クローバーでは活動の一環として写真展を開催しております。
不定期開催ですが、今までに開催をしました4回の作品の数々をデジタル青信号に掲載いたしました。トップ画面のツールバーのクローバー会をクリックして、リンクをお選びいただきますと写真をご覧いただけます。
現在第1回目を掲載中です。2回目以降は現在制作中ですので、お待ちください。


三岐鉄道北勢線立ち寄り記

東員~大泉間を走行する クモハ272+サハ147+クモハ172
2月28日名古屋での所用が午前中に片付いたので三岐鉄道北勢線を訪れた。同線を訪れたのは2回目で、前回は何と半世紀近く前の京阪沿線の高校時代、昭和40年5月9日である。
手早く昼食を済ませて近鉄名古屋駅から12時1分発松阪行急行に乗車。電車は5200系4連+1810系2連の6両編成であった。「この電車は伊勢中川で大阪上本町行急行に連絡します」のホームのアナウンスを耳にして名阪連絡急行が健在であることを再認識した。実際に伊勢中川では1分接続で上本町には15時14分に到着する。桑名には僅か20分で到着して暫くホームで撮影後、北勢線西桑名駅に行き「三岐鉄道1日乗り放題パス」を購入した。1日かけて両線を往復すると完全に元が取れるが、今日は阿下喜往復のみである。それでも行きは阿下喜まで直行し、帰りに東員で途中下車したため、通常運賃は460円+300円+300円=1060円となるため元は取れた。
13時5分発の阿下喜行に乗車。クモハ273+サハ142+サハ136+クハ141の4両編成で学校帰りの高校生でほぼ満席であった。在良で上り電車クモハ276+サハ135+クハ134と交換、次は東員で上り電車クモハ272+サハ147+クハ172と交換と車両振替えがあり全員下車。乗ってきた電車は車庫に引き上げ、替わりに入線してきたクモハ271+サハ146+クハ171に乗車。ここまで来るとさすがに乗客は少なくなりローカル線の風情となってきた。楚原でクモハ277+サハ201+サハ101+クハ202の連接車編成と交換して1時間丁度で阿下喜に到着した。
阿下喜駅では美しく整備された元モニ226が保存展示されており感激した。帰りは楚原で降りて「めがね橋」で撮影しようとも思ったが、今回は車両中心に撮影して半世紀の空白を埋めることと連接車を撮影したかったので東員で降りた。ここは阿下喜方面の電車が綺麗に撮影可能である。約1時間撮影後再訪を約して西桑名行電車に乗車した。
北勢線が近鉄から地元の三岐鉄道に経営移管後、電車の増発、駅の統廃合、駅舎の改築、パーク&ライド、キス&ライド施設の設置、車両の冷房化等乗客を増やすための様々な努力は大いに評価できる。近鉄時代減少が続いた乗客数は微増に転じているが赤字解消にまでは至っていないようである。
現在の最高速度45㎞/Hを70㎞/Hに引き上げる計画で、車両の工事は完了しており地上の工事が進められている。
平成15年4月1日、三岐鉄道は地元自治体と10年間の約束で近鉄から運営を引継ぎ、今年3月末で10年が経過した。4月1日より10周年の記念乗車券の発売、電車にヘッドマークの取付け等が行われており、約束期間満了により廃止ということにはならない。次の10年こそが正念場で、今後いかにして定期外客を増やすことが課題となるが、「軽便鉄道」と東員以遠の自然を売り物にすることにより可能と思われる。銚子電鉄やひたちなか海浜鉄道のように東員~阿下喜間を旅行会社のバスツアーコースに組み込んで集客するのも一案である。そこで一旦ボツになった下津井電鉄の「メリーベル号」の活用も是非検討をお願いしたい。
車両について
電動車(クモハ)9両、制御車(クハ)5両、付随車(サハ)11両在籍し、3両固定編成4本、4両固定編成3本に組まれている。
編成は下記の通りである。(斜字は冷房車)
←阿下喜
①クモハ271-サハ146-クモハ171
②クモハ272-サハ147-クモハ172
③クモハ273-サハ142-サハ136-クハ141
