2013年 春の中国鉄路の旅 Part26 新緑の興隆森林鉄道 その1

第26日目 5月26日
① 林鉄兴隆07:02(レールバス)→
② →10:09林鉄兴隆

01_朝飯今日は1日興隆森林鉄道の撮影です。朝6時に宿を出発して朝飯を仕入れてから林鉄兴隆站(興隆駅)へと向かいました。

6:20、ホテル前から林鉄と交差する広い道に入りますと、6:30に発車する定期レールバスが入線しているのが見えました。
前回はこの大型が前日に脱線したので代わって小型が運用に付いていました。こうして大型レールバスが客扱いしているのを見るのは初めてです。
02_興隆駅レールバス102_興隆駅レールバス202_興隆駅3▲ 踏切を挟んでの反対方向です。興隆森林鉄道の運材列車は雪が降り積もって伐採した原木が集材場へ運搬できる頃から走り出します。そして春になって雪が溶けると休止します。この時期はもう運材列車が走ってはいませんので、前もって原木を積載した貨車を少し残してもらってのチャーターです。見える貨車は我々のために留置されていました。

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C5756 急行「大和」を曳く

待っていました、C57特集。ご希望のC57牽引「大和」です。遠くて機番が見えませんが、記録ではC5756になっています。なお、筆者保存のC5756はこの画像一枚きりです。
1965年2月28日、急行203レ、場所は関西本線加太-中在家信号所間です。
10029h

人と鉄道と -乗客編

KAWANAKAです。

デジ青の先輩の「人と鉄道と」編の言わば番外編として、まったく車両が写っていない)人と鉄道を掲載しようと思いつきました。tsurukame先輩の格調ある写真の狙いとは違って人間だけの表情を捉えて見ました。

対象はお金を払った人、すなわち乗客に絞っています。なかなかチャンスが来ないのと、肖像権の問題があって、撮っていいものかどうか悩ましいですが、カメラを出して意識して特にNoがなければOKと勝手に解釈し、失礼のないようにすれば良いかなあということで何枚か載せました。デジ青は公開すればその気になれば法的に問うことができると思いますが、そこまで悪意もないので許されると思います。

まず、最近の写真といっても房総にC61が走ったときの写真。発車までの間になにやら話をしていますが、(これは乗客と違いますね。失礼しましたが、きれいな女性はすぐに撮っておく癖があるものですから)でもこれは肖像権に当たらないと思います。

おいでよ房総

きれいと言えば、TVで活躍している知花くららさん。正真正銘の美人でありますが、ミュンヘン駅頭で偶然見かけました。旅サラダのロケをしていて、オクトーバーフェスタのロケだったそうです。スタッフに撮影OKを貰ってから撮りましたが、何と関係のないオッサンが現れ、彼女の腰に手を回し2ショット。

kurara-0

lkurara-1

kurara-2

 

 

 

 

(うまく写真が配置できなくて恐縮)ですが、おっさんの満足そうな顔が印象的です。

ミュンヘンといえばその時期、ぶんしゅう氏の投稿にもありましたが、どーんと人が集まります。そんな幸せそうなカップルを捉えました。腰の位置にカメラを持って撮った1コマですがうまくフレーミングできました。

ミュンヘン

 

 

 

 

 

 

 

 

まだまだありそうですが、国内に戻りましょう。女の子はこれがおしまいです。梅雨が明けましたが、ちょうどウインドウガラスが曇りそうな中に、佇む貴女を見つけました(ごめんなさい)。場所は嵐電嵐山です。

嵐電の女の子

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

申し訳ないが次も女の子(若いですが)。窓が反射して車内が見えませんが、中にはおじいさんがいます。また来てねというとことでしょうか。背伸びしないと車内までまだ見通せません。来年はもう少し大きくなるからね。

またね

 

 

