ぶんしゅう殿による三江線ツアーレポートはPart6まで済んで まだ続編があるようです。マイカーで参加した私は潮で皆さんを見送ってまた三次方面に戻りました。まずは皆さんを見送った始発422Dから。
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大阪線の桜
大阪環状線の桜
桜の話題がたくさん載っています。多少遅きに失した感がありますが大阪の桜を紹介します。今年はスカッと青空になった日に出掛けられなくいずれも雲がかかった日になりました。例によって大阪環状線の桜ノ宮ですが最初は一日一往復の大和路線の103-226になります。朝大和路線から環状線にやってきて一週半し、昼間は森之宮で昼寝し夕方奈良に帰って行きます。次は桜の中から顔を出したものです、駅前の自転車置き場からとったものですが平日(4/6)で午前中のこともあり比較的場所探しは楽でした。3枚目になりますが、以前から環状線を「地上」から撮りたかったのですが京橋の桜ノ宮よりに築堤?の望めるところがあります。道路に柵があり、あまり自由度はありませんが「土の上を走る」のも楽しいものです。
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十和田の次は栗駒電鉄の筈が……
早朝訪問が功となり、栗原電鉄に一路突っ走るつもりが「次は花巻」のアナウンスに引かれて下車してしまった。周遊券が良いのはここにありと言ったところで、車庫事務所での竣工図拝見も即座に実現したのは東京の学生さんの訪問も多いらしく、準備万端と言ったところであった。花巻温泉の割引券があるというので購入したら木札で5円であった。その札使用は後の楽しみとして、最初の離合駅で折り返し温泉に入りたいと言ったら、あの電車に乗ると良いと言われ発車目前の馬ずら電車に急いだ。車内は高校生で満員、これで土産話が出来たと思った。写真などは須磨の大人が投稿したデジ青【13832】【13885】【50155】をご覧ください。
連絡票
69941「阪急かぶりつきツアー」で、鉄鈍爺氏とマルーン氏が、乙訓ご老人に阪急の小駅で扱わない企画乗車券入用の時は、駅員に申し出れば扱い駅までの無料乗車証「連絡票」をくれる、と書き込まれた。これに関しては須磨の後期高齢老人に苦い思い出がある。
時は47年前になる。当時伊丹のド田舎に住んでいたが、ヨメさまが2度目の出産で小生の両親に近い塚口病院に入院。そのため亭主は従前の武庫之荘経由通勤を、一時的に伊丹、塚口経由に換えるべく、定期券を求めに伊丹駅に。そしたら駅員が抜かすには、伊丹では定期券発売を取りやめた。梅田まで行け、と。
助役を呼び出して質すと、伊丹駅に新たに自働改札機を導入し、新様式の定期券しか使えない。発券機は一番近いのが梅田で、今申し込むと、伊丹でのお渡しは明日になる、とのご説明である。いやこっちは今日、今入用である。梅田まで行かねばならないというなら、百歩譲っても伊丹―梅田の乗車券なり、乗車証なりを出すのが当然だろう。第一伊丹はれっきとした駅で、そこからの、当日から有効な定期券が発売できないこと自体、根本的におかしかろう。そんなことが運送約款にあるのなら見せろ、と「穏やかに」申上げた。
しかしテキは、かかる事態は予想していなかったらしく、その様なお取り計らいはできません。そんなら誰か梅田まで行って発券して伊丹まで持ち帰ったらどうだ。こっちはそれまで待つと、ここまで譲ったができませんの一点張り。それはおかしいだろ、そう思わんか? 確かにおっしゃる通りですが、そのような指示もない。ともかく明日お渡しするか、ご自分で(ということは伊丹-梅田、梅田-塚口は自弁で)お買いに行って頂かない限り、本日から有効の伊丹からの定期券は入手できません。
これには少し解説がいる。阪急は千里線に少し遅れて、伊丹駅にも自動改札機を導入したと同時に手改札を止めたのだが、それに対応する定期券発券装置の設備がなかったのに、強引に上記のようなシステムにしてしまったのである。
揖斐川電気モハニ1型
田川 2ヶ所の2本煙突
またまたコネタですみません。昨年夏 一応?仕事で田川に行った際、2本煙突が2ヶ所あることを教えていただきました。写真下は伊田駅そばの有名な2本煙突。写真上は田川市伊加利の2本煙突です。伊加利のほうは三井鉱山の竪坑跡、廃坑後竪坑櫓は大牟田に移設され現在も残されているようです。
この2ヶ所は鉄道で結ばれていたとのこと、線路跡と思われる道を車で移動しながら往時の景色に思いをはせていました・・・詳細ご存知の方、コメントよろしくです・・・
近場のサクラを楽しむ