④クモハ274-サハ144-サハ137-クハ143
⑤クモハ275-サハ138-クハ145
⑥クモハ276-サハ135-クハ134
⑦クモハ277-サハ201-サハ101-クハ202
撮影した車両を中心に解説する。
クモハ270形(271、272) クモハ273形(273~276)
クモハ277形(277) クモハ170形(171、172)
近鉄時代の昭和52年北勢線近代化のため、モ270形(271~276)6両、ク170形(171、172)2両が近畿車両で新製された。従来電動車が付随車を牽引して終着駅で電動車を先頭に付替えるスタイル(機回し)から、電動車を阿下喜側、制御車を西桑名側に連結することにより機回しが不要になった。制御車の不足分は付随車の改造で補った。
平成2年に1本残っていた旧形車を置換えるためモ277が増備された。座席が阿下喜向き1人掛けのクロスシートとなり方向幕の幅が広くなった。
三岐鉄道移管後、モ271(17年5月)、272(18年6月)の運転台寄り動力台車をク171、172の連結面の台車と振替えられ自重の分散化が行われ、称号がクからクモハに変更された。
18年8月にクモハ272編成、12月にクモハ271編成が冷房化された。冷房装置が室内に置かれたためその部分の窓が埋められルーバーが設けられた。
クモハ273~277は連結されているクハが改造車のため、台車の振替え及び電装品の搭載が不可能で、冷房装置を搭載すると重量オーバーとなるため、連結相手のクハとサハのみに搭載され自車への搭載は見送られた。そのため、クモハ273~276と車内の仕様が異なるクモハ277は別形式となった。
また、クモハ276、277編成は現在のところ冷房化はされていない。
京成電鉄3300形リバイバルカラー車、寅さん電車引退

高架前の高砂~柴又間を走行する青電編成/(22-11-23)
京成電鉄3300形は4両編成8本が普通列車で運行されていたが、今年2月から3月にかけてリバイバルカラー3本(全車両)と寅さんのラッピング車が相次いで引退し、残り4本となった。
引続き金町線、千葉線等で運行されているが見る機会は大幅に減少した。特に金町線は以前は2本とも3300形のことが多かったが、2本とも3500形のことがあり乗車、撮影には注意が必要である。
ここ最近の3300形の動きを写真でまとめてみた。
2月15日寅さん電車運行終了/ 3320+3319+3342+3341(前2両44年2月日本車輌、後2両47年2月汽車会社製)
平成18年7月より葛飾区がスポンサーとなり「寅さん」のラッピングが貼付されていた。
柴又駅の高砂寄りポイント通過/ (25-2-11)

モハ3319 / (24-7-15) 柴又~高砂

モハ3342 / (24-7-15) 柴又~高砂

2月18日青電編成運行終了/ 3356+3355+3354+3353(47年3月汽車会社製でラストナンバー編成)
京成電鉄創立100周年記念行事の一環として平成21年6月に塗替えられた。過去この色の3300形は存在しなかったが意外によく似合っていた。
初日の6月30日上野発金町行の臨時特急が運転されたこともよき思い出である。(平成21年7月7日【3541】「京成電鉄創立100周年記念列車運転」を参照)
最終日の運用は、津田沼6時16分→上野着7時12分、同発7時17分→芝山千代田9時11分、同発9時15分→成田9時25分の普通列車であった。
柴又~高砂/ (21-11-23)

柴又駅発車/ (21-11-23)

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台湾一周駆け足旅行(2)
<3月21日> 台中⇒二水⇒車埕⇒集集⇒二水⇒嘉義⇒北門⇒タクシー⇒嘉義⇒高雄⇒MRT西子湾⇒高雄
虎尾サトウキビに代わり集集線乗車、嘉義で阿里山鉄道北門まで乗車、自強号で高雄に向かい、時間があれば高雄港の鉄道故事館に行くという乗り鉄に変更。