次は、女の子ではなく女の親と子です。場所は九州大村線。子供がこっちを見たりしていたが、きょろきょろして中々決まらない。お母さんは、なにか一生懸命字を教えているのかな。

obenkyou

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんなに勉強しても、やがては大人になって賑やかな仲間になります。カメラを意識しているのか、どうでしょうか。既に出来上がっているのでしょうか、まったく気にしません。電車で帰る楽しい宴の終わりです。東海道線島田付近にて撮影。老年切符を使ったときの収穫です。

ennkai

賑やかも良いですが熟年の旅も捨てがたい。北陸線内でちょうど老夫婦が旅に出る。特急を使わずに、近場へ行くのでしょうか。画像処理が今ひとつですが、フレーミングが良くないですがまあこんなものでしょうか。

2人連れ

 

鉄道写真はなにも線路に噛り付いて撮るものではないと思いますが、とくに最近、魅力ある列車が減っているなかで、こんなものも被写体として面白いのではないか、と思い、いくつか載せてみました。今度はもう少し車両を入れたものも考えておきましょう。

保存蒸機とその現役時代(4)

関西本線加茂駅は愛称大和路線の終点でこれから先亀山側は非電化区間でキハ120が1~2両で走るローカル線である。うっかりしていたが、ここは京都府であり、関西本線が京都府を走るイメージは頭になかった。不勉強であったと反省している。その京都府木津川市立加茂小学校にC5756が保存されていることを知り、会ってきたので報告する。場所は駅から木津、奈良方面に向かって7~8分歩いたところに屋根付きで保存されている。小学校の校庭ではなく関西本線の線路際である。しかし、学校の横であることは間違いなく、小学生の歌声が校舎のどこからか聞こえてきて随分昔の幼き頃を思い出した。たまにはこういう旅もいいものである。C5756は新製後糸崎、高崎等の配置を経て戦後は奈良を始め当時の天王寺鉄道管理局管内で活躍した。従って加茂小学校に保存されていることはこの機関車にとっても幸せなことであろう。

2013.5.9  C5756 赤ナンバーで保存状態も良好であった。煙突が本来の姿より短く感じたが、集煙装置を装備していたのかもしれない。↓

s-13.5.9加茂C5756

同機のナンバープレート 保存機では盗難予防のためか本物でないものが多く製造番号まで表示されている例は少ない。↓

s-13.5.9C5756NOプレート

小学生を意識した説明板であるが、昭和12年生まれとありプレートには昭和13年とある。交友社発行のSLNo3では昭和13年4月30日三菱製造製番1920とある。どれが正解なのかよくわからない。プレートが正解と思うが。↓

s-13.5.9C5756説明板

 

さて現役時代であるが、これは1964年8月15日和歌山方面に出かけた時に天王寺駅で撮影した203列車東京発湊町行き急行「大和」を牽引して到着した奈良区所属の同機である。加太峠の存在を知らない時代で気楽に駅撮りした記録である。真夏で暑いので窓を開けざるを得なかった時代の汽車旅であるが、煤が入ってきても最高の旅を味わえた。見えている客車はスハフ42でウイングバネのズシンズシンという重量感あふれる台車音と上下振動が心地よく、スハ43系のファンは多かった。加太会を始め急行「大和」の蒸機時代の写真をお持ちの方の発表を期待したい。私の加太走行の「大和」はDF50になってからの姿しかない。

s-64.8.15天王寺C5756大和

番号がわかるようにもう少し機関車に近づいたのがこの写真。関西地区のC57はドームの後ろに重油タンクを付けているタイプが多かったが、全体にきれいであった。↓

s-64.8.15天王寺C5756

広電 七夕電車に寄せて

INUBUSE氏から七夕電車のリポートがありました。実は私はまだ新車の1000型にお目にかかっていないのですが、そろそろ重い腰を上げて 熱中症に注意しながら広島にでかけようかと思っているところです。広電のホームページには各電停、各系統の通過時刻が出ていますので これをもとに1000型の運用表を作ってみました。回送時刻は不明です。

1000型運用表

1000型運用表

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人と鉄道と 近鉄 オーストリアに寄せて

 ぶんしゅうさんが1フレームに複数の写真を表示する方法を投稿されましたので、同じようにやってみました。お会いした時にPhoto shopで出来ると聞いたので、早速にマニュアル本を頼りにテスト的にやってみました。その後、投稿記事があったので、これも参考にして本格的にやってみました。まったくいっしょの方法でありませんが、ちょっと見てください。文字も入れてみました。また、新しい技を習得できたのでうまく組み合わせていきたいと思っています。せっかくだから手持ちの写真で最近の投稿に因んだものにしてみました。

