【22903】八月だ、もっと熱くなろう!赤道直下のインドネシアSL撮影の旅 Part5 PG.SUMBERHARJO(スンバルハルジョ製糖工場)

神谷武志企画のテレマカシーツアー  第3日目 8月6日 2の2


▲ 12:00、計ったような時間に、定番メニュー昼食が始まりましたが、その中でもこのスープは絶品です。ビールが主食の方が多い軍団ですが、これだけは唸らせました。

▲ 食後は、先行する青いバスとバス2台に分乗して、スンバルハルジョ製糖工場へと向かいました。信号待ちになりますと、何やら売りに来る現地人がおられます。赤と白で飾られた物は、インドネシア国旗の色です。買ってみたかったですね。
郊外に出ますと、緑の畑が続きます。べトラムのノンラーとよく似た農民の帽子をかぶった、女性の農民があぜ道を歩いています。周囲はねぎ畑だそうで、高い畝にすくった水をかけていました。日本では見受けられない光景です。手間をかけたねぎは、きっと高値で売れるのでしょうね。

車中ご一緒だったK・Yさん、今回から6×7のフイルムカメラからデジタルに替えられたとか、昨日からいろいろと使用方法についての質問が参りますが、お持ちのカメラはCanonです。私も入れて車内のメンバーは、Nikonばかりです。CanonとNikonでは、使用方法がまるで逆の場合もあって、聞けば聞くほど混乱されて、嘆いておられました。


▲ パンガからスンバルハルジョまでは、最短で約86キロ、約2時間強の乗車で、15:26に到着しました。※ 地図は、Googeマップのルート案内で作成していますので、実際の走行とは、異なります。

▲ 事務所で許可をとってから、機関士に指示を出す指令所に参りました。既にチャーターした11号機が待機中です。ここの蒸気機関車は、パンガと違って緑色の車体色です。煙突の形状も違っているのが特徴です。

O氏から、「ジャワの製糖工場の機関車の色は、黒はなく、カラフルなのが多いです。色は、工場長の権限で変更になると聞いたことがあります。工場長が変わると機関車の色も変わると。実際、工場長の変更があったかどうかは未確認ですが、年によって色が変わっていることはありました。」とのコメントをいただいています。

 

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【22935】南海戦前の冷房電車

南海鉄道戦前の冷房電車に関しては、鉄道史料55号に西 敏夫/小野田 滋両氏により詳述されている。これから要約すれば、1936年6月12日申請、7月11日設計変更認可及び車両定規突破により特別設計許可、7月21日竣功届。クハ2802の床下にガス圧縮機等一式を2基搭載、屋根上の冷却機から冷房をするもので、モハ2002との連結だが、冷房はクハのみ、モハはファンデリアとあって、当然ながら乗客は皆クハに集中したそうな。7月18日~9月10日まで、定期検査で2日、モーター冷房故障で2、3回冷房を中止した以外無事乗り切ったが、温度は予定通り下がったものの、湿気は十分取リ切れなかtっとのことである。

翌1937年にはMTユニットで冷房するように改良し、屋根上に何とも雄大?なダクト、連結面は専用幌を設置している。前年の湿気除去不足に換気回数を1時間13回から25回に増加させ、空気吹き出し口も増加させている。冷房主機はやはりクハ(和歌山方)に搭載し、モハ(難波方)は屋根上風道によりクハから冷気を供給。2両一組でモハ2001~2004/クハ2801~2804の計8両で、7月1日から冷房使用開始した由だが、この年だけに終わったのは、7月7日日華事変(日中戦争)ガぼっ発し、戦時体制が強化されたからである。

下図は上が1936年のクハ2802改造図、下が1937年モハ+クハのユニット図(いずれも鉄道史料55号より転載)

なお上図のクハは32.52トンから35トンに、下図ではモハが45.72トンが46トンに、クハは32.52トンが45.72トンというヘビーウエイトになった由。


【22921】謎の南海電車・クハ2001系

文の冒頭にあるCMソングは聞き覚えがあるよな気がしますが、この電車は全く知りません。

説明を読んで疑問がいくつもわいてきます。

まず、冷房のシステムについてです。クハ2801で冷気を起こしてフードで2001へ送るとか、勾配を使って冷気を分配するとか、全く想像がつきません。さらに難波―和歌山を蒸気機関車で運行したとか、どうなっているのでしょうか?南海本線は完全電化でしょう?

