【12682】長野電鉄から転入した上田交通の車両


千曲川の鉄橋を渡るモハ5261  上田~城下/昭和61年3月16日

tsurukame先輩が書き込みされた【12122】「雪景色・番外 長野電鉄2000、600形」の関連で長野電鉄から転入した上田交通の車両について紹介したい。撮影できなかった車両(モハ612→モハ5271)の写真は、犬伏孝司氏よりご提供いただいた。

 長野電鉄は、昭和56年3月1日長野~本郷間の地下化に伴い、不燃化基準により地下乗入が不可能な車両は、河東線(屋代~須坂)で使用する車両を除き、順次廃車となった。その中で、モハ102、モハ201、モハ604、モハ611、モハ612の5両は、上田交通に譲渡され、部品取りとなったモハ611以外の4両が別所線で再起した。
当時、別所線ではラッシュ時にモハにクハまたはサハを増結していたが、サハの場合は運転台が無いため、終着駅ではモハを先頭に付け替える必要があり、機回し線がある上田はともかく、別所温泉は留置線を利用して複雑な入換作業が必要であった。この4両の増備によりサハとクハの一部が廃車となり、これらの作業が不要となった。昭和61年10月1日の1500Ⅴ昇圧により廃車となったが、モハ604→クハ271は長野電鉄に里帰りして、モハ604に復元の上、小布施駅構内の「長電電車の広場」で保存されている。
旧番対照は下記の通りである。(左/長野電鉄・右/上田交通)
モハ102→クハ261・モハ201→モハ5261・モハ612→モハ5271・モハ604→クハ271

【車両の概要】
クハ261(旧長野電鉄モハ102
)
大正15年6月汽車会社で須坂~権堂間の開業に備えて作られた車両で、モハ101、102の2両在籍した。半鋼製車初期の製品で台枠にトラス棒が付いている。昭和53年9月に廃車となりモハ102のみ上田交通に譲渡されたが暫く手が付けられず、昭和55年3月になって電装解除の上、両運のクハとなった。


上田原/昭和61年3月16日

モハ5261(旧長野電鉄モハ201)
昭和8年4月汽車会社製で長野電鉄では1形式1両であった。前述のクハ261とはよく似たスタイルであるが、台枠にトラス棒が無い、リベットが少ない、扉間の窓の並びが均等の違いが見られる。長野電鉄の廃車時期はクハ261と同じであるが、こちらは直ぐに整備され、昭和53年12月に竣工した。

 
上田/昭和61年3月16日

 
上田/昭和61年8月24日(モハ5261+クハ291の2連)

モハ5271(旧長野電鉄モハ612←モハ602)
クハ271 (旧長野電鉄モハ604
)
昭和2年川崎造船所製の全鋼製車でモハ601~604の4両作られた。阪急600形、西武151形とは同形である。昭和41年に601と602のパンタ側(長野向き)の運転台の拡張工事が実施され、乗務員室扉の設置、客室扉の移設が行われた。昭和55年に4両共廃車となり、モハ603を除く3両が上田交通に譲渡された。
モハ612は昭和56年8月にモハ5271として竣工、モハ604は昭和58年7月になって電装解除の上クハ271として竣工した。モハ611は改造されることなく部品取りとして長電時代の塗装のままで上田原検車区に留置されていた。

 


モハ5271 上田/昭和58年7月8日 犬伏氏撮影
(上田側は原形、別所温泉側は長野電鉄時代に改造)

 
クハ271 上田/昭和61年3月16日

 


モハ611 上田原/上 昭和60年1月15日 下/昭和61年3月16日
(モハ611は改造されずに部品取り車になっていた)

【元東急の車両】
元長野電鉄の車両と前後して東急から譲渡された車両についても触れておきたい。

①デハ3310・クハ3661・クハ3772
昭和50年12月朝ラッシュ時の輸送力増強のために東急からデハ3310+クハ3661を借入れ、昭和54年4月正式に譲り受けた。

東急デハ3300形は目蒲電鉄から引継いだ車両で、元鉄道省の木製車を昭和11年から15年にかけて川崎車輛で鋼体化したもので、当初3301~3311の11両在籍していたが3302と3303の2両は戦災に会い9両が残った。晩年は3両×3本が池上線で使用されていた。
上田交通では平日朝ラッシュ時に上田原→中塩田→上田→上田原の限定運用で使用していたが、正式譲受け後連結面にも運転台を設置して単行で使用可能なように改造したが、使用実績は極めて少なかった。

 
上田原/昭和61年3月16日


[参考]東急デハ3307+3306+3308 旗の台/昭和47年12月17日

クハ3660形は2両在籍し、名義上は昭和22年に元京浜急行の木製車クハ5213、5222を更新したことになっているが、実際には車体新製車である。(台車は中古品)借入直前は田園都市線で使用されていた。昭和58年10月老朽化のため廃車となり、次に述べるクハ3772と交替した。

 
上田原/昭和60年1月15

クハ3770形は戦災で焼失した国電を購入して自社で復旧した車両で、クハ3772の前身はクハ65147とされている。昭和36年東横車輛で全金製の新製車体と乗せ換えた。昭和58年10月クハ3661の代替として入線したが、1500Vに昇圧のため僅か3年で廃車になった。

 
上田原/昭和60年1月15

②クハ291、クハ292
昭和58年10月東急5000系の中間車サハ5358(昭和31年/東急車両製)、サハ5371(昭和33年/東急車両製)の上田寄りに運転台を取り付け入線した。前述のクハ3772同様僅か3年で廃車になった。

 


