福高前電停

またまたコネタで失礼します。昭和53年 西鉄福岡市内線は全廃になりました。高校生活の3年間は毎日通学に利用、子供のころからいつも電車に乗るのが楽しみでした。我が母校の電停が校庭の片隅に大事に保存されています。大昔は旧町名から潟洲町(かたすまち)でしたが町名変更に伴い廃止の直前、福高前に変りました。運転席のペダルを勝手に踏んだり、線路の上に王冠をのっけてペシャンコにしたり・・いろんなことがこの場所を訪れる度に思い出せれます。

当時の連接車は3両編成に改造され広島で元気に走っています。私も電車に負けないようにがんばらないと・・・失礼しました。

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もうこうなったらもう一回、倉吉線関金駅

 「一枚の写真から」という題名にしたからには一枚だけの写真をご覧いただいたのでありますが、ここまで倉吉線が続いたので例の一枚の写真の前に撮ったものを七枚をご覧いただくとします。倉吉線に火を入れた手前、イージーな写真ですがご覧ください。
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(続)生き残った田園鉄道、弘南鉄道

現在も健闘している弘南鉄道は旅客運輸で経営を存続しているが、訪問した半世紀前は貨物運輸も事業の一端として大きなウエイトを占めていた。在籍車両調査を終え、車庫事務所を出る時に是非写真を撮ってほしいと言われたものがある。それは組成した貨物列車であった。「これから仕業に出るが、その姿を撮ってほしい。なかでも林檎輸送は好調で、ことしは国鉄ワム90000の新車を10両購入した。これから新車を使って初めて10両編成を仕立て集荷に行く」と、課長は意気込んだ。そこで編成を組んでくれたが、中線は旅客列車の行き違いで使えず、外線で牽引機はED202となった。

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初めて投稿します!1978年度生のおとりんです。

初めて投稿します!1978年度生のおとりんです。宜しくお願いします。在学中の一番の思い出、地下鉄烏丸線の初日です。前日からシャッターの外に待機、雀卓を持ち込んで当日を待ちました。北大路から京都駅まで全駅で一番切符を確保に向けて各駅に会員が配置されました。四条駅整理券には番号1とありますが実際は9番から4台~5台位の券売機でした。4回生ということで9番の券売機を当てがっていただき買った乗車券です。その後北大路行きの一番列車に各駅から会員が乗り込み北大路駅で万歳しました。今でも京都へ行く度に往時のことを思い出してひとりにんまりしています。これからも小ネタですが時々投稿させていただきます。宜しくお願いします。

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西村さん、どですかでんさん、お礼です。

相も変わらず記憶などいい加減な私に、撮影場所や日時まで教えて下さってありがとうございます。早速写真を引っ張り出してみました。まちがいなくその三名の写った写真がありました。許可を頂ければ掲載します。乗った車はキハ20ではなくキハ28か58の二連です。
以下はその時に撮った写真です。

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同じく倉吉線

どですかでん氏の倉吉線がアップされた。確か須磨老人も倉吉線には1963年8月に行っている。しばらく土日なしの残業続きで、いい顔をしない係長に、ここ1か月以上休んでいないと捨てゼリフ?を残し、強引に旅立った記憶がある。ネガカバーの日付では姫新線、芸備線、木次線倉吉線、若桜線と撮影を続け、8月11~15日休んだことが分かる。

木次線、若桜線はずっと以前にアップした記憶があるが、今回のどですかでん氏に触発され、倉吉線のみご笑覧頂くことにする。この線の終点山守は無人駅で、DCしか行かなかったはず。車掌が手を伸ばしているのは、車内の忘れものを女学生に教えているのである。関金まではキハ07(トルコン装備で総括制禦)とキハ20の併結で、勿論07の扉は手動だが、20の扉操作のため、キハ20に乗務していた。

倉吉線C11逆行混合列車1963.8.14a
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一枚の写真から 急がんと! 国鉄関金駅

 津山から三次へ、そして関金駅で撮った写真です。この倉吉線はすでに廃線になっています。当時は倉吉-関金間でC11牽引の客レが走っていました。終点は山守ですが、機関車の付け替えができないので、客レは関金駅の折り返しです。昼下がりの関金駅で改札口の向うにあるC11を撮っていると・・・・

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シャッターを押すと同時にオジサンが走り抜けて行きました。当時はデジカメでないので現像しないとどのような写真になっているかわかりません。現像をして画像を見ると、ご覧のとおりです。 ホットしたのですが、それよりもドンピシャのタイミングでシャッターを押していたのでびっくりポン。なんという偶然なのか。1974年(昭和49年)3月15日のことでした。

