中21時15分、新竹22時35分、台北23時55分、宜蘭1時47分、花蓮3時5分、玉里4時37分、終着台東には5時48分に着きました。

▲始発、潮州駅で出発を待つ莒光666次 続きを読む

駅名喫茶店(第106回:神戸市営地下鉄の駅名)

神戸市営地下鉄には、西神・山手線(通称名)、北神線、海岸線の3路線があります。

京都市営地下鉄線、大阪メトロ線、神戸市営地下鉄線を完乗しましたので、次は名古屋市営地下鉄でも乗りに行きましょうか。

続きを読む

 札幌の路面ディーゼル車 ~路面電車あれこれ噺⑯

今回は。昨2023年5月に亡くなられた吉田耕司さんのネガから、札幌市で走っていた路面ディーゼル車を見ていただきます。吉田さんは、DRFC現役時代には、各地を旅行され多くの鉄道写真を残されました。このたび、ご遺族から米手さん経由でネガをお預かりしデータ化しました。なかでも昭和40年に北海道へ行かれた際に、札幌市交通局の鉄北線を走っていたディーゼル車を撮られていて、その一部は現在発売の「鉄道ピクトリアル」6月号「札幌都市圏の鉄道輸送」にも、ご遺族の了解を得て掲載することができました。日本では唯一の路面ディーゼル車を今回は見ていきます。札幌市の北部を走る鉄北線は、順次延長されて、昭和34年に北二十七条、昭和38年に麻生町、そして昭和39年に新琴似駅前まで延長された。北二十七条以北は、人家もまばらで、コスト節減のため非電化で開業した。すでに昭和33年から路面ディーゼル車の製造・増備が進められており、鉄北線延長後は同線に集中して使用された。

続きを読む

愛知県の気になる乗り物

少し前の話となりますが、青春18きっぷを使って愛知県の気になる乗り物に乗ってきました。
東海交通事業城北線、リニモ、ガイドレールバスの3か所です。このうちガイドレールバスは鉄道の範疇に入るのかと気になったのであえて気になる鉄道ではなく、気になる乗り物とした次第です。
最初に訪れたのは東海交通事業城北線です。名古屋の隣の枇杷島から中央線の勝川に行く全長11.2kmの路線です。名古屋という大都会を走るのに愛知県唯一の非電化路線です。開業は1991年と新しく、当初は瀬戸までの計画路線でしたが、勝川以遠はその後工事は凍結されたままになっています。
↑ 枇杷島駅:名古屋方面と線路はつながっていますが直通列車はありません。地平の駅を出ると東海道線を越えて高架となります。
続きを読む

大相撲夏場所が始まりました。

過日の日経新聞に相撲列車という記事が載っていました。車輛については書かれていませんが、裸の力士が通路に座っているというのと、やはり二人席を一人で使っている画像が面白く転載してみました。室内妻面の色から車輛は185系と思いますが、客車時代の団臨相撲列車は楽しい混成の編成が組まれていたんでしょうね。

 

駅名喫茶店(第105回:「住吉」)

「住吉」という地名・駅名をよく目にします。どことは言いませんが、私が昔住んでいた場所も住吉でした。「住むのが吉」、縁起がいいですね。

続きを読む

 50年前の広島電鉄市内線 ~路面電車あれこれ噺⑮

広島電鉄市内線では、広島駅と直結する駅前大橋線の新設工事が最終盤を迎えています。デジ青でも、西村さんからの現地レポートがあり、ネットニュースでも進捗状況を確認しています。新しくできる広島駅ビルの2階まで高架で乗り入れ、改札口を出たら、すぐ市内電車に乗れる、本当に楽しみです。その開業まであと一年となりました。

