6:20 2泊しました高雄のホテルを出発して高雄站へと向いました。今日でクモハ73106東ウラさん、デカンシヨ祭り号さんとばお別れです。皆さん荷物列車を撮られるのは、好みがあって.、それぞれ撮影地は違っています。私は右眼の具合が悪いのであちこちと動き回るわけには参りません。駅撮りでよさそうな所を紹介いただいて、六塊厝站にしました。區間車に乗って向かいます。
きっぷは駅を出ませんので屏東まで買っておきます。
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6:20 2泊しました高雄のホテルを出発して高雄站へと向いました。今日でクモハ73106東ウラさん、デカンシヨ祭り号さんとばお別れです。皆さん荷物列車を撮られるのは、好みがあって.、それぞれ撮影地は違っています。私は右眼の具合が悪いのであちこちと動き回るわけには参りません。駅撮りでよさそうな所を紹介いただいて、六塊厝站にしました。區間車に乗って向かいます。
きっぷは駅を出ませんので屏東まで買っておきます。
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▲ 6:19 朝目覚めて東側のカーテンを開けると前に旧高雄站駅舎(1940年建築)が見えました。現在高雄站は2018年末を目標に全面地下化工事の真っ最中ですが、工事が遅延するのは当たり前の台湾ですので、順調に完成するのかハッキリと言える人はいません。
台鐡用に島式ホーム2本、高鐡用にも島式ホーム2本が用意される予定です。現在中心部まで乗り継ぎを必要とする高鐡は左營から延伸されるのを待ち望まれています。
この旧駅舎は新駅舎建設に伴い撤去される予定でしたが保存を望む声が多く、2002年8月16日から14日間をかけて今の場所まで移動されました。地下駅が完成した時点では出入り口として再使用されるそうです。
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第4日目 6月11日
今日はD51(DT668号機)を追いかけて撮ります。前にもD51に会うことはあったのですが彰化のヤードだけで終わりました。その後は動軸に亀裂が見つかった等の怪情報が飛び交い、とにかく走れなくなっていたのですが突然の復活でした。本格的に走った姿を見るのは初めてです。
今朝の朝食はバイキング会場でガッチリと食べまして4人一緒に台中站に向かいました。
① 台中 8:00(區間車)⇒8:22 彰化
▲ 8:28 EMU1200系です。まだ元気に現役で頑張っています。
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第3日目 6月10日 その2
① 横山 11:04⇒11:27 竹中 11:34⇒11:48 新竹
竹東~横山の撮影で以前ご一緒した台湾人の鉄ちゃんと再会しました。明日のD51撮影のロケハンをこれからするというと、海線のお薦めの撮影地を教えていただきました。また、この時期に鳳凰の花が咲いて絶景となっている造橋駅近くの撮影地で撮った写真をカメラのモニターで見せて紹介してくださいました。
「鳳凰の花?」。見せていただくと地元長岡天満宮に咲く霧島つつじに似た緋紅色の花が満開に咲いている横を普悠瑪号が走っています。この方は以前にも台湾の武田尾「三貂嶺」で白い花が咲く中を行く列車の綺麗な写真を取っておられました。中々の腕前の方です。是非とも今から行ってみたいと撮影場所を詳しくお聞きしました。
▲ 11:32 竹中にて高鐡との接続駅「六家」から来たEMC600系區間車に乗り換えです。後方に見えるのが高鐡の高架線です。 続きを読む
第3日目 6月10日
今日は普段は區間車しか走っていない内湾線に客車列車の莒光號が走ると言いますのでこれの撮影です。団長、大津の86さんと3人で向かいますが、全員内湾線は乗ったことはあっても撮影は初めてで撮影地が分かりません。
ネット情報やGoogle地図を見て竹東~横山の中間に架かる橋梁が邪魔物がなくて編成全部を入れて撮れるのではないかと第一候補にあげました。第2候補は乗って見て決めようとなりました。
① 台中6:50(區間車)⇒8:24新竹8:29⇒8:43竹中8:46⇒9:16横山
朝は早くに出ようとしましたがホテルの朝食は7時からで食べられません。以前に宿泊した高雄のホテルでは持っていける朝食を頼むとサンドイッチ、バナナやジュースを入れてのバスケットを用意してくださいました。
台中の他のホテルでもコンビニで買ってきたのかサンドイッチとジュースが用意されましたのでこのホテルでも頼めばしてくれるのではと聞いてみましたら確約できないが出発されるまでに準備ができているバイキングは適当に持って行ってもらっても良いですよと、言われました。