一枚の写真から  どっこいしょ、ちょっとひと休み  国鉄津山駅

 西村さんの『「行商列車」を読んで』の投稿を見て、思い出したのがこの一枚の写真です。 S-MN津山駅001 1974年3月13日に国鉄津山駅で撮った写真です。ちょっとだけ入換用のDE10が写っています。3番線には気動車が出発待ちです。真ん中に大きな荷物を背負ったおばさんが立っています。あれあれ、よく見るとゴミ箱に背負っている大きな荷物をちょっとのせています。列車が来るまで、少しでも楽をしたいのでしょうか。3番線の列車は拡大して見ると行き先サボは鳥取という文字が見えます。因美線を通って鳥取に行くようです。そうすると岡山方面の列車を待っていたのでしょうか。ところで、この写真の次に写っているのは三江南線0番線ホームです。我々は津山から姫新線、芸備線で三次へ行ったのかどうかよくわかりません。(この時はK君と一緒に中国山地ブラブラをしていたのです。)ひょっとしたら三次で泊まったかもしれません。そうしないと三江南線には乗れなかったのです。まさか、岡山経由で福塩線か芸備線なのか、そんなアホなことはしていないと思いますが。姫新線、芸備線に乗った可能性が高いのです。そうするとこの行商をしていると思われるおばさんは姫新線の列車を待っていたのでしょうか。とにかく、津山から三次へ行ったのは間違いないのです。

 ところで、ホームの向うに制服姿の人だかりがあります。これも拡大してよく見ると国鉄職員の人だかりのようです。ひょっとしたら転勤のお見送り。頃は3月13日です。そして、雪が降っていました。まもなく、この写真から42年になります。

 津山から三次へ、そして三江南線の写真の次は倉吉線の関金駅が写っています。どんな旅程なのかさっぱりわかりません。どうも中国山地を鉄道でブラブラしていたようです。そんなことができた時代でした。

富士急行モハ5000型

年甲斐も無く、風邪を引いてしまいました。諸兄もお気を付け下さい。

今回は富士急行電鉄です。といっても私には全く縁のない鉄道で、昔東京時代に同僚が大月の出身で遊びに行った時に駅で見たぐらいしか覚えがありません。最近テレビの旅番組で紹介されたのを見ました。
こんな113系のような電車を作っていたとは・・・
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関さんの昭和の電車にあやかる

元会長より、同年輩の関さんに失礼のないように新聞掲載稿に対応するように命じられた。先日の「あやかりたい」とした真意は、日本の鉄道界は電車時代になった喜びを共にするためでした。今回、元会長から老人に与えられたテーマは、阪急2800型と国鉄117系の比較をするようにとの提案であったが、今も現役車が残っているので遠慮させて頂きたい。ふと思ったのがデジ青2014年5月12日付きで掲載された遠州鉄道モハ1型の話だ。須磨の大人が珍しや日本の電車を紹介しているが、車庫事務所でお邪魔虫となった老人が聞いてきたことで、デジ青【47254】の後追いする事にさせていただきたい。

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西村氏のお世辞に乗る

西村氏が投稿した水島臨海鉄道(旧倉敷市交通局)に昔の思い出を書いたら、見たいとのお世辞をいいことに、古いネガを探し出しお目に掛けます。一部の写真は古すぎて撮影時期が分かりませんが、多分昭和30年から35年までの間かと思われます。
車両に関しては西村さんにお任せしますので解説をよろしく!

昭和30年代の水島港

昭和30年代の水島港

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私も青色117撮りました!

和歌山方面の青色117思いがけずキャッチしたのでご報告まで。

2015.9.6 土砂降りの紀勢本線黒江駅出発の346M御坊発和歌山行きクハ117-12▼s-15.9.6黒江

2014.9.10 吉野口駅同時進入の473M王寺発五条行きクハ116-318と近鉄南大阪線急行吉野行き6201 473Mはどですかでんさんご紹介の王寺昼寝終了後の運用 ▼s-14.9.10吉野口116-318&6201

