昔のネガをデジタル化していて、変なものが出てきました。大阪駅で撮影した「雷鳥」のヘッドマークのローマ字ですが、「RAICYO(マクロン付のオー)」となっています(車番はクハ481-125大ムコ)。残念ながら編成反対側のヘッドマークは撮影していません。他のネガの雷鳥のヘッドマークを見てみましたが、「RAICHO(同)」ばかりで「Y」はこの1枚だけです。なぜ「Y」と「H」があったのでしょうか。「どーでもエエことや」とか「電車好きは誰でも知っている」などとおっしゃらずに、どなたか事情をご存じの方、ご教示ください。
元祖青信号特派員氏への業務連絡
昭和の電車 改訂版(228)ー国鉄581系ー
893-2さんが写真集を掲載されていました。
ありがとう583系inJR時代Vol.2/2017.05.16
ありがとう583系inJR時代Vol.3/2017.06.01
ありがとう583系inJR時代Vol.4/2017.06.12
佐竹保雄さんと写真展やります。
開催直前のお知らせとなりましたが、“山科の人間国宝”こと佐竹保雄さんと一緒に写真展を開催することになりました。ただいま必死になって、準備を進めています。
佐竹保雄写真展「わが“やましな”の記憶」
福田静二写真展「煙の旅 はるか」
とき/11月11日(木)~15日(月)・17日(水)10:00~16:30
※ご注意! 今日になって最終日の16日(火)が月一回の休館日に当たることが判明、館からのお詫びとして、翌17日(水)を代わりの開催日としました。ご注意くだ
さい。
ところ/ひと・まち・交流館京都 1階
毎年11月に東京方面からの趣味関係のお客さまが来られる恒例行事があり、毎年、何らかの“おもてなし”をしていますが、ことしは、佐竹さんとも相談して、ちょっと規模の大きな写真展を企画しました。 ▲佐竹さんの「東北展」でもお馴染み、河原町正面バス停前、ひとまち交流館京都
昭和の電車 改訂版(227)ー国鉄157系ー
湯口先輩からのコメントです。
特急「ひびき」
特急ひびきの先頭クロ
藤本哲男さんからのコメントです。
「国鉄157系」に寄せて
先日お亡くなりになった、中村進一氏の作品の中にクロ157-1を撮ったものがありました。ご冥福をお祈りしつつご覧頂きます。
「ひので」号・「きぼう」号のサボ
米手作市先輩の「関先生の国鉄155系きぼう号」の記事に寄せて、「ひので」号・「きぼう」号のサボをお目にかけます。
ご承知の通り、「ひので」号は、東京都修学旅行委員会が国鉄に要望した「専用電車の開発」を実現するため、国鉄が「特別鉄道債券」を発行し、三菱銀行と日本交通公社が引き受けた資金をもとに製造された155系電車で、田町電車区所属の12両の車両で品川~京都間運行されました。そのため、「東京地区修学旅行団」というサボになっています。
この動向を伝え聞いた大阪市・京都市・神戸市の中学校修学旅行協議会でも債券による資金調達を決定し、155系電車が製造され、宮原電車区所属の12両の車両で、「きぼう」号として、品川~明石間運行されました。そのため、「京阪神地区修学旅行団」となっています。
昭和の電車 改訂版(226)ー国鉄155系きぼう号ー
準特急さんのコメントがあります。
修学旅行電車155系の写真
西村雅幸さんのコメントです。
「ひので」「きぼう」の頃
湯口先輩のコメントです。
修学旅行電車
893-2さんのコメントです。
修学旅行列車ありました
琴電旧型車最終走行
去る11月3日、高松琴平電鉄の旧型車両120型と300型の最終走行がありました。もともとは8月9日の設定でしたが、新型コロナウイルス感染拡大により各地で緊急事態宣言、まん延防止措置が発出されたため、延期になっていたものです。
長尾-公文明
小ネタ 2題
広島カープは3年連続のBクラスで今シーズンを終わり、広島県人には脱力感が広がっていますが、カープ愛、郷土愛は衰えていません。芸備線と福塩北線にカープのラッピング車両が走るようです。
昭和の電車 改訂版(225)ー近鉄あおぞら号ー
昭和の電車 改訂版(224)ー近江鉄道ハニ2号ー
なりゆきまかせ “天然色版 昭和の鉄道” 〈16〉
晩秋の北陸鉄道白山下駅で