6:30過ぎにレストランに行きましたが、大したものはありません。コーヒーとパン、お粥はあったのでつまんでから出発しました。
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▲ 10:56 6両の青い客車を牽引して花蓮站を発車してきたC57(CT273号機)です。今まで何回も訪台はしていますが、CT273号機とはすれ違いがあって、撮れるキヤンスに恵まれませんでした。
台湾では鉄ちやん対策もあって臨時列車が走るかどうか、またそのダイヤについて公表されるのは一週間前程度の直前が多くいつも予定を組むのに一苦労しています。今回は団長さんに全てー任しておりましたので決たことをお聞きするだけで済みました。団長さん苦労をおかけしまして申しわけこざいませんでしさ。それでも6月9日は台鉄の鉄道記念日なのご何か走るだろうとの推測で計画していただきました。当初はD51が走る事をキヤッチしましたが、C57は直前の判明でした。そのため、宿泊ホテルも急遽変更してでの桃戦になりました。。 続きを読む
【 旅立ち前 】
3月29日、あってはならない出来事が発生しました。以降、喪失感と現実を受け止められず過ぎていく毎日を苦しく過ごしました。何のやる気も怒らず、脱力感のみに支配されていきます。どうしたら立ち直れるのだろうと、考えることもできずにいますと、最初に昨年インドネシアへご一緒したTさんから6月23日~27日に中国大連・瀋陽へのツアーを計画しているので参加されませんかとのお誘いが入りました。続いてクモハ73106東ウラさんからも6月9日の台湾鉄道記念日にはD51に続いて前日にC57も走ることが分かった。一緒に行きませんかとのお誘いです。
さすが即答はできず悶々としていましたら日頃はそんなこと言わないJunirから「こんな時だから、元気が少しでも出るように行って来たら」と、後押しが入りました。連続しますが普通の状態でないのだから無理しても行くことで少しでも救われるかもと、参加の申し出をいたしました。
この時ほど鉄ちゃん朋友ほどありがたい存在はないと感謝しました。
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第11日目 12月19日 その3
15:50 稚内駅バスターミナルに戻り荷物を預けていたホテルにチェックインしてから待望の北防波堤ドームの稚内桟橋駅に向かいました。
初めて北海道に来たのは1968年(昭和43年)8月、まだ18歳の時で稚内にも参りました。その後訪問したことはなく今年で丁度50年ぶりになります。その時撮ったネガが見つかれば当時のことを詳しく紹介できるのですが現在行方不明なのが残念です。
鉄道雑誌で見たことはあっても実際見てみますと防波堤ドームの高さや長さに驚かせられました。ドームに入るとまだ蒸気機関車の煤煙の臭いが残っていたのだけはしっかりとした印象として覚えています。しかし半世紀が経過した今はすっかりと消えてしまっていました。
ここに列車が発着する様子を是非に見たかったと、また思いました。
第10日目 12月18日 その4
音威子府行きのキハ54-504に荷物を置いてからホーム先頭へ行き、午後2時頃には来るであろうラッセルを待ちました。
▲ 14:02 予想通り旭川に到着したラッセル車のDE15-2515号機編成です。南稚内からやってきてこれから折り返すようです。
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今回の旅の締めくくりは稚内行きです。初めて訪問したのは18歳の夏で約50年も前のことでした。サハリンへと渡る航路の乗換えのために日本では見られないドームがある乗換駅が設置されていました。また訪問したいと思っていましたが行けずじまいとなって昨今はJR北海道から「JR単独では維持困難な線区」と、宗谷本線(名寄~稚内)がノミネートされてしまいました。
このまま無視していたら知らぬ間に廃線になってしまうかもしれない。折角札幌まで来ているこの機会に乗りに行くべきと思いました。ついでに宗谷本線に走るラッセルカーも撮ってみたいと欲張りも出ましたので、これに合わせることにしました。
ただ、ラッセルカーは毎日走行しているようなのですが、今冬の運行ダイヤがネットからは調べても分かりません。昨年のダイヤは分ったので多少は変更があっても同じぐらいだろうと挑戦することにしました。
乗車は勿論鈍行列車、今日は途中の名寄までの乗車です。運賃は4,320円になりますのでお得な青春18きっぷ(1日単価2,370円)を利用です。
