上田丸子電鉄サハ28について

北陸鉄道に引続き、1958年上田丸子電鉄シリーズが始まり、貴重な画像をワクワクしながら拝見させていただいております。特に「びわこスタイル」のクハ252の写真は見たことがなく、本邦初公開ではないかと思います。

湯口先輩が疑問を呈しておられるサハ28について、私の知る範囲で書いてみたいと思います。湯口先輩が仰せの通り確かにパッと見はガソリンカー改造車に見えますが、書類上は昭和33年6月自社製の新製車となっています。実態は昭和31年6月に廃車になった江ノ電(当時の正式社名は江ノ島鎌倉観光)201の廃車体を購入し、モハ3223に車体を流用したサハ25(元飯山鉄道キハニ5)の台車を組合せて作られた車両です。(11月23日付【10474】1958年上田丸子電鉄で記述されておられる通り)ならば江ノ電の201とは何かということになるのですが、昭和11年に新製された夏季専用の納涼車の車体を、昭和24年東急車両で一般車に改造したもので、僅か7年で廃車になっています。江ノ電時代の201の写真は見たことがありませんが、車体の下部の切れ込みから、扉が両端にあったこと、写真では判りにくいですが扉を埋めた溶接の痕跡、車端の縦長の窓は、確かに元江ノ電の車両であることを示しています。201と同じく納涼車改造の202の写真はRP誌「私鉄車両めぐり・江ノ島鎌倉観光」に掲載されています。
参考までに江ノ電の車両も貼っておきます。

 
サハ28 昭和42年3月28日  上田

 


107、110 昭和45年3月12日  極楽寺
いずれも昭和6年川崎車輌製であるが、主電動機が107は37.3kw×2、110は44.7kw×2である。車端に縦長の窓が設置されている。

【番外】電動貨車2 昭和45年3月12日  極楽寺

 
元東急のデト3011(大正11年汽車会社製)を昭和22年に購入したもので、当初荷台に乗客を満載して営業運転をしたこともあると言われている。昭和45年3月31日付けで廃車されたため間一髪でセーフであった。

1958年上田丸子電鉄その3


上田丸子電鉄サハ41←ハフ101←省キハ101←飯山鉄道キハ101

半月開いてしまったが、その3を続ける。旧飯山鉄道のガソリンカーは、第二陣が記号番号もキハ101、102と大きくなっただけではなく、手荷物室がなくなって100人乗り、17.5トンと大型化。機関もウォーケシャ6RBに強化され、端面も2枚窓半流に。なお飯山鉄道ではキハ101のみ代燃化し、それも片側運転室反対側(妻面から窓2個)をベニヤ板で仕切って炉室にして、木炭瓦斯発生炉を床上に設置。当然ながら定員が7人減少した。ヨーロッパには代燃炉室内設置例も結構あるが、我国では鉄道省キハ41000のシンダガス代燃化、私鉄では淡路鉄道と飯山の2例しかない。


サハ42←省キハ102←飯山鉄道キハ102

台車は当然に菱枠だが、端梁を設け、軸箱守とステーで結ぶなどの補強は上田丸子にきてからであろう。連結器も簡易連結器から通常の下作用に交換されているが、車体はよく原形を保っている。


サハ41
サハ252←相模鉄道クハ1501←クハ1051←サハ50←ホハ50←神中鉄道キハ50←キハ40

サハ252は日車東京支店製「びわこ」スタイルのディーゼルカー、神中鉄道キハ40で、よく改番を重ねている。やはり菱枠台車に端梁や鋼板リブを付すなど、加工強化されている。同型だったサハ253は端面を改造しているため、前身がすぐにはピンと来ず、しばしの間悩んだ記憶がある。


クハ253←相模鉄道クハ1502←クハ1052←サハ52←ホハ52←神中鉄道キハ52←キハ42
クハ253 「びわこ」スタイルを残すクハ252とは全く同じ出自だったが こっちは端面を改造しているのでまるっきり違う車両に見える

戦前もっともディーゼルカーが成功したのは、一番遅くに採用した神中鉄道であった。機関に国産品を選び、メーカーの指導が直接受けられたことが大きいと思われる。この80人乗り車は日立649-R2を装着していたが、大型バスやトラック用として、ある程度ではあっても量産され、それだけ供給側も使用データーや経験があったのである。

因みに戦前の国鉄は、ディーゼル車は機関車も動車も、ことごとく失敗―それも手ひどい―した。機関がそれだけのために新たに開発された、未熟もいいとこの不完全品だったのが最大原因である。見方を変えれば、国鉄工作局の仲良しグループ(要は退職者を受け入れ、かつ陸軍肝煎りの「統制機関」開発競争に敗退した負け組でもあった)である新潟鉄工所を中心とした内燃メーカーが、ロクなディーゼル機関を開発できなかったことでもあった。


クハ253連結面 これが「びわこ」スタイルの流線型だったとは思えまい

サハ28 誰が見てもどこかのガソリンカーの成れの果てと思うだろうが その実???