集集線乗車というよりも始めての台鉄支線乗車経験である。二水からは日本車両製DR1019に乗車。室内灯にはカバーがつき運転室横まで座席スペースがあり、そこは特等席。今にも雨が降り出しそうな天気の中、2705車次は8時3分定刻に二水を発車。8時50分に車埕に着く。折り返し9時00分までの10分間で駅舎やディーゼルロコを撮る。後でわかったことであるがここは以前ゼミ旅行の時宿泊した景勝の地日月潭の入り口である。
集集線車埕駅9時00分発車直前の2706車次台中行きDR1006↓
車埕から二つバックし集集駅で本日唯一の走行写真を撮る。走行写真と言ってもどなたか以前ここへ来られた方の情報で駅からものの5~6分も歩けば南国ムードの景色が撮れる。集集駅は日本のローカル駅そのもので、付近にハイキングコースでもあるのかお土産屋があり観光地のムード。駅前には阿里山シェイ22号が屋根付きで綺麗に保存され、若者ハイカーが盛んにシャッターを切っていた。
集集駅舎 日本のどこにでも見られた懐かしい駅舎↓
集集駅前保存の阿里山森林鉄道22号シェイ↓
2013年 はにかみの国、ミャンマーSL撮影の旅 Part8 ナムツ鉱山鉄道(Namtu) 第3日目 その2 グース出動
▲ グースが走る渓谷、岩肌から注ぐ水で洗い物をしていた少女。声をかけると、こちらを向いてくださいました。ちょっぴりと、はにかんだ笑顔はとっても素敵でした。ナムツ鉱山鉄道沿線で撮れた1番のショットです。
ナムツ鉱山鉄道 第3日目 3月27日 その2
ナムツ鉱山鉄道の指令所を出ますとリーダーのO氏より鉱山鉄道の管理者との話し合いの結果を皆さんに説明されました。
「 昨日の山火事発生で皆さんは大変心配されたと思います。昨日はあれほどの事態が起こるとは予想だにしていませんでした。皆さんが思われている通り、今日も昨日と同じように42号機を走らすと、昨日同様かそれ以上の災害が発生するかもしれません。
列車運行の責任は鉱山鉄道側にありますが、主催者は我々です。我々にも多少とも責任が生じる以上、危険は避けるべきとのご意見が出ました。極めて乾燥をしているこの時期の42号機の走行は止めた方が良いのではないか。我々は、代替案として皆さんの希望が出てきたグース運行を提案したい。 と、申し上げました。すると、管理者も案じておられたのか安堵の表情を表され、直ぐに上司に電話連絡をされた結果、許可が出ました。管理者は我々が心配じている以上に案じておられたようです。それと、一昨日はスイッチバックまでしか行けませんでしたが、今日はグースでその先まで行けることになりました。費用についても追加請求はありません。 」と、我々が思っていた以上の回答を引き出されたことをお聞きしました。
さすが大手鉄鋼会社の現場長を務められただけの人格者です。如何とも言い難い交渉力でもって鉱山鉄道側を説得、納得させられたのでしょうね。皆さんも万歳です。
それからの鉱山鉄道側の対応は、非常に迅速に始まりました。
休日にも関わらずグースの運転手の呼び出し、グースの燃料の手配をして、10:37、グースはデルタ線に入って機回し準備完了となりました。


▲ グースの駆動部分ですが、伝動ベルトには三ツ星ベルト(本社神戸市)製が使用されています。日野トラックといい、こんな所で日本製に会えるとは感激でした。
名鉄パノラマカー7000系
手元に1961年7月号の「鉄道ファン」があります。そう、これは創刊号です。
最初のグラフページは、奥中山のカーブを通過する80系はつかりの試運転写真でした。次のページは特急さくらの20系、その次のページにはc62+D52で瀬野―八本松をあえぎながら上る特急かもめ、「この付近にもポールが立ち並び、この写真もいまや記念すべきもの・・」との湯口大先輩のコメントが。その次の見開き2ページには夕闇迫る山科の大カーブを通過する特急第二つばめ、人間国宝・佐竹大先輩の作品です。