 「人と鉄道と」をベースに写真を拾って見ました。古い写真から順番に。まずは近鉄からです。

橘寺駅 2題-1

 近鉄橘寺駅で撮った写真です。中学生の時に飛鳥へハイキングに行った時に撮った写真です。カメラはオリンパスペンSです。ハーフサイズカメラです。

人と鉄道と 4題

上の4枚の写真は4番の写真以外は高校生の時のものです。4番はDRFC現役時代です。さて、これらはどこで撮ったのでしょうか?全て有名な?所です。当ててみましょう。

 大津の86さんがオーストリアに行かれたそうで、それに因んで少しばかり。オーストリアの写真は仕事をしていた頃、会社からヨーロッパの工場視察のツアーに行った時に自由行動の日にウィーンから日帰りで行って撮って来ました。現在のチラタール鉄道がどうなのか投稿を楽しみにしています。

オーストリアの蒸気機関車

 ところで鉄道写真といえばDRFCに入った1970年7月に発行された青信号24号に写真班が「鉄道写真とは何か」というアンケートの結果がまとめてあります。読み返すと面白いもので、「6×6判は正しくない!」とか「乱写は間違っている」とか「一発至上主義は間違っている」と喧々諤々と好き勝手なことを当時は吼えまくっていたのです。私も新人であるのにアンケートを書いてくれと言われて、これが私の最初の青信号投稿記事になりました。ところでこの中でなぜか「カメラは蛇腹が最も正しい!!」というのが印象に残っていて、富山にいる頃に商店街に写真屋さんショーウィンドにあの「パールⅢ」が置いてあるのでム、ム、ムッムでありました。いつもその店の前を通るとしげしげと眺めていました。今でもあるのでしょうか。富山に行くことがあればのぞいてみたいと思います。 

 

近鉄モ5621形

前回のモニ6201形に引き続き、飾り窓付の近鉄電車が登場した。
経歴等は、関 三平氏が記述されておられる通りであるが、若干補足するとデロ21~25(後のモ5621~5625)が川崎造船所製、26、27(後のモ5626、5627)が大阪鐵工所製である。
関 三平氏は「5621~5624は『高松琴平電鉄』に譲渡され」と記されているが、譲渡されたのは車体のみである。

昭和35年、南大阪線に特急用車両を作るため、モ5621~5624の4両が廃車された。
特急用車両を作るために廃車とは?と不思議に思われる方がおられると思うが、当時はメインルートの大阪~名古屋・伊勢間や名古屋~伊勢間の特急の増強で忙しく、2線級の南大阪線までとても手が回らず、南大阪線、吉野線を管轄する天王寺営業局では、車体が新しいモ5805、モ5806の色を塗り替えて優等列車に使用したものの所詮ロングシートの通勤型車両であった。
当件は、1月29日【29414】「近鉄南大阪線モ5805/羊頭狗肉なりに大健闘」と2月3日【29597】「近鉄モ5801形」を参照いただきたい。
吉野山に向かう観光客、大和上市ら大台ケ原、下市口から大峰山、弥山に向かう登山客への対応と、何となくダサい感じがする天王寺営業局のイメージアップのためにも特急用車両は必要不可欠であった。
そこで苦肉の策として考えられたのが、名古屋線のクニ5421形(元伊勢電のモハ二231形〔関西急行成立時の改番でモニ6231形に改番〕で、昭和34年モ6441形に電装を譲りTc化された車両)の5421~5424の4両を転換クロスシート化の上、南大阪線で最も車齢の高いモ5621~5624の台車、電装品を組み合わせて特急用車両モ5821形を作るというものであった。
戦時中「足りぬ足りぬは工夫が足りぬ」という言葉があったが、モ5821形は、正に「工夫の産物」であった。
モモ5821形については、関 三平氏からの紹介があった時に改めて解説する。