KAWANAKAです。実は原色コネタをUP(小生だけでなく鉄鈍爺氏も投稿)した際、1900生とも裏メールでの往来があり、その中で高槻の拙宅近所のヒミツお立ち台の開陳をしたり、鉄鈍爺氏が早速そこをロケされたりしておられます。その中で、近隣のサクラを撮れる場所はどこや、という話になり、一般的でないと思われる隠れお立ち台をそっとメールしたのです。近隣というより少し範囲を広げたのですが、諸兄にはお馴染みの場所もあると思います。従ってそれをUPするのは止めました。有名は場所ではなく本当に拙宅の近所でふらっと行ける花の場所だけ(だけです)を投稿することにしました。ネタはメールに添付したものをベースにしています。鉄鈍爺、1900生さますんません。
クローバー会の三江線ツアーでサクラを愛でた方も、参加できていない諸兄も、縁がなかった鉄ちゃんも、もう1回、いやズボラしてサクラを愛でようとする輩は参考にしてください。
マイテが加太越えをした時のこと
まいど、「おじじなる(注)」でなくて、だれかさんの投稿からの芋ずる投稿でお騒がせします。(注:かつてDRFCではオリジナルを「おじじなる」と言っていた人がいたような、いなかったような・・・)
西村さんが「RMライブラリー 200号を見て」 で「DRFC30周年記念号」の記録があったことを紹介されていました。たしか、子供と一緒に参加したのですが、その時のネガフィルムがあったので、久しぶりにちょっと、京都から京都まで再び「DRFC30周年記念号」の旅をしてみたいと思います。
上の写真はパンフレットと記念品一式です。ボロボロになった紙袋にはコースターと同じ図柄が印刷されています。記念写真と名古屋城の観覧券もありました。
日の目を見た写真、十和田観光電鉄
2002年春だったと思うが吉川文夫さんから電話を貰った。用件は「1959年夏に東北の電車を巡っておられるが、その時の十和田観光電鉄の写真一式を岸 由一郎さんに提供してほしいのですが・・・」とのことであった。岸さんと言えばピクトリアル611、613号で京都電燈福井支社関係の貨物輸送(九頭竜川水力発電)について発表されたことが頭にあり、その内容が緻密であり学生さんにしては・・・との記憶が残っていた。ポン友の依頼となれば「承知しました!」と、なったのであった。幸いなことに十和田電鉄撮影のフィルムは自家現像にしては調子よく仕上がっており、フィルムその物を送った。
蘇れ三江線ツアー近づく 準備編
今日で出発まで1週間となりました。桜の開花宣言が各地で出てきましたので私も遅ればせながら準備に入りました。
作成しました往路・復路のダイヤをお知らせします。4月3日の復路については、萩の方に回られる方もあれば、「スーパーはくと」に乗車したいと早々に発たれる方もおられます。朝食は6:30には用意しています。本隊は一応11:20発にしていますが、参加者各位のご希望もあるかと思いますので、出発は各自ご自由にお任せします。
下記は乗換案内を使用して作成したダイヤ改正後の行程の例です。間違っているかも・・、お手数ですが再確認ください。また途中の山陰線の田儀駅では1月30日の線路内土砂流入のため列車交換ができず、ダイヤが少々変わっていますのでご注意ください。
乗換案内はこちらです。http://www.navitime.co.jp/transfer/
最近は時刻表を購入する余裕がなくWebで検索です。年金生活者は苦しいばかりです。
4月3日の三次の日の出は5:53、日没18:32ですが山間ですので朝はもう少し遅く、夕方は早くになると思われますのでご注意してください。
【往路】 集合は三次16:56発の三江線車内です。山室さんが三次駅からお迎えします。私は旅館(大和荘)の準備がありますので潮でお迎えします。
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ニーナにも会っていました(原色狂艶の付録コネタ)
コメントが物凄いことになっているEF66の原色狂艶?について、発信元の 鉄鈍爺
確かに、そうで、 鉄鈍爺
その類のコネタです。
1つ目。ニーナ。
少し古い話です。2014年7月1日8時1分ころ、平塚東側の相模川橋梁でニーナを捕らえています。このときは、小田原に仕事で小田原で泊まれば良いのですが、朝のライナーを撮ろうと思って平塚に泊まり、早朝からここにおりました。ニーナなんてその時はどうでも良く、さっさと撮って仕事に行かないと9時の打合せに間に合いません。
そこで暑い中、アルマジロみたいな踊り子のアルバイト運用を横から
撮っておりますと、すれ違いにいきなり飛び出してきたものです。
あのニーナです(縮小して見えない?撮影者が言うからええでないの!)