▲ 10:01 札幌駅10番線で発車を待つ721系電車の155M。ラッシュもすぎたのでガラガラの車内でした。
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総本家青信号特派員氏より「トレランス8号三陸鉄道を走る」が紹介されました。記事にもありますように、私もこのイベントに参加し、大船渡線BRTと三陸鉄道に初乗りするとともに、震災後6年が経とうとしている気仙沼・陸前高田・大船渡・釜石・大槌の様子を駆け足ながら実見してきました。ここでは被災地レポートではなく、イベント終了後 釜石から盛岡、八幡平を経て秋田までの旅の中で出会った鉄道を紹介したいと思います。
製鉄で栄えた釜石ですが、現在高炉はなくなり 製鉄所は発電事業や鋼線製造に特化し、加えて津波被害もあって 釜石にはかつての活気は感じられませんでした。新橋・横浜、京都・神戸間の鉄道開通に続き 明治13年に釜石鉱山から釜石港まで 我が国3番目の鉄道として工部省釜石鉄道が開通しています。その後いろいろな変遷をたどりながら、昭和40年3月末まで富士製鉄の762mm軌間専用線として 蒸気機関車による貨物輸送が行われていました。その専用線で最後まで活躍していた蒸気機関車が保存されていますので、訪ねてみました。
第10日目 12月18日 その2
早朝のササラ電車を撮りたいとの気持ちはあったのですが眼が覚めたのは5時でした。ササラ電車は始発電車が走り出す前にレールの間に詰まった圧雪を弾き飛ばすのが仕事です。始発電車が走ってからでは遅いのですが、外に出ないわけには行きません。滑る氷雪路のために用意しておいた滑り止めを靴に蒔いて出動しました。▲ 5:50 西4丁目から狸小路へと 続きを読む
第10日目 12月18日 その1
今日は札幌から名寄へと青春18きっぷを使っての乗り鉄旅ですが、札幌発車時刻は10:07で十分に時間があります。朝からもう一度札幌市電の撮影へと出かけることにしました。
▲ 河様からのコメントでお問い合わせ時代の札幌市電の系統別路線図です。7系統が路面ディーゼルカーが走行していた路線と思われます。
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第9日目 12月17日 その4 西線16条~中央図書館前
16:52 路上に積まれた除雪の壁が続いて撮影ポイントが見つからず次のロープウェイ入口に着いてしまいました。
▲ 16:53 ロープウェイ入口 細雪がドッと振り出して良い感じになってきました。248号車です。
【DATA】 NikonD500 AF-SNIKOR 24-70㎜ F2.8、ズーム31㎜、1/40秒、F2.8、ISO1400 レンズ性能を信じて、絞りはF2.8に固定して絞り優先のISO感度はオートで挑みました。
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▲ 札幌市電の電停に設置してある運行状況表です。西線16条に掲示してあった早見表ですが、現在次に来る市電が今どこまで来ているのか一目瞭然に分かります。
これなら待っている利用客がイライラすることもありません。世界各地の路面電車を訪問していますが、〇系統のトラムは後〇分で来ますとの表示を見る事があって便利に思えましたが、札幌はもう一歩進んだ案内ですね。広電にもあったら利用客には喜ばれるでしょうね。
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前回、凍える大地の旅の紀行記 Part10を投稿したのは2ヵ月前の3月28日でした。続いての原稿も書き始めていましたが翌日、あってはならない出来事が発生しました。そして受け止められない余りのショックに投稿する気力すら失ってしまい休止が続きました。
ようやく2ヶ月が経っても、まだ現実を認識できず悲しみだけが積み重なる日々を過ごしていますが、ぶんしゅう旅日記は私の人生の軌跡です。途中で終わってはいけない、次の旅に立つ前には完了させておきたいとの気持ちが生まれてきました。殆ど皆無の気力ですが振り絞って、続けて投稿をさせていただきます。
お見苦しい点もあろうかと思いますがお許しください。また何分、いつもと違って時が経ちすぎていますので記憶も薄らいでいます。間違いもあろうかと思いますがこの点もよろしくお願い申し上げます。
第9日目 12月17日 その2
▲ 14:04 すすきの電停で運行調整をする外回り、内回りの8500形、乗降客が多い電停ですので屋根がありロードヒーティングも設置されています。右の内回りに乗り込みました。 続きを読む