さて、この記念すべき創刊号の表紙を飾ったのが新製まもない名鉄7000系でした。
オレンジバーミリオンという色調も、この時初めて知りました。中学生にとって名古屋がまだ遠い異国の地に思えた時代でした。
台湾一周駆け足旅行(1)
昨年4月に続き趣味仲間Sさんのリーダーシップのもとで台湾鉄路をまわってきたので報告する。今回は、鉄研三田会の3名の方を含め、合計6名で途中適当に離散集合を繰り返しながら、撮り鉄、乗り鉄、飲み鉄を楽しんできた。個人的には1968年(昭和43年・中華民国57年)3月にゼミ旅行で訪台した時に別行動で撮影した場所への再訪が目的の一つであった。45年前の拙文は当時の青信号に掲載されているので今でもお持ちの方は参照されたし。
<3月20日> 羽田⇒台北松山⇒MRT⇒高鉄台北⇒高鉄台中(台鉄新烏日)⇒台鉄台中 ※ 高鉄は高速鉄道で台湾の新幹線、台鉄は台湾鉄道で在来線、MRTは地下鉄
旅の初日は台中である。当初虎尾のサトウキビ列車の予定であったが直前に運行終了の情報が入り、やむ無くホテルはそのまま台中とし、翌日以降の計画は練り直しとなった。高鉄の台中は台鉄の新烏日で、台中までは区間車で10分程度であった。早速、昔撮影した台中から烏日までを車窓から注意していたが、道路ができ、建物がびっしり建っており写欲を失う。古いセピア色の写真を持参してきたので失礼ながら台中の駅長室に飛び込み少しでも昔の撮影場所の雰囲気が残っていないか質問してみた。何せ45年まえのことで誰もよくわからず、逆に訪問を歓迎されてしまった。李駅長の話によると1917年にできた駅舎と駅ホームなどはそのままであるとのことでこのあとしばらく駅での撮影を行った。この日は虎尾の最後の撮影に間に合った大津の86さんが帰国前日であるにもかかわらず私達が投宿するホテルまで来てくれた。大津86の名前の由来、台中は出張等で度々来られたこと、海外のこと、DRFCのこと等を歓談したがあっという間に時間が過ぎてしまった。
上:台中駅到着のDR2700系 2001車次光華号台北発高雄行き 1968.3.23 9:26↓
下:ほぼ同じ場所での127車次自強号E1031基隆発高雄行き。 ホームは嵩上げされている。2013.3.20 16:14↓
上:台中駅南下ホームより台北方向を臨む。CT165(8620)と弁当売りのおばさん。1968.3.20 9:20↓
下:ほぼ同じ位置であるがCT165の位置に機関車現れず。左の区間車は韓国大宇製500系電車嘉義発后里行き。右の側線は高架化工事なのか無くなっていた。後方の車庫も無くなっていた。ホーム上屋の柱は昔のまま。2013.3.20 16:20↓
歴史記念物の1917年製の台中駅。45年前も基本的に同じ姿であった。↓
2013年 はにかみの国、ミャンマーSL撮影の旅 Part7 ナムツ鉱山鉄道(Namtu) 第3日目 その1
2013年 はにかみの国、ミャンマーSL撮影の旅 Part6 ナムツ鉱山鉄道(Namtu) 第2日目
▲ ナムツ駅構内で遊んでいた姉妹。仲の良い満身の笑顔はミャンマーに来て初めて見ました。
▲ タイガーキャンプのデルタ線にある大きな木の下で直射日光を避けてくつろぐ親子。穏やかな姿の中に強い信念を感じました。 ナムツ鉱山鉄道 第2日目 3月26日 6:24、今日は、朝の機関区の様子も分かったので、迎賓館で朝食後に出発することにしました。 
▲ 7:09、ナムツ駅に行きますと職員の皆さんは仕事を始めておられました。 今日は、昨日タイガーキャンプに残した13号機と、42号機との初めてのツーショットが狙いです。昨日はタイガーキャンプに着くのが遅く温かくなったので煙が出ませんでした。今日は途中での撮影は止めて、タイガーキャンプへ直行するように打ち合わせました。
▲ 7:13、雲間から朝日が見えてきました。朝日に照らされたグースのボンネットの向こうに42号機の煙が上がりました。 続きを読む
江若鉄道ジオラマ、雄琴温泉で展示さる!
