子連れで台湾 Part2 溪湖糖敞

1988年度生のこぱんだの保護者です。
娘を連れての台湾旅行続きです。

2日目:3月25日(日)

まずは、自強号で員林へ…と思ったら、こんな電車がやってきました。

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子連れで台湾 Part1 ラピートから台中まで

お久しぶりです。1988年度生の「子パンダの保護者」こと山本晃司です。
先日、3泊4日で台湾まで娘と2人で出かけてきました。
乗り鉄中心ですので、諸先輩方とは少し視点が違いますが、ご笑覧くだされば幸いでございます。

1日目:3月24日(土)

まずは、難波から「ラピート」です。

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暖かい大地への旅 Part6 高雄で在来線を撮る

第4日目 2月26日

6:30 撮影地 鼓山~高雄 Google座標; 22.637894, 120.285072
今日は朝食前に高雄へと向かう職員列車を撮ろうと朝食前に愛河鉄橋の袂へとTaxi乗車組と自転車乗車組に分かれて向かいました。

▲ 7:30 愛河を渡っていくR23号機牽引の職員列車はわずか1両の客車でした。
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暖かい大地への旅 Part5 台湾のD51(DT668)を撮る

第3日目 2月25日

今日はようやく台湾のD51(DT668号機)撮影の日です。
6:30  メンバー8名は、ホテルで予約した2台のTaxiに分乗して撮影地へと向かいます。▲ 7:09 撮影地 香蘭~瀧溪 Google座標; 2.571572, 120.983801
昨日ロケハンした所より良いかもとやって来ました。昨年、赤沢森林鉄道バンコクでご一緒したトラベルライター白川淳さんも来られていましたが、しばらくして工事中のこの場所に監視員が来て工事に支障が出ると撮影禁止を告げられました。
仕方なく昨日の場所へと戻らざるをえなくなりました。 続きを読む

熊延鉄道跡を訪ねて

久々に投稿します。昨日3月17日、熊本市内から阿蘇方面へ車で移動する際、ふと熊延鉄道のことを思い出し友人の案内で数か所の遺跡を訪ねました。熊延鉄道は戦前、熊本から宮崎県延岡を目指して建設、春竹(現JR南熊本駅)から熊本県砥用(現在の下益城郡美里町)まで開業しましたが1964年昭和39年に廃止となりました。

最初は佐俣(さほ)~釈迦院間の橋台。位置32.6214771,130.8287495
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暖かい大地への旅 Part4 南迴線のロケハン

撮影日;2017年6月11日、蓮の花畑を走るD51(DT668号機)

第1日目 2月24日

今日はクモハ73106東ウラさんたちと一緒に明日走るD51の列車のロケハンを行います。お薦めの南迴線の撮影ポイントはクモハ73106東ウラさんが熟知されていますので、数あるロケ地候補からどこを選ぶか、また新たな好撮影地がないかを探します。
宿泊は台東のホテルです。明後日は高雄に戻りますので荷物はクロークに預けて、リックサック1つで向かうことにしました。

皆さんホテルが違っていますので集合は7:33に高雄を発車する区間車の先頭車車内です。早めに朝食を撮った後、高雄站に向かいました。
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暖かい大地への旅 Part3 高雄のトラムの乗り鉄旅

第1日目 2月23日 その2

ホテルでチェックインした後はさっそく街に出ました。前回、昨年6月訪台の時には少し見てみました高雄のトラムをしっかり見てみたいと思っていました。高雄空港でいただいたパンフレットを見ながらまだ6月以降「高雄展覽館」から先の延伸はないのだなあと、高雄MTRに乗ってトラムとの乗換駅の紅線「凱旋」で降りました。
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 このまま廃止? 不通の続く根室本線 東鹿越を訪ねる