さて、私が初めて広島を訪れたのは、昭和30年代の後半でした。被爆直後にできたコンクリートの固まりのような小さい駅舎を出て、市内線に乗って原爆ドームへ行きました。まだ単車が走っていたことは覚えていて、駅前の闇市のような商店街とともに、失礼ながら、発展から取り残された田舎都市の印象を受けました。その後も呉線の蒸機撮影で何度も広島に下車していますが、路面電車は撮影の対象ではなく、やっと写したのが昭和49(1974)年のことでした。ちょうど50年前のことになります。その後、広島へ来ることになる1900形は、まだ京都市内を縦横に走って活躍していた時代で、広島は、戦前、戦後の自社製造車や、大阪・神戸から来た電車で占められていて、“軽快電車”と呼ばれた新型車両のデビューもまだでした。では50年前、広島市内で見られた電車たちを見て行きます(以下すべて昭和49年9月)。

50年前の広島駅前で発車を待つ市内線、右の504号500形は、昭和28年の自社発注車、501~505があった。京都市電800形と酷似の広電800形を継承したスタイルで、こちらも京都市電に通じるところがある。左の766号750形は、もと大阪市電1600形などで、いずれものちに廃車されている。

続きを読む

 名鉄岐阜市内線 “長良線”  ~路面電車あれこれ噺⑭

準特急さんの「お城と鉄道」特集号に多くの応援コメントが入りました。皆さんの関心の高さを思いましたが、なかでも、西村さんや紫の1863さんから名鉄岐阜市内線のレポートがありました。金華山の岐阜城から市内線を超俯瞰した写真もあって興味深く拝見しました。岐阜市内および近郊へは多くの路面電車が走っていましたが、市内中心部で最初の廃止が、この岐阜市内線の徹明町~長良北町、通称“長良線”でした。廃止は1988(昭和63)年6月で、ことしで36年目になります。私も一度だけ、短時間でしたが撮ったことがありました。 岐阜の繁華街である柳ヶ瀬から、写真の岐阜城のある金華山のふもとを通り、長良川を渡って岐阜市北部を結んでいたのが“長良線”、城下町・岐阜の歴史ある町並が続いていた(昭和50年12月)。公園前

続きを読む

 5月の晴れ間に 日常+αを記録する ①

阪堺電車、大阪メトロ、南海を記録する

5月に入って連休期間中、いい天気が続いています。連休の人出とは、関わりを持たないようにしている高齢者ですが、新緑と青空を見ると、ついカメラを持って外へ出たくなります。デジ青投稿最高齢を誇る準特急さんも、散歩がてら近くを徘徊するとコメントに寄せられています。準最高齢の私も、これに刺激を受けて、昨3日(金)は大阪へ出掛けました。大仰なタイトルとなりましたが、要は、準特急さんのように、日常の鉄道をこまめに記録しておくこと、さらに自分なりの撮影スタイルもプラスすることが大事と感じた一日でした。皆さんからも、日常の鉄道、ぜひ投稿お願いします。最初はコレ、阪堺では連休期間中、旧型車モ161を連日運転するとリリースされていた。午前中に、我孫子道~浜寺~天王寺駅前を2往復するもので、あべのハルカス狙いで行ったが、間に合わず、途中の併用軌道区間となったが、クルマにも被られず、赤電カラーの162号を、まず一枚。

続きを読む

2箇所で撮った名鉄モ750形

「お城と鉄道」では思わぬところで岐阜金華山の岐阜城が紫の1863さんや西村雅幸さんから市内線の電車とともに紹介があり、さらに話が谷汲線まで飛んで嬉しい限りである。岐阜市内、揖斐線、谷汲線で活躍したも510形とともに最後まで残っていたモ750形についてもその前に活躍していた瀬戸線のそれも同番号で紹介するが尾張や美濃を75年間も走り去った老優であった。

モ750形は1927(昭和2)年、旧名古屋鉄道デセホ750形として10両製造された。本線昇圧後広見線系統、その後瀬戸線に移り活躍した。そして瀬戸線昇圧で揖斐、谷汲線に転属し2001年9月30日両線の廃止とともに廃車となった。モ755は旧谷汲駅舎とともに保存されている。

 

1972.9.11 瀬戸線尾張旭₋三郷間 準急瀬戸行きモ755+ク2222 後のガソリンカー改造と思われるクハが気になる。▼

続きを読む