モ5621~5624は廃車されたとは言え、車体は高松琴平電鉄に譲渡され、21~24として再起。台車、電装品はモ5821~5824に活かされた。
琴電では反流正面5枚窓を切妻貫通扉付に改造され、別に信貴生駒電鉄から譲り受けた広軌台車と組み合わせて使用された。
幸いにも23が動態保存車に選ばれ、時折讃岐路に釣掛けモーター音を響かせ快走する姿を見ることができるのは喜ばしい限りである。

近鉄南大阪線に残ったモ5625~5627の3両は、昭和40年頃はモ5625+モ2627の2連で道明寺線、モ5626は単行で荷電として使用されていた。

道明寺線で使用中のモ5625+モ5627/ (42-10-14) 道明寺(車両交換で古市に回送時)
5625
42-10-14 5627

モ5626/上:(42-10-14)  下:(43-8-23) 道明寺
道明寺駅ではホームのない場所で荷扱いをしていたことが判る。
42-10-14 5626
43-8-23 5626
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掲示板の写真複数を1コマに投稿方法

掲示板に投稿しています2枚以上の写真を1フレームにまとめるのはどうしているかの質問を受けましたので、私の処理方法を紹介させていただきます。

【 用意するもの 】
① まとめたい写真 2点以上
② 画像加工・編集ソフト・・・・私は、Adobe Photoshop Elementsを使用していますが、画像のサイズ変更・加工ができるソフトなら他でもOKです。
Adobe Photoshop Elementsは、比較的に安いソフトで、価格.comなら10,000円前後から購入できます。
今回はこのソフトを使っての処理方法を説明します。

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人と鉄道と-機関士編-

「人と鉄道と」3回目は蒸気機関車の機関士です。

▼1962年3月23日、日豊線・竜ヶ水-鹿児島間、機D51687【人】の単機運転。機関士らしき右側の人、ヘッドライト装着で保線区員らしき左の人。二人して敷物に座り、線路や設備の移動点検でしょうか。まさか、右手の噴火湾見物とは違うでしょう。こんな光景の出会いは最初の最後でした。06736
▼1965年8月29日、福知山線・篠山口駅、ホームに写る機影は逆行運転のC11280【吹一】、上り客736列車の機関士がC11の日陰で、下り準急『丹波1号』との離合を待っていました。11432
▼そして今度は5ツ先の駅、福知山線・相野駅。急行『白兎』との離合待ちで機関士は一服。真夏の車内は暑くて、子供はホームに出たが、ホームもかんかん照り、思わず頭に手を。
11434
 
▼1966年10月1日、関西本線・加太駅、京都発亀山行き、上り客728列車、急行『かすが3号』との離合待ち。腕章を巻いた機関士と助士がホームの片隅で一服。出発時刻は20時59分です。135012

▼同上、728列車全景。さしずめ「夜も撮る」でした。ホームには駅員の姿も見えます。
13501

▼1964年3月17日、東北本線・小繋駅、本務機の機関士と助士が動輪周りを点検中です。前に2両のD51補機を付けた、所謂蒸機機関車「三重連」です。
09108

2013年 春の中国鉄路の旅 Part25 北満一人旅 その8 大連から興隆鎮へ

第24・25日目 5月24日、25日
① 大連21:52(T261次)→翌日7:30哈尔滨
② 翌日 哈尔滨13:32(K7109次)→15:26興隆鎮

お好み焼き屋「かっちゃん」でゆっくり夕食とネット三昧後は、ホテルに預けた荷物を取りに行ってから大連站へと向かいました。
今夜乗車するのは特快261次哈尔滨行きです。乗車距離は946キロながら、停車駅は瀋陽のみで所要時間は9時間38分です。表定速度は99.6km/hと在来線を走る特快客レとしては速い列車です。
ちなみに哈大旅客専用鉄道(921キロ)ですと、大連北~哈尔滨西は夏季ダイヤで最短4時間7分で走破します。表定速度は238.2km/hとなっています。運賃は夏季は1等645.5元(約10,700円)、2等403.5元(6,700円)しますが、高架橋を走ります。トンネルは少なく車窓からは満州の広大な大地の眺望を楽しめます。私は開業時に乗車しましたのと、移動は夜の方がホテル代が浮くので今回選択しませんでしたが、まだの方は乗って見られる価値は十分にあるとお奨めします。

