2日目の日中は旅順観光でしたが、大連へ戻ってから夕食へ行くまでのわずかな自由時間を利用し、今度は小銭と小額紙幣もぬかりなく?用意して、電車に乗りに行きました。
ところが、昨日にもまして運行本数が少なく、最初の電車は満員積み残し、次は新型車が続き、やっと来た旧型は民主広場にある車庫の入庫車で、駅前電停で無駄に時間を過ごしてしまい、時間の関係もあり最後はやむを得ず?低床車に乗車しました。
2日目の日中は旅順観光でしたが、大連へ戻ってから夕食へ行くまでのわずかな自由時間を利用し、今度は小銭と小額紙幣もぬかりなく?用意して、電車に乗りに行きました。
ところが、昨日にもまして運行本数が少なく、最初の電車は満員積み残し、次は新型車が続き、やっと来た旧型は民主広場にある車庫の入庫車で、駅前電停で無駄に時間を過ごしてしまい、時間の関係もあり最後はやむを得ず?低床車に乗車しました。
当該編成は、48年10月6日寝屋川検車区で実見している。この時は澤村さんからお誘いを受け、何人かの方と一緒であったと思う。
この編成がバキュームカーの運搬していたことは全く知らなかった。
撮影したのは113のみで、103と153を撮影していないのは、障害物があったためと思われる。
当時、京阪本線の電動貨車は、この編成を含めて3編成あり、他の2編成は下記の通りであった。
101+151+111
102+152+112
その他、救援車として使用されていた121と大津線の122が在籍した。
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「61843 KAWANAKA先輩の 初夏を送る」 でみごとなあじさいの写真を見せていただきましたが 今年はきれいなあじさいに行きあたらず 6月24日の函館での花の写真を紹介させていただきたいと思います。
函館駅前は季節ごとにきれいな花が飾られ また市電の沿線にもいろいろな花が咲き我々の目を楽しませてくれています。
↓ 函館駅前のパンジーの花と2002号です。
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東武スカイツリーライン西新井~竹ノ塚間を快走する03-820編成/(27-6-30)
「昭和の電車」に「平成の電車」が登場した。
営団地下鉄(現東京メトロ)03系は日比谷線3000系の後継車として昭和62年から平成6年にかけて8両編成42本が新製された。
そのうち平成2年製の第9編成から平成5年製の第28編成までの20編成が8両編成中両端の2両ずつの4両が5扉車として新製された。
京阪の5000系のように1編成全部を5扉にしなかったのは、日比谷線の駅の構造がホームの両端に改札口に通じる階段のある駅が多く、前後の車両が特に混雑が激しいためである。
6月17日東京メトロ、東武鉄道の連名で日比谷線の20m車化とホームドアの設置が発表され、来年度から3年間で18m車8両編成から20m車7両編成に取替えられる予定である。
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KAWANAKAです。
田圃の水鏡に引き続き、初夏の風物あじさいを。もうそのシーズンは
そろそろ終わりですがこんな投稿があっても宜しいのではないかとUP
しました。今年はINUBUSE氏の水ぬるむ北勢線やWakuhiro氏の鯉のぼり
泳いでいますなどがあり、風物豊かであります。さて、あじさいはモ
コモッとド派手に咲くので列車の前面とかに季節の風物詩として出る
ことはあっても鉄には関係がないので、あじさいを前に出して登場す
ることは少ないと思います。それをわざわざUPするのはド変人と承知
の上でネタを仕入れに出ました。ところが過日の投稿で吐露しました
ように軸重が掛かりすぎて軽量化できるまで動ける状態にありません
。それでも出掛けようと車庫を出たまでは良かったのですが、直ぐに
駅の250‰の階段が無理と悟り結局引き返してきました。という訳
で秋口まで待ちきれず、過去に撮ってきたネタで初夏を終わりにした
いと投稿することにした次第です。賞味期限が1年前ですがどうせNews
性がないのだから、まっええかと言うことに勝手にしたいと思います
。ヘッドマークが違うやん、とかいうのは認識していますが、雰囲気
だけをお伝えします。早いこと線路脇に行きたいワイと思いながらUP
します。
拙宅のある佐倉はほんまに田圃以外季節感の少ないところで、また車
種も多くないので、同じ少ない車種ならいっそのこと日本の原風景の
残る小湊鉄道に行ってやろうかい。そこまで行くなら、もう少し足を
伸ばしていすみ鉄道もええやん、と。そこで、小湊の始発駅である五
井を7:23に出ればいすみ鉄道も効率よく捕れ、結構うろうろして
昼前に上総中野に戻って来れていすみの国鉄色2両(近じか3両にな
るが)も撮れるし・・。