上 クハ291  中 クハ291別所温泉側  下クハ291/昭和60年1月15日


【12660】芭石鉄道 2011年冬から春への中国鉄路の旅 Part15 蜜蜂岩からの帰路

第13日目 3月6日
①蜜蜂岩11:31(芭石鉄道)→12:02石渓
②石渓站13:13(Taxi)→14:40楽山肖埧站
③楽山肖埧站15:10(バス)→17:22成都旅游客运中心
④華西埧17:48(成都地铁)→18:00鉄路北站


今日は、今回の芭石鉄道訪問最終日です。昼前の第2次で蜜蜂岩を去りますので遠くへはいけません。昨夜お会いした日本人の方は朝1番の列車で芭沟に向かわれていましたので、最後の撮影は蜜蜂岩站に近い定番撮影地でオーストラリア人一行と一緒に撮ることにしました。

▲ 10:07、第2次が上がってきましたが、期待の煙は今一でした。

オーストラリア人一行の通訳兼案内人は今年1月三道嶺に別のイギリス人を案内した時のデジカメ画像を見せてくれましたが、我々が行った時とは比べようがないほど天山山脈がハッキリと見えて、煙も大迫力でした。三道嶺は1月10日前後がベストのようです。

見せていただいた画像は、いずれもすばらしい超一流の腕前です。普通の方ではないなと思い、
話をしていましたら彼のHPアドレスを教えてくださいました。帰国後に見ていましたら、やはり中国鉄路のプロ写真家でした。写真集も出しておられます。初めて中国人として一流の鉄道写真家に出会いました。
彼のHPです。ご覧ください。

http://www.hasea.com/jun-railjourney/intro.php


▲ 10:44、少し菜子埧方面に上がった場所も一緒に撮影です。3日連続の撮影地でしたので今日は少し場所を移動して撮りました。暖かくなってきたのか煙はほとんど出てくれません。これが最終撮影でした。

3泊4日間の短い滞在でしたが、2、3カット気に入る写真は撮れました。もう少し晴れてくれたら、菜の花が満開だったなら、煙がもっとでてくれたらとの後悔はありましたが、それでも上手い人は状況を生かした写真を撮られます。自分の感性不足を嘆くべきでしょう。
陳さんと記念写真を撮って、また来年も来ますのでよろしくと滞在中のお礼を言って山里を後にしました。


▲ 山里を下る列車は、週末を実家で過ごした中高校生たちと一緒でした。家族と離れて集団生活の競争の中に戻る、彼ら彼女たちはどんな気持ちで車窓を見ているのでしょうか。


12:02、石渓駅到着。ホームはオープンカフェ状態です。
迎えのTaxi運転手との待ち合わせには十分な時間がありますので、食事をとろうとしていましたら、日本人O氏と出会いました。一緒に食事をとりながら聞きますと、O氏も同年齢で同じく定年延長はしなかったリタイア組で話が弾みました。W大鉄道研究会のOBとして前々回コメント欄でご紹介しましたのはこの方です。

迎えのTaxi運転手が探しに来てくれましたので、これから芭石鉄道を訪ねられるO氏とは今後ともよろしくと連絡をお約束して、ここでお別れしました。

楽山肖埧站まではゆっくりでいいからと、助手席に座って運転手の沿線ガイドを聞きながら(半分も中国語が分かりませんでしたが・・)、ゆっくりの約1時間半でした。


▲ 楽山の肖埧站。最近のバスターミナルはどこも同じような天井が高い体育館のような設計です。調兵山だといっても写真から見ると判別つきません。

バスは高速道路を快調に走り成都市内に近づきましたが、料金所前で大渋滞です。成都のバスターミナルには2時間以上もかかっての到着でした。地铁駅へはゆっくり街を見ながら徒歩で向かいました。駅は往路とは違って1つ先の駅を選びましたが少し近かったかなと思う距離でした。

18:00、無事に成都駅に到着しました。預けてあったスーツケースを取ってから汉都大酒店にチェックインしました。勿論、部屋は列車が見える1303号室をお願いしました。
まずは4日ぶりのお風呂です。蜜蜂岩站の民宿はそれなりに良いのですが、バスタブがないのと食事のバリエーションがないのが欠点です。3泊4日夕食を含めると185.5元(約2420円)の支払いは驚くべき安さですが、もう少し高くともグレードを上げて欲しいと願うのは私だけではありません。陳さん頑張って欲しいです。


夕食後に上海虹桥までの切符を買いに行きましたが、4日前に来た時とは違って窓口に並ぶ客はガラガラ、切符の残席は279席とこれもガラガラでした。


【12645】芭石鉄道 2011年冬から春への中国鉄路の旅 Part14 菜子埧~躍進

第12日目 3月5日
①蜜蜂岩6:47(芭石鉄道)→7:07菜子埧
②菜子埧站(徒歩)→12:30蜜蜂岩站
③蜜蜂岩站(徒歩)→14:50躍進站
④躍進17:56(芭石鉄道)→18:12蜜蜂岩

昨日は芭沟~蜜蜂岩間を行ったりきたり、ふかん撮影のための山登りも含めると約20キロは歩きましたので、足の不安は消えました。今日もしっかりと歩こうと1番列車で芭沟を目指しましたが、車窓から見る天候は昨日以上の霧です。予定変更をせざるをえないと判断して菜子で降りることにしましたが、降りてすぐに石につまずいて転んでひざ下を強打してしまいました。