どなたか、戦後生まれの若輩者にわかりやすく教えて下さい。


【22805】八月だ、もっと熱くなろう! 赤道直下のインドネシアSL撮影の旅 Part4 P.G.PANGKA(パンカ製糖工場)

神谷武志企画のテレマカシーツアー  第3日目 8月6日 2の1


今日の午前中は、昨日に引き続きパンガ製糖工場での撮影、午後からはスンバルハルジョ製糖工場へと向かいます。


▲ 朝は6時にホテルのレストランに集合して、朝食はインドネシア風のバイキングです。お粥やスープもありましたので、ガッチリと食べました。

▲ お食事中に話題になったのは、部屋の天井の矢印と、カーテンボックス上にお菓子の袋が放置してあるとの事でした。矢印は、イスラム教徒の多いインドネシアですので、メッカの方角を指している”キブラ”と分かりましたが、お菓子の袋が分かりませんでした。食事の後で見てみるとありました。芳香剤です。思わぬ所に置いてあるので間違いますね。


▲ 7:26、昨日同様に工場前の踏切からの撮影開始です。2号機が回送されてきました。
集積場ヤードでは、丹念にポイントやレールぎわに落ちたサトウキビを取り除いて燃やしています。シュガートレインは、ローリーの脱線が多発するほど、上下左右の揺れが大きく、積んだサトウキビを落下させながら走っていきます。レール上に覆いかぶったサトウキビを踏みながら走りますが、ポイント部分では、重いSLでも脱線しますので、取り除かなければなりません。

▲ 今朝はまだサトウキビを運搬するトラックの到着が遅いのか、ローリーへの積み替えが進まず、発車はまだのようです。

猛者軍団もSLが走らないので、ゆっくりと時が来るのを待ちます。


 ▲ SLの牽引するシュガートレイン撮影が目的でしたが、DLも年代物の珍しい機関車が多く、これを見るのも楽しみでした。日本に走っていましたら、SL同様に追い掛け回されるヨダレの出る、車両です。

7:46、次はDL12号機が空車を牽引してきました。
1950年、ドイツSCHOEMAの製造です。

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【22888】日本鐵樂者写真展/「炭鉱(やま)の機関車」

都電荒川線、鬼子母神前電停、メトロ副都心線、雑司ヶ谷駅近く都内豊島区鬼子母神参道の直ぐ近くにある「三愚舎ギャラリー」で「炭鉱(やま)の機関車」をテーマにした写真展が開催されている。

主催者は「日本鐵樂者撮影家集団」金澤 忠、蔵重信隆、杉 行夫、野口信夫の各氏で、メインは昭和40年代に撮影された台湾の瑞三炭鉱、インドのティポン炭鉱で、デジ青でぶんしゅう氏が発表された中国のグース、昭和50年の夕張線、52年の釧路太平洋炭鉱の電機の生き生きした姿が展示されている。台湾国鉄のオハフ33を18m級に短くした客車を牽くDL等も見逃せない。

会期は9月2日(日曜日)まで、時間は12時~18時30分(最終日は17時まで)、木曜日のみ休廊となっている。土曜、日曜は開廊されているので関東地区の方で興味のある方は是非見に行っていただきたい。私が行った日には時々コメントをいただいている村樫四郎氏が観覧に来ておられた。


【22723】八月だ、もっと熱くなろう!赤道直下のインドネシアSL撮影の旅 Part3 P.G.PANGKA(パンカ製糖工場)

神谷武志企画のテレマカシーツアー  第2日目 8月5日 2の2


午前中の撮影は終了です。昨夜、ホテルには深夜到着で、朝は皆さん5時過ぎには起きられたようですので睡眠不足です。皆さんの体調を案じての神谷隊長の心遣いで、泊まっているホテルに一旦戻っての昼食。食後は、シャワーとお昼寝タイムとなりました。私は初めてのインドネシアとあって高ぶっておりましたので、ホテルのプールでひと泳ぎしました。後は落ち着いたのか、心地良くなってプールサイトのチェアーで、監視員の方から起こされるまで眠ってしまいました。


▲ 15:36、再び戻ってきたパンカ製糖工場の機関区。午後からの斜光がス3号機にスポットライトを浴びせていました。バックにおいてあるのは、サトウキビの絞りかすの”バカス”です。他の工場では、マキを燃料にしていますが、ここではバカスを主に使っていますので、火の粉がよく排出されます。夜はすばらしく、通称”花火”といわれていて、ここを訪れる鉄ちゃんの憧れになっているそうです。