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奈良の駅名研究家さんより案内のあった第7回レールエクスポに行って来ました。ホビースクエア京都で開かれたこの催しにはカツミ、KATO,TOMYTECなどに加え、ユニークな特製品を作る模型メーカー、関西の大手私鉄5社を含む鉄道会社18社が参加、そこに関関同立の鉄道クラブがレイアウトを持ち寄り出展しています。DRFCのコーナーにはDRFC30周年「同志社号」のヘッドマークも置かれ、ひときわ目立っていました。先日の4大学合同写真展に続く合同のイベント、会場で聞いたところでは、4大学で貸し切り列車を走らせる計画もあるとか、これからも多彩な活動を続けられることを期待します。 続きを読む
モハ301+クハ502 / (42-4-5)千頭
大津の86様、INUBUSE様より「リニア館のモハ1形」の報告があったが、大井川鉄道での現役時代を報告する。
大井川鉄道に転入したのは、僚車のモハ302と共に昭和28年5月であるが、改めて経歴を振り返ると下記の通りである。
鉄道省デハ33509(大正11年日本車輌)→モハ1035(昭和3年改番)→三信鉄道デ307(13年転入)→鉄道省デ307(18年8月買収)→27年7月廃車→大井川鉄道モハ301(28年5月)
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「61650大津の86さんの記事」によせて
リニア館のモハ1035の写真が少しありましたので追加で紹介さえていただきたいと思います。
柱がじゃまですが全景です。 2014/2/5
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関西人は木造国電を知らないのが普通、配置がなかった。京都駅に出入りする国電は全て鋼製で、東京圏のように荷物電車は木造といった時代がなかった。それだけに老人は木造国電なるものに興味を持っていたのだが、琴電でも車庫で見ただけで乗ったことがない。それだけにThurukame氏が走行中の姿を撮影したことを知っており、紹介したかった。そこで箱詰めになっている琴電、それも半世紀以上前のものを取り出し整理してみたら「あった!」、1961年3月17日撮影となっている。その前年、老人の訪問時は車庫奥の留置で走る姿は見られずであった。調べてみると1967年2月廃車とある。富山から大阪へ転勤となったのが1963年秋で、この時から四国担当となり何度も出張しているが、お眼にかかれずであった。
KAWANAKAです。
長い間音なしの状態でありました(佐倉の線路脇で生きております)。13日に宝塚線の田圃の水鏡が出ていました。かなり時間が経って賞味期間切れに近いというより正に賞味期限ですが、小生の篭っている祠(ほこら)の近所も水鏡と言う点では遜色ないと思いますので、またこのまま放っておいたら恐らく画像データがどこかに行ってしまうであろうとも思いますのでUPすることにしました。
場所は総武本線と成田線の分岐前で佐倉駅を出た1.5kmの地点です。小生の祠から、歩いて2分、そこから土手を下って1分の田圃脇です。狙うものは1日2往復の貨物と中心に色取がきれいな成田エクスプレスです。その時間にあわせて通過の10分前に祠を出ます。4月から勤めがなくなったので終日祠にいてゴソゴソ仕事をし、時間や!というときに4回家を出ます。最近は実家高槻でのロケで膝を完全に痛めてしまい、その2分が苦痛になって水鏡以降結構出陣がなくなりましたが、ま、最近までマメに出ていました。そのときの写真です。
まず、5時20頃の貨物です。15分くらいになると遠くからロコのタタン、タタン、タタン・・・というジョイント音とそれに続くタタタタン、タタタタン・・・というコキの音が夜明けの静寂を破って聞こえてきます。本来聞こえない距離にあって聞こえます。ややあって、カーブの影に隠れた列車は田圃の横をモータ音の唸りとともに目の前を通過、小生は足場の悪いのを忘れて1押しだけのシャッタを押します。毎日撮っていると田圃の表情が変わって行き、天気によって景色が変わるのが分かります。今日は風もなくしかも晴れ渡って水鏡は綺麗です。
伊賀鉄道について、米手作市さんの「近鉄形を見た‥」、藤本さんの「奈良線伊賀出張所」のコメントがあり当時の様子を捜しました。車両は860+760になりますが近鉄のオリジナル塗装、忍者塗装、復刻塗装があります。オリジナル塗装はネガからデジタルに変換したもので日付が不明となってしまいましたが桑町付近を走る第4編成です。次に「くの一」が駆け込もうとしているのが忍者塗装の第6編成で、上野市のホームです(2008.4)。つぎの2枚が復刻塗装されたもので伊賀神戸、上野市(2010.1)となります。いずれも「近鉄」のイメージが強く残っています。近鉄の支線という印象が強く残っていました。 続きを読む