昭和の電車 改訂版(223)ー小湊鐵道キハ5800型ー

当然ながら、これに関しての反応もありませんでした。

昭和の電車 改訂版(223)ー小湊鐵道キハ5800型ー」への7件のフィードバック

  1. 小湊鉄道キハ5800が登場しましたが、関 三平氏の解説文で致命的な誤りがあります。
    「現在は、SLの牽く『里山トロッコ号』を除けばすべて200型」とありますが、あれは「SL」の形をしていますが「DL」です。もう1カ所は、間違いとは言えないかもしれませんが、「5800号のみ五井機関区に保存されている」とありますが、「保存」ではなく「保管」であると思います。残っている事には間違いはなく、たまに一般公開もされていますが、営業運転を終了した時の状態のままであり、特に手入れ等はされていません。
    飯田線の天竜峡~三河川合間の前身、三信鉄道デ300形(301~308)のうち、デ301~305は、三信鉄道時代に鋼体化改造されて、2扉クロスシート化されました。クロスシートは窓配置に合わせたゆったりしたもので、背刷りは多少傾斜がつけられ全面モケット張の高級なものでした。昭和26年、27年にかけて電装解除され、昭和28年6月の称号改正で、クハ5800形(5800~5805)になりました。
    その後の経過は、下記の通りです。
    クハ5800、5801、昭和34年、小湊鉄道に譲渡、キハ5800、5801に
    クハ5802、昭和36年、伊豆箱根鉄道に譲渡、電動車化、3扉化してモハ47に、大雄山線で使用。
    クハ5803、5804、昭和35年、大井川鉄道に譲渡、クハ503、506に
    小湊鉄道と伊豆箱根鉄道はロングシート化されましたが、大井川鉄道は、クロスシートのまましようされ、最も原形をたもっていました。
    画像は、昭和45年3月14日、小湊鉄道五井機関区のキハ5801です。

  2. 三信デ303→国鉄クハ5802→伊豆箱根鉄道モハ47
    再電送されましたが、3扉化されました。
    昭和48年5月6日、大雄山駅

  3. 三信デ304→国鉄クハ5803→大井川鉄道クハ503
    昭和45年3月10日、金谷駅、車体内外ともに原型を保っています。

  4. 三信デ305→国鉄クハ5804→大井川鉄道クハ506
    昭和43年4月5日、金谷駅、快速赤石号、正面の窓がHゴム化されています。

  5. 鋼体化されなかったデ306~308についても触れておきたいと思います。
    デ306は昭和20年2月17日、三河槇原付近で落石事故に遭遇して廃車になりました。
    デ307は、デ301~305と同様電装解除され、クデハ307になり、昭和28年に大井川鉄道に譲渡され、再電送されモハ301になりました。その後、片運化、2扉化、車体に鉄板を貼りニセスチール化が行われましたが、昭和45年、名鉄モ3829の車体と振り替えて鋼体化が行われ、車号もモハ3829に改番されました。
    旧車体は、暫く千頭駅構内に展示されていましたが、平成6年、JR東海に譲渡、その後、新製時の姿に復元され、車号を鉄道省時代のモハ1036に戻して「リニア・鉄道館」に展示、保存されています。
    画像は、昭和43年4月5日、千頭駅です。

  6. デ308は、デ307と同様昭和28年に大井川鉄道に譲渡され、再電送されモハ302になりました。その後、片運化、車体のニセスチール化が行われましたが、2扉化は行われなかったので原型の面影をよく残していました。昭和45年、名鉄モ3302の車体と振り替えて鋼体化が行われ、車号もモハ3302に改番されました。
    画像は、昭和43年4月5日、新金谷駅ですが、事故で破損したため仮台車を履いています。

    【訂正】一番最初のコメントの20行目から21行目にかけて「昭和28年6月の称号改正で、クハ5800形(5800~5805)になりました。」は、(5800~5804)の誤りです。

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