京王(帝都)電鉄6000系5扉車

京王6000系は京王初の20メートル車、ワンハンドル車、そして最後の鋼製車として1972年から1991年にかけて304両つくられた。5扉車は6000系としては最終新製となる1991年に5両編成4本(6000の21から24の4編成)計20両が製造され、今となっては異端車である。使用目的や運用などは概ね関先生の説明のとおりであるので私からは現役時代の姿を数枚紹介するが本来の目的の通勤時対策として10両編成の中間に使用された写真は撮っておらず邪魔者扱いされた晩年の姿であることをお許し願いたい。

 

<相模原線内各停用に6両化された6021の編成>

2006.3.21 若葉台~稲城間を行く各停調布行き6721 ▼ s-06.3.21若葉台~稲城6721

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伊賀鉄道

先日、I氏が来られ久しぶりに伊賀鉄道に出掛けました。近鉄形が無くなり東急タイプのみとなっていますがいずれも忍者列車として活躍しています。水田への写りこみは私はいいのが無かったのですが上野城を眺める場所での写真となります。0520上野城

この後古い写真を捜していると、5000形さよなら運転時の写真がありました。伊賀神戸の一つ上野よりの比土と上野市と伊賀上野間の5000形です。
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明延鉱山日車図明延鉱山用客車 車体幅914mm、全高1,450mmという超小型で室内高も1,250mm

ぶんしゅう氏のブダベスト地下鉄1号線は、1896(明治29)年開業と猛烈に古いだけに、隧道断面が著しく狭く、シールド工法によるロンドンと違ってオープンカットであり、かつ地表からも常識を超える程浅く、断面が四角い。古い車両は恐らくは電動機寸法に制限されて車輪径をあまり小さくできず、あたかも大物貨車シキのごとき台枠と常識的な台車にせざるを得なかったことが分かる。

それが現在の車両では、電動機の回転数が上って体積を小さくでき、運転席や連節面の床もかなり下げられてはいるが、それでも連結面には貫通路が設けられず、横向き座席で床面高をカバーしているのが写真に見える。

このような著しく狭い隧道断面に対応した車両は、我国にも鉱山用にあった。一例に明延鉱山の客車図(偉いさんや来客用か)を入れておくが、電気機関車牽引だから車輪径を250mmと小さくでき、床面高は180mmだが、それでもその位置の床が高くなるから座席にしているわけで、要は同じ発想である。図面には昭和10.6.9の日付がある。鉱山隧道では電車でなく電機牽引とするのはそのためでもある。

新刊本の紹介(続編)『京都の市電』

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京都府宇治市在住の奥山直秀です。いつもDRFCにはご案内やら、お誘いやらお世話になりながら、何もお返し、貢献が出来なくて申し訳なく思っています。何しろアナログ人間ですから、デジタル青信号をタイムリーに見る事が出来ないばかりか、紹介したい出来事がありましても思うように参りません。

そんな私ですが、5月8日の京都新聞に掲載された上記の記事には黙って居難く、小生の『機関区めぐり』を担当して頂いている鶴さんに依頼し、デジ青への掲載をお願いした次第です。遅くなりまして申し訳ありませんが是非ご覧ください。

(鶴追記)この件、去る4月24日、準特急さんが『新刊本の紹介』として紹介された記事に同じです。その後、5月8日京都新聞にも紹介掲載されたということです。

4/24の準特急さんの投稿には沢山のコメントもあります。
中でも乙訓の老人さまは、『講読希望の方は「元祖青信号」本人または応援団「乙訓の老人」までご連絡いただけば、便宜を図らせて頂くことも可能であります。』と述べられています。ご便宜に便乗致しましょう。

クローバー会 春の特別凸凹列車 「春の奈良ハイク大仏鉄道の遺構めぐり」号 発車 

 5月9日 天気が少しあやしいのでしたが、クローバー会春の特別運行「春の奈良ハイク大仏鉄道の遺構めぐり」号が出発しました。ほんとうは天気があやしい方がよいのです。参加する車両たちのほとんどは製造から半世紀以上も経っているので、動力機関がオーバーヒートを起こしたり、足回りに異常が発生して走行不能となる可能性が高いのです。