サハ27は東武鉄道キハ30←神中鉄道キハ30で、モハ3121←モハ311←モハ301←善光寺白馬電鉄ゼ100と同型(ディーゼルカーだから床高は20mm高いが)車だが、1番違いのサハ28はご覧の通りの姿で、前歴不詳。車体幅が狭く、かなりの軽量というか簡易な車体で、誰が見てもガソリンカーの成れの果てと思うだろうが、これが難物なのである。台車は間違いなく内燃動車用で、片側は偏心しているから、余計幻惑される。

故吉川文夫氏に尋ねても、ウーン、江ノ島から買ったというんだが、よく分からんのだ、との返事しかもらえなかった。少なくともこれに該当すべき内燃動車は存在しない。小林宇一郎「上田丸子電鉄」鉄道ピクトリアル164号でも、「実は江ノ島鎌倉観光から購入したもの」「出入り口は折り戸だったという」と歯切れの悪い説明しかされず、要するに地元の先輩でも分からないのである。欲求不満がつのるではないか。どなたか解説してくださらんか。

中国の新幹線に豪華なCRH380B登場予定!

現在、滬杭高速鉄道を走る次世代の超高速列車CRH380Aが営業列車としては世界最速となる486.1km/hを達成したことは先日ご報告いたしましたが、このほど京滬高速鉄道用CRH380Bが新たに加わると発表がありました。

CRH380Aとの相違点は
①今までのCRHシリーズの動力分散式ではなく、TGV同様の両端が電動車の16両編成。
② 中間車14両は、1等車が3両、2等車10両、食堂車1両の編成。定員は1004人。
③目玉として、3両の1等車の内1両は、「はやぶさ」のグランクラス 以上のハイグレードシート(180度リクライニング・液晶TV付き)を設置。
④CRH380A、380Bとも来年2010年10月1日までに開業予定の上海~北京間京滬高速鉄道に使用予定。

以上が現地報道されている内容ですが、どうして今までの分散式を採用しなかったのか不思議ですね。先頭車はどんなフロントノーズになるのか楽しみです。
全長1,318キロを約4時間で走行する予定ですので、表定速度は300~330km/hにもなります。380km/hの連続走行が必要です。
「はやぶさ」のグランクラスにも驚きましたが、CRH380Bも飛行機のファーストクラス同様となると、是非とも乗車してみたいです。運賃ですが、2等が約600元(約7,500円)になるだろうとの推測が出ています。特等は3倍だと1,800元(約22,500円)ですが、車内サービスも国際線の飛行機並みに豪華車内食あり、アルコール飲み放題を含めての飲料サービスも実施されれば乗車する価値は充分あります。

2010年 秋の中国一人旅 Part15 南京地下鉄

第14日目 11月3日

① 上海10:00(G7010)→11:15南京
② 南京16:05(G7149)→18:04上海虹橋

今日は、滬寧高速鉄道に乗車して、南京に着きました。南京は通過した回数は数え切れないくらい多いのですが、下りた事のない街です。今回初めて下り立ち、ホームでCRH撮影後、南京地铁の初乗車を目指しました。
【南京地铁】
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2010年 秋の中国一人旅 Part14 滬寧高速鉄道

第14日目 11月3日

① 上海10:00(G7010)→11:15南京
② 南京16:05(G7149)→18:04上海虹橋

今日は、2010年7月1日に開業した滬寧高速鉄道に乗車して、往路は上海から南京へ、復路は上海虹橋行きと少しルートを変えて往復します。
【滬寧高速鉄道】

2008年7月1日、中国鉄路の中でも最も列車本数密度が高く、輸送力の限界に達している上海~南京間の打開策として、鉄道部と江蘇省、上海市は共同出資で高速旅客専用線の建設計画を立ち上げました。そして驚愕のわずか2年間で総延長300キロの路線を完成、今年2010年7月1日に開業しました。
設計最高速度は、350km/hで、21箇所の駅が設置されていますが、日本の新幹線「こだま」のように各駅停車する列車はなく、各列車とも別々の停車站を設定しています。滬寧高速鉄道の列車番号は、G7000番台が振り当てられました。南京~上海・上海虹橋間に使用される車両は当初、CRH2C、CRH3でした。 続きを読む

