第2日目 8月28日(火) その4
▲ 11:45 浦上車庫で見たい全車両は見る事はできませんでしたので次回のリベンジに回してまて路線図左側の繁華街方向に行くことにしました。下車したのはJRとの乗換駅の浦上駅前です。到着したのは1966年(昭和41年)アルナ車両製の500形503号です。
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第2日目 8月28日(火) その4
▲ 11:45 浦上車庫で見たい全車両は見る事はできませんでしたので次回のリベンジに回してまて路線図左側の繁華街方向に行くことにしました。下車したのはJRとの乗換駅の浦上駅前です。到着したのは1966年(昭和41年)アルナ車両製の500形503号です。
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コンデジ1台を持っての気軽なロケハン移動ですが、暑さが厳しくなってきました。熱中症にならないようにできるだけ木陰を探しながら撮り鉄ですが我慢できなくなったら空調の効いた市電に乗って移動することにしました。今回は千歳町から浦上車庫へのレポートです。
第2日目 8月28日(火) その3
▲ 10:58 千歳町に向かう3系統の蛍茶屋行きの1953年(昭和28年)日立製の300形304号です。
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安倍総理から関空の第2ターミナルからの国内線再開が6日中に確定されると発表なりましたが7日朝ではまだ1部のフライトだけです。石垣島から帰るジュニア夫婦もピーチのフライトが休止のためにJTA(日本トランスオーシャン航空)の那覇経由名古屋便に変更したそうです。
私の次回の旅の台湾行きのフライトも再開されるのかどうかまだピーチからの発表がありません。ぬか喜びだったのかと不安がつのります。
と、投稿原稿を書いていましたら8日夕刻ピーチのHPが更新されて9日から関空~高雄フライトが確定されました。本当に飛ぶのか疑心暗鬼でしたが今日9日確かに発着が行われました。これで安心と思っていますが明日の関空へのルートはJR関空快速でりんくうタウンまで行ってリムジンバスで第2ターミナルへ向かいます。十分に余裕を持って出た方が良いよと、石垣島からの帰途途中で飛行機が遅れ名古屋泊まりを余儀なくされたジュニアーからの忠告が入りました。
【長崎市電】
1915年(大正4年)11月16日、病院下(現;大学病院前)~ 築町(現;新地中華街)3.667㎞が開業、以降第2期、第3期と延伸されて1921年大正10年4月30日までに主要路線が出来上がっています。
1933年(昭和8年)大橋まで延伸、1934年(昭和9年)蛍茶屋まで延伸、1950年(昭和25年)大橋~住吉まで延伸、1960年(昭和35年)住吉~赤迫、1968年(昭和43年)には思案橋~正覚寺(現;崇福寺)で延伸が完成して現在の路線網11.5㎞となっています。
1984年(昭和59年)6月1日から続いた均一運賃100円は日本一安い路面電車と話題になり賞賛されていましたが相次ぐ消費税アップ、またバリアフリー化等の利用者へのサービス向上のために2009年(平成21年)10月1日より120円に改定されました。
台風一過の翌日を迎えました。テレビで被害状況を見ながら情報収集をしていますが関空の被害は想像を絶しています。取り残された利用客は5日朝から連絡橋の片側路線を使ってリムジンバスでりんくうタウン側に運ばれています。また神戸空港へ輸送する高速船「神戸-関空ベイ・シャトル」の臨時便で神戸空港島に順次運ばれているそうですが未だに全員を輸送できず終日続く様子です。
心配するのは5日後の9月10日にクモハ73106さん、不銹鋼號さん、大津の86さんたちと台湾への撮影旅行を予定しているからです。東京からは飛行機は飛ぶでしょうが関空からのフライトの大津の86さんと私は関空が機能しない限り動けません。予約していますホテルもキャンセル不可の期間に入っていますので行けないとなると被害甚大です。復旧への目途がいつ分かるのか出発日まで不安な日々が続きます。
第1日目 8月27日(月)
① 長岡京 14:35(快速) ⇒15:01 新大阪 15:08(さくら561号) ⇒17:41 博多
② 博多 17:55(かもめ35号)⇒19:25 長崎
14:10 眼科での診察治療を終えて最寄りの長岡京駅に向かいます。様々の時間帯での接続列車を調べておきましたので、19:25には長崎に到着出来ます。窓口でジパング倶楽部会員証を出して3割引きできっぷの購入です。運賃・料金合わせて12,290円です。ただ、恥ずかしながら山陽新幹線からJR九州特急に乗り継ぐ場合は乗り継ぎ割引が効かないのは分っていませんでした。当初の予定だと阪九フェリー(5,180円)利用だったので余分な出費が出ました。
