昨夜は白川さんグループと合同夕食会を開催、白川さんお薦めの麺屋で花蓮名物のワンタンを食しました。席上、今日走行する花蓮港線のCT273号機「台鐡開業132周年記念イベント列車」に乗ってみようとなりました。ただ当日販売される当日指定券は並ばないと確保できないそうで朝早くには駅に行かなければなりません。
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客車廃車体訪問記内地編7 京都府-3
【加悦SL広場】 35.481148, 135.092510
↑キハ08 3(2-4位側) 2019年4月5日撮影
台車はDT22AとTR51A、乗務員扉は1・4位側にしかない。後位側(画像手前)にあった便所・化粧室は加悦鉄道入線時に荷物室にした。外妻に銘板が3枚あり、右上は「日本国有鉄道」、右下は「昭和30年盛岡工場鋼体化改造」、左は「昭和37年苗穂工場」である。
◆ナハ24972(大正11年汽車新製)→(昭和3年改番)ナハ22459→(昭和30年盛岡工鋼体化改造)オハ62 130→(昭和37年苗穂工気動車化改造)キハ40 3→(昭和41年改番)キハ08 3→昭和46年廃車→昭和47年加悦鉄道で営業運転開始
オハ62 130はオハ62のラストナンバーである。
新・ここはどこ?私はだれ?【中村進一氏のアルバムより】-終-
ビア電乗るまで
ビア電イベントでは幹事様はじめお世話になり、どうもありがとうございました。みなさまお疲れさまでした。
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昭和の電車 改訂版(5)南海電鉄11001系
この電車は、というより私にとって南海電鉄は最も遠い鉄道でした。
写真は一枚もありませんし知識もありません。
客車廃車体訪問記内地編6 京都府-2
癒しの島 台湾鉄道2019年夏の旅 Part 8 CT273号機回送を追う、電化前の太麻里、金崙
撮影地;山里~台東 花蓮から台東へ走るCT273号機牽引列車の撮影は終わったので今日は、花蓮へ戻る回送を撮った後、電化工事が進む太麻里、金崙で撮影することにしました。今日も朝から古さんのタクシーをチャーターして向かいます。
写真は8:37、花蓮始発新左營行きの自強306次9両編成です。
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客車廃車体訪問記内地編5 京都府-1
【JR嵯峨嵐山駅前】 1997年5月28日撮影
嵯峨嵐山駅南側のレンタサイクル店「トロッコおじさんのレンタサイクル」

↑右(北側):オハフ50 223 受付兼車庫 2位寄り窓2個分を切り取って入口にしている。
左(南側):オハフ50 241 車庫。
癒しの島 台湾鉄道2019年夏の旅 Part 7 CT273号機 5832次を撮る
第5日目 6月7日
今日は今回の旅の目的だったCT273号機が東部幹線花蓮~台東を走行する本チャンです。皆さん既にこの区間の走行撮影の経験がありますので今回はまだ撮っていない撮影地と再度撮りたい撮影地を回ります。
8:00、いつもチャーターしている古さんのタクシーにホテルまで来てもらい出発しました。
▲ 9:09 最初に訪れたのは海端~關山の花東公路陸橋上「徳高陸橋」です。緩やかなアウトカーブを行く列車を編成を入れて撮れます。この時間は順光となりますので荷物車3両を入れた莒光號を撮るのが目的でした。
大勢の鉄ちゃんが橋上に並んでカメラを向ける中、花蓮始発台東行きの莒光602次が駆け抜けていきました。
新・ここはどこ?私はだれ?【中村進一氏のアルバムより】-13-
大当たり~ 大阪通信員さんにオロナインぎょうさん、あげとくなはれ
さすが大阪通信員さん、子の壱仟参百六拾五番の大当たりです。
北のC62 全記録 〈14〉
小沢、長万部で上下のC62重連を撮った翌日は、いよいよ北海道を去る日となりました。昭和44年9月12日、この日もやはりC62重連に足が向きます。倶知安ユースに連泊し、朝の時間を利用して岩内線に往復乗車したあと、今回、三度目の上目名の下車となりました。8月は、夏休みの学生達で大賑わいだった上目名ですが、さすがに9月も中旬となると、みんな帰ってしまい、ほとんど撮影者も見られず、一人でのんびり一時間ほど歩いて、例の151キロ地点へやって来ました。
▲151キロ地点の代表的な撮影ポイントは、以前にも紹介したラクに上がれる台地から自由に高度を変えながら、やや俯瞰気味にとらえるところだ。ほかにもブッシュさえ克服できれば撮影地は多いが、夏季は困難なところが多い。今回は、151キロ地点から、さらに目名寄りへ歩き、右にカーブする地点へ来た。ここは、線路端に引きがあり、カーブした列車の全容を撮ることができる。上り「ニセコ1号」 C6232+C6244
昭和の電車 改訂版(4)阪急電鉄1301
関三平先生からお便りをいただきましたのでご紹介致します。
《週一ぐらいで覗かせてもらっています。大阪地下鉄のレスポンスの多さには喜んでいます。実は「昭和の電車300回」に予定していたのが、「新京阪100型、大阪地下鉄100型、阪和電鉄100型を乗り継いで、淡路→梅田→天王寺→美章園の小一時間の旅」と言うテーマで、構図自体も大体決めてあったのでした。また、そのうちお手紙なども書かせてもらおうと思っています。》
関先生、ぜひとも幻の「ナニワの三冠王」をここで見せてください!
