やっぱり桜 ことしも満喫  ③

満開の養老鉄道 600系は4連運転4月6日限定で運転された、もと近鉄電車の600系によるイベント列車「ようろう号」、ラビットカラーと京急カラーの4両編成が、桜も見える養老山地をバックに、絶妙の組み合わせで走り抜けた。美濃高田~養老

4月6日が“ようろう”と読めるところから、養老鉄道では、同日にイベント列車「ようろう号」を運転しました。もと近鉄車の600系によるD04編成+D06編成で、編成番号も「4」「6」の語呂合わとなり、弁当、オリジナルフリー切符付き4600円で参加者を募集、大垣~養老で往復運転されました。ほかにも、同鉄道で以前から気になっていた桜風景もあって、イベント列車の運転時に訪問しました。

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 やっぱり桜 ことしも満喫  ②

「レトラム」に乗る

この季節に福井鉄道へ来た理由は、桜以外に、もうひとつありました。「レトラム」こと735号が走る日でもあったのです。毎年、春秋の土休日に運転されていましたが、コロナ時期は運転を休止、ことし3月26日から久しぶりの運転となりました。

西鯖江駅で、回送のFUKURAMが待機するなか、向こうから、愛嬌のある「レトラム」が姿を見せた。「レトラム」は過去に何度も撮っているが、乗るのは初めてだ。片側一ヵ所のドアが開くと、低床用のステップが下りてくるが、なんと車掌が手動でヒモを操作してステップを下ろしていてびっくり。

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 やっぱり桜 ことしも満喫  ①

ことしの“桜鉄”は、福井鉄道から実質スタート。沿線唯一の桜の名所、鯖江の西山公園の桜はまだだったが、あたらしい時代を告げる車両が花を添えていた。

福井の桜は三分咲き

今年も咲きましたね。この歳になっても、桜の季節になると、心がウキウキしてきます。とくに今年は、“まん延防止”も解かれて、何の気兼ねもなく、外へ出ることができるようになりました。日頃は、カビの生えたような写真・資料を、薄暗い部屋で一人で黙々とこなす日々ですが、この期ばかりは、一切を断って、撮影に出掛けます。自分の足で歩いて、写すことのできる身体にも感謝しながら、ことしも、少し足を伸ばして、日帰り圏のところへ、何ヵ所か出掛けてきました。

いちばん最初の“桜鉄”は、ぶんしゅうさんと行った長良川鉄道でしたが、気がはやりすぎて、まだ蕾状態でした。リベンジされた、ぶんしゅうさんからのレポートもあると思いますので、私自身が最初に行った福井鉄道から紹介しましょう。福井鉄道へのきっかけは、過日の写真展で、マルーンさんから福井鉄道、えちぜん鉄道のフリー切符を頂戴したことに依ります。ふるさと納税の返礼品として受け取られたそうで、ご厚意を有り難く頂戴し、同じ使うなら、いちばんのチャンスに使おうと思ったからです。

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 北条鉄道へ行って来ました

暖かくなってきて、“まん延防止”も去って行き、クローバー会の行事も目白押し! その第一弾として、先ごろキハ40が入線した話題の北条鉄道へ、3月27日(日)に、みんなで行って来ました。当日の車両運用は、在来車が広報されていましたが、終日に渡ってキハ40 535に変更されました。好天にも恵まれて、乗って写してキハ40を堪能することができました。お世話いただいた太田拓さん、ありがとうございました。報告が遅れましたが、当日の様子を、参加者を代表して、お伝えしましょう。

一日行ったり来たりして、最後の仕上げは北条町の居酒屋で執り行ない、ほろ酔い気分でキハ40に乗車し、行事を締めた。

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 市電が走った街 京都を歩く 四条線⑧

「四条堺町」

「四条堺町」を出て、大丸百貨店の前を行く西行きの20号系統、市電、市バスと行き交い、歩行者、クルマも多く、今と比べるとずいぶん雑多な街並みだが、活気のある繁華街の様相を見せる。右の市バスは、廃止された伏見線18号系統の代替バスとなる82号系統で、河原町→四条→烏丸の一方循環だった。過日の市電写真展でも、82系統の市バスが写真の片隅に入っていて、話のネタになったことがある。大丸は京都・伏見で創業した呉服店が発祥、四条通へは大正元年、四条通の拡幅、市電開業と同時に開店した。先ごろ、関西で最後となるデパートのファミリー食堂が無くなることで話題になった。 続きを読む