▲本日から「琵琶湖グランドホテル」で公開・展示された西村さん制作の江若鉄道ジオラマ浜大津・三井寺下ブロック。過去のスカイプラザ展示での感動が甦ってくる。車両もフルラインナップで展示、また江若鉄道関係の資料も閲覧できる。
以前に大津の86さんから報告のとおり、西村雅幸さん制作の江若鉄道ジオラマ浜大津・三井寺下ブロックが、「大津百町大博覧会」の旧大津市公会堂会場でメイン展示されました。多くの来場者が訪れ、去る4月14日に幕を閉じました。会場では、来場者が感想や思い出を書いて自由に貼り付けることができます。そのコメント数が、群を抜いて多かったのも、その人気ぶりが伺えました。
そして、この浜大津・三井寺下ブロックが、そっくりそのまま雄琴温泉「琵琶湖グランドホテル」で展示されることになり、当特派員も、さっそく本日朝の9時に同ホテルに参上し、様子を見てきました。
ことの発端は、クローバー会のtuuyanの高校時代の友人である、別の雄琴温泉の旅館業の方から、「琵琶湖グランドホテル」での展示を勧められたものです。同ホテルの社長さんは、江若鉄道沿線で生まれ育ち、江若鉄道には人一倍の思い出を持っておられ、しかも、鉄道模型にも造詣が深い方と、管理・展示していただく相手としては申し分ない方で、西村さんも、この申し入れには二つ返事で快諾。大津市公会堂での展示終了後、雄琴まで運搬、tuuyan・大津市歴史博物館の協力も得て設置完了し、本日の公開を迎えました。
期間を限定しない、“半永久”展示であり、今後多くの皆さんに江若鉄道を偲んでもらうことが出来るでしょう。ここでも、クローバー会のネットワーク・協力が発揮され、浜大津・三井寺下ブロックは最高の舞台に収まりました。
▲ホテルのロビー奥の土産店に展示された。土産店の営業中は自由に見学できる。閉店中でも、奥のガラス仕切りを通じてロビーから見学できる仕組み。管理としては、言うことがない。なお、ホテル内には、湖西線を走っていた「雷鳥」485系のプレートがさり気なく飾られるなど、鉄道好きの社長さんのこだわりが見える。
▲場所は雄琴温泉街の琵琶湖側、JR湖西線おごと温泉駅から歩いても15分程度、すぐ近くに江若鉄道の雄琴温泉駅もあった。展示場所としても、この上ない絶好のロケーションだ。tuuyan制作のトーマス9mmレイアウトもあり、子どもたちも大満足。
“なにわ”の赤バス、消える 〈4〉
▲夕方の南海難波駅前で、ただ一台ポツンと発車を待つ、赤バス「浪速西ループ」。「浪速東ループ」とは連続運行になっている。
駅と赤バス
“赤バス”ルートの経由地は、駅、区役所、病院が3点セットになって、複雑な運行ルートを形成していた。生活者重視、なかでも交通弱者の高齢者向けならではのルートだった。その中から、鉄道との出会いとして、駅と絡めた写真を並べて、“赤バス”の終わりとしたい。
さて、大阪市バスの今後の行く末だが、地下鉄事業とともに、交通局の民営化基本方針案が示されている。市バス132路線のうち、3月までの赤バスで26路線廃止、一般バスも2014年3月末には17路線を廃止し、89路線に集約したうえで事業を売却し、2014年4月から民間運行を開始する。地下鉄も2015年度から民営化するという、
大阪市交通局に、日本の公営交通としては、かつてない大変革が迫っている。
2013年 はにかみの国、ミャンマーSL撮影の旅 Part5 ナムツ鉱山鉄道(Namtu) 第1日目 その3
▲ たくましい腕にお孫さんをしっかり抱いたおばあさん。はにかみ顔というより、自信に満ちた笑顔です。
▲ 幼い子供さんは日焼け止めを顔一面に塗っています。ミャンマーでも色白は美顔になるのでしょうね。はにかみ顔のお母さんも大変です。
第2日目 その3
http://www.youtube.com/watch?v=wnWZEgmN5jw
▲ 動画の埋め込みコードが不調ですので上記をクリックしてください。
タイガーキャンプまでは急勾配です。DC303号機だけでは力が足りす。13号機も必死の力行を見せてくれました。コンデジでの動画撮影です。お見苦しい点はお許しください。