これはえらいことになったと緊急用の湿布をしてサポーターを巻いてから、しばらく様子を診ることにしました。最近は老いてきたのかこういったアクシデントが多くなってきました。先日も長浜で一緒に撮影に同行させていただいた総本家さんにもご迷惑をおかけしました。そのために一人で動く時には常に緊急用品を持ち歩いていましたので役にたちました。
場合によっては民宿の陳さんに連絡して迎えの要請をしなければと覚悟しましたが、痛みが治まってきたので芭沟方向に歩くのは諦めて、民宿方向の撮影地としました。

▲ 7:49、芭石鉄道では3本指に入る撮影地ですが、今年は棚田に菜の花はありません。これからのためでしょうか棚田は区画整理されて菜の花は植えられていませんでした。それでも運転手はドレインのサービスは続けてくれました。来年は絶景が広がることを期待しました。

▲ 9:53、山間にドラフトを響かせて最初の4両編成の観光列車が上がってきました。

▲ 10:17、今回菜の花が線路の両側にそこそこ満開だったのはここだけでした。観光列車を追うように5両編成の第2次列車がS字カーブを駆け抜けてきました。車両の窓からはたくさんの顔が見え手が振られていました。

▲ 11:21、昨日夕方と同じ撮影地ですが、今日は白煙をたなびかせての2番目の観光列車の到来です。

▲ 11:53、ここには、耕運機はありません。牛と人が田畑を耕します。沿線のあちこちで見受けられる光景でした。

今日は朝飯抜きです。一旦民宿に引き上げると、同年輩の白人2名が来られていました。通訳兼案内人と一緒でオーストラリアから来た。今日から10日間撮影予定だと言われました。昨年はイギリス人親子でした。皆さん中々来ることができない辺境の地ですので、滞在撮影日数は長く取っておられます。これなら天気の良い日もあたります。また花も咲きます。ゆっくりと腰を落ち着けて撮れます。見習うべきと思いました。

但しこの民宿に泊まられるのかと思っていましたら、この民宿のシャワーとトイレは馴染めない。特にバスタブがないのは受け入れられない。下の犍為にあるホテルから毎日1番列車に乗って来て、最終で帰ると言われていました。日本人でも馴染めることができない民宿の設備です。我慢できないのは分かります。

一緒に昼食をとった後、痛めた足を再治療しました。まあ5キロは歩けたので、大丈夫そうです。彼らと反対方向に分かれて下の躍進まで歩き、帰りは最終列車で上がって帰る方が楽だなと思い歩き始めましたが、楽を選択すると良い事はありません。予定していた撮影地に着く前に列車はやってきました。今日にかぎって列車がことごとく早点(早着)します。これには参りました。ご紹介できる写真は1枚もありません。


代わりに元気な子供たちの笑顔を紹介します。躍進駅に向かって歩いていると子犬を抱いた少女たちに私達も写真を撮って欲しいと呼び止められて撮りました1枚です。疲れている時の子供たちの笑顔ほど嬉しいものはありません。元気がでました。


▲ 16:02、気を取り戻して躍進駅からの電化区間で撮影をしました。この凸型ELの在籍台数は調べていませんが3号機と表示されていますので3台はあるのかも・・・。製造は2000年6月です。


▲ 16:27、躍進で交換して下りてきた第3次。最長の7両編成です。ここでは、成都から車を運転して来たという現地鉄ちゃんと一緒に話しながら撮影をしました。


▲ 18:12、躍進駅からは予定通りの最終第4次で蜜蜂岩駅に戻りました。
今日も石炭ガラ集めが行われていましたが、今日は子供たちが寄宿舎から実家に戻った日です。いつもよりたくさんの住民が燃料を集めておられました。

いよいよ明日は芭石鉄道とお別れの日です。今回は日本人には会えなかったなあと思っていましたら、駐在先の大连から来られたという同年輩に近い方が民宿に来られていました。昨日仕事が終わってから飛行機で成都空港に着いたがホテルがなかった。仕方なく客引きのおばさんについていったが、連れていかれた先のホテルでは0時を回っていて部屋はないと言われた。交渉してロビーのソファーに1泊40元(約520円)で寝ましたと言われました。こんな猛者もおられるとびっくりしました。

この方、茨城県の大手H社からの2度目の駐在で、そうすぐ転勤帰国するので最後の中国撮影旅行ですと言われておられました。住いの地は今回地震で被災されておられます。帰国後に連絡をしましたが連絡取れません。無事におられるのか心配しております。


【12600】芭石鉄道 2011年冬から春への中国鉄路の旅 Part13 芭沟~蜜蜂岩

第11日目 3月4日
①蜜蜂岩6
:45(芭石鉄道)→7:25芭沟
芭沟 7:10(徒歩)→19:00蜜蜂岩站



昨夜は9時過ぎにバタンキューで寝てしまいましたので、朝5時半には起き上がれました。今日は1番列車に乗って芭沟に行き蜜蜂岩まで徒歩での撮影予定です。幸いにして、足の状態も良くなってきました。しかり無理は禁物ですので、様子を見ながらとしました。


7:25、15分遅れの1番列車で芭沟に到着しました。途中、定番撮影地の菜子埧~仙人脚の臨時駅では、まだ夜明け前だというのにカメラを向けている中国人鉄ちゃん4名の姿を車窓から見ました。多分昨夜は芭沟に泊まって徒歩で来られたと推測できます。これほど熱心な中国人鉄ちゃんを見たのは初めてですが、今回は数多くの中国人鉄ちゃんと遭遇しました。ただし撮影マナーは全くなく、平気で以前から待っている撮影者の前に突然来てアングルをぶち壊してしまうのには困ったものです。

7:37、終点黄村井で折り返した第1次が戻ってきました。ここで1両を増結して観光車1両を含んだ6両編成で7:42石渓へと向かって行きました。一応時刻表はあります。7:25発なのですが、結構アバウトです。