 市電が走った街 京都を歩く 四条線⑦

「四条河原町新京極」また市電四条線シリーズに戻ります。「四条京阪前」を出ると、京阪電車と平面交差して四条大橋を渡ります。現在の四条大橋が竣工したのは昭和40年のこと、市電時代は出来たてで、真っ白でシャープなデザインが、三条大橋などとは対照的でした。四条大橋の西南畔の東華菜館は、いまも変わらない姿を保っています。屋上から市電・京阪を見下ろす光景は、乙訓の老人はじめ、多くのベテランファンが、ジョッキ片手に写した撮影名所でした。四条河原町のランドマーク、高島屋百貨店をバックに東行き乗り場で客扱いする7号系統。「スキー用品大処分」の垂れ幕もこの時代らしい。屋上には観覧車が見えるが、奇しくも、勘秀峰さんと、鉄道雑誌編集のMさんは、これに乗って市電を写したと、それぞれが述懐されている。 続きを読む

 50年前の廃止駅(2) ~JR北海道のダイヤ改正~

石谷駅

今回の北海道の駅廃止では、函館に近い、道南の駅も廃止になっています。石谷、本石倉、池田園、流山温泉、銚子口の5駅です。流山温泉は最近の設置ですが、あとの4駅は50年以上前に行った時から存在していました。函館に近いところでも、沿線の利用客がさらに減っていることが分かります。石谷は、昭和5年に信号場として開設、その後、駅に昇格しています。森を出た函館本線は、噴火湾沿いを走り、石谷、本石倉、石倉と「石」の付く駅名が3つ続きます。「石谷」の語源は、付近の「石倉」「蝦谷」の地名を合成したものでした。今回廃止になった石谷駅を通過する、D52 142の牽く上り貨物、下り普通列車に乗り、交換のため石谷に停車中に通過して行った。当時は前後区間は単線ながら、貨物から特急まで、多くの列車が運転されていた。D52の牽く長大貨物は、いったん停車すると、発車するのがたいへんだから、途中駅では旅客列車を待たせて、貨物を通過させる、優先ダイヤになっていた。太平洋戦争では、船舶輸送が危機に瀕した際に貨物輸送の転換(陸運転移)を進め、とくに石炭輸送の中枢だった函館本線函館~長万部では、交換のための信号場として、東山、森川、桂川、本石倉、鷲ノ巣、北豊津を設置した、のちに森川以外は、すべて駅に昇格した。ただ、もともと人家も希薄なところへ交換のための設置で、これらの駅も、今改正ですべて廃止になったことになる(昭和44年9月)。

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 50年前の廃止駅(1) ~JR北海道のダイヤ改正~

歌内駅

京都市電展から、また本来の思いつきネタに移ります。本日はJRグループのダイヤ改正の日です。減便ばかりの“後ろ向き”改正ですが、さらに大雪でダメージを被ったJR北海道では、利用客の少ない6駅が廃止されました。そのひとつ、宗谷本線の歌内駅も99年の歴史に幕を閉じ、昨日は、名寄行きの最終列車が到着すると、ホームに集まった地元住民らは拍手で見送ったと報じています。過疎化の進む宗谷本線で、ダイヤ改正ごとに行われている“極端にご利用の少ない駅”の廃止ですが、この歌内駅では、たまたま54年前の姿を写していました。

時は昭和43(1968)年9月、初めての北海道で、稚内からC55の牽く列車に乗って、歌内で、交換する9600の牽く貨物列車を列車の窓から写した。当時は、交換設備もあって、駅員も配置されて、花が咲き乱れる整備された駅だった。駅前にも集落が多く、一日当たり150人余りの乗降客があったと言う。まだ宗谷本線から、天北線、羽幌線も分岐していて、鉄道のネットワークがあった時代だった。