[googlemap lat=”23.103816492828233″ lng=”97.32300341128735″ align=”left” width=”300px” height=”200px” zoom=”17″ type=”G_HYBRID_MAP”]マンダレー[/googlemap]
のせでん開業100周年、復刻塗装電車

開業当時の1号車にちなみ、グリーンブルー塗装と、車体前面及び側面に唐草模様が装飾されています。


以上いずれも、妙見口駅付近にて、4月14日撮影。
能勢電鉄は、2008年が会社設立の100周年だったが、当時は債務超過で経営再建中。会社の「100年史」を作ったほかは、既存イベントに「設立100周年」と入れて質素に祝った。その後、12年3月期決算で債務超過から脱し、今回、開業100周年を喜べる環境が整ったとして、種々のイベントを計画しているようです。
その内の一つが車両の復刻塗装。4月から1500+1550に開業時1型のグリーンブルーを、また4月14日この日から1510+1560に51型塗装を施した。前車は山下-妙見口間を、後車は山下-日生中央間をいずれも往復運転している。車内には懐かしの写真なども飾られているようですが、筆者は乗らずで見ていません。
4月14日日曜日、能勢に所用があり、通りがかりに撮影しました。
2013年 はにかみの国、ミャンマーSL撮影の旅 Part6 ナムツ鉱山鉄道(Namtu) その3 第1日目 その3
▲ タイガーキャンプ直前に設けられた2重ループ線です。ここを上がるとタイガーキャンプのヤードに入ります。
▲ 12:33、まずはDLを先行させて、続行するSLと交差するシーンとしました。鉱山最盛期には多数の蒸気機関車が稼働していました。交換できる駅もわずかでしたので続行する列車運用も組まれていたのかも・・・。
しかし、610㎜ナローゲージにループは鉄ちゃんにはこたえきれない喜びです。これだけを見るだけでも十分な価値はあります。

▲ 12:52、タイガーキャンプに到着しました。山間の広い場所に第一選鉱所、炭住と鉄路ヤードが広がっていました。
Part7へ続く
2013年 はにかみの国、ミャンマーSL撮影の旅 Part4 ナムツ鉱山鉄道(Namtu) 第1日目 その2
;▲ 通学の子供さんとお会いました。カメラを向けると凛々しい顔で答えてくれました。二人は兄弟なのでしょうね。子供らしくお菓子を食べながらの通学です。鉱山が休止してしまって斜陽の町のように思えますが、元気な子供たちはたくさんいます。子供の姿が見えて声が聞こえてくるのは、これからのこの町に再興への道が開かれていると思いました。
第3日目 3月25日 その2
▲ 今日のフォトランの軌跡と標高表です。Wallah渓谷に沿って急坂を上がっていきます(GPSロガー;O氏より提供)。ナムツから選鉱所のあるタイガーキャンプまでの標高差は243m。路線は1部40‰あまりあって、平均勾配は33.75‰にもなる登山鉄道でもあります。空車回送とはいえ山に向かって、喘ぎながら貨車を牽引していた様子は容易に想像できます。
蒸気機関車13号機をチャーターしてのフォトランが始まりました。610㎜のナローゲージを走行する蒸気機関車を見るのは初めてです。
[googlemap lat=”23.087122072726036″ lng=”97.39197015760055″ align=”left” width=”340px” height=”150px” zoom=”17″ type=”G_HYBRID_MAP”]マンダレー[/googlemap]
▲ 7:52、ナンヨー方面からナムツ駅へは、Wallah渓谷にかかるトラス橋を渡って進入します。ミャンマーは熱帯の国ですが、海抜520mのナムツの朝は15℃と涼しく白煙が上がりました。
“なにわ”の赤バス、消える 〈3〉
赤バスの車両
“なにわ”の赤バスは外国製である。一般の路線バスに、多数の外国製バスが在籍するのは、たいへん珍しい例だ。
2000年の赤バス運行開始時に、国内のバスメーカーでは適当な小型ノンステップバスが製造されていなかったため、外国製のバスが導入されたと言われている。