気を良くして仕事に行きました。仕事ぎりぎりの時間やけど、このときはまだ、早く歩けました。朝だったけど暑くて川から駅まで結構遠かったなあ。写真は飛び出す瞬間で大慌てした時のもの。続きは撮らなあかんと多くを考えずシャッタを切ったただ1枚のニーナです。 続きを読む
ここにもサヨナラがありましたヨ(2代目スカイライナー)
KAWANAKAです。
北海道新幹線開業を控え、あちこちでサヨナラ特集が組まれ、我がデジ青にも写真や記事が紹介されております。関東におればデジ青の興味の対象になり難いのでしょうが、拙宅の近所ではそれなりに、サヨナラが近づいてくるたびに少しづつ関心がもたれてきたようです。サヨナラがあるのは、あまりにも流行らんで回送状態で走る特急に成り下がってきたためですが、わずか車齢20年余り、跡形もなくなってしまうことに、我が近隣の住民はそれなりに嘆き悲しんだ?のでありました。列車の名は京成電鉄AE100、俗名2代目スカイライナー(晩年はシティーライナー)であります。
実際に定期運行が廃止になったのは昨年11月末(だったかな)、ラストランは2月の末に行われました。その歴史を語るのは、色々な資料に出ているのでしませんが1990年の6月に運行を開始して以来20年間、晩年の2010年からは3代目スカイライナーの登場により、船橋廻りのシティーライナーとして細々生き残っておりました。最後は成田止まりになって、やけくそで船橋停車にしてもまあ乗る人は殆どいないだろうと思ったとおりの状態になりました。売るに売るところもない、かつての初代のようにパーツを流用することも、それほど困窮していないのでスクラップになってしまうのでしょう。JRのNEXと比べれば、都落ちして化粧直しして特急として活躍しているのに比べると20年の生涯、可哀想でなりませんね。
EF66、原色競艶
EF66-27(愛称:ニーナ)が来るというので、出撃しました。
三江線は蘇るか
「見納めの”三江線”の桜を見に行こうツアー」開催まで後2週間となりました。現在参加者は12名となっております。若干ですがまだ受け入れができますので、今からでもご参加されたいと思われる方はご連絡いただきたくよろしくお願い申し上げます。
先日、米手作市氏より「前略;・・・三江線なども津軽鉄道やえちぜん鉄道を大いに参考にするべきだと考えますがいかが?」とのコメントをいただきました。あれこれとコメント返信文を作成しておりましたが、長文になりましたので本文投稿とさせていただきます。
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河口湖行き優等車両使用快速列車
Tsurukame様の宿題です。新宿と富士急行の河口湖の間を往復するJRの優等列車利用の快速列車は「ホリデー快速富士山1・2号」と「山梨富士3・4号」です。前者は189系6連、後者も同様でありますが、一部千葉発もあり、E257系-500番台や485系ニューなのはな等が充当されることもあるようです。源流は東京・新宿ルートと小山ルートの二つがあるようです。撮影する中央線は地元でありますが、八王子市も市域面積が大きく、多摩市に近い拙宅から高尾方向は1時間近くかかります。逆に富士急行線は中央高速道路を利用するとそれほど遠くない印象です。また、これらの土・休日に運転される臨時快速列車は午前中に走行されるのでほぼ逆光線の状態になり、私の好きな順光ばっちりの状態にはなりませんので下手な写真がさらに下手になり申し訳ありません。場所も有名撮影地ばかりです。
東京・新宿ルートは2003年にそれまでの「ぶらり河口湖号」が「ホリデー快速河口湖号」となりましたがさらに2013年7月より富士山の世界遺産登録に伴い「ホリデー快速富士山号」と変更されました。
2011.1.16 豊田-八王子間浅川橋梁を行く風林火山装飾の下り8571M下り「ホリデー快速河口湖1号」189-507M50編成 ▼ 続きを読む
伊賀電鉄デハニ1
遠州鉄道は日本一の中小民鉄!