そして哈尔滨からは、今回最後の撮影地の興隆森林鉄道へと向かいます。

01_走行地図_101_切符01_T261
【 重複した切符 】

実はこの列車の切符は先に瀋陽で買ってあったのですが、忘れてしまっていて東方紅でも買ってしまい重複しました。気が付いたのは帰国してからで、351元(約5,800円)を無駄遣いしてしまいました。
しかし中国鉄路では実名制切符になっています。同じ人間が同じ日に他の列車切符を買うことができないシステムです。同じ列車切符購入はなおさら発券できません。なのになぜか買えてしまっています。どうしてなんだろうと切符を見ながら考えますと、印刷されているパスポート番号に謎解きがありました。
御覧のように左側は「083***」、右側は「TK083***」です。後から買った東方紅站の切符売り場で駅員が「TK08***」では発券拒否が出たので、気をきかせて「TK」を外して発券したものだろうと考えます。
01_切符3
最近、駅入場口には切符のQRコード読み取り機が設置されているのをよく見かけるようになってきました。切符を提示するとディスプレイに顔写真・名前・住所・生年月日・民族・身分証番号が表示されます。これを職員が見て切符を持っているのが本人かどうかを確認できるようになっています。
しかしこの読み取り機は、人民だけが持つ身分証のみしか対応しておらず、外国人パスポートは識別できません。切符とパスポートを目視確認しなければならないのですが、「TK」が外してあっても窓口で間違えたもの程度で済ませたのだろうと思われます。
盲点はあるものですね。本来、実名制切符はダフ屋撲滅と不穏分子の移動監視対策でもあるので外国人は除外されているのでしょうか。しかし、倹約の旅なのにもったいないことをしました。
今回は15枚もの切符を購入していました。チェックはしていたつもりだったのですが、ボケ進行が邪魔しました。

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七夕電車

広島電鉄では 毎年恒例の「七夕電車」が今年も6月27日から7月7日まで運転されるとのことで、7月4日夜遅く 見に行きました。今年2月の新車1000形が使用され 1001(PICCOLO)が「ひこぼし号」、1002(PICCOLA)が「おりひめ号」となっていました。
pict-おりひめ、ほこぼし-1
豪雨の中 江波からの1001「ひこぼし号」が横川駅に到着です。
当日は大雨警報が発令されJRはかなりダイヤが乱れていました。

pict-おりひめ、ほこぼし-2
横川駅に停車中の同車です。折り返し広電本社前行きとなります。
せっかくなので乗車してみました。

pict-おりひめ、ほこぼし-3
車内はきれいに飾り付けがされています。きれいです。

pict-おりひめ、ほこぼし-4
地元の幼稚園児の手作りの短冊や装飾できれいに飾られています。
夜遅いため乗客も少なく ゆっくりと新型車の乗り心地を広電本社前まで楽しみました。途中で1002「おりひめ号」とすれ違いました。

pict-おりひめ、ほこぼし-5
小康状態の雨の中 広電本社前で折り返しを待つ1001号です。ひこぼしと星空のラッピングがされています。その後豪雨の中 横川駅へと走り去っていきました。
1002号を待ちましたが 夜も遅いため車庫に入ってしまったようで来ませんでした。
翌朝 少し時間が有りましたので 明るい中で待つこととしました。

pict-おりひめ、ほこぼし-6
朝早く 原爆ドーム前へ行くと1002「おりひめ号」がやってきました。定番撮影地での1002号です。広電本社前発 横川駅行きです。かわいい「おりひめ」のイラストが付いています。
アニバーサリーレッドと言われるこの車両の色は なかなか写真写りがむつかしいですね。

pict-おりひめ、ほこぼし-7
十日市町に停車中の1001「ひこぼし号」です。
きれいなラッピングの電車です。晴れるとまたきれいな色になると思いますが 梅雨の曇り空の朝でした。
京都、大阪、神戸、福岡からの電車を始めさまざまな電車が行き交う広島は 見ても、乗っても楽しい所です。
犬伏

オーストリアのたび(その1)