ひとつは、ボルボ関連会社で、スウェーデンのオムニノーバ社製造の「マルチライダー」。2000年の運行開始に備え20台、2002年の路線拡充時にさらに50台が導入された。
その後、オムニノーバ社が経営破綻したため、2005年の第三次路線拡充の際には、メルセデス・ベンツ・スプリンターをベースとするコミュニティバス仕様の「トランスポーター」が13台導入された。
国産バスに比べて高価な買い物だったが、故障が多く、保守する側は泣かされたという。
2012年には、2000年製赤バスが廃車となり、その代替として日野「ポンチョ」が赤バス14路線に導入される。赤バスとしては初めての国産車となった。車体の塗装は、一般路線車と同じデザインで帯のみが赤になった。
2社の外国製、1社の国産赤バスは、廃止時、酉島、住之江、長吉、鶴町、井高野の5車庫に配置されていた。
▲外国製の赤バス、これは、スウェーデン・オムニノーバー社製「マルチライダー」。「大正区役所前」付近
▲もうひとつの外国製赤バス、メルセデス・ベンツ社製「トランスポーター」。つりあがったライトが精悍な印象を与える。「淡路二丁目」付近
▲赤バス廃車の代替として導入された国産車、日野自動車の「ポンチョ」。4月以降は、大阪市バスの一般車と同じ、クリーム・グリーンに塗り替えられ、旧赤バス系統などで引き続き使用されている。「鶴橋駅前」付近
贅を尽くした通勤、通学、行楽特急・京阪3000系
今週はビスタⅡが登場した。仁連上人著のJTBキャンブックス“近鉄特急 上”89頁を開いてほしい。老人撮影の先頭部が紹介されているが、窓ガラスが1枚物であることが分かる。このパノラミックガラスはその後の増備車では片端カーブ部分は分離されてしまった。理由はともあれ、こうした正面窓ガラスの片端が曲面となった電車の日本での登場は1957年秋の名鉄5200型であると思う。老人はピクトリアル誌で知り翌年春に東京への道中、岐阜で下車して新岐阜駅に赴き現車をしげしげ拝顔したのだが、曲線部分にかかるところにステンレス縦割バーを見付け違和感を覚えた。その翌年秋、ビスタⅡは曲面1枚ガラスで登場した。やっと日本のガラス業界も一歩前進したと思った。京王電鉄5000系が1963年登場した時、東京出張の折に新宿まで正面窓を見に行った。残念ながら名鉄流であった。
それが1971年、京阪電車3000系は老人の宿願を果たしてくれた。最初に四条交差点で見た時の感動は今に至るも覚えている。かぶりつきのロマンスシートは子供たちに占領され、なかなか座れなかったが、淀屋橋から乗ると確保し易いことに気付いたのは増備車投入後であった。着席は右列通路側とした。この位置からは曲面部分の展望がまことによろしい。これは8000系においても然りである。
3000系がダブルデッカーを挟んでの試運転は夜間にあると、「ぷるぷる」氏から連絡があった。1995年12月14日出町柳22:58着、23:08発、最終特急後追いで走行試験をするとの事。この時に昼間の試運転ダイヤも教えてもらった。翌15日上り丹波橋14:33着、14:35発、これが目を引いた。この日、淀車庫拡張工事に絡む信号所新築内装工事打ち合せが15:00に設定されていた。勤務先担当者から同行を求められており、行きがけの駄賃とばかり社用車便乗で行くことにした。ダブルデッカーを横大路のカーブで迎え撃つのである。無事果たすことが出来た。
老人は1962年に向日町に転居した。この時に旦那に「裏切り者!」と言われた。それを区切りとして守口車庫に近寄っていない。従って3000系誕生の経緯など聞いていない。でも対岸から何時も観察していた。その対岸からの展望は如何にと、石清水八幡宮の参道を辿り展望台に向かったのは35年ばかり前で、住宅建設現場で大工に教えられ事による。その後、ぷるぷる氏とケーブル取替直後に便乗させてもらい、はるか天王山の下を走る鉄道3線との比較を論じた思い出を持つ。そんなこともあり3月31日の3000系お別れの日は“おたまちゃん”と2人で、八幡さんの展望台から靄のかかった2川合流地を見下ろしながら3000系と別れを告げたのであった。