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今年は台風の多い年です。今日も台風21号襲来でJR西日本は京阪神地区の列車は8時以降順次運行を取り止めるとの発表がありました。各私鉄もほぼ同様な対応になるようです。今は青空も見えていつもと同じ状況ですが、今年最大で25年ぶりの最強台風だそうでどうなるかとても心配です。
と、朝に投稿原稿を作成しながら思っていましたら午後2時を過ぎた頃から突然に風雨が強くなりました。今まで経験したことがない激しさです。外を見ると木々は折れていきトタン屋根が木の葉のように舞って飛んでいます。約3時間近く続き、後は嘘のように静かになりました。テレビを見ているとあちこちで車が飛ばされてぶつかっています。また関空の連絡橋にタンカーが激突して橋がずれて、関空は孤島となって利用客3,000人と従業員2,000人の合わせて5,000人の方々が取り残されています。明日以降に無事な連絡橋の片側路線を使って脱出させるようですが停電で空調も止まっているターミナル内で一晩過ごすのは地獄でしょうね。体調を崩されないように、お見舞い申し上げます。
米 原稿は9月4日に作成しております、
台風で迷惑を受けたのは私も一緒で21号前の20号で大変でした。ご報告をさせていただきます。
【 台風20号に翻弄させられた旅立ち 】
8月7日に青春18きっぷを購入して候補にしていた訪問地の選択に入りました。結果、混み合うお盆が終わった頃に出かけようと決めました。目的地は今まで3回は参りましたが鉄ちゃん活動はしていなかった長崎市電と筑豊電鉄の撮影です。
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第6日目 7月3日
久しぶりの台湾一人旅も今日が最終日です。台北桃園空港へ向かうだけの行程で鉄ちゃん撮影は予定していません。予定している列車はゆっくりの7時過ぎですが朝5時には目覚めました。
5:30 朝の散歩に出かけました。民宿を出てすぐに美食广場があります。昨夜のぞいた時はたくさんの食堂が開店中でにぎわっていました。こんなに早くは空いていないだろうと見に行くと1軒だけ営業していました。うどん屋さんです。朝食にはちょうど良いかなと注文して美味しくいただきました。
◀ 民宿への入り口です。昨日は屋台のおばさんに聞かないと分かりませんでした。
▲ 6:38 チェックアウトと言っても部屋の鍵を所定の箱に入れるだけです。正面に見えるのが瑞芳站です。約200m、徒歩5分の近さです。 続きを読む
第5日目 7月2日 その2
③ 亀山 12:25(區間車)⇒13:22 瑞芳
重い荷物は公園の上まで持ってあげる事が出来ず、茂みに隠してメモを置いてから上に上がりました。盗られずホッとしましたが、亀山站への戻りは暑さが往路以上で地獄でした。預け荷物を断られたコンビニにたどり着き冷たく冷やしたビールを飲んだ時は生き返るような感動でした。
亀山からは区間車に乗って移動ですが、電車が来る時刻になっても改札口を開けてくれません。駅舎の窓口から大声を出すとびっくりしたように先ほどの駅員が出てきました。客など来ないと休んでいたんでしょうね。
改札口を入ると区間車が入線してきました。先ほどと同様で後続の優等列車の追い越され待ちをするようです。
程よく冷房の効いたガラガラの車内に入りホッと一息です。区間車乗車は約1時間ほどで瑞芳に着きました。降りてから駅前の民宿に行き荷物を置こうとしましたがまだ従業員の休み時間でダメです。
仕方なく30TWD(約109円)を支払って站に預けてます。今度は平渓線に乗って十份へ向かいます。
第5日目 7月2日 その1
4:50 昨夜は20時にはベットに入っていました。疲れが出たのか爆睡で今日は明るくなってきたら目が覚めていました。近くにコンビニがありますのでサンドイッチとコーヒーの買い出しです。
▲ 4:58 夜明けを迎えたばかりの花蓮駅です。この駅も未来派的站にリニューアル中です。次に来る時には完成しているのでしょうね。楽しみです。
◀ 丸印をした場所が民宿の入り口です。ドアだけで分からないのが普通です。
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第4日目 7月1日
6:00 久しぶりに身体快調の朝を迎えました。この民宿には朝食の用意はありませんので朝の散歩がてらに宿泊者に用意されている自転車に乗って台東站へ向かいました。サンドイッチとコーヒーを買って駅前のベンチで朝食です。