6月12日~20日までオーストリアに行ってまいりました。HPを見ていて、オーストリア政府観光局のサイトに「ノスタルジーSLのたび」というページがありオーストリア各地に残るSLの情報が出ていたのがきっかけです。それに加え別のサイトにはオーストリアの保存鉄道、登山鉄道、狭軌鉄道などを紹介したものもあり、興味がわいてきました。オーストリアは小さい国でちょうど北海道と同じくらいの大きさですが、限られた日程ではそんなに多くを廻ることができず、ウィーンからインスブルックへの幹線に近いところに絞って訪問しました。

シュタイヤタール鉄道

ここはAustrian Society for Railway History(ÖGEG)と言う団体が運営している保存鉄道で、1974年にリンツで発足しました。標準軌のアムフェルバング機関車公園、狭軌のシュタイヤタール鉄道、ドナウ川を航行する外輪船の3つの部門からなっており、今回訪問したのはシュタイヤタール鉄道です。ここはオーストリアで一番古い760mmゲージで、1889年に開業、1982年に廃止されましたが1986年にÖGEGが引き継いで保存鉄道として復活しました。現在6月は日曜のみ、7月から9月は土日にシュタイヤーからグリュンブルグの約17kmの間を1時間かけて、最大3往復運行されています。 続きを読む

速報!E653系「いなほ」と金町界隈の貨物列車

25-6-29 EH500-22 土浦貨物
北松戸を通過するEH500-32牽引の土浦貨物/ (25-6-29)

 E653系「いなほ」
6月29日土曜日、所用で松戸まで行った帰り、土浦貨物が来る時間帯であったので北松戸で撮影後、暫くすると上り快速線を見慣れぬ色のE653系が通過した。先頭方向は下りの緩行電車に被られてしまったが、何とか後追いで撮影できた。
25-6-29 いなほ回送

E653系は、3月16日のダイヤ改正で「フレッシュひたち」から引退後、一部の車両は修学旅行臨や臨時列車に使用されているが、7両編成は8編成全部が順次「いなほ」用に改造される。
この車両は元「K301」編成で、2月28日に郡山総合車両センターに入場して改造工事完了後、6月25日に一旦元の勝田車両センターに回送され、29日に上野駅経由で新潟車両センターに回送された。
E653系は元々寒冷地仕様で製作されているため、改造工事の主体は車内のリニューアルと下り向き先頭車のグリーン車化である。
第2陣として6月4日「K302」編成が郡山総合車両センターに入場した。

4本ある4両編成はいわき~仙台間の特急に転用される予定であったが、東日本大震災で常磐線不通区間の復旧の目途が立たないため今後の動向が注目される。

修学旅行臨/上:(25-6-4) 金町 下:(25-6-1) 馬橋
25-6-4 653金町
25-6-1 e653馬橋

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2013年 春の中国鉄路の旅 Part24 北満一人旅 その7 大連の路面電車2

第24日目 5月24日
① ホテル5:30(徒歩)→8:50春海街(路面電車)9:00→9:45大連火車站

② 勝利橋12:03→12:08世紀街13:30→13:57市場街
② 市場街15:00→15:08大連火車站15:18→15:36世紀街20:30→20:55大連火車站
③ 大連21:52(T261次)→7:30哈尔滨

今日は夜行列車で哈尔滨へと向かいますが日中は大連の路面電車の撮影です。撮影地は昨日の反対方向にしました。朝夕は車の通勤ラッシュで路面電車撮影は難しくなりますので、早目の出発です。
00_201路線図02_イベント2
5:30、大連站前からは徒歩で向かうことにしました。

朝から威勢の良い太鼓の音が聞こえてきます。電車通りに面した電気屋さんの前で同じ紅い服を着た10数名のおばちゃま達が元気よく太鼓を叩いておられます。電気屋さんのイベントの予行演習なのでしょうか、面白そうなのでしばらく見学しました。
02_イベント100_駅名104_火車駅~勝利橋1▲ 5:57、駅前の電車通りのお店は早餐です。横を大連站前に向かう2267号車が走り抜けていきます。