電車・バスでまわる「歩くまち・京都」京都フリーパス

京都市が音頭をとって、お得な?1日乗車券が今月11日~来年3月23日まで発売され通用期間となる。そこで通用区間について検証してみることにした。先ず【鉄道】全線OK:市営地下鉄、叡電、嵐電、一部区間:近鉄・京都~向島、京阪・出町柳~中書島、阪急・河原町~洛西口、桂~嵐山、となっている。京福のケーブル、ロープウェイや京阪京津線が外れたのは仕方ないないとして、京阪宇治線・中書島~六地蔵を適用外としたのはなぜだろう。六地蔵で少し歩けば周回コースとなり、今話題の寺田屋を始め「新酒ブーム」に沸く伏見へ呼び込めるのに・・・・・・。そして【バス】市バス:定期観光を除く全線、京阪バス:定期観光、比叡山線、比叡平線、松井山手線を除く山科、醍醐、中書島地区(該当地区までは市営地下鉄を利用、京都バス:市バス市内均一区間及び広河原線鞍馬温泉以南と岩倉、大原、嵐山地区(大原地区は小出石以南?)。これで京都盆地は雲ケ畑地区以外は含まれる。比叡山線、嵐山高雄線は省かれる。京都シティバス:中書島、淀地区、京阪京都交通:中山営業所全線(京都市内)、西日本JRバス:京都駅~栂尾、阪急バス:向日営業所全線(阪急電鉄との接続駅は洛西口だが、東向日まで150円で清算すれば大原野神社、勝持寺・花の寺、十輪寺、善峰寺に、長岡天神で180円で清算すれば光明寺、乙訓寺に行ける)、ヤサカバス:全線、となっている。通用期間1日、価格:2,000円(小児の設定はなし)ここまで来て「なにっ!」となった。ちょっと高いやおまへんか!市バス1日乗車券500円、それに地下鉄全線つけて+700円で1200円、それが京都市交通局以外を付けたら800円アップとは何ぼにも高い!郊外観光に出たら近場で半日、鞍馬や大原行ったら1日がかりが相場や、しかも冬場、寒い京都や皆さん山の麓までいかはらへん。1000円にして気楽に利用してもらって「京都はええとこどした」と、言ってもらえるように出来ませんか。老人はアムステルダム、ウィーンで24時間キップを利用したことがあるが、ユーロが130円時で700円ぐらいやった。フランクフルト アム マインではゾーン2で前記ぐらい。ベルリン、デュッセルドルフ、その他、ホテルの宿泊カードが市内交通機関のフリーパスとなっているところもあった。【損して得を取れ】の類で、一考を要する価格設定であると思う。折角スルッと関西シリーズで好評を得ているのに、何とかしないと企画倒れになってしまう。京都市長の考え一つや思う。帯をしっかり締めなはれ!

489を流す

先週末のことになりますが、久しぶりに489系ボンネット編成が東海道線に姿を見せました。修学旅行の団体列車として金沢~大阪間を走ったものです。大阪行きの回送は、ぶんしゅうさんと山崎で待ち受けようとしていたところ、ダイヤを読み違えで寸前のところでアウト! 戻りの金沢行きを日没後の山崎駅で辛うじて写すことができました。

金沢総合車両所の489系ボンネット編成は、ことし3月改正で最後の定期運用「能登」から離脱しましたが、残った1編成は、特急の代走をしたり、団体列車で東京・大阪・京都へも来たり、予想外の活躍を続けています。
「臨時」表示ではありますが、ボンネットの姿、いいものです。自分自身が鉄道に目覚めた頃から走っている、50年間続くスタイルを見ると、つい鉄道少年だった時代のことを思い返したりします。
今まで489系ボンネット編成を、好んで撮りに行きましたが、時々、流し撮りをして楽しんでいます。流すことによってボンネット部がより強調され、DT32系台車の上に大きな車体が乗って、下回りがスコンと透けて見えるのが大好きです。
もちろんすべて成功するわけではなく、目も当てられない写真のほうが多いのですが、それだけに決まった時は快感です。撮りためた中からいくつかを紹介しましょう。