朝食後、民宿へ戻る道を間違えました。途中で戻れるだろうと進んでいると車庫の向こうに青いディーゼルカーが見えたので引き寄せられるように近づきました。
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第3日目 6月30日
今日の撮影列車は08:30に新左營発とデカンショまつり号さんから聞いていましたがその後の列車ダイヤは不明です。今朝も体調すぐれず、撮りに出たいが無理は禁物と、部屋でゆっくりしてから出ることにしました。
身体が落ち着いて部屋を出たのは9時を回っていました。今から追っかけをして間に合うのは鉄道工場付近です。MTRで高雄站まで行きタクシーに乗って鉄道工場近くの踏切へと向かいました。
若い台湾人鉄ちゃんのカップルがおられましたので「冷気平快は今どこにいますか?」聞いてみますと奥の方に待機中ですと教えてもらえました。「近くまで行くことはできますか?」と問いますと、付いてくるように言われましたので一緒に向かいました。ところが見える位置まで来た所で後方から声が聞こえました。踏切から先は入場禁止だったようです。
▲ 10:04 鉄道工場前の踏切から見た冷気平快の編成です。イベント参加者はどこかで降りて鉄道工場見学中のようです。冷気平快のダイヤをお聞きしますと教えていただきました。
鉄道工場 11:50発⇒12:15 高雄 12:42⇒13:13 西勢 13:28⇒13:33 竹田 13:53⇒13:57 潮州 14:02⇒14:10 南洲15:02発です。 続きを読む
第2日目 6月29日
昨夜は部屋に戻ってからバスタブに浸かって、午後9時ごろには寝ました。
爆睡で朝6時には目覚めましたが身体がだるく、調子が良くありません。出発するまでハードな日が続いて疲労が溜まっていたようです。幸いにして冷気平快が走るのは明日で今日は予備日にしてありました。朝食後は朝寝で休養を取ることにしました。
昼からは、パソコンを持ち込んでいましたので部屋で出版社から頼まれています原稿の作成校正に励みました。
17:00 1日中部屋にいるのも身体に良くないだろうと出かけることにしました。先ず高雄站の案内所に行って明日の冷気平快列車のダイヤを聞きました。簡単に分るだろうと思っていましたが知っておられません。企画をしている会社も調べてもらったのですが電話番号の記載がどこにもなく直接聞けません。台湾鉄ちゃんのWebサイトにはあるだろうと調べてはもらったのですが見つける事はできませんでした。
明日、撮影現場で台湾人鉄ちゃんに聞けば分かるだろうと站での調査は諦めて昨日中途半端になった高雄トラムの撮影に向かいました。
▲ 18:56 MTRを乗り継いで、夕暮れの哈瑪星站に到着。これから徒歩で海べりの路線を南下します。 続きを読む
第1日目 6月28日 その2
高雄站でMTRを降りてからタクシー(約2㌔)に乗り換えて臨港線の撮影地へ向かいました。実は前回に撮影を試みましたが近くの屋台で美味しいものを食べていて間に列車をキャッチ出来なかったポイントです。十分に待ち時間がありながら油断したために撮り逃がした失敗のリベンジがありました。
しかし撮影地に到着したのは15:15、確か前回取り損ねた時間は15:00でした。残念ながらもう通過したと思えますと、思っていましたら近くにおられた台湾人鉄ちゃんから来るのは16時だよと言われました。
前回の記録が間違っていたのか。私の記憶違いなのか分かりませんが彼の言っていることが最新情報なら待てば撮れます。日台の鉄道情報を話し合いながら待ちました。
▲ 16:02 彼の言っていた通り1両の客車を牽引して職員輸送の列車回送がやって来ました。高層ビルをバックに本線から分岐して臨港線に入ってきました。ようやくリベンジを果たせられました。
撮影地 Google座標;22.637022, 120.319043
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帰国の便は台風が九州へ近づいているそうで搭乗前から今日は揺れますよとのアナウンスの通りでした。機内食の配膳も遅れ、まだ食べている最中に終わったものは引き上げられたのは初めての経験でした。
帰宅後は大雨の襲来です。桂川が氾濫危機に近づいたとかで避難勧告が発せられてサイレンまでなりました。と、言っても我が家付近は何ともなくテレビで各地の被害を見るだけで済みましたが、各地ではかってない水害が発生しています。被害を受けられた方々がいつもの暮らしに戻られることを心よりお祈り申し上げます。