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大仏線はこの加茂駅より奈良に向かって走っていた。

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水ぬるむ北勢線

DRFCメンバーでの「しまかぜ」乗車の翌日 2013年9月2日に 乙訓の老人さま、総本家青信号特派員さま、WAKUHIROさまと4名で訪れた三岐鉄道北勢線は、その魅力にその後何度か訪問しました。
先日4月30日にも行ってきましたので紹介させていただきます。

↓ 西桑名 発車前の楚原行き3連です。左のフェンスの先がJR関西線、近鉄名古屋線で3種類のゲージが並びます。この電車に乗車しました。北勢線20150430DSC_6060 続きを読む

阪急1300型

記憶が正しければ、昭和30年代の京都線で走っていたカッコイイ電車です。
屋根の張り上げ部に外気取り入れ用のルーバーが並び、無骨なデイ100とは違って大阪へ誘ってくれているような素敵な電車でした。 でも、あの電車が17m足らずのこの車両とは思えないので違ったのでしょうか?
710もロングシート化してありましたが座席は奥行きが広く、ソファーに掛けているようで大好きな阪急電車でした。
阪急1300型_NEW 阪急1300型(文)_NEW

これは「コンヤの電車」と一緒ですか。

 湯口先輩の「コンヤの電車」を見ていると、これと同じような電車を撮ったことがあるのを思い出しました。乙訓の長老様のコメントを読んでみると、ドイツで撮ったような気がして写真を見てみると、1994年6月にドイツのフランクフルトであった国際化学技術・バイオテクノロジー見本市視察ツアーに参加して、ケルンに行った時に撮った電車とよく似ていることがわかりました。ケルンで3連泊して企業と大学を訪問したのですが、自由行動の時間があったので市内をぶらついて撮ったものです。さて、これは同じ電車なのでしょうか。

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コンヤ( Konya)のトラム

クモハ73106東ウラさんより送っていただきました写真を掲載します。
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ほとんど見かけたことがないコンヤの路面電車の写真ですが、
2011年8月、トルコ旅行の際に撮影しておりますので、添付いたします。
湯口様の時代からカラーリングは若干変更されていますが、
極端に大きなパンタグラフなどは1995年当時のままのようです。
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この地名ですが、ネットで調べると「コンヤ」が一般的なようです。

私も9月にトルコに行く予定です。現在トラムが走っている町を調べています
ので訪問地候補としてノミネートしておきます。

IMG_3200 続きを読む

国鉄阪和線クハ6210に寄せて

モタ3000→モハ2250 → モハ20100番代に続いてクタ600→クハ6210→登場した。

関 三平氏は阪和形について詳細までご存じで、クハ6210がモカ2001→モニ3200と組んで荷電代用であったこともきちんと把握されておられる。
記録によれば期間は昭和25年7月13日~28年3月3日となっている。

グリーンとクリームの阪和特急・急行色に塗り替えられた時期は昭和31年と記されているが、もう少し詳しく見ると下記のようである。

ライバルの南海電鉄に対抗すべく70系が投入された。しかし南海は平行カルダン駆動に対し、旧態依然の吊掛式、ゆったり転換クロスシートに対し、シートピッチの狭い直角クロスシートと見劣りはしたが、利用者には好評であった。

最初に投入されたのは次の3編成である。
クハ76073+モハ70069+モハ70070+クハ76072 (31.11.30到着、31.12. 9使用開始)
クハ76075+モハ70071+モハ70072+クハ76074 (31.12. 1到着、31.12 .8使用開始)
クハ76077+モハ70073+モハ70074+クハ76076 (31.12. 9到着、31.12.14使用開始)

翌32年2月から理由は定かではないが、1両ずつ工場入りすることになったため、モハ61001とクハ6210が阪和特急・急行色に塗り替えられ入場車の穴埋めに連結された。
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コンヤの電車