流し撮りの基本は、数を稼ぐことから始まる。一日10数往復も「雷鳥」が運転されていた時代、居住地近くの山崎~長岡京間には、流し撮りに適した真横から狙える区間がいくつかあり、よく自転車に乗って行ったものだ。「雷鳥」編成には、スカート部に切り欠きがあり、美観を損ねているが、真横なら、それも気にならない。この写真は、乗務員ドア付近は確かに止まっているが、アタマは流れてしまっている。斜めから撮る場合、止まるのは一点だけで、それをアタマに持ってくるのはなかなか難しい。

薄暮時に「しらさぎ」を流し撮りをする。露出の厳しい時間帯だけに、その低速シャッターがちょうど流し撮りに使える。北陸本線田村付近、バックは琵琶湖岸であり、空で抜くこともできる。当時、「しらさぎ」もボンネットだった。しかも「雷鳥」と違って、連結器カバーも付いたオリジナルのボンネットだ。前照灯を輝かせ、夕闇迫る湖東路を名古屋へ急ぐ姿である。

「能登」の廃止後も、今年の春は波動用として、ボンネットは、しばしば京都・大阪へ顔を見せた。ところが、ヘッドマークは良くて「臨時」、下手をすると、マークなしの蛍光灯むき出しの姿で、絵にならないこと夥しく、正面勝ちの撮影では全くサマにならない。そんな時、サイドからの流し撮りは有効な方法である。山崎付近でバックに緑を入れ、国鉄色が引き立つようにした。

ここで、流し撮りの方法をひとつ‥。カメラの流し方は、巷のハウツウどおり、腰を基点にして、上半身を振る抜く、野球のスイングと同じだ。つぎにシャッター速度だが、上ると成功率は高まるが、バックが流れない。私としては、確実に決めたいときは1/125S、成功率は低くなるがバックをより流したい場合は1/60S以下としている。それと、連続シャッターを使用する場合、高速ではなく、低速を選択している。高速連写だと、ほとんど幕が下りたままでファインダー視野から対象物が確認できないが、低速だと、幕の開閉の間にしっかり対象を眼で追うことができる。この春も、琵琶湖をバックに1/125Sで真横の編成を抜いてみた。

阪堺電車 モ101形

引続き国電の「クハ76形」あたりが紹介されるのかと思っていたところ「阪堺電車モ101形」でした。深い二重屋根の重厚なスタイルは路面電車の傑作の一つと思います。最終的な廃車が昭和42年ですので、乗車、撮影はギリギリ間に合いました。撮影したのは、初めて上町線を訪れた昭和39年11月で、その後廃車になるまで阪堺線は何度か訪れていますが、撮影はこの時のみです。

 
モ117

 
モ113

 
モ170(この時点で既にパンタ化され、連結器は取り外されていた)

 
モ235(台車を振り替え低床化している)

 
モ352(モ101の電装品を流用して作られた)

 
モ504(この時点では連結器が残っていた)

いずれも昭和39年11月3日 姫松で撮影。

2010年 秋の中国一人旅 Part13 CRH380Aと滬杭高速鉄道

第13日目 11月2日

① 上海虹橋10:00(G7307)→10:45杭州
② 杭州16:00(G7320)→16:45上海虹橋

今日は、2010年10月26日に開業した滬杭高速鉄道を走行する最新のCRH380Aに乗車して、上海虹橋から杭州までを往復します。

杭州駅で配布していたパンフレットからのスキャンです。上海虹橋~杭州間には、途中7駅が設けられています。

ホテルから余裕を持って出発しましたが、地铁が後2駅を残して駅間で停車して動きません。いつものように車内放送もなく10分も過ぎると、飛行機に乗られるであろうスーツケースを持った乗客達も落ち着きがなくなってきました。何とか走り出しましたが、次の駅で全員降ろされました。車両故障だったのか、遅れたので単なる間引きのための車庫入りなのか分りませんが、とにかく余裕がなくなったのは事実です。後続列車は直ぐに来ましたが、虹橋火車站ではダッシュしている乗客もかなりいました。
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今回は阪堺線

