筑豊地区の機関区巡りを終えて、鹿児島本線を南下していくと、まず鳥栖に着きます。長崎本線を分岐するジャンクションであり、蒸機時代には、駅の南東側に鳥栖機関区がありました。とにかく規模の大きな機関区で、驚いたのは、転車台+ラウンドハウスが2組あり、ラウンドハウスも半周分はある規模の大きなものでした。ただ、初めて行った昭和42年には、鹿児島本線は熊本まで電化していて、長崎本線は非電化ながらも、少し前まで走っていたC60の牽く寝台特急「さくら」「あかつき」はDD51に置き換わっていて、定期の特急・急行はすべてDD51で、わずかに不定期・臨時列車に、C60の牽引の活路が残されているだけでした。ただ、普通列車は早岐区C57、貨物はD51、ほかにも、筑豊本線、久大本線から通しで蒸機が来るなど、以前のような幹線の大型蒸機の活躍は見られなかったものの、まだまだ活気のある風景が展開されていました(以下すべて昭和42年3月)。
▲鹿児島本線から長崎本線が分岐するY字形の間に、建築現場のプレハブ小屋があった。中を覗いても誰も居ず、勝手に外階段を上がって二階へ行くと、長崎本線がゆるくカーブして俯瞰できる。背景は家が建て込んでいるが、ちょうど順光で撮れる。まだC60で残っていた優等列車は、この時期、不定期・臨時急行だけで、ちょうど長崎行きの「第二玄海」がC60 38に牽かれて鳥栖を発車して行った。





































