昭和の電車 改訂版(258)ー愛知電鉄デハ3300系ー

名古屋の私鉄はどうも人気が少ないようで、前回も全く無反応でした。

昭和の電車 改訂版(258)ー愛知電鉄デハ3300系ー」への12件のフィードバック

  1. 北陸鉄道に移籍後の姿、北鉄鶴来駅のモハ3772です。
    ご覧のように地方私鉄の自社発注車を押し退ける堂々とした偉容に、まさに”大ドス”健在と思った昭和54年の姿です。

  2. Gordon Daavis氏のスライドに、これがありました。車番が不明で自信ないが窓配置や形態からみて、そうではないか?と思うのだが、どうでしょう。撮影は昭和31年5月、場所は枇杷島のデルタ線部分です。岐阜行の急行運用に就いているところです。

    • 宮崎繁幹さん、
      私は全くの素人ですが、出入り口の下の“たれ”が無いので別物では無いでしょうか?それ以外、何の根拠も無いのですが。

    • こちらはモ゜800形で、先頭車と2両目は、両運のモ809と810です。
      参考までに、昭和46年7月26日、金山橋駅で撮影したモ804を貼っておきます。

      • 藤本様 御教示ありがとう存じました。また皆様には、誤った画像を貼り失礼を致しました。「たれ」を甘く見てはいけませんでしたね。

  3. 「大ドス」と呼ばれた愛知電鉄デハ3300形(3301~3306)→名鉄モ3300形は、昭和3年と4年に同形の片運車デハ3600形4両、制御車サハ2040形5両を含めて15両新製されました。
    昭和40年から41年にかけて、冷房付HL車モ3780新製時に台車、電装品を流用して全車姿を消し、車体のみ大井川鉄道に2両、豊橋鉄道に4両、北陸鉄道に7両譲渡されました。
    昭和49年9月23日、大井川鉄道金谷駅、クハ508+モハ302です。正面の貫通扉は埋められ、座席は元観光バスの2人掛けシートに交換されています。

  4. 豊橋鉄道に行った4両は、国鉄クモハ14の廃車発生品の台車、電装品を流用して、モ1800+モ1850形のMM編成2組になり、扉のステップは撤去されました。
    昭和45年3月9日、高師駅のモ1802+モ1852です。

  5. 北陸鉄道には、モ3301形4両、ク2341形3両、計7両の車体が譲渡され、モハ3770形3両(3771~3773)、クハ1720形4両(1721~1724)に改造されました。
    昭和42年3月21日、新西金沢、改造工事中のモハ3771(元モ3304)です。
    この車両は、昭和45年、事故で大破し廃車されました。

  6. 昭和42年3月21日、新西金沢で改造待ちの名鉄ク2342です。改造後クハ1724になりました。

  7. 昭和45年3月11日、鶴来、クハ1723(元名鉄ク2341)です。
    台車、モハ3770形の電装品は、廃車になった車両からの発生品か流用されました。

  8. モ3300形の台車、電装品を流用して車体を新製したモ3783他4両編成、三河線新川町、豊田市行特急です。昭和46年7月26日、金山橋駅で撮影しています。
    モ3780―ク2780の2両固定で10編成製作され、主に支線直通特急に使用されました。最高速度はせいぜい85km/Hしか出ないため、パノラマカー等の新性能車とはスジは別でしたが、名古屋本線走行時は、発車後停車するまでほぼ力行しっぱなしの凄まじい走りでした。

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