朝のNHKドラマを見ていると、阪堺線の旧型電車がよく出てくる。設定は松虫あたりと聞いているがなじみがないのでよくわからない。以前投稿で阪堺線があったがいま残っている電車には木造はない。この絵のダブルルーフもない。果たして乗った人はいるのだろうか。乙訓の長老ぐらいか。ご存じの方は今回も薀蓄をお願いする。

なお、このシリーズはまだまだ続くそうで、後に単行本化も予定されているようです。必ず買います。

江若鉄道三井寺下駅再現(その7)

車両の増備にうつつをぬかしていましたが、ようやく土木工事を再開し、三井寺下の敷地に線路の敷設を終えました。2個のカーブポイントを含む合計17個のポイントからなるにぎやかな配線です。まずは全貌が見える形になりましたが、我が工房の床を全面占領する大きさで 足の踏み場がない状態です。1次工事は済みましたが、これから17個のポイントマシンの自製、制御システムの設計、制御盤の製作、そして駅舎や車庫など数多くの建物の製作と これから先が思いやられます。無謀にも工事を始めたからには 開業の日を夢みて がんばることにします。敷地周辺の住宅地の雰囲気をどのように再現しようかと悩んでいます。1/80で仕舞屋風の民家を再現して作れば 立体的で最もリアルなのですが さすがにこれは自信と根気がなく 絵を書く案が有力ですが、これは平面的でかえって違和感を生じるかなどと考えているところです。
三井寺下構内1
三井寺下構内1
三井寺下構内2

三井寺下構内2

2010 年秋の中国一人旅 Part12 上海虹橋駅

第12日目 11月1日

① 天津 21:53(D341)→7:14 上海虹橋
② 地铁 虹橋火車站→東安路→ホテル
③ ホテル→地铁東安路→豫園→上海站
④ 上海站→南京路→外灘→地铁東安路→20:30ホテル

6時過ぎに目覚めて車窓を見ると、並行する在来線が見えました。眠っていて分りませんでしたがどうやら南京から7月に開業した滬寧高速鉄道に乗り入れたようで、走行速度も200km/h以上は出ています。D341次に使用されている編成は、CRH2を寝台列車用に車内を設計変更したCRH2-E形で、最高速度は250km/hです。最高速度350km/hで走行する寧高速鉄道を走行するのはダイヤ編成上無理がありますが、早朝の上海方面行きCRH2-E編成のみが連続運行された最終後に最高速度350km/hのCRH2-C・CRH3・CRH380Aが走り出すように上手くダイヤ編成されています。従って、上海までに下車する客もいますが、乗車する客もいます。

6:12
D341次无錫(無錫)に停車しました。ホームは在来線横に新たに造られています。无錫から苏州(蘇州)にかけての沿線は、水路がはり巡らされた水郷の村々が続きます。朝霧が幻想的に漂う墨絵の車窓に釘づけになりました。

停車・通過站を見てきましたが、殆どが広大で高さがある屋根付き鉄骨ドームです。軟臥下鋪の車内サービスにスリッパがありましたが、見るのは初めての赤・黄と鮮やかやカラーです。こんなところにも変化を遂げようとする中国鉄路の一端が見えます。 続きを読む

中国版新幹線 CRH380A 世界最高速度486.1km/hを記録!

祝「東北新幹線 八戸駅~新青森駅間の開業」

本日2010年12月4日、東北新幹線の延伸開業となりましたが、浮かれていてはいけません。昨日12月3日、中国鉄路では2011年開業予定の京滬高速鉄道(上海虹橋・上海~北京南)の一部完成した区間において、CRH380A編成が鉄輪式の営業用車両としては、世界最高速度の486.1km/hを記録しました。

これまでの鉄輪式の営業用車両としての最高速度は、今年9月28日に同じCRH380Aが滬杭高速鉄道で記録した416.6km/hでした。来年早々に500km/hへの挑戦を行うと発表されていましたので、今回は予行演習だろうと思います。
CRH380Aは、東北新幹線等で運行されている「はやて」E2系をベースに中国独自技術で開発したと発表されていまして、現在滬寧高速鉄道(上海虹橋・上海~南京)と滬杭高速鉄道(上海虹橋・上海~南京)で運用されています。
ちなみに鉄輪式のこれまでの最高速度は、TGVの574.8km/h(2007年)、日本では955系の443km/h、リニアでは581km/hですが、いずれも試験用車両でした。今回は、営業用車両が記録したことに大きな意義があります。日本の技術供与があったとはいえ立派な記録です。
京滬高速鉄道の営業運転では、380km/hで走行し北京~上海間(約1,300キロ)を4時間台で結ぶと言っておられますが、これで現実味を帯びてきました。将来的には500km/h運転を目指しますので、ひょっとしたら東京~名古屋間のリニアより早くに鉄輪式で500km/h運転をするかも・・。恐るべし中国鉄路となってきました。