青色の117系もあるよ~

 関三平先生の117系にから電車の色についても盛り上がっていましたが、なぜか青色の117系が忘れられたようです。紀勢線のは青単色ではなくオーシャンカラーに塗られた電車の様ですが、近くの王寺駅で青単色の117系を撮ってみました。意外と日常的な電車は意識的に撮っていないのです。阪急2800や2300も、そのような電車です。2800は山崎での走行写真と通学の帰りについでに撮った車内の2枚だけでした。和歌山線の117系もいずれは消えていくでしょう。王寺駅発着の117系は朝に和歌山から来て8時49分着(休日は50分着)、この電車が出発するのは16時07分発の五条行きで、それまでは王寺駅留め置きです。王寺駅で留め置きと五条行き出発の117系を撮ってみました。かつての蒸機牽引の客レのようです。しかし、この117系は2扉4両編成でワンマン電車あるため混雑時の乗客の皆さんにとってはかなり不評の様です。しかもICOCAに対応しているのは和歌山線は高田までで、高田-和歌山間では使用できません。いぜん五新線のバスを撮りに五条に行った時にICOCAで乗車したのですが五条下車の時に駅員さんに支払い処理をしていただきました。ところが駅前のTimesの駐車場は料金がICOCAでの支払い可でした。しかも1日500円です。これでは車で五条に来た方が早くて安かったのです。近鉄吉野口ではICOCAで下車できますが、JRで乗車の場合は下車できません。高田で近鉄に乗り換えれば下車できるようです。JRは一生懸命に乗客を減らすようにしている様に感じてしまいます。それではその王寺駅での117系の写真をご覧ください。

和歌山線117系-2

 同じ青でも北陸本線にあった色とは違うようで少し明るい色のようです。

和歌山線117系-1

 五条行きの電車が王寺駅を出発しました。この電車は五条から再び高田へ、そして高田から和歌山へと帰っていくようです。ねぐらは新在家にあるようです。そして、再び翌日に王寺へと、まだまだ働ける電車なのです。

三江線と乗降場

三江線の廃止問題が島根・広島両県の地元での大きな関心事となり、地元紙面では毎日何かの記事が載っています。すべてデジ青に載せるのは大変なので控えていますが、JR西日本と地元が存廃を一旦白紙にして協議を始めることになったとの記事が載りました。そもそも高齢化、過疎化が進む中山間地における公共交通機関とはどうあるべきなのかという難問ですから、いくら白紙とは言え そう簡単に答えが出るとは思えませんが 今後の動きを注視してゆきたいと思います。

平成28年2月7日 中国新聞朝刊

平成28年2月7日 中国新聞朝刊

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2年半ぶりの水島臨海鉄道

久しぶりに水島を訪ねました。行きがけにJFE福山に立ち寄ったのは前報通りです。初めて訪問したのはDRFC現役時代の昭和44年で、まだ倉敷市営鉄道と呼ばれていた時代で、中国鉄道や芸備鉄道の買収気動車がまだ現役でした。以来4回訪問し、今回が6回目の訪問です。水島コンビナートの貨物輸送にも支えられ 旅客列車も数多く走っていて比較的元気な非電化私鉄です。以前は国鉄からキハ10やキハ20が入線し活躍していましたが、近年キハ30やJR久留里線で活躍していたキハ37、キハ38が入線しているので近況を見たくて訪ねてみました。

キハ37103 平成28年2月6日 倉敷貨物ターミナル駅(機関区)にて

キハ37103 平成28年2月6日 倉敷貨物ターミナル駅(機関区)にて

平成25年に老朽化したキハ20などの置き換え用としてJR東日本からキハ30やキハ37、38が6両入りました。キハ37101,102は水島臨海色に、キハ37103とキハ38104は国鉄色に塗られています。キハ37のトイレは閉鎖されているそうです。

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またしてもJFE福山

昨年9月以降4回にわたってJFEスチール福山製鉄所の専用線についてレポートしました。本日は水島臨海鉄道訪問のついでに立ち寄りましたので変わり映えしませんが、ご覧下さい。撮影場所が非常に限られたこの専用線ですが 今回は工場の出口で待ち受けることにしました。昨年10月3日 63884で山の上から見下ろした様子をご紹介しましたが、今回は同じ場所の線路ぎわです。

平成28年2月6日 7:49  工場出口の門は閉まっている

平成28年2月6日 7:49  工場出口の門は閉まっている

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乙訓の長老様へ

乙訓の長老様、
ご投稿の中に、関三平先生の「昭和の電車」についてのご質問がありましたのでお応えします。

一昨年の5月に投稿した「遠州鉄道モハ1」の文末に産経新聞社からプレゼントのお知らせと、作品に関しての告知がありました。但し、小さい囲み記事でしたので見落とされたのでしょう。もう一度載せますのでご覧下さい。なお、プレゼントは終了しておりますのでお買い求め下さい。

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名鉄3780系

名鉄は我が人生の中で最も縁のない大私鉄です。東京への行き帰りに名古屋近郊で見かける程度の関係でした。DRFCで八百津線の廃止前に乗りに行ったのが最初で、その後は無縁です。ですから何も言う知識はありませんが、こんな色をした電車があったのでしょうか?名鉄はオレンジバーミリオンという色をしているとしか記憶が無いからです。

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