あと10数月で傘寿がやってくるが、目出度いこと何ぞかけらも、なぁんにもない。ただ身辺整理を周りから責め立てられている。整理をしたって万が一にもへそくりや金の延べ棒が発掘されるはずもないのに。ふと見たネガの中に、綺麗に忘れていたトルコはコンヤの路面電車があった。トルコならイスタンブールの旧市街古典2軸電車が有名で、ぶんしゅう氏もアップしていた観光資源である。これは珍しくも何ともない、ごく当たり前でどこにでもある路面電車で、ただ従来あんまり出てこない(はず)というだけ。現像がイエローカメラなる、今はない安いのが取り柄のラボチェーンだったから、20年間での退色も激しい。まあ辛抱してご笑覧あれ。コンクリートの錘での架線緊張装置が右に見える。撮影は1995年9月17日、下は同行我が家の実力者(ヨメ様)による。

トルココンヤ1995.9.17小サイズ トルコのコンヤ1995.9サイズ小

 

北総開発鉄道7000系に寄せて

北総開発鉄道(平成16年7月1日北総鉄道に社名変更)7000系は、昭和54年3月9日小室~北初富間開業時に新製した電車である。
関 三平氏の解説文は「新鎌ヶ谷」となっているが、これは誤りで「北初富」が正しい。
開業時より新京成電鉄と相互乗入を行い松戸まで直行し、都心との連絡は、新京成電鉄、常磐線を介して行われた。

6両編成3本が新製され、両端が制御車7000形、中間が電動車7100形で、編成は下記の通りであった。車体メーカーは3編成ですべて異なっていた。
←北初富           →小室   製作
7002-7104-7103-7102-7101-7001  川重
7004-7108-7107-7106-7105-7003  日車
7006-7112-7111-7110-7109-7005  東急

昭和59年3月19日住宅・都市整備公団が小室~千葉ニュータウン間を開業し、その運営を受託した。 続きを読む

国鉄クハ6210

先週のクハ68078は、湯浅先輩が貴重な写真を掲載して下さったのでよく分かりました。電車よりも記事にある、脱脂粉乳やカルメ焼きの方がより実感がわきました。カルメ焼きのあの茶色いわけが今になって理解できたのです!
ところで、阪和線の電車のモタ、クタ、モカ、という形式にあるタやカの意味を教えて下さい。
クハ6210_NEW クハ6210(文)_NEW

桜と鯉のぼり

今年は桜の季節に雨の日が多く、仕事の都合もあっていいタイミングで出掛けることが出来ませんでした。ところが先日大阪へ出掛けた帰りに見つけたのがこの風景です、場所は榛原~室生口大野間で以前にも5200の旧特急色を写した場所(榛原ふるさと公園)です。この場所は5月が近づくと公園に鯉のぼりが何本も立てられ、地元?では有名なところのようですが、今年は思ったより早く立てられており桜と鯉のぼりを同時に見ることが出来ました。今回も幸運にも5200と遭遇しました。以前はキャンペーン中で窓下にラッピングがされていましたが、今はスッキリとなっています。しばらくの間はこの姿を見ることが出来ると思います。近鉄榛原

 

樽見鉄道と桜

樹齢 推定1500余年と言われる 世界的に有名な「淡墨桜」のある岐阜県本巣市の「樽見駅」へは「大垣駅」から樽見鉄道で一時間余りの旅になります。沿線の各駅や線路沿いには多くの桜が植えられていてこの季節はきれいです。特に「谷汲口駅」の周辺は多くの桜が植えられて多くの人たちが集まります。
4月9日はすでに満開を過ぎ少し葉桜となりかかっていましたが 何とかまだ絵になる状況でした。
↓ 大垣行 ハイモ295-516 唯一の樽見鉄道色塗装車です。
樽見20150409DSC_2167
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2015年 西方見聞録 ルーマニア鉄路の旅 Part24 Cluj-Napoca(クルージ・ナポカのトラム)、夜のクルージ・ナポカ駅

DSC_640637▲ 夕闇迫った中世時代から続く街並みを行くトラム。この路線にはかつて、煙を噴き上げながら蒸気トラムが走りました。今日は重い靴にもめげずに鉄路・トラム沿線を歩いての撮り鉄でした。
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