CRH2からフロントノーズをロング化したCRH380A形。鉄道ファン必見の展望室もあります。昨日12月3日、武广高鐡(广州南~武漢)にも8編成が配置されました。

追憶の九州 一人旅 (4)

大畑再訪

「ゲキ☆ヤス土日きっぷ」を使った九州の旅も終盤となります。日豊本線で485系を撮ったあとは、肥薩線の山線区間の再訪とします。隼人から乗る特急「はやとの風」は、日曜日とあって自由席の確保が心配でしたが、案に相違してガラガラ、木を多用した車内の設備とあいまって快適な列車の旅となりました。
途中、明治の駅舎としてブレイク中の嘉例川駅に停車すると、すごい人出に迎えられます。ところが、駅前を見ると自家用車で満杯、何のことはない、鉄道を一切利用せず、鉄道の名所を車で訪れる現実に、鉄道ブームの断片を見た思いでした。終着の吉松駅に着いて、向かいのホームの「しんぺい」に接続1分間で連絡、いよいよ肥薩線の山線区間に入って行きます。
平成16年の九州新幹線の開業時に生まれた観光列車「しんぺい」「いさぶろう」は吉松~人吉間に2往復、上りを「しんぺい」、下りを「いさぶろう」と呼びます。指定券があれば乗れる普通列車で、絶景ポイントでは停車・徐行、車載カメラからの展望ビデオの放映、真幸、矢岳、大畑の各駅では10分余りの停車、駅では地元の特産品販売、そして制服の似合うアテンダントの甲斐甲斐しい接客と、観光列車らしいサービスがたっぷり。
大畑も40年ぶりの再訪となりましたが、以前に大畑の情景に惚れ込んだTさんから、「大畑は木が茂ってあきまへんで」と聞かされていました。確かに、蒸機の時代と比べると、大畑ループは車両を超す草木が茂っていて見通しが利きません。名声を博した撮影地が最近はすっかり写せなくなったとよく聞きます。それは、人工物の構築より、むしろ草木の繁茂など自然の変化によるものが多いようです。
変化した車窓と、観光地化した山線に、かつての大畑を訪れた時の感動がなつかしく甦ってきました。

スイッチバックして大畑駅に進入する「しんぺい」。大畑駅の配線は昔と変化なく、通過のできないスイッチバック配線は、昔のままだった。

大畑駅で10分停車する「しんぺい」。キハ47、140の3両編成で、古代漆色と呼ばれるエンジのカラーが青空によく映える。

大畑ループを行く。歳月は自然も変えてしまった。本来なら駅までも見渡せる地点だが、見通しはほとんど利かない。

ループ線の矢岳寄りのカーブを登って行く1121レ、爆煙を上げるD51。大畑で迎える朝の光景は、蒸機の良さをしみじみと感じた。当時の草木の茂り方はこんなものだった。

 

1121レとは、門司港発、鹿児島本線・肥薩線・吉都線経由の都城行きの夜行鈍行だ。当時、九州にまだ多く走っていた夜行鈍行の一本。何度もお世話になった列車で、列車番号は変わっているが、戦前から走っている列車だった。冬の朝、ループ線を上がってくる1121レ、南九州とは言え、さすがに寒い。煙を編成全体に纏わりつかせながら、ループ線を上がってくる。煙の軌跡が、そのままループ線の形になって残っていた。

大畑駅で発車を待つD51の牽く混合列車。重装備のD51が先頭、わずか1両の客車は、本日は貴重なダブルルーフのスハフ32、その後に長大な貨車編成が続き、しんがりをまたD51が務める。

戻りとなる都城発門司港行き1122レが深夜の大畑駅に停車する。車内は1121レよりさらに空いていて、1両にほんの数人の乗客だった。D51と客車から洩れる光が、駅構内をほのかに照らす。これほど夜行列車の旅情があふれた列車もない。1121レ、1122レは昭和47年3月改正で消えた。