石川県下に多くの路線を張り巡らせていた北陸鉄道ですが、石川線加賀一の宮~白山下の金名線もその一つでした。「金」は金沢、「名」は名古屋であり、何とも大仰な線名ですが、免許区間は上記の区間だけで、「金名」はキャッチフレーズのようなものでした。その終点の白山下へ、加賀一の宮のユースに泊まって、朝6時45分に到着しました。土砂降りの雨のなかで降りたのはあと一人だけでした。文字どおり、白山の麓の駅で、シーズンには、登山客や温泉に向かう客で、ささやかながらも賑わいを見せることもありました。
▲白山下はホーム一面、機回し線一本の終端駅、電車は、金沢市内の野町まで直通していて、金名線、石川線は一体として扱われていた。駅の裏には、手取川の渓谷が見られる。その間の空き地に、バスが二台、うち一台は‥‥、これこそ、朝早くに白山下まで来た理由だった(昭和51年11月)。
広島小ネタ2題
なりゆきまかせ “天然色版 昭和の鉄道” 〈15〉
秋の嵐山駅
この時期、秋も深まって来た頃の様子です。投稿画面に向かう時間が確保できませんが、“なりゆきまかせ”の趣旨に沿って、テーマもバラバラ、一枚でもいいので、継続して進めることを第一に考えます。
灯籠を模した照明が、京都の風情を増す晩秋の阪急嵐山駅。嵐山線が最後の居場所になった、2300系の運行標識板車が入線しました。時刻はまだ16時台ですが、晩秋の日暮れは早く、ライトを点灯させての入線です(実際は平成の撮影ですが、“昭和”のイメージとしています)。
▲手前2352の2301F編成は、9300の増備による6300系の嵐山線転入により、平成17年に廃車になっている。その後も嵐山線へは、毎年のように秋の臨時列車を写しに行っているが、年々、運転期日や本数が減って来た。昨年のコロナ禍の時は、人流抑制から、ついに臨時列車はすべて中止された。ようやく明るさが見え始めた今年の秋、嵐山線に臨時列車は運転されるのだろうか。
1位 おめでとう
プロ野球パリーグで、元阪急のオリックスが25年ぶりの優勝を決めました。おめでとうございます。
12球団で一番長く優勝から遠ざかっていたとは。学生時代「死ぬまでに阪神の優勝を見られたら本望や」と言っていた同級生の言葉を思い出しました。全盛時のピッチャーは山田、山口、山沖さんでしたが、現在のオリックスの主力ピッチャーの名字に「山」がついているのは、何かの因縁でしょうか。
1位おめでとうと言うことで、10/24に四国に来たのに撮影出来なかったEF210-1号機が、タイミング良く10/27に再度四国にやって来た際の写真を貼り付けます。(多度津工場から出場待機中の1040と 多度津駅)
昭和の電車 改訂版(223)ー小湊鐵道キハ5800型ー
昭和の電車 改訂版(222)ー阪急電鉄96型ー
私が接した3軸貨車
先に「私が接した3軸ボギーの客車たち」を投稿しましたところ、思いもかけず36件ものコメント、写真をご披露頂き感激しております。その36件の中に、洒落で米手様よりタサ659が紹介されました。これにヒントを得て、柳の下の2匹目のドゼウを狙うことに致します。とは言え、私が写真に収めている3軸貨車は2両しかありません。まずは米手様の後塵を拝してタサ660です。
撮影場所は向日町駅か神足駅かと思います。タサ600形は600~662の63両が存在しましたが、653~662の10両は昭和28年にタラ1形32~41から改造されたグループでした。上の写真でタサの左側には3軸台車TR78を履いたタキが写っているのですが、そのタキの写真は撮っていません。米手様の659もこの660も「ヨンサントウ」を前にした昭和43年9月30日に廃車となっています。
なりゆきまかせ “天然色版 昭和の鉄道” 〈14〉
国道電車 秋の甲子園線
正式には阪神電鉄併用軌道線、通称“国道電車”も、廃止されたのが昭和50(1975)年のことですから、もう46年前になります。ちょうど京都市電が毎年のように廃止になっている時期で、掛け持ちで何度も行って、京都では味わえない車窓風景を撮影したものです。機会に恵まれて、神戸在住の皆さんと本を造ることもできました。国道電車は、北大阪線、甲子園線、国道線の3線からなり、三線それぞれに特徴がありましたが、今回は、甲子園線に限定して、カラーを集めてみました。
▲向こうに改修前の甲子園球場がそびえる「阪神パーク前」の電停。その阪神パークとの間を“金魚鉢”の電車が過ぎて行く。ちょうど今ごろの季節で、阪神パークは、家族連れで大にぎわいだった。チープな着ぐるみ人形や焼き芋リヤカーも時代を語っている(昭和49年10月)。