北海道へ行って、もうひとつ気になる区間がありました。平成28年8月の台風10号で被害を受け、不通が続いている根室本線東鹿越~新得です。一年半に渡って列車の運転を見合わせて、バス代行が続いています。この区間を含む根室本線富良野~新得は、JR北海道の「維持が困難な区間」に挙げられており、廃止を前提とした地元協議を行なう矢先のことで、行く末が案じられています。また、12月には、列車代行バスのルートが変更され、乗車料金を収受する代行バスでありながら、リゾートホテルの無料送迎バスも兼ねると言う興味深い運行が行われています。
富良野から乗って根室本線下り方5駅目の東鹿越、ここから新得まで不通区間が始まる。周囲に人家はなく乗降ゼロに近く、私もこの駅の存在は知らなかった。もともと2017年に廃止予定の駅だったが、列車・代行バスの接続駅として、皮肉にも生き延びることになった。

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暖かい大地への旅 Part2 トホホ後の旅立ち 高雄へ

第1日目 2月23日 その1

① 長岡京 7:22(快速)⇒7:50大阪/梅田7:57⇒8:06 なんば
② なんば 8:30(ラピートβ)⇒9:09関西空港

今日は何かあっても余裕で対応できるようにと昨日よりも1本早い快速で長岡京を出ました。自宅を出る時にはもう一度、パスポート、搭乗券、財布の再確認をしたのは言うまでもありません。

▲ 9:21 無事に関空に到着しました。コインロッカーに預けた荷物を取り出して無料リムジンバスに乗ります。珍しい連接バスです。

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暖かい大地への旅 Part1 トホホ、大失態の第0日目

【難航したチケット手配】
ミャンマー
から帰国してより台湾D51が初めて南迴線を走るので撮りにいかないかと、クモハ73106東ウラさんからのお誘いを受けました。台湾のD51は故障が多く今回は大丈夫かなと心配しながらも行く気でおりましたが、時期が台湾のお正月の春節で混み合う時期なのに航空券を手配するのが遅れました。と、言っても今までJALの航空券を取れなかったことは一度もありません。グローバルクラブの会員ですので大丈夫だと楽観的に予約待ちを入れていましたが、いつまで待っても吉報の電話が来ません。マイレージで確保できたのは2月27日の羽田への復路便だけで何度も会員デスクに往路のプッシュ電話を入れましたがダメです。仕方がないので関空から高雄へのフライトがあるLCCのピーチ航空に空きがあったので押さえることにしました。そしてマイレージなら国内のどこから発着しても必要ポイントは加算されませんので、復路は国内も行きたいと羽田から鹿児島への国内線便もくっつけました。

【 当初の行程 】
2月22日 関空10:55(MM035)⇒13:30 高雄
2月27日 台北09:30(JL096)⇒13:20 羽田 15:55 (JL651)⇒17:55 鹿児島
※ その後は、鹿児島市電撮り鉄、肥薩線乗り鉄を予定、三江線も寄るかも・・で、旅立ちすることにしました。帰宅までの運賃は必要ですが片道が無料になると考えると随分とお得です。
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 50年前の撮影地を歩く -24- 宗谷本線編

音威子府を出た列車は、天塩川に沿って北上を続け、やがてサロベツ原野のなかを突き進みます。途中の駅は、ほとんどが木組みの1両だけのホーム、少しマシになれば車掌車「ヨ」を利用した待合室がある程度で、周囲に人家は見られません。乗車人員もゼロ人台の駅が続きますが、意外なことに、途中の2、3駅では、明らかに土地の人と思われる乗車・下車が見られました。この区間、普通列車は一日3往復だけ、他人事ながら、行き・戻りの列車はどうするのか、列車が遅れた場合の連絡はあるのだろうか、運休した場合は、といろいろな心配をしてしまいます。でも、鉄道を信頼し、一人でも乗る人がいれば、この宗谷本線は存続すべきだと改めて思ったのです。