クハ79066

長老よりご指名がありましたので、解説させていただきます。

関 三平さんの解説文を拝見すると「相当なファン」の方と思われます。「元スカ線のクハ47で、①10両すべて改造する筈が2両しか実現せず、飛び番となった。②スカ線時代はいつも中間に入り顔を見せなかった」等の項目は、旧形国電のことを相当勉強していないと書けない内容です。
ちなみに2両目と3両目はモハ70、4両目はクハ68の基本編成です。

 前身は、横須賀線の付属編成用として作られたクハ47形で、昭和5年日本車輌で47001~010の10両新製され、運転台の向きはすべて偶数(下り)向きでありました。
戦時改造で全車4扉化され、クハ85027~036となる予定でしたが、施工されたのは47004→85030、47010→036の2両に止まりました。形式の「85」は、湘南形の「サロ85」が使用するため、4扉のクハ79形に編入されることになり、昭和24年4月に改番が行われ、クハ85030→クハ79060、クハ85036→クハ79066となりました。

昭和26年11月29日付で2両揃って東京(最後の配属は津田沼)から淀川区に転属して城東線等で使用、060は昭和35年8月に高槻区に転属するも35年10月に淀川区にカムバックしています。
一方066は昭和33年7月に高槻区に転属しており、イラストはその時のものと思います。昭和36年9月に森ノ宮区に転属、城東線101系化により1カ月後の10月に東京にカムバックして池袋区に、東京地区で何度か転属があり、昭和40年4月に津田沼区から淀川区に戻り、060と共に片町線で使用され、060は昭和47年2月16日付、066は同年3月11日付で廃車になりました。

この2両の特徴は、更新修繕Ⅰの実施時期の関係から、更新修繕Ⅱが実施されなかったため、ベンチレーターがグロベン化されずにガーランド形のままであったことがあげられ、吹田工場で施工されていた正面窓と戸袋部窓のHゴム化は、060は正面窓のみ実施。それも一気ではなく、最初は運転台部分の1枚のみ、後日残り2枚も実施。066は全く実施されずに最後まで木枠のままでした。両車のスタイル上の差異は、066には正面左窓上に運行表示窓があったのに対し、060には無かったことがあげられます。詳細は写真をご覧下さい。

長老の仰せの通り「その筋の権威者」河 昭一郎様がご覧になっておられたとは吃驚です。

クハ79060 

 
昭和40年11月14日 鴫野 (この時点では正面窓は全部木枠)

 
昭和41年3月15日 河内岩船 (運転台部分の1カ所のみHゴム化)

 
昭和47年1月4日 放出  (最後は3枚共Hゴム化され、1カ月後廃車された)

クハ79066

 
昭和45年11月15日 鴫野  (正面窓は最後まで木枠のままであった)

2010年 秋の中国一人旅 Part11 天津津濱軽軌、トランスロール

第11日目 10月31日

① 中山門12:20(天津津濱軽軌)→13:00秦达
② 軽軌秦达站13:05(現代電車)→13:35学園区北
③ 学園区北14:14(現代電車)→14:42軽軌秦达站
④ 秦达14:58(天津津濱軽軌)→15:38中山門
⑤ 天津21:53(D341)→7:14上海虹橋

今日は、久しぶりに天津津濱軽軌(以下;軽軌)と延伸計画があった途中の秦达站から走るトランスロールの路面電車がその後どうなっているのかを確認に訊ねてみることにした。そして今夜は夜行寝台電車で第4、第5の中国版新幹線初乗車を目指して、上海へと向かいます。

【天津津濱軽軌】
Taxi乗車で始発駅の中山門站へと向かいます。当初の予定では、軽軌が延伸され天津鉄路站まで、また天津地下鉄も天津鉄路站を中心に中心部まで開業しているはずですが、まだです。地下鉄再開業も約2年間遅れました。元々交通インフラ計画自体があいまいだったのか、工事が遅れているだけなのか分りません。市民も前の事があるので、いつ開業するか分らない。他都市が前倒しで開業しているのと比べると天津はとてもいい加減で信用できないと言います。

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1958年8月上田丸子電鉄その2

前回ご覧いただいたのは旧飯山鉄道が最初に導入したキハニ1~5(定員60人)の「成れの果て」ばかりであった。飯山はその4年後、今度は手荷物室なし、100人乗り、ウォーケシャ6RB装着のキハ101、102をやはり日車東京支店から購入する。この2両も1944年6月1日の買収で省記号番号は与えられず、飯山時代のキハ101、102のままでほぼ使わなかった。廃車は1948年6月22日。上田丸子電鉄が1949年にキハ101を購入してハフ101を経てハフ41に、翌年102がサハ42に。