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「市電と昭和の京都」 ご来場ありがとうございました。

勘秀峰さんとともに行いました「市電と昭和の京都」展は、3月8日を持って8日間の会期を閉じました。休みなしの8日間というのは私も初めての体験でしたが、二人とも元気にフルタイムで来場者の対応に当たり、いまは快い達成感と疲労感に包まれています。最初は一日10~20人の入りで、まったりとした雰囲気でしたが、途中から新聞で紹介されるや、開場前から門前に列ができるありさま、新聞を見た方、またラジオでも案内があったとのことで、ご近所、遠方から続々の入場となりました。ご来場数はサイン帳では184人、サインなしで帰る方も含めて約240人が入場です。15分に一人入場の計算であり、皆さん、“写真展に行く”と明確な意志を持って来場されているわけで、外出も制限を受ける、この時期、よくぞ来ていただいたものと、厚く御礼を申し上げます。西木屋町通に面した会場の「高瀬川四季AIR」、新聞には紙面の都合で住所の記載がなく、迷いに迷って来られる方が多く、ご迷惑をお掛けした。

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 こちらの写真展は あと一日!

久しぶりの伝言板への復帰です。「写真展」タイトルが並びますが、こちらは、二人でやっている個人の写真展のお知らせです。あと一日となりましたので、この場を借りて、ご案内します。これが終われば、クローバー会の写真展にも注力、お手伝いさせていただきます。高瀬川四季AIRで3月1日から行っていた「下京区を走った京都市電」展も、あす3月8日(火)が最終日となりました。すでに多くのクローバー会の皆さん、またサポーターの皆さんにも来ていただきました。万が一、まだご覧になっていない方で、ヒマでヒマで時間つぶしに苦労されている方、明日ぜひ来られませんか。夕闇の高瀬川畔から見る画廊も、一服の絵です。

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 “こんな時だからこそ”の写真展 楽しんでいます。

雨の夕暮れはいっそうの風情が増す西木屋町通、京町家のギャラリー「高瀬川四季AIR」、3月8日(火)までやっています。阪急京都河原町駅から徒歩7分です。

勘秀峰さんから本欄にお知らせがありましたように、3月1日から下記の写真展を二人でやっています。

 第3回「市電と昭和の京都」特集 下京区を走った京都市電

  3月1日(火)~8日(火) 期間中無休 11:00~18:00

  「高瀬川 四季・AIR」 京都市下京区西木屋町仏光寺下る

一昨年、昨年と続いて開催し、ことし3回目の開催となる今回は、ギャラリーが所在する京都市下京区にスポットを当てた写真・資料展です。貴重な写真・資料や最新取材も交えて、懐かしい市電ワールドをご堪能いただけます。

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 ほぼ同月同日 50年前のあの日に還る 〈10〉

2月11日(金) 最終日は大糸線へ立ち寄り

新津 5:43→直江津 9:19  330レ  オハ35 2560

直江津 10:23→糸魚川 11:14  621レ  オハフ33 2189

糸魚川 13:12→小滝 13:41 132D キハ52 116

小滝 14:52→糸魚川 15:14 129D  キハ52 116

糸魚川 15:35→京都 21:16  急「立山3号」  クモハ475-46

10日間、東北均一周遊券で回った旅も本日が最終日、新津駅の待合室で寝たあと、直江津、糸魚川で駅撮りして、日中に一往復大糸線を走っているC56の牽く貨物を写すため、大糸線小滝駅にやって来た。ここへは、昨年の同じころに北海道からの帰りに寄っていて、良い天気に恵まれて、残雪の山々がたいへん印象的だった。もう一度、その感動を味わいたいと再訪問となったが、どうしたことか、今年は、雨が降っていて、周りも煙っていて、最悪の状況、おまけに、夜行、駅寝の連続で、眠くてフラフラ、ついに戦意喪失、駅近の鉄橋で一枚だけ撮って、そそくさと逃げるようにして去り、その日のうちの帰宅となった。