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近鉄6201系

関 三平氏は大の近鉄ファンと思われる。
今まで登場した近鉄の電車は、モ2303、モ1→モ200、モ6800ラビットカー、モ5201、モ6601、モ5805、10100系ビスタカー、そして今回の6201系、次のモ5621形、奈良電のクハボ600とデハボ1200を加えると11形式に及ぶ。
特に興味深いのは、南大阪線が4形式あり、近鉄の中でも南大阪線がお好みなのであろう。近々モ5821形「かもしか号」が登場するかも知れない。

元伊勢電の車両は今回が初めてで、関 三平氏の解説の通り、昭和3~4年にかけて、M車2両(改番後のモ二6201、6202)、T車6両(改番後のク6251~6253→サ6251~6253、ク6261~6263→サ6261~6263)新製され、イラストの通り窓上にはアーチ形の飾り欄間が設置され、ステンドグラスがはめられていた。
車内はロングシートながら扉横の柱の上部に彫刻がされている等凝った作りであったが、欄間は戦後鉄板張りになり、車体更新時になくなってしまった。
モ二6201形
昭和3年12月日本車輌製で、制御器の相違から当初形式はデハ二201形とデハ二211形に分けられていた。7年に記号を変更してモハ二になり、16年3月関西急行成立時の改番で実質的に同じであることからモニ6201形に統一され、モハ二201がモ二6201、モ二211がモハ二6202に改番された。
昭和34年名古屋線改軌時に改軌されたようであるが、36年に伊賀線に転属となり、主力車として活躍した。49年6200番代を南大阪線の新型車に譲ったため、モニ5201形に改番されたが52年3月廃車になった。

モニ6201/上:(48-4-8)下:(46-1-24) 上野市
伊勢電の電動車は乗務員室扉がないのが特徴であった。上の場合は荷物室扉から出入りすればよいが、下の場合は客室扉から出入りしなければならず不便であったと思われる。
6201 48-
My beautiful picture
モニ6202/(48-4-8) 上野市
My beautiful picture

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2013年 春の中国鉄路の旅 Part23 北満一人旅 その6 普蘭店駅、大連の路面電車

第23日目 5月23日
① 普蘭店10:15(2728次)→11:23大連
② 大連火車站(路面電車)13:54→14:15興工街

今日は復州湾塩場ナローを撮る予定でした。しかし是非に撮りたかった路線が運休となっていましたので、2日早くに大連に向かい路面電車撮影に切り替えました。

地図路線名・駅名_1
01_切符1
列車は普蘭店に来た時に乗車した2728次が時間的にも良かったので選択しました。
大連までの所要時間は約1時間です。
02_普蘭店時刻変更

昨日切符を買いましたが、切符売り場内には5月15日時刻改正についての公示が張り出してありました。
中国鉄路ではこんな風に公示されますが、見てみますと公示は5月9日と約1週間前です。日本では考えられませんね。

哈大旅客高速鉄道についても冬期最高速度200km/hから夏季300km/hへとスピードアップしたようで、5月25日からは増発もされていました。
01_哈大高速鉄道ダイヤ1▲ 哈大旅客高速鉄道(大連~哈尔滨西)の時刻表です。日本の新幹線駅では当たり前に掲示してありますが、中国鉄路で一覧になった時刻表を見るのは初めてでした。
※ 詳しくご覧になりたい方は、上の時刻表を一旦デスクトップにドラッグ&ドロップしてから開けて見てください。詳細が分かります。

また、大連北站へのアクセスが悪いので大連発着があればと思っていましたら、1/3は大連発着になっていました。これは便利になりました。そして新たに北京~大連の動車が設定されています。時刻表には載っておませんが、これ以外にも北京・天津~瀋陽・長春・哈尔滨西の動車があります。

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富士山と鉄道(特別編)

「富士山と鉄道」につきましてはtsurukame様より御殿場線の蒸機機関車D52時代の写真を投稿いただきました。その後私の古くからの友人であるSさんより小海線と川越線の写真があるとの連絡がありお願いしました。Sさんはタイ、三道嶺にはぶんしゅう旅日記さんと行動を共にされ、先日は神足(長岡京)で共に飲んだとも聞いております。また、デジ青に時々コメントを投稿されている村樫四郎様からは御殿場線に加えて中央線の未電化時代の作品をいただきました。今回は特別編として両名の貴重な記録を発表させていただきます。