上田丸子電鉄サハ41←ハフ101←省キハ101←飯山鉄道キハ101

サハ41
サハ41 台車の補強が目立つ

サハ42←省キハ102←飯山鉄道キハ102

ハフ41←ハフ101←省キハ101←飯山鉄道キハ101

飯山のキハ101は1941年代燃化で木炭瓦斯発生路を片側運転室反対側に炉室を作って納めた。これは私鉄では極めて珍しい例で、他には淡路鉄道キハニ5しかない。ただ国鉄キハ41000形式はやはり室内に、それもシンダガス発生炉を設置していた。欧州でも室内例は少なくなく、新製時から車体中央に炉室を持つものすらあった。ついでながら、木炭による代燃はフランスが本場で、早くから実用化し、日本陸軍は昭和初期にフランスから代燃自動車を購入して研究(真似)をし、陸式なる、薪による乾式炉(瓦斯発生時加水せず、薪の水分を使う)を開発していた。
 

サハ253←クハ1502←相模鉄道クハ1502←サハ52←ホハ52←キハ52←キハ42

これは相模鉄道のキハ42→キハ52が出自である。戦前最後まで「びわこ」スタイルのディーゼルカーだったが、当時ディーゼルでの代燃化技術がなく、客車化→制御車化されていた。台車は通常の菱枠だが、ご覧のように随分とリブを付した補強がなされ、端梁もついている。また妻面がこのように改造されると、内燃動車ファンを自認していても、咄嗟に前身を言い当てることが出来ない。


「びわこ」スタイルのままのクハ252←相模鉄道クハ1501←サハ50←ホハ50←キハ50←キハ40


モハ3224←モハ3222←サハ26←東武鉄道キハ21←省キハ40300←キハ36470←秋田鉄道ジハ6

これは旧飯山キハニ1~5と殆ど同じと思われるだろうが、2扉車で、手荷物扉(右)幅が960mm、客扉は750mm。同系だが客扉を1か所なくし、狭い扉側に小窓1個を設けて辻褄を合わせている。機関がブダBTUと強力だが背高のため床高が1,270mmと高かったが、上田丸子での電動車化の際手前の飯山車と合わされた。勿論台車は電車用に履き替えている。

知りませんでした

そういえばこんなのがあったような気もしますが、京都-西明石の各停は貫通扉のある関西型でしたね。

それにしてもこの方・関三平さんはただ者ではありませんな。画材は何なのか、色鉛筆のようにも見えますがたいしたものです。一度お会いしてみたい!

11/29産経新聞夕刊より

前回裏写りがあったのをご指摘下さった親切な方、ありがとうございました。以後気をつけます。

2010年 秋の中国一人旅 Part10 南満州鉄道(満鉄)の客車

第10日目 10月30日

① 沈阳22:21(K28)→天津6:48
② 市内14:30(Taxi)→15:45万家碼頭駅16:45→17:40市内

K25軟座寝台の快適な車内と、心地いい走行音を聞きながらの熟睡でいつもの通り6時に起床しました。夜明けの車窓を見ながら定刻の6:48天津到着です。朝日がホームに差し込んでいます。
▲ K28の車両編成は、
SS9-0080(DL)+⑮XL20676+⑭YZ351535+⑬351543+⑫351540+⑪351539+⑩CA893557+⑨RW554681+⑧YW677536+⑦677539+⑥677538+⑤677542+④677542+③677543+②677542+①677530の荷物車+硬座車4両+食堂車+軟臥車1両+硬座寝台車8両の15両編成で、今日は北京~平壌間の車両は連結されていませんでした。
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2010年 秋の中国一人旅 Part9 調兵山 その2

第9日目 10月29日

① 調兵山バスターミナル17:20(バス)→19:10沈阳站
② 沈阳22:21(K28)→天津6:48

今日も昨日同様に夜明けと共に目覚めました。王千・大明・大青行きと3列車の牽引機を確認に行きますが、昨日同様DLでがっかりです。

東風4-7720牽引の大明行きの101次。YZ92-4522は最近更新されたのか、車体も綺麗に塗装されていました。殆どの客車は中国鉄路からの中古車で、色落ちと煤けた車両が多かったので、綺麗な車両を見るのは驚きでした。
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