Summer Memories 2020 《8月同日》 あの頃あの鉄道 ⑰

2005年8月26日ほか コンデジひとつで大阪の私鉄ターミナルをまわる

この年はまだサラリーマン時代、出版社の鉄道本の企画で、関西の私鉄のターミナル駅の本を出すことになり、連日、撮影に行っていました。実際に撮影したのは、先ごろ、急逝したSさんで、私は、編集者としての付き添いでした。一個人の場合、安全に配慮し乗客として立ち入りができる駅用地での撮影は、とくに規制されることはありませんが、商業出版物に掲載する撮影は、各社とも規制の網が掛けられて、さらに法外(?)な料金まで請求する社(あえて名を秘す)もあって、低予算の出版では大変な苦労を伴いました。毎日のようにして見慣れた駅の光景を、どのように出版物の口絵として纏めていくかも苦労した点です。まだ画素数も少ない、初期のコンデジでの補助的な撮影でしたが、見慣れた光景ほど、今となっては貴重な思い出となりました。

旧の梅田駅の改札前にあった、シャンデリアのあるアーチの大天井、昭和6年に建てられた阪急ビルの第一・二期ビルに設けられた。この年、阪急ビルの建て替え工事で姿を消した。▲▲改札口跡の上部もアーチになっていた。当時は、毎日のように、ここをくぐって電車に乗り、印象が残っているが、駅の改札口があったことを覚えているのは、われわれ70歳以上の世代になってしまった。

この時期、茶屋町エリアはすっかり再開発されていたが、梅田駅に沿って、一棟だけ古くさいビルが残っていて、通路が外側にあって、撮影に好都合、阪急の所有物件で広報に許可をもらって撮影した。京都線特急はまだ6300系、左手の阪急デパートの高層ビルもまだ。高架下のかっぱ横丁も今とはだいぶ様相が違う。阪神梅田駅へ寄ると、「開業100周年」の大きな横断幕があって撮影しておく。最近は、告知が電車のヘッドマークで行われることも多く、これには関心が行くが、駅での表示は、案外記録として残っていない。

続いて南海難波駅へ。ここも南海所有のビルからの撮影が広報から許可されて、俯瞰撮影ができた。なんばパークスは、第一期ができて、二期工事に掛かるところだった。▲▲南を向くと新今宮方面へ高架が続く。すぐ近くに鉄道書を多く扱っていた古書店があって、店主のおばちゃんが、鉄道の歴史にやけに詳しいだけでなく、鉄道書の著者の評価までするほどの大家で、仕事の途中に寄って、高説を聞かせてもらったのも思い出だ。南海の汐見橋駅へ。高野鉄道の大阪方ターミナルだが、すでに存在理由の見当たらない駅になっていた。改札口の上には古色感あふれる地図があったが、今は取り外されている。それ以外は今も変わらない。▲▲いまは一編成が汐見橋~岸里玉出を往復しているが、当時は2編成運用の時間帯があり、もう一編成が留め置かれていた。最後は天王寺駅へ。もちろんJRの駅だが、高架部は、国鉄天王寺駅に併設された阪和電鉄の天王寺駅だから、本書の趣旨に含まれる。その高架ホームに入線する阪和線の103系。普通はもちろん、快速系統にも103系が入っていた。

当時のJR西日本の盛夏用の制服も記録しておく。“制服”と言うと、ヘンな趣味に見られるが、これも立派な鉄道の記録だと思っている。とくにJR後の各社の制服の違いを見つけるのも楽しい。なかでも、1995年からの二代目の制服の盛夏用(とくに女子用)は、ほかの社でも見られないセンスのある制服だ。2007年まで使われて、三代目の制服に移行している。

 Summer Memories 2020 《8月同日》 あの頃あの鉄道 ⑰」への2件のフィードバック

  1. 総本家青信号特派員様
     旧阪急梅田駅のシャンデリアや壁面は本当に懐かしいですね。
     阪急百貨店13階「シャンデリア・テーブル」というレストランに4面が移設されています。行ったこと無いけど!?
     汐見橋の壁面地図は今は無いのですか?残念ですね。見ておいて良かったと思います。
     時と共に移ろいますね!

    • マルーン様
      コメント、ありがとうございます。壁面は、どかに保存されていることは聞いていましたが、百貨店のレストランに保存されているのですか。見慣れた風景ほど“つい最近”と思ってしまいますが、これらの写真は、もう15年前の写真です。私も50歳代の半ば、まだまだ働き盛りでした。些細なもの、見慣れたものにも、カメラを向ける必要性を痛感しています。

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