▲ 芭沟に来たらいつもの青空市場にある庶民食堂で朝の定食、肉マンとお粥です。これで3元(約40円)です。市場は野菜や鶏肉?等が並んで活況でした。

▲ 8:42、C2-14号機(機関車・炭水車共)牽引の石炭列車が第2トンネルを抜けてきました。この日の天気は終日、成都盆地特有の霧があって、天候には恵まれませんでした。

足の調子も良くなってきましたので第2トンネルを抜けて、焦埧~仙人脚間の大築堤へと歩きましたが、昨年は雑草に樹木が生い茂っていた撮影地は綺麗に刈り取られてすっきりと整備されています。しかし、バックの棚田の菜の花は霞で見えずガッカリですが、折角来たので折り返しの石炭列車を待ちました。

▲ 9:44、待った石炭列車がやってきましたが、これから煙を上げて上り坂を登っていくと思いきや途中で止まってしまいました。

▲ 運転手もお手上げです。発車する気配がないので行って見ますと、石炭が悪い、釜も悪いと言って圧力計を見せてくださいました。現在7気圧、13気圧に上げないと走行できないそうですが、当分かかると言います。この貨物列車、本来は蜜蜂岩站で定期の第2次と交換するはずですが止まっていてはできません。一足先に次の仙人脚駅まで行くことにしました。


▲ 10:20、石炭列車が仙人脚に到着。構内売店のお姉さんから差し入れが届きました。私もご相伴にあずかりましたが竹の葉に包んだお餅でした。この駅で列車交換することになったと言われたので、石渓方面に歩いて到着を待ちました。

▲ 10:54、第2次列車の到着。交換を終えた石炭列車が爆煙を吹き上げて発車しました。蒸気圧も十分上がったようです。

▲ 11:36、金曜日ですが土日に運転される3両の臨時観光列車が突然に上ってきました。右は11:46、仙人脚で交換した25分遅れの定期の第2次列車です。

▲ 14:44、山里にも桜でしょか、所々で咲いています。観光列車が下りてきました。

▲ 15:07、蜜蜂岩駅から終点の黄村井駅まで学校は、小学校1校だけが菜子埧駅近くにあるだけです。登校への10キロもの長い道のりは、芭石鉄道を利用します。C2が牽引する列車
が到着すると、子供たちは歓声をあげて乗り込んでいきました。第3次は子供たちが乗るスクール列車です。


▲ 16:07、欧米ファンが好む撮影地の第5トンネル前の岩壁付近も綺麗に整備されていました。
右、16:20、蜜蜂岩站に向かって降りていると、また2両の臨時観光列車が突然現れました。

▲  18:28、。最終の第4次列車も遅れて、夕闇が近づいてきた頃の上がってきました。

今日は一日中どんよりとした天候が続き、また煙も上がらずで期待した走行写真は撮れませんでした。民宿に帰ると陳さんの子供たち2人も週末で帰ってきていました。上のお姉ちゃんは、楽山近く羅城にある学校の寄宿舎住いで毎日7:00~10:10まで授業があるそうです。滞在中はお父さんの仕事を手伝っていましたが、ちょっと手が空くと教科書を広げて一生懸命に勉強していました。

19:40、暗闇の中、最終第4次が石渓へと下っていきました。後には、C2が残した石炭ガラがまだ赤々と燃えていました。


【12628】阪和モタ303

震災の影響でしばらく休載でしたが、再開されたようです。

さて、このモタ303、文中の「京阪電鉄スタッフが開発に関与した」とあるのはどういうことでしょうか?また、「アイスキャンデー塗装」とはなんでしょうか?京阪が阪和電鉄と関係があったのでしょうか?アイスキャンデー塗装というのは、文脈から想像するに窓部分を挟んで上下が同じ色のツートンカラーということでしょうが、こんな表現があったのでしょうか?

今回は、疑問がいくつも浮かんだ電車でした。長老の皆様、河様、ご教示ください。


【12605】ユースで巡った鉄道旅 -7-

蒸機の牙城、筑豊に泊まる

鉄道旅でユースホステルに泊まることのメリットとして、撮影地近くに立地するユースの多いことが挙げられます。ホテルや旅館は人口の集積地や観光地が中心ですが、ユースは観光地とはおよそ無縁なところに立地している場合があり、それは鉄道撮影地近くと一致する場合がありました。
その代表例として、よく利用したのが飯塚市にある八木山(やきやま)ユースです。蒸機の牙城たる筑豊にあり、ここを基地にして、2日、3日と連泊して筑豊各地で撮影を続けたものです。私は累計8泊して、ユース宿泊回数としては最大を記録しています。
飯塚市に所在と言っても、ここは飯塚と福岡の中間、八木山峠の近くにあります。通常は、新飯塚で下車、遠賀川を渡って川向こうの飯塚バスセンターへ向かい、天神行きの西鉄バスに乗ります。飯塚市街を走り抜けると、九十九折の坂道となり、峠を越えたところにユースは所在しています。筑豊のイメージからはほど遠いような、緑豊かな地でした。
今でこそ、飯塚と福岡は、福北ゆたか線(篠栗線)が直結し、電車に乗れば40分余りですが、当時の篠栗線は吉塚から篠栗までの盲腸線、以降、筑豊本線桂川までは未開通、そのため博多へ行くには、バスに乗るか、さもなくば、鉄道なら原田周りの遠回りを強いられました。そのため、この区間のバスは、本数も多く結構な賑わいを見せていましたが、現在では、バイパスができて、峠越えの必要もなくなりました。現在、同ユースは、飯塚八木山高原ユースホステルと改称して盛業中のようです。