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 ほぼ同月同日 50年前のあの日に還る 〈9〉

夜行列車に乗って東北を一気に南下、米沢から米坂線に入って9600の牽く客貨列車を撮る。あれほど見かけた9600だが、この年には200両余りに減っていた。活躍場所は、動力近代化の遅れた北海道、九州に集中していて、本州では米坂線を受け持っていた米沢・坂町機関区の9600ぐらいだった。長い貨物を牽いて、手ノ子を発車する59661

2月10日(木)米坂線でキューロク三昧

米沢 5:38→羽前沼沢 7:31  121D  キハ55 28

羽前沼沢 10:52→手ノ子 11:08  126D  キハ55 140

手ノ子 19:07→今泉 19:25  132D  キハ58 97

今泉 19:41→坂町 21:05  急「あさひ2号」  キハ58 628

坂町 23:46→新津 0:36  急「鳥海3号」

(新津駅待合室でネ)

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 ほぼ同月同日 50年前のあの日に還る 〈8〉

 

宿泊した向山から、ひと駅先の三沢へ。発着する十和田観光電鉄へ。駅から巨大な温泉旅館の近くまで歩き、モハ3401+クハ4401を撮る。いかにも電車らしい電車で、塗装がまたいい。東北地方初の全金製である。東急ステンレス車に置き換えられたあとも3401だけはオリジナル塗装のままイベント用として残っていた。平成24年に十和田観光は廃止になったが、いまでも七百駅跡に残っていると言う。

2月9日(水) 二年前のリベンジへ?

向山 6:30→三沢 6:36 533レ  スハフ42 2247

三沢 7:55→野辺地 8:19 急「十和田3号」

野辺地 9:15→青森 10:15  535レ  スハ32 2618

青森 10:21→弘前 11:26  442レ  オハ35 2176

弘前 12:54→大館 13:37  急「きたぐに」  スハ43 2231

大館 14:40→鷹ノ巣 15:08 444レ  オハフ61 2293

鷹ノ巣 15:10→上杉 15:38  231D  キハ20 261

上杉 17:24→鷹ノ巣 17:48  234D キハ11 110

鷹ノ巣 18:08→東能代 18:56  844レ  オハ61 2887

東能代 20:10→大館 20:51  急「しらゆき」「きたかみ」  キハ58 274

大館 21:23→米沢 4:38  急「津軽2号」  オハ47 2092

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 ほぼ同月同日 50年前のあの日に還る 〈7〉

暖かくて快適な青森駅の連絡船待合室で一泊、と言っても4時過ぎに起き出してホームへ向かった。本日の見ものは、82系と583系の並び、82系は大阪行き「白鳥」、583系は「オリンピア」、この期間中、札幌では冬期オリンピックが開催中で、観客輸送のため、札幌~函館~青森~上野を結ぶ臨時特急が運転され、青森~上野は583系「オリンピア」が運転された。

2月8日(火) 八戸線を初乗車

青森 5:20→八戸 6:42  急「十和田1号」  オハ47 2242

八戸 7:11→本八戸 7:23  627D  キハ17 266

本八戸 9:51→久慈 11:38  631D  キハ17 270

久慈 11:46→種市 12:36  636D  キハ17 253

種市 13:01→陸中八木 13:15  633D  キハ17 267

陸中八木 14:43→陸奥湊 15:48  638D  キハ17 268

陸奥湊 16:41→八戸 16:58  640D  キハ17 265

八戸 17:06→向山 17:26  47レ  オハフ33 2564

(グリーンユースホステル宿泊 一泊二食640円)

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 ほぼ同月同日 50年前のあの日に還る 〈6〉

深浦の旅館に泊まって、翌日は5:10に起床(手帳による)、始発の1725レに乗って鰺ヶ沢へ、10分停車ののち、7:22発車の同列車を撮影。化粧煙突のきれいな58666が牽引。