老人は1986年6月まで冬眠生活を19年間していたが、吉谷先輩の遺言で元に戻った。先の大井川鐡道に拘ったのは、頑張る中小電鉄の一例として白井さんの情熱に惚れたのであった。その行きかえりを利して浜松に途中下車、「行き帰りの駄賃は遠州」としたのは車窓から眺めていた車両や施設の大変貌によるものであった。社会人となってからは舘山寺温泉での業界出張で、合い間を縫って赤い電車に乗っただけであった。車庫は西鹿島に移動、貨物扱いはなく都市近郊型に全てが変貌していた。車庫で若い社員の方と話す機会があったが、「車両や線路の近代化に目途がついたので続いて信号を始めとする通信関係です。無人電車が走りだすかもしれませんよ?」と、2人で大笑いとなった一幕もあった。それから20年あまり経つが、開業以来の中古客車は107号のみ、依然として良き伝統を守っている日本最優秀電鉄である、と思っている。
今時の普通列車は結構速い
毎度あの話、この話で恐縮です。
本年1月末に厳冬の津軽海峡線の撮影(デジ青[68036]2016年2月4日「今冬の撮影」)で青森駅から行動を共にした逗子のTさんは「今日は朝一番の新幹線に乗り八戸で青い森鉄道に乗り換えて青森まで来た。青い森鉄道は速いなー。」と言っておられた。私も彼も古い人間で昔の客車列車と比べれば電車は速いはずと思いその場は聞き流した。後で念のため調べてみたらTさんご乗車の青い森鉄道八戸8時58分発快速は青森までの96kmを1時間26分で走破して10時24分に到着する。表定速度は67km/hである。青い森鉄道の同区間の普通列車でも大体1時間半前後で走り結構速い。新幹線開業により併行する在来線を第三セクター化する例が多くなり、青春18切符愛好者の行動範囲が徐々に狭められているが、第三セクタ-区間は優等列車の待避等もほとんどなくなりJR時代よりもスピードアップや増発して地域奉仕するのは当然と思われる。待避が少なくなったということは第三セクタ-化していない東海道本線も同様で、デジ青[52148]2014年10月6日「青春18忍耐区間」で青春切符利用の普通列車は153系時代の急行「六甲」や「いこま」より時間がかかるが何回も乗り換える割には健闘していることを述べた。関西、中京地区の新快速の寄与も大きい。
5年前のあの時のこと
総本家青信号特派員さんが「あの日から5年≪鉄道版その1≫」を見て、ハットしました。5年前のあの時はまだ富山で仕事をしていました。ちょうど、ダイヤ改正前で富山でも高山線のキハ58+キハ28の最終運行となるということで、前日の10日と最終日の11日に撮影をすることにしました。19時台に富山発越中八尾行きがあるので、それを撮影することにしたのですが、夜であることと仕事帰りに車で行って撮れる場所として速星駅にしました。近くにファボーレというショッピングセンターがあり、ここの駐車場に車を停め、ついでに買い物をして帰るという算段でした。(いつも買い物に行くので買い物のついでに写真を撮りに行ったといってもいいかもしれません。)
ヘッドマークを付けたキハ58+キハ28が到着して乗客が降りて行きました。
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