最近は頻繁に海外に行く機会がなくストレスがたまっておりましたらデカンショまつり号さんより6/29~7/2に訪台予定です。30日に高雄臨港線に入る冷気平快と1日のCT273(C57)の臨時列車が走るのを撮りに行きたいとLINEです。いつもは中々踏ん切りがつかない私ですが今回は食いつき、すぐに航空券の手配購入をしてしまいました。デカンショまつり号さんから帰りの航空券が取れない。また身内で急な事が起こり取れても行けない可能性が大きくなったと連絡が入り、単独での訪台を決行するかどうかの思案になりました。
私も某出版社から台湾の撮影地ガイドを出版するからと記事依頼がありました。しかし了承はしたものの初体験とあって段取りが掴めずはかどっていませんでした。本来ならこちらの方に全力を向けるべきなのですが性格がら追い込まれないと集中力が出てきません。台湾で調べたい事もあるので気分転換を兼ねてエイヤーで訪台する事を決めました。
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第9日目 3月3日 その2
▲ 7:46 遅延なくスムーズに走行して通町筋に到着です。対向車は熊本市電の最新鋭2014年製の超低床連接車、愛称は「COCORO(こころ)」。水戸岡鋭治氏デザインの新潟トランシス製3編成目の0800形803です。
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第9日目 3月3日 その1
今日で台湾の高雄から始まった今回の旅も終わりです。帰路は空路ではなく初めて乗車する九州新幹線にしましたがジパング倶楽部利用ですので「みずほ」には乗れず「さくら」になります。指定席にすると2+2のシート配置でグリーン車気分でゆったり乗車できますのでこれにしました。今日は、夕刻まで熊本市電撮影に励みます。
朝早くに起き上がりました。熊本市電の殆どは併用軌道を走りますので早朝は自動車も少ない最も適した時間です。今朝の熊本の日の出時間は6時43分、夜明けの街に出ました。
▲ 6:28 夜明けと言ってもまだ少し明るくなった程度で、街路灯が輝いていました。ホテル直ぐの電停の「慶徳校前」を発車する田崎橋行き始発電車の8200形8202です。手持ちで発車したばかりを撮りましたが、よく写るカメラです。最高感度はISO51200ですので余裕のISO5000です。拡大しても粒子の荒れはなく、画質は安心してシャッターを切れるようになりました。
【DATA】NikonD500 ズーム36㎜ F4.2 1/125秒 ISO5000 露出補正-0.3段
16:01 熊本到着です。まずは宿泊するアパホテルへチェックインのため熊本駅前からA系統の市電に乗車して向かいました。下車駅は1駅先の辛島町にしました。
1日乗車券は車内で買い求めましたが鹿児島より100円安い500円です。
熊本は学生時代に高森線訪問の際に立ち寄りましたが市電は見向きもしませんでした。勤務時代も立ち寄ってはいますが市電に接する機会はありませんでした。最近では2000年にSL人吉撮影のため市内をぶんしゅう7号で走りましたが撮影することはなかったので初めての訪問と言ってよいと思います。
改めて熊本市電の歴史を見ていきますと路面軌道では珍しい蒸気機関車が走っていたという記載があり引きつけられました。ヨーロッパの各都市では路面電車が走る前は蒸気機関車が客車を牽引していた例が多いのですが、日本でも松山の坊ちゃん列車以外にもあったのかと驚きながら調べてみました。
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第8日目 3月2日 その1
今日は51年ぶりに肥薩線に乗って大畑に向かいます。前回は、まだ大学に入って1回生の夏のDRFCの狂化合宿でした。合宿は2カ所が設定されていて最初は宮原線麻生釣で無人駅そばでテントを張りました。次が大畑でここも駅近くでテントを張ったと思いますが、当時はカメラを持っていなく乗り鉄旅だったので記憶はあるが記録はありません。
7:24 今朝も朝食はチェックアウト後に外で済ませました。列車の時間までは結構ありますので天文館通電停付近で未撮影の車両は来ないかと、待っての市電の撮影です。
▲ 直ぐに来たのは未撮影の600形603です。これは幸先が良いと喜びましたが、この後は撮影済み市電ばかりでした。
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郡元からは谷山行きに乗って南鹿児島駅前を目指しました。JRとの乗換駅でもありますので乗降客が多いだろうと思ったからです。
11:47 JRとの乗換駅の南鹿児島駅前に到着です。向かい側のホームは20人近くの乗客がお待ちでした。路面電車のお客としては多い方です。1日平均乗降者数はJR2,575人、市電は1,326人です。