ユース最寄駅の新飯塚は、明治35年に貨物専用の芳雄駅として開業、昭和10年に旅客駅となり、「新飯塚」と改称された。本家の飯塚よりも、市の中心市街地に近く、以前から飯塚よりも乗降客が多い。当時の駅舎は、車寄せを持ったいかついスタイルで、北九州によく見られたドイツスタイルを継承している。一昨年だったか、久しぶりに新飯塚駅に降り立った。駅舎は橋上駅になり新しくなったものの、駅前の閑散さは目を覆うばかりであった。

日曜日の朝、北九州方面へ向かう多くの乗客が待ち受ける新飯塚駅に、C55の牽く上り列車が滑り込む。鉄道にまつわる情景は、当時とは変わってしまったが、地方路線での旅客の多さ、これだけは今では全く見られなくなった光景だ。左に停車しているのは、急行「天草」。博多経由ではなく、筑豊本線を経由して熊本へ向かう。ロネ、ロザを連結した、典型的な夜行急行列車であった。

ユースに泊まると必ず行ったのが、筑豊本線筑前内野-筑前山家間の冷水峠だった。冷水トンネルをサミットに両側に25‰勾配が続く。旅客はC55の単機、貨物はD60重連が標準。D50、D51も走る。鹿児島本線のバイパス的な役割もあり、旅客、貨物ともそこそこの本数があった。優等列車も、前述のように客車急行、DC急行、それにDC特急までもが走っていた区間だった。


【12562】芭石鉄道 2011年冬から春への中国鉄路の旅 Part12 蜜蜂岩站へ

第10日目 3月3日
①鉄路北駅9:35(成都地铁)→錦江賓館(Taxi)→成都旅游客运中心駅
成都旅游客运中心 10:30(バス)→12:22楽山肖埧站
楽山肖埧站12:35(Taxi)→13:42芭石鉄道石渓駅
石渓14:00(芭石鉄道)→15:06蜜蜂岩

7:30、昨夜はお風呂にゆったりつかってからベットに入りましたので、さわやかな朝を迎えられました。

▲ 朝霞の中に太陽が昇って来ました。CRH1の16両編成が白蛇のごとく発車していきます。

▲ 朝の成都駅。成都地铁の車内では新聞を読んでいる乗客がたくさんいます。今まで中国で全地铁には乗車していますが上海地铁ぐらいしかこのような光景を見ることはありませんでした。地铁駅では、自動販売機・ATMも設置されています。

チェックアウト後、まずスーツケースを成都駅荷物預り所に預けてTaxiに乗りましたが、場所を知らないと乗車拒否です。降りて地铁て錦江賓館に向かい下車後にTaxiが来たので飛び乗り成都旅游客运中心バスターミナルに着きました。これが最も早くて楽な方法です。


▲ 楽山肖埧站行きの切符です。20~30分間閣で中型バスが出ています。成都盆地は霧発生が多く、所要時間は天候にも左右されますが、2時間前後です。

12:22、楽山肖埧站に到着後は、昨年と同様に白タクと料金交渉です。昨年は300元を260元で成立しましたが、今年は500元(約6500円)の提示をしてきます。中国でもガソリン・人件費が高騰していますので仕方がないと、300元(約3900円)で手をうちました。

出発してから前回、前々回と違った道を走ります。運転手に聞くと高速道路が昨年4月に開通したのでこちらの方が早いといいます。確かに昨年は2時間10分かかりましたが、今回は1時間7分で芭石鉄道石渓駅に到着しました。さらに来年には成都から楽山までは高速鉄道が開通し20分で来れるようになると言います。成都空港にも駅ができるそうで、辺境の芭石鉄道も気楽に行けるようになります。

▲ 楽山→芭石鉄道石渓駅間(約80キロ)までのルートは途中から高速道路が開通しています。犍為北ICで降りて石渓駅へ向かいます。かなりショートカットもされたので所要時間は半分になりました。今年10月には、楽山市内にも高速道路は延伸されますので、車でももっと早くになるでしょう。


▲ 13:42、芭石鉄道石渓駅に到着。諦めていた14時発の列車に間に合いました。運転手には帰路も利用すると伝えて名前と携帯番号を聞きました。

▲ 今日の編成はC2機関車№9号機+№10タンク車+無番車+13+12+23+9+観光車10の客車6両です。迷わず最後尾に乗車しました。


▲ 一般車両と観光車のどちらに乗車してもお客任せですが、運賃が2倍高くなります。いずれも指定席。友人の家に遊びに行くという可愛い愛嬌のあるお嬢さんが迎えてくれました。


▲ 15:20、躍進駅に到着。道路がないため、生活物品のすべては芭石鉄道が頼りです。この駅でもこれでもかと積み込みます。列車乗務員も手伝って発車しましたが、300mほど進んだところでバックしてホームに引き返しました。機関車も切り離して側線を戻ってきます。

▲ どうしたのかと思っていたら、ホッパに潜り込んで、炭水車に石炭を満載して戻ってきました。石炭が足らないので積み込んだのですが、側線にはELが石炭車を牽引していましたし、ホッパにはC2-7号機が作業中だったので、こんなややこしい入れ替えをしていたのです。
結局発車は30分以上遅れての14:54発車で蜜蜂岩站には15:06着になりました。


▲ 菜の花が咲き出した山坂を上がっていきます。蜜蜂岩站到着後は恒例の火床からの石炭ガラ排出作業を行いますが、住民の夕食支度の貴重な燃料になります。皆さん集まって燃えカス拾いが毎日繰り返されます。