まず、Sさんからの小海線と富士山の写真です。私の不確かな情報を確かに証明していただきました。1972.4.1小海線甲斐小泉~甲斐大泉↓

s-PICT1087-2 昭和47年4月1日甲斐小泉~甲斐大泉

1972.9.1 小海線小淵沢~甲斐小泉 高原には早くもススキが見られる↓

s-PICT1092 昭和47年9月19日 小淵沢~甲斐小泉

1965.3.5 川越線 指扇~南古谷 珍しく雪の降った日のキューロクの旅客列車 富士山は左にあるはずですが厳しい↓

s-PICT1081 昭和44年3月5日指扇~南古谷
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2013年 春の中国鉄路の旅 Part22 北満一人旅 その5 復州湾塩田ナロー

第22日目 5月22日
① ホテル5:40(Taxi)→6:20復州湾(チャーターTaxi)→五島運輸駅

② 五島運輸駅12:30(Bus)→13:40普蘭店駅

今日は、昨日ちょっとだけ訪問した復州湾で塩田を走るナローを撮影予定です。このナローは以前から注目していて、いつかは行こうと思っておりましたが中々機会に恵まれずでしたので、今回の旅のメインとして日程を空けての訪問としました。

【 復州湾塩場ナロー 】
大連からは車で約2時間、約90キロにある復州湾一帯は古くからの塩の産地で、広大な塩田が広がっている地域です。日本統治下時代には大連は自由港であったため関税収入が見込めず代わりに塩税が関東州の財政を支えていたそうです。関東州も積極的に塩の生産拡大を図り、やがて塩田の90%以上は日本企業の経営となり、ソーダ工業の原料用として内地に大量に輸出され、日本の化学工業を支えていました。
天日製塩のために広大な塩田が造られ、その輸送のために762㎜のナローゲージ鉄道が敷設されました。機関車は当初からDLだったようで蒸気機関車はなかったそうですが、北碚のグースが牽引したのと同じような小さなトロッコを牽いて海を渡る姿はとても可愛いと、ナローファンが訪れる所となりました。

地図_復州湾1

01_往路101_往路25:10、朝目覚めて外を見ますとさわやかな青空で、絶好の撮影日和です。
張り切ってホテルを出ましたが、駅までのバスが中々来ません。するとホテル前でたむろしていたTaxiの運転手からどこへ行くのかと声がかかりました。復州湾というと80元(約1,300円)でどうかと言います。

考えましたが、現地には早く着いた方が動きに余裕が出ます。OKを出しました。
途中の町中を除いては、片側1車線の田舎道ですが路面状況も良くTaxiはぶっ飛ばします。
6:00、バスの半分の約40分で復州湾の町中に着きました。
ナローが走るには十分余裕です。まずは腹ごしらえと市場の食堂に参りました。

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人と鉄道と-乗客編(2)-

現代が『車社会』と呼ばれるなら、半世紀前のそれは鉄道で、さしずめ『鉄道社会』でしょうか。人との出会いも別れも、多くの場合に鉄道を通じてであり、人々の日常生活で、鉄道はそれはそれは大事な役目を果たしていました。

▼1962年3月、飯山線・西大滝駅。大勢の子どもと大人から見送りを受け、我々と同じ列車に乗った人は、きっと学校の先生でしょう、乗客として画像には登場しませんが、思わず万歳を唱えている人や、見送る人の明るい笑顔から先生の人柄もしのばれるような気がしました。ホームにはテープが伸びています。車掌の顔も見えます。なお、見送り人の姿にだけ”ぼかし”を加えています。 04726▼先生を乗せた飯山線のC56牽引貨客混合列車、長野行き。春の山々にはまだ雪が残っていて、まるで墨絵のよう。筆者の旅行は、同期のDRFC会員、亀田君(この時、鶴亀コンビとDRFC内で話題になった)と北陸線・杉津、飯山線、小海線を巡った時の一コマでした。 04728

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