2013年 はにかみの国、ミャンマーSL撮影の旅 Part3 ナムツ鉱山鉄道(Namtu) その1 概要と車両
▲ ナムツ駅のロケハンに向かう道でお会いしました露天の八百屋さんの店開きをお手伝いしていた少女。カメラを向けると、はにかみながら返してくれた素朴な笑顔がとっても素敵でした。
第3日目 3月25日 その1
日本からはるばる2日間をかけてやってきましたミャンマーのナムツ鉱山鉄道の蒸気機関車撮影は、じっくりと3日間をかけて行います。今日は13号機をチャーターして選鉱所のある山のタイガーキャンプまでをフォトランしながら向かいます。
【 ナムツ鉱山鉄道 】
ナムツ鉱山は、銀を産出する鉱山として数100年前から採掘が始まりました。当時から世界的にも有名だったそうです。
1883年、英国植民地時代に入り1903年にマンダレーからの鉄道建設がラショーまで開通しました。これに伴いナムツ鉱山への鉄道建設は、1907年に610㎜(2フィート)ナローゲージにより始まりました。難工事の末1914年に国鉄線ナンヨー(Namyao)~バドウィン(Bawdwin)の全線43.7㎞が完成しています。鉄道ができたおかげで、大規模な採掘と輸送が可能となりました。鉱山鉄道はタイガーキャンプで一次選鉱された鉱石を製錬所のあるナムツへ運びます。ナムツで精錬された各金属はナンヨーへと運搬され、ここで積み替えられて国鉄線で西海岸の港町に向かい、その後は英国本土へと海上輸送されていったと思われます。優れた精錬技術により採取される金属は鉛、銀、亜鉛や銅と増えていきました。

▲ ナムツ鉱山鉄道の路線図と路線の標高図です。黄色線は現在運行されている区間です。
▲ 厚かましくも指令所でいただきました白紙のダイヤグラムです。表面が7時~19時と裏面が19時~7時までの両面仕様になっています。今回のチャーター列車が運行された時はきちんと線引きがありました。
蒸気機関車時代は1980年代で終わりましたが、FarRailからの要望で13号機と42号機が現役復活されました。鉱山は約3年前に坑道水没により閉鎖されています。殆どの鉱山は湧水との戦いです。鉱山で湧き出る水をいかに効率よく排出できるかが、鉱山運営のポイントの1つで何もしなければほとんどの鉱山は水没します。水がいくら湧き出ても、それを上回る排出能力を持てば鉱山は採掘を続けられますが、ナムツ鉱山の採掘現場は、海面以下になって効率的な水の排出が困難になって休止せざるを得なくなったそうです。
現在、新たな鉱脈発見作業が続いており、鉱山の従業員は解雇されず自宅待機で再開を待っておられます。その間の給料は支払われていますのは、国営なのと解雇してしまうと熟練の従業員が山を去って町に行きますので、辺ぴな山には2度と戻ってこない心配があるからなのだそうです。鉄道も同様で、再開までの保守点検が行われています。そして鉱山労働者家族が住まれる地域までは道路のインフラはないので、1週間に3回ほどの生活物資の運搬運行がレールバスにより続けられています。
ただ数年前にバドウィン手前の路線でがけ崩れがあって線路が流出したままで放置されています。今回も近くまでしか行けませんでした。鉱山再開の見通しが立った頃には修復されると思われますが、従業員の生活を守り、鉄路を維持管理するには莫大な費用が必要でしょうから大変ですね。
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近鉄ビスタカー10100系
台湾五分車のたび(その2)
虎尾を訪問した2日後、この日も早起きして午前中烏樹林休閒園区に行った後、新営鉄道文化園に行きました。この2箇所はいずれも最寄の駅は新営で、ここ新営鉄道文化園は台鉄の駅から歩いて10分ほどの場所にあって、観光糖廠の中では一番行きやすい所ではないでしょうか。
台鉄の線路を左に見て歩いていくとヤードがあり、そのまま糖廠へと続いていきます。五分車乗り場の横にある芝生には1979年まで使われていた350号、382号の2台のSLとDLも並べられています。 続きを読む


