▲ 蜜蜂岩站に着くまでに沿線を見ていましたが、今年は冬が長かったようで菜の花はまだ満開していません。民宿の陳さんの予想では、あと1週間ぐらいかなとの事でした。

▲ 定番の撮影地です。昨年は菜の花一杯でしたが・・・。


▲ それでも所々では、咲いています。近場ですが、頑張って探しました。

▲ 夕食は、陳さんが腕を振るっての麻婆豆腐とチンジャオロース(青椒肉絲)です。
陳さんの民宿は昨夜電話を入れてお願いしました。今夜は私一人だけの貸切です。1年ぶりの再会に話が弾みました。


【12526】成都地鉄 2011年冬から春への中国鉄路の旅 Part11 芭石鉄道行き決定

第9日目 3月2日
①乌鲁木齐13:34(K454次)→15:04成都
②鉄路北駅18:56(成都地铁)→19:08 錦江賓館
成都旅游客运中心駅(Taxi)→19:52汉都大酒店

49時間30分の乗り鉄旅を終えて15:04成都駅に降り立ちました。これから先はホテル予約はしていません。列車の切符もありません。切符が取れればすぐに昆明こ向かうか、あるいは芭石鉄道へと向かうかの選択肢がありましたが、その前に体調維持が優先されます。今日は成都で宿泊して休養を取ったほうが良いと判断しました。
準特急先輩がおられたらどうするのかと不安がられるでしょうが、成都は3回目の訪問で若干ですが土地勘はあります。以前に使ったことのある旅行社に頼むこともできますし、最悪の場合は前回宿泊したバックパッカー向けの日本人経営の「Sim’s Cozy Guesthouse」に飛び込みもできるかと楽観的に考えていました。


まずは鄭州鉄道日記
さんに紹介してもらった駅前のホテルに行こうとしましたが、成都駅前の乗車待ちの人ごみに圧倒されました。列車内に3日間いましたので疲れていて重いスーツケースも持っての移動する体力がありません。仕方なく、駅横に並列されているホテルなら楽だなとフロントに行って、今日は空き室はあるかと聞きますと、「はい、あります。朝食込みで288元(約3750円)です。」との返答でした。これなら予算内です。即決しました。

▲ 汉都大酒店:外観上は3ツ星以上の立派な建物ですが、竣工されてから長年補修もされた様子はなく設備も老朽化しています。レジットカードも使えず、インターネットなどありません。バスタオル類も雑巾かと思うほど黒くボロボロで、窓ガラスも割れて放置されたままです。部屋が寒いのでクレームを入れると暖房設備がないと言い布団を1枚持ってきました。
成都は暑い所なので、もともと冷房はあっても暖房設備を備えていないホテルが多いそうです。準特急先輩と泊まった乌鲁木齐の5ツ星ホテルとは月とスッパン以上の差がありますが、部屋は広いし何よりバスタブもあるのには救われました。日本人には、ゆったりとお湯につかれるのは疲れが取れます。

▲ そして窓から外を見ますと、眼下に成都駅から発着に列車を一望できます。これには感激しました。絶好の鉄ちゃん向けの部屋だったのです
皆さんだったら、 何を優先して宿泊するホテルを選択されますか? 私は他を諦めても列車が見えるこのホテルをお奨めします。部屋は1303号室でしたが、北側の部屋でしたら良いと思います。もっと高層階もありました。

【成都駅での切符の購入】
落ち着いたところで切符売場に行きました。昆明行きの切符が取れれば、成昆鉄路乗り鉄旅、なければ芭石鉄道撮影の旅となります。電光掲示板を見ますと、硬座寝台はあるのですが軟座寝台は1週間後も売り切れです。若かったら元気だったら一人でなかったら硬座寝台でもOKですが、現在の健康状態を考えると自重せざるをえません。これで、芭石鉄道行きが決定しました。


▲ 切符売場は全窓口は開いていましたが、並ぶ客で一杯です。高速電車CRHの切符売場は右側4窓口が設定されていて、右端1窓口のみ上海虹桥・北京西行きの電車寝台専用となっています。そして売場玄関正面には銀聯カードを使えるCRH専用自動販売機も設置されていますが、なぜか農業・工商・中国銀行専用と3行別々に分けられていました。

成都から帰国する際の出国地、上海までの切符も買っておかねばなりませんが、連日300席前後の空席があり当日購入も全く問題ありません。中国鉄路では日本のように号車指定ができず、1号車から順に販売します。後から購入した方がコンパートメントを独占できるチャンスがあるだろうと、乗車前日にしました。

【成都地铁、初乗車】
芭石鉄道へ向かうにはまず成都旅游客运中心駅からバスに乗って楽山に向かう移動が必要です。バスターミナルはここからは約7キロ離れた中心部にありますが、2010年9月27日に開した成都地铁で近くまで行けるようです。明日朝、慌てないように確認も含めて地铁初乗車することにしました。

▲ 1号線は全長18.5キロが開業しました。全国では当初軽軌とされた路線が武漢地铁1号線になりましたので7番目となります。瀋陽地鉄は8番目に訂正します。直流1500V、車両は車幅2.8mの中国地铁の標準規格B型が使用されています。切符は現在IC単票のみの使用で他都市で使用されている前払い式のICカードはありません