稚内から普通列車に乗って1時間あまり、幌延に到着した普通列車、みどりの窓口もある、昼間のみ有人駅、かつて羽幌線を分岐していた。

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 50年前の撮影地を歩く -23- 宗谷本線編

名寄を発車すると、宗谷本線はいよいよ北辺の地へと入って行きます。宗谷本線名寄~稚内の平成28年の輸送密度は364人キロ/日で、昭和50年の1878人キロ/日と比べて五分の一に減少しました。営業係数は618、宗谷本線の開業以来、百年以上の鉄橋など土木構造物が多数あるほか、冬期の除雪費用、また豪雨災害も発生し、維持管理に莫大な費用が掛かる区間です。駅に関しても、一日平均の乗者数がゼロ人台の駅が多く、雪に埋もれた駅周辺は、生活感の感じられない光景が続いていました。
恩根内を通過する札幌発稚内行き「宗谷」、約40分の遅れとなり、対向列車に乗っていて特急通過駅が変更になった。恩根内は交換可能駅ながら、一日平均乗客はゼロ人台、予定外の駅で通過待ちとなり、秘境駅の様子を観察できた。

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 50年前の撮影地を歩く -22- 宗谷本線編

名寄

旭川から快速列車に乗ると1時間30分程度で、宗谷本線の要衝である名寄に着きます。宗谷本線は、名寄で明確に区分され、名寄までは、旭川の近郊区間として、普通列車以外にも、主要駅のみ停車の快速“なよろ”も運転されています。以前は、名寄本線、深名線を分岐し、機関区もあって、文字どおり鉄道のまちとしても賑わいを見せていました。その後、両線も廃止されて、現業機関も無くなり、宗谷本線の中間駅となりました。市の人口も減少が著しく、いまや3万人を割り込む状況です。駅の乗車人員も宗谷本線のなかではいちばん多いものの、JR北海道が公開したデータでは442人/日に過ぎません。 急に冷え込んだ夜の名寄駅、上下の列車が交換する。稚内から走り通して来たキハ54の後部が、その苦闘ぶりを物語る。

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 50年前の撮影地を歩く -21- 宗谷本線編

塩狩

旭川を出ると、比布、蘭留、塩狩、和寒、士別、風連と好ましい響きの駅名が続きます。そのなかで、塩狩はいちばん再訪を望んでいた駅でした。塩狩峠の頂点にある駅で、50年前は、20‰勾配に挑むC55の力闘もさることながら、駅前徒歩1分にユースホステルがあり、ここに宿泊したことが最大の思い出でした。旅館に併設された民営ユースホステルで、なんと言っても温泉を引いた浴場が、ある意味で名物でした。残念ながら、その恩恵に預かることはできませんでしたが、泊まった翌朝、食事前の散歩を兼ねて、ユースのゲタを借りて駅周辺で撮影したことが思い出されます。50年ぶりの塩狩での下車、峠の駅だけあって、深雪に覆われ、物音ひとつ聞こえない、乗降客ゼロの静かな世界が広がっていた。

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 50年前の撮影地を歩く -20- 宗谷本線編

旭川

今年は、各地の積雪量が例年になく多いようですが、“こんな時にこそ”と北海道へ行ってきました。3月になってからの北海道は何度か行きましたが、厳冬期は初めてのことです。おもに訪れたのは宗谷本線、LCC利用客限定のフリー切符が発売中で、これを使っての訪問となりました。宗谷本線は、本欄でも何人かが記されていますが、DRFC時代には、多くの仲間と一緒に訪れた思い出の地ですが、それ以降、北海道へ行くことはあっても、この地を訪れることがないまま50年が経過しました。各駅で今昔対比もしながら、ゆっくり一人旅を楽しんで来ました。
始発の旭川で発車を待つ宗谷本線のキハ40、規模の大きな立派な駅構内には不似合いな単行列車の姿は、宗谷本線の現状を象徴していた。