さて、今回は阪急1301型。この1301型の思い出は、モダンな電車というのが第一印象でした。
木目プリントの室内、奥行きの深いふかふかシート、ベンチレーターがなくスマートな屋上。大好きな男前の阪急電車でした。
北のC62全記録 (13)
横道にそれて、いろいろ投稿を続けているうちに、シリーズものの続編を忘れてしまいました。“北海道のC62”すべての記録、昭和44年の夏休みの記録を再開します。
(10)大沼で上下C62急行「ニセコ」撮影(昭和44.8.28)
(11)上目名で上下C62急行「ニセコ」撮影(昭和44.8.29)
(12)小樽→長万部「ニセコ」乗車、二股~蕨岱「ニセコ」撮影(昭和44.9.10)
続いて(12)の翌日となる9月11日の紹介です。9月も中旬に入ると、そろそろ大学の後期授業も気になり始める頃となりましたが、定宿と化した倶知安ユースに泊まって、倶知安から、ひと駅分、小樽寄りの小沢で下車しました。初めて下車する駅でした。
▲小沢を出て20‰勾配に掛かる、函館行き「ニセコ1号」、C6244が前補機、次位の本務はC622で、C62重連も慣れてしまうと、2号機先頭以外は、興奮度が低くなる。
新・ここはどこ?私はだれ?【中村進一氏のアルバムより】-12-
昭和の電車 改訂版(3)阪神電鉄3011型
天然色写真で語り継ぐ あの日あの時 【9】
北陸の私鉄を巡る ③ 尾小屋鉄道
尾小屋鉄道は、北陸本線の小松駅の裏側にあった新小松と、鉱山があった尾小屋を結んでいた16.8km、軌間762mmの非電化鉄道でした。しかし、その鉱山は、昭和30年代には閉山しており、昭和50年代まで残っていたのが不思議なくらいでした。軽便鉄道の最盛期を知らない世代としては、その雰囲気を伝える貴重な鉄道として、廃止前には何度か訪れたものでした(昭和50年8月)。
▲終点の尾小屋は、鉱山の盛業時には2000人の人口があり、学校や病院、劇場まであったと言うが、訪れた時の駅前は、ゴーストタウン状態だった。裏手の小高いところから駅を見ると、在籍していたほぼ全ての車両が顔を揃えていた。
癒しの島 台湾鉄道2019年夏の旅 Part 6 宜蘭⇒台東
第4日目 6月6日
今日は明日7日のCT273号機牽引列車撮影のために台東へ移動しますが、北上する莒光號を「ラピートブルー」塗装のE200形電気機関車が牽引するというニュースが入りました。以前に2回撮っていますが中々撮れるチャンスがない列車です。移動途中のどこかで撮りたいと不銹鋼號さんと相談して羅東の道路橋からの俯瞰を選びましたが、クモハ73106さんは福隆で撮った事がないのでこちらに行きたいと意見は分かれました。福隆も中々の撮影地ですが以前撮影した場所は路線のリニューアル工事が進んで足場が無くなってしまい正面撮りは出来ません。横からだと湿地帯を入れて撮れますが、この場所へ行くには駅から約2.4㌔と遠くタクシーがない場合は約30分は歩かなければなりません。30度を超える暑さの中では高齢者2人には過酷です。健脚者と高齢者グループに行動は分れることになりました。
▲ 7:35 不銹鋼號さんと二人で朝からは宜蘭站ホームからの駅撮りです。ヤードにはE312号機牽引の鉱石運搬貨物列車が発車の準備を整えていました。
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