▲ 鉄路北駅(成都駅は、地元では成都北駅と呼ばれています。)構内、駅内の施設は、7番目の地铁だけあってきれいで最新の設備を揃えていますが、中国全土の地鉄は車両も含めて標準設備化されていて、どこの地铁なのか分かリらないところもあります。しかし成都地铁は各駅ホームの柱に特徴ある装飾が巻かれていて特徴ある駅になっています。それとこの駅のベンチは車輪をモチーフにしたモニュメントになっています。これは中々のデザインです。

▲ 鉄路北駅ホームも綺麗ですが、何より乗り降りは落ち着いていて我先にといった光景はありません。

▲ 錦江賓館駅は違った装飾です。出口案内板は空からのふかん図で分かりやすい表示です。

バスターミナルへは徒歩約20分の距離でしたが、今の老火車の状態を考慮すると、スーツケースを牽引しての行軍は出力不足が否めないと分かりました。スーツケースは駅の荷物預り所で置いておくのが賢明とリックサックだけで芭石鉄道に向かう事にしました。


【12553】JR貨物、不屈の鉄道魂 壁乗り越え被災地へ燃料

我らの仲間が復旧に善戦しているJR貨物、今日のネットニュース、ビジネス1に出ていたので転載します。末尾の記者さんの署名記事です。JR貨物、がんばれ!S君、がんばれ!

(以下転載)

 被災地の燃料不足が深刻化する中、ガソリンと軽油を積み込んだ「石油列車」が19日夜、盛岡貨物ターミナル駅(盛岡市)に滑り込んだ。震災後初めてとなる列車による燃料の大量輸送。輸送を担ったJR貨物には、被災によるルート変更、迅速なタンク貨車の手配などさまざまな課題がのしかかった。

◆正規ルートは壊滅

 新宿駅近くにあるJR貨物本社。1カ月前に移転したばかりの真新しいオフィスは、震災以来、沈痛な空気に包まれていた。首都圏と東北を結ぶ東北線、迂回路(うかいろ)の常磐線が深刻なダメージを受け、東日本がほぼ機能不全の状態に陥っていたのだ。

 テレビに映る被災地の惨状に社員は声を失った。さらにガソリンスタンドは長蛇の列、ストーブの燃料もない避難所には雪が積もっていた。燃料を早期に大量輸送できるルートが求められているのは明らかだった。

 14日夕、4階の会議室に各部署の主要メンバー30人が集まった。狭い室内に沈黙が続く中、誰かが声を上げた。「石油を運ぶぞ。日本海側から」。応じる声がすぐに上がった。社員の“鉄道魂”に火がついた瞬間だった。

 ◆「思いは同じだ」

 盛岡貨物ターミナル駅には、タンク貨車からタンクローリーに石油を移す施設がある。かろうじて“生きている”日本海側の線路を使い盛岡まで運ぶ。そこからタンクローリーで、被害の少ない内陸部の道路を南下、東に方向転換し、ピンポイントで最大の被災地、三陸沿岸集落に輸送する案が持ち上がった。

 昼夜を問わずに断続的に開かれた対策会議で、いくつもの課題が浮き彫りになった。運行管理の担当者は「日本海ルートで石油を運んだ実績がない」と天を仰いだ。

 重いタンク貨車に、レールや橋脚が耐えられないかもしれない。技術担当者がすぐに線路の管理者であるJR東日本に電話を入れた。「タンク貨車が通れるか、至急シミュレーションしてほしい」

 こうした試算は通常、長期間かかるが、JR東から返事が来たのは翌日だった。「大丈夫だ。いける」。答えを聞いたJR貨物の担当者はJR東の迅速な対応に「輸送にかける思いは同じだ」と胸が熱くなった。

 ■発送前倒し 応えたJX

 次は積み荷の手配だ。15日、営業担当者は、恐る恐る連絡を入れた。相手は元売り最大手のJX日鉱日石エネルギー。どの元売りも製油所が停止するなど、大打撃を受けていた。「輸送できます。いつから(石油を)出せますか」。相手は待っていたかのように応えた。「19日に出せる」

 その夜のJR貨物の会議で、ある幹部が思わぬことを口にした。「18日に出せないか」。その場に居合わせたある営業担当の男性社員は「政府の意向だ」と感じ取った。JXもあらゆる手を打ち、18日に間に合わせた。

 横浜市の根岸製油所で燃料を積み、丸1日かけて盛岡に運ぶ。青写真はできた。しかし、技術担当者は「できるだけ軽いタンク貨車を使うべきだ」と主張した。線路の耐性への疑念が消えなかったのだ。

 コンテナリース会社、日本石油輸送には40年以上前から使われ、退役間近のタンク貨車「タキ38000型」が36両残っていた。積載量は少ないが、一番軽い。「できるだけかき集めてほしい」。JR貨物の要請で、17日までに18両が集まった。

 18日午後7時44分、電気機関車「EF210型」に牽引(けんいん)され、ガソリン、軽油合計792キロリットル、タンクローリー40台分を積んだタンク貨車18両が、根岸駅を出発した。列車には8人のベテラン乗務員が交代で乗り込んだ。「乗務員は担当区間では踏切や信号はもとより、レールの状況も正確に記憶している」(同社広報)。不測の事態に備え、短い距離で運転を代わる万全の体制を敷いた。

 タンク貨車が盛岡駅に到着したのは19日午後10時過ぎ。待ちわびた多くのタンクローリーに石油が次々に充填(じゅうてん)され被災地へ向け走り出す。バトンは確かに引き継がれた。21日からは1日2便に増便しており、25日からは根岸→郡山(福島県郡山市)への輸送も始める。

 収益悪化や設備の老朽化などをたびたび指摘されてきたJR貨物だが、日本の非常時に鉄道輸送の存在感を見せつけている。(高山豊司)(以上、転載終わり)


【12539】JR西で運行削減?