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 地図を携えて線路端を歩いた日々 -25-

羽越本線の要衝である酒田を出発した列車が北東に進路を変えると、前方には長く裾をひいた、独特の山容を見せる鳥海山が見えて来ます。吹浦付近で庄内平野は終わり、女鹿~小砂川で県境を越えて、秋田県に入ると、再び海岸線を走るようになりますが、笹川流れほどの厳しさはありません。有耶無耶の関の跡を見て、まもなく到着するのが象潟、芭蕉も立ち寄った、海に小島が点在する景観は、地震で隆起して陸化し、いまは水田のなかに森が散在しています。長かった羽越本線の旅も、まもなく終わります。日本海に夕陽が没する頃、一日の活動を締めくくるように、D51の牽く貨物が静かに通り過ぎた。女鹿~小砂川(昭和46年8月)

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福井見聞録 2018年冬 雪景色を求て えちぜん鉄道 後編

1月14日 後編
▲ 11:58 福井駅に着きました。電車は折り返しますが勝山永平寺線、三国芦原線ともに運行区間は朝から変っていません。除雪は進んでいないようです。
※ 下の画像は上の画像から拡大トレミングしましたが、ハッキリ見えているのには驚きました。フルサイズのD800E(有効画素数 3630万画素)がミャンマーで壊れ修理のためドック入りなのでAPS-CのD500( 有効画素数 2088 万画素)使用なのですが、解像度に見た目の差はありません。
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 地図を携えて線路端を歩いた日々 -24-

笹川流れのほかにも羽越本線には優れた撮影地が多くあって、私も普通列車に乗りながら、何ヵ所か下車して撮りました。ここでは、笹川流れのほかの区間での撮影を南から順に紹介していきます。今回は、新潟・山形県です。C57の優美な姿をアウトカーブからとらえる。ここ西袋~余目は、陸羽西線とほぼ平行しており、同線のC58と掛け持ち撮影ができた。2048レ C57 103〔新〕(昭和46年8月)

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 地図を携えて線路端を歩いた日々 -23-

最初に笹川流れを訪れた昭和44年8月、今川で下車して、午前中は桑川方で写したあと、午後からは、越後寒川方へ場所を移しました。ここには有名な蓬莱山があって、笹川流れの本場とも呼べる撮影地です。最近の写真を見ると、この蓬莱山を見下ろすことができる、恐ろしく危険な撮影地が存在するようですが、その当時には、その情報も無く、第一、そんな危険な目をしなくても、線路端から安全快適に撮れたものです。羽越本線の代表的な景観、蓬莱山をバックにナメクジ機が行く。真夏のカンカン照り、あまりの暑さについに降参、駅へと退散した。550レ D51 75〔酒〕

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福井見聞録 2018年冬 雪景色を求て えちぜん鉄道 前編

青春18きっぷで行く予定だった福井ですが、直前で山陰乗り鉄旅と三江線撮り鉄旅に変更しました。雪景色の福井を求て2016年2月にも訪問しましたが、この年は積雪の少ない年で狙った写真にはならずリベンジを誓いました。毎日、天気予報を見ながら雪が降るのを待っていましたら三江線から帰って3日目に積もりだしたとニュースが出ました。これは行かなければとジパング倶楽部割引きっぷで行くことにしました。今回は日帰りの訪問です。

1月14日
長岡京 5:10⇒5:21 京都 5:30⇒6:38 米原 6:50⇒7:36 敦賀 7:41⇒8:37 福井

早朝4時には起きて朝食をとってから余裕を持って駅に向かいました。きっぷを発券するのに少し時間がかかるだろうと予測していましたが、一人でおられた女性駅員は、「5:30以降にならないと発券機が動かない。京都駅の精算窓口へ行って欲しい。」と、長岡京駅での乗車証明書を書いてくれました。

5:21 京都駅に到着後、精算窓口へ行きましたがこちらもまだ開いていません。5時半以降なのでしょうね。待つと電車に乗れなくなりますのできっぷなしで福井まで行くことにしました。

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