これより夜まで、2号機をチャーターしての撮影開始です。民家の立ち並ぶ、工場ヤードの引き揚げ線の先方向に向かいました。


▲ ここまでトレインが来るのは珍しいのか、住民の皆さんも出てきて走行を見守ります。猛者軍団は連写で答えます。カメラ2台が見える奈良からお見えのW・Jさんは、ずっしりと重そうな背中のカメラバックに、6×7の他に3台、合計5台ものカメラを持ってきておられました。なんと重量は25kg以上とか、体力勝負の撮影でもあります。


▲ 猛者軍団は、2号機と不安定な空ローリーに乗って、集積場ヤードの先へと向かいます。

▲ 行ける所までと来ましたが、ここから先は線路が埋もれていてダメです。神谷隊長は、もう少し先ならバナナ林で良いロケーションなのにと残念だと申されていました。ここより少しヤードに戻して、夕陽が沈むのを待ちました。 


▲ 16:58、陽はまだ高かったのですが、機関車に近づいて夕陽を入れてみました。

▲ 17:22、特殊フィルターをお借りして撮りましたので、狙っていたショットには近くなりました。

▲ 17:44、陽が沈んだ後も残像を求めてみましたが、日本のような綺麗な夕焼けにはなりませんでした。

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【22753】大阪市電751型

昭和20年3月14日、B29の大編隊が大阪を襲いました。今は亡き両親から何回となく聞かされた話の出だしです。

当時、両親は千日前にあった大劇のまえで写真館を開いていました。昼頃から始まった空襲は悲惨を極め、大劇の地下に逃げ込んだ両親は逃げ遅れて最後に地上に出たときは、すでに難波と千日前を結ぶ通りは炎のトンネルとなっていたそうです。何分かに一回、風が起きてトンネルの炎が上へ開くときがあるのに気づき、日本一(日本橋一丁目)の交差点へ出たときにはこの世のものとは思えない光景だったそうです。高島屋の前の石畳には亀の甲に似た焼夷弾が不発のまま突き刺さり、市電が何台も堺筋に並んで止まっていて、そのほとんどが骨組みだけになり、まだ燃えているものもたくさんあったそうです。父は、そこに落ちていた自転車を拾って母を後ろに乗せて祖母のいる八尾を目指したと言っていました。

今日の画を拝見して、両親からの話を改めて思い出しました。

※今回は、投稿者の手落ちで、保存に不備があり色が悪いことをお詫び申し上げます。


【22572】八月だ、もっと熱くなろう! 赤道直下のインドネシアSL撮影の旅 Part2 P.G.PANGKA(パンカ製糖工場)

神谷武志企画のテレマカシーツアー  第2日目 8月5日 2の1


 昨日は、闇夜の中を走行していましたので、どこへ向かっているのか初めてで分かりませんでしたが、ジャカルタから東へ約200キロ余りを移動しました。宿泊したホテルは、テガル駅から近いBahari-inで連泊となりました。

 

2日目の朝は、6時にホテルのレストランに集合して、朝食後にパンガ製糖工場へと向かいました。距離はそれほどでもないのですが、市内は朝の通勤渋滞、郊外は凸凹道が続き、約1時間弱での到着でした。工場近くには、農場から工場へと運ぶ路線が残されていました。かつては、縦横に敷設されてシュガートレインが走っていたそうですが、殆どがトラック輸送に替わってしまっていました。

【精糖工場の鉄道の運用】
O氏のご説明によりますと、シュガートレインが走るのは、6月~9月の収穫期に限ります。農場で栽培されたさとうきびは、収穫後ただちに精糖工場に運びこまれます。ここで搾り取られた濃縮砂糖液は、工場内で砂糖に精製されるか、タンクローリーに積まれて、別の精製工場に運ばれるそうです。

鉄道運転は大きく4つに区分されます。
1.さとうきび畑から精糖工場の本線までを仮設線路を使って運搬
2.精糖工場の本線から工場集積場まで運搬(フィールドという)
3.工場集積場から工場装入口まで運搬
4.製品の出荷

【P.G.PANGKA(パンカ製糖工場)】  ※ 構内配線図は左上です。


▲ 7:32、工場前の踏切を渡ると直ぐにDL(12号機)が、工場からの空のローリー(サトウキビを積む貨車の名称)を牽引して、集積場に向かってきました。ここは、工場集積場と工場装入口間の運転のみが残されていました。