新聞報道によると、今般の大震災の影響でJRーWでも列車運行本数を5~30%削減すると言うことです。

節電か?と思いきや、なんとモーターのブラシが不足だとか!記事によるとなんでも直流モーターのブラシを作っているのが浪江にある日立化成の工場で、原発に近く被害も大きいため製造が中断しているそうです。でも、これほどの大量の電車を運休にしなければならないほど消耗するものでしょうか?

カツミや天賞堂のモーターに詳しいぷるぷるさん、説明をお願いします。


【12509】K454乗車 2011年冬から春への中国鉄路の旅 Part10 49時間30分乗り鉄旅

第8・9日目 3月1・2日
①乌鲁木齐13:34(K454)→15:04成都

翌朝起きて車窓を見ると、K454次はまだ赤土の広がるシルクロードの世界を走行中です。やがて列車は甘粛省地級市の「武威」に到着しました。

【客車列車の種類】 中国鉄路を走行する客車列車には、

Z列車直達特快;最高速度160km/h対応の最新寝台車両を多くしてサービスを充実し、大都市間を途中停車を少なくして最短時間で結びます。軟座寝台のみといった編成も12本あり、全部で48本が運行されています。今回、北京西→兰州で利用しました。

T列車=特快;全土の大都市~地方都市漢をを結びます。寝台の他に硬座車(2等指定席車)も連結しています。272本が運行されています。今回、兰州→哈密間で利用しました。

K列車=快速;T列車よりも途中停車が多く、区間乗客も利用します。1080本が運行されています。今回、哈密→乌鲁木齐で利用しました。そして現在乗車中の列車です。

Y列車=旅游列車;以前は結構ありましたが、現在は、北京北~延庆に8本が運行されるのみです。北京から万里の長城に行く際に利用されています。

その他は普通車ですが、少し早い列車は普通快車(直訳すれば普通急行、車次1001~5816)と遅い列車は普通慢車(直訳は普通鈍行=6001~7582) に分けられています。

⑥また春節には、多くの臨時列車が運行されています。時刻表に掲載されていない短い区間列車、通勤列車もあります。



K454次の時刻表ですが、蘭新・千武・宝中・隴海・宝成線と乌鲁木齐・蘭州・鄭州・成都鉄道局内を走行するので、記載頁も3頁にまたがっています。

「武威」から蘭新線を離れ、千武線を一旦東へと走り寧夏回族自治区の中級都市中衛」に到着しました。

▲ 途中、ウトウトしていると、同室客が大きな声で呼ぶので通路側を見ると、列車が減速し何やら観光地らしき建物がありました。ここはテングリ大砂漠の東南に位置し、砂漠・高山・オアシスが一望できる「沙坡頭観光区」だそうです。

K454次中衛を発車すると、ほとんどが単線区間の中線に入り宝鸡へと向かいます。
18:35、山間での日没を迎えました。昨日と比べると1時間も早くなっています。乌鲁木齐から約29時間、約1900キロを東南に向けて移動していました。


▲ 今日の朝昼兼用の食事は可愛いお嬢さんが笑顔で販売に来た車内販売の弁当20元(約260円)、夕食は麺10元(約130円)でした。食堂車より安くて美味しかったです。

K454次宝鸡から、北京や上海から成都へ向かう列車が合流する幹線の宝成線に入ります。昨年も芭石鉄道訪問時に乗車した路線です。
3月2日の朝は渓谷を走る車中で迎えました。成都までは後、約8時間で到着です。

▲渓谷の トンネルを抜けるとそこには初春の香りがただよってきました。

同室の乗客とも話が進むようになってきました。乌鲁木齐から長期出張で成都に向かう45歳のサラリーマン2名と成都に住むお父さんに会いに帰る29歳のお姉さんです。 自己紹介も済むと、家族は何人か、日本はどんなところだ、何で一人で旅しているか等々の質問の嵐です。その都度、電子辞書を見ながら返答しますが、中々質問は途切れずでゆっくりとできません。

9:41、广元には10分早着。停車時間は22分もありますので、ここで列車編成のチェックをしました。

行李車(①XL25G205466)+硬座車8両(YZ25G②346112+③344806+④344795+⑤346142+⑥346129+⑦344764+⑧344008+⑨YZ25B343519)+食堂車(⑩CA25G892708)+軟座寝台車(⑪RW25G552211)+硬座寝台車7両(YW25G⑫671676+⑬670360+⑭671717+⑮669443+⑯675710+⑰670352+⑱671692+電源車(⑲KD25G998200)の19両編成でした。

广元を出て見えた屋根まで銀色塗装のおかしげな5両編成。B21-1 7210140との車番でした。普通の作業車ではないような感じがします。誰か知っている方がおられましたら教えてください。


▲ 今日の昼食です。食堂車の料理も食べましたし、弁当も同じ食材なので、同室客と一緒のラップラーメン(5元=約65円)にしました。頻繁に回る車内販売のお嬢さんとも3日も一緒ですとすっかり顔なじみです。お茶目なお嬢さんとのツ-ショトをいただきました。右は、寝台車の引換カードです。

しばらくすると勤務の終わった列車乗務員のおば様方が部屋に来て大きな声で話しまくっています。どうやら同室のおじさん2名とは顔見知りのようで、とうとう昼寝もできず、会話につき合わされ、気がつくと成都に到着していました。成都着は4分遅れでしたので乗車時間はピッタリ49時間30分、乗車距離は今まで最長の3026キロでした。乗車時間では、もっと長い列車が3本あります。機会があれば是非に乗車したいと思っております。