“天神さん”前の市バス
かつてのN電こと市電北野線の終点だった「北野」、そのN電が廃止されて、代替バスの50号系統が北野まで走り始めたのが昭和36(1961)年8月1日ですから、今年でちょうど60年になります。当初、50号系統のルートは、N電と全く同じでした。堀川通から中立売通に入って、千本通も渡って西進し、北野車庫のあった下ノ森で右に折れて、終点の北野に到達していました。
▲終点の「北野」に到着して折り返す50号系統。バスは、一の鳥居前にある広場でUターンし、時間調整のあと京都駅前方面行きの北野バス停に向かって行った。バスは「京2い・259」で、昭和40年製いすゞBR20、ボディは西日本車体(NSK)で、カマボコ型のさらに一世代前のスタイルで、バスを写し始めた頃にたくさん走っていた懐かしいスタイルだった。なお撮影直後の昭和51年4月から、千本今出川経由のループ状の運転となり、鳥居の前で折り返す光景は見られなくなった(以下、昭和51年)。



本日、常磐線でE493系の試運転があるという情報をいただき、車で30分ほどの常磐線牛久~竜ケ崎市に行ってきました。JR東日本の機関車を置き換えるため登場した事業用車のE493系が死重のEF8198をけん引して、水戸まで往復したようです。機関車を置き換えるため登場した車両が機関車をけん引する姿は滑稽でもありました。それにしても顔は201系そっくりです。


















固定クロスシートといえば、113系や115系、キハ40系の直角シートが思い浮かぶだろう。その源流を辿れば戦前からのオハ35などの客車があり、今日、それらの客車は保存車や観光用に運行されているものだけになってしまったが、固定クロスシート車は今日なお、通勤電車から第3セクター鉄道のディーゼルカーまで多士済々、さまざまな種類のものが活躍している。その全てに乗ったわけではないし、紹介することは不可能であるが、現在運行されているもののうち、いくつかを車内に拘って紹介してみたい。(写真は大井川鉄道に残るオハ3522)