▲ 集積場の積み替えヤードには、トラックから移しかえられて、サトウキビを満載したローリーが運搬を待っています。

▲ 既にローリーを連結して、発車待ちは2号機、1916年ドイツ製(ARN.JUNG JUNGBNTHAL)です。

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【22634】新規機能のお知らせ

先日の掲示板システムの更新により、画像投稿機能に関して、変更と新規機能の追加がありました。

一つは、画像追加の画面(下画像)においてドラック&ドロップでの追加が可能になりました。複数画像の一括追加にも対応しています。

また、2つ目として、これまでの画像投稿では下記のように記事の間に”一枚ずつ写真を挿入する”形となっていますが、

ギャラリー機能を使用することで、投稿記事に含まれる画像の一覧(ギャラリー)が追加できるうようになりました。
ただし現時点では、ギャラリー機能はレイアウトが崩れます。近日中に修正予定です。


【22493】8月台湾へ

 ここ数年台湾の鉄道にはまっております。旧型客車、釣り掛け特急、客車急行、トロッコ列車、きれいに整備された古い駅舎などなど個別には言い尽くせませんが、自分なりに国鉄の時代の古き佳き鉄道を追体験しているのかも知れません。

 今回は、はじめてTR-PASSを使いました。これは台湾鉄路管理局全線乗り放題の切符で3日間用1800元、5日間用2500元があり、「旧正月には使えません」と書かれています。また高鉄(新幹線)も使えません。高鉄には別途3日間2400元の乗り放題パスがあります。台湾の鉄道はもともと安い(台北-高雄の特急乗車で843元)ため、元を取る?つもりなら結構一生懸命乗ることになります。実際私も、全て計算した訳ではありませんが、5日パスで何とかとんとんくらいだったと思います。でも、優等列車は指定するだけで着座できますし、普通列車や優等列車の立ち席ならパスを持っていれば、いついかなる時でもふらっと乗れる便利さは値段以上のものがあります。

 さて、初日(8月9日)は、午後遅くに雨が降ってきましたので、乗ってばかりです。それでも基隆から台北まで釣り掛け特急(自強号)EMU1200にも乗ることができました。翌日、花蓮始発の鈍行ディーゼルカーDR2700に乗るため、花蓮駅前の宿に投宿します。

 今回、車両についての説明は、他のインターネットホームページや書籍をご覧いただければと思います。

 朝6時花蓮発玉里行きの普快DR2700は、かなりくたびれていますが、カミンズのエンジンは勇ましい音をたてて快走します。非冷房で窓を全開にして風にあたり、肥料の臭いが車内に飛び込んでくるのも懐かしく感じました。

鹿野駅を発車するDR2700型

 
 
 玉里では朝ごはんがてら玉里麺と書かれた店でモヤシとひき肉が少し入った簡単な湯麺をいただきます。なかなかいけます。値段は45元(130円程度)。

 玉里からはディーゼルの特急に乗り、大武まで乗ります。ここでついに一往復になってしまった旧型客車をつかまえ台東まで戻るのです。旧型客車は今や、枋寮12時8分発台東14時20分着の3671次普快車とその逆、台東17時25分発枋寮19時34分着の3672次普快車しかなくなってしまいました。

 この日の客車は3両編成、インド製はなく全て日本客車でした。沿線での走行写真を撮りたいと思いつつも、つい乗ることに執着して今回も駅撮りになってしまいました。

大武駅に入る3671次


 
 台東から鹿野までDR2700に再び乗り、その後、旧型客車で枋寮まで。そこから客車急行(莒光号)で高雄まで乗り、駅前のホテルに投宿しました。

 その次の日は、釣り掛け特急狙いです。EMU1200は高雄発基隆行のEMU1200運用は7時発と12時発の2本ありますが、この日は7時発に乗り、彰化まで乗り、基隆発彰化止まりのこれまた釣り掛け車EMU300の特急自強113次を迎えることとします。

 彰化では時間があったので基務段(車庫)の一般開放ものぞきます。これも以前はパスポートのような身分証明が要りましたが、今では受付で名前、住所、電話を書くのみです。

 あと高架工事中の員林のホーム端でも何本か撮影を行い、二水まで足を延ばし、蒸気機関車運転列車の時間を確認しました。翌日、日曜日も高雄から同じEMU1200の7時発、自強112次に乗るつもりで高雄の泊まろうとしたのですが、週末の夜遅い時間、昨日泊まった宿だけではなく近隣の駅前ホテル約10軒ほどみな満室です。かつて他の都市でも夜遅い時間からの飛び込みの宿探しで困窮したことがありましたが、だんだん心細くなるものです。通勤電車で1時間、台南まで下ってやっと汚い安宿に投宿することができました。飛行機が遅くに着くといった条件でもなければ基本は飛び込みで宿を見つけることにしていますが、体力と次の日を考えるとやはり早めに宿を確保する必要があると改めて痛感しました。

嘉義駅に入るEMU1200型、自強号(特急)112次

 8月12日の日曜日は集集線の「2012南投火車好多節」のSL列車が目当てです。

 今年は、7月15、22、28、29日と8月4日、5日、11日、12日の8回運行され、私が行ったのが最終日でした。運行時刻は、下りが(2777次)濁水9時37分発、水里10時8分着、(2779次)濁水13時34分発、車程14時12分着、上りが(2778次)水里10時20分発、濁水10時48分着、(2780次)車程14時15分発、濁水14時55分着となっています。

 先ず、一番人が集まる中間の集集駅で2778次を迎えます。日本のイベント列車と同様に相当の人出ですが、SL撮影だけを目的に来ている人の割合は低いようです。白い高級望遠レンズがずらりと並ぶ光景はここではありません。

 その列車の構成ですが、昨年復活なったDT668(日本形式D51)と客車(インド製2扉)4連と補機のDLです。その後、2779次を水里の近くで撮影し、折り返しの2780次に乗って濁水まで乗りましたが、これは余裕で座れました。その日は、水里からバスで更に奥に入って廬山温泉に泊まろうと思っていましたが、何でも台風被害であらかた休業中とかであきらめざるを得ません。廬山温泉は心残りですが、気分を変え、嘉義からバスで1時間、山間の関子嶺温泉に投宿することにしました。ここも戦前からの温泉地で、泥水のような湯がなかなか効きそうでお奨めです。

集集駅に入る2778次

 

DT668の雄姿

 
 
 翌日は、台北まで戻り、近郊の汐科駅で撮影をしました。今回だけではなく高鉄(新幹線)とほぼ並行する西部幹線でも、優等列車ですと直前では予約もままならないくらい結構混雑していました。今回の訪問では行けませんでしたが、日本時代からの木造駅舎や、製糖鉄道ゆかりのトロッコ列車も興味深いものです。みなさんも活気あふれる台湾の鉄道を訪問されてみては如何でしょうか?

汐科駅を通過する莒光号(客車急行)

 


【22379】八月だ、もっと熱くなろう! 赤道直下のインドネシアSL撮影の旅 Part1 巨匠 広田尚敬先生も参加された、神谷武志企画 テレマカシーツアーの旅立ち

最近、海外鉄道撮影に同行させていただいておりますO氏より、海外鉄道撮影では名高い神谷武志さんがインドネシアのサトウキビを運ぶ蒸気機関車撮影ツアーを企画されておられるので行ってみないかとお誘いを受けました。

若かりし頃はアウトドアが大好きで、家内と子供たちをワゴン車に乗せて毎月数回はオートキャンピングに出かけていました。特に夏は毎年、鳴き砂で有名な丹後半島琴引浜でのテント生活を1週間も続けるほど熱くなっていましたが、老いるとともに、茹だる暑さと蚊が苦手になってきました、ひ弱な私です。
最初は、乗り気はなかったのですが、この時期のネシアは、乾期で蒸し暑さも少なく、蚊も日中は行動しないと聞き、クーラーの効いた部屋に引きこもり生活では身体に悪いだろう。八月は高校球児と同じく熱くならなければとならないと思い直して、O氏に参加の意思を伝えました。

7月5日、渋谷で壮行会が開催されましたので行ってみますと、何と巨匠の広田尚敬先生が参加されておられてビックリしました。他の参加者の方々も海外鉄道撮影のベテランばかりで、頼もしい猛者集団です。これは前回の小竹直人先生企画ツアーに続いて、すごく勉強になるなあと期待が一気に膨らみました。


約18,100の大小の島々からなる、世界最大の群島国家インドネシア。人口は3億3,000万にもなるそうです。
イスラム教徒が多く、訪問しました時期は丁度日の出から日没まで断食する ラマダン(2012年は7月20日~8月18日)でした。


第1日目 8月4日

① 長岡天神6:20(阪急)→6:47十三6:51→7:01蛍池7:06(大阪モノレール)→7:09大阪空港
② 伊丹8:15(JL3002)→9:35成田10:50(JL725)→16:35ジャカルタ
③ ジャカルタ空港17:20 (チャーターバス)→18:00GAMBIR駅
④ GAMBIR(ガンビア)19:30(36列車)→23:33TEGAL(テガール)
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