2月7日(月) 雪の五能線を堪能

深浦 5:50→鰺ヶ沢 7:12  1725レ  オハフ61 345

鰺ヶ沢 12:24→五所川原 12:57  1731D  キハ22 339

五所川原 13:16→鰺ヶ沢 13:53  1734D  キハ17 369

鰺ヶ沢 14:40→鳴沢 14:47  1735D  キハ11 104

鳴沢 16:11→川部 17:44  1739D  キハ11 103

川部 19:04→黒石 19:14  143D  キハ22 155

黒石 19:28→川部 19:38  144D  キハ22 155

川部 20:06→青森 20:40  急「むつ2号」  キハ28 502

(青森駅待合室 ネ)

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 ほぼ同月同日 50年前のあの日に還る 〈5〉

弘前から乗った五能線の列車は雪原を走り続けた。例によって、交換があると、周りの迷惑も顧みず、窓を開けて写真を撮り続けた。藤崎で交換の混合1725レ 美しい弘前区の28683の牽引。

2月6日(日) 五能線へ乗り鉄・撮り鉄

青森 6:38→弘前 7:15急「しらゆき」「きたかみ」 キハ58 1532

弘前 8:07→深浦 11:43  1730レ  オハフ61 122

(深浦旅館に宿泊 1200円)

青森駅の待合室でゆっくり寝て、急行で弘前へ。弘南電鉄のホームへ行くと、待っていたのは、待望の阪和社型のモハ2025だった。

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 ほぼ同月同日 50年前のあの日に還る 〈4〉

東北編④ 2月5日(土) 北上線、釜石線、山田線、田沢湖線を乗り鉄

(2/4)郡山 22:59→横手 4:40  急「津軽1号」(車中泊)

横手 5:20→北上 7:11  722D  キハ22 281

北上 7:32→花巻 7:43  急「いわて4号」  クハ455-8

花巻 9:16→釜石 11:49  633D  キハ51 11

釜石 12:25→盛岡 16:08  急「陸中」  キハ58 1521

盛岡 16:35→秋田 19:08  急「たざわ2号」

秋田 19:18→青森 22:12  急「しらゆき」  キハ28 389

(青森駅待合室 ネ)

「津軽1号」に乗って4:40横手に到着、北上線の始発列車722Dに乗車して早暁の雪原を走り、交換のため陸中川尻に停車 キハ22の2連。

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 ほぼ同月同日 50年前のあの日に還る 〈3〉

東北編③ 2月4日(金) 冬の会津に浸る

会津柳津 6:37→会津坂下 6:54 急「いなわしろ1号」 キハ52 128

会津坂下 13:45→会津若松 14:34 430レ オハフ61 3044

会津若松 15:35→喜多方 16:01 231レ

喜多方 16:04→熱塩 16:41  623レ  オハフ61 2520

熱塩 16:51→喜多方 17:31  624レ  オハフ61 3044

喜多方 18:07→会津若松 18:21   急「あがの2号」

会津若松 18:17→郡山 21:10  232レ  オハ61 2914

郡山 22:59→横手 4:40  急「津軽1号」  ナハフ10 2002

(車中泊)

会津柳津を急行「いなわしろ1号」で出発する。と言ってもキハ52単行の遜色急行。 続きを読む

 ほぼ同月同日 50年前のあの日に還る 〈2〉

東北編① 2月3日(木) まずは只見線へ

(2/2)京都駅14:00→名古屋駅16:22 名神高速バス210便

名古屋駅17:00→東京駅22:40 東名高速バス124便

東京→上野

上野23:50→会津若松5:08(遅れ5:40着) 急「ばんだい5号」「ざおう3号」クモハ455-9

会津若松7:47→滝谷9:26 425レ オハフ61 2169

滝谷13:35→会津川口14:23 429D キハ45 505

会津川口14:27→会津柳津15:20 432D キハユニ26 41

(春江荘Y・H泊 一泊二食650円)

東京までは名神・東名の高速バス、均一周遊券で乗れる急行が、東海道線では「桜島」「高千穂」だけになり、高速バスは有効な移動手段だった。▲▲上野からの急行は30分以上遅れて会津若松に到着、すぐ接続の只見線列車に乗れず、ED77 1牽引222レなど写して時間調整。

只見線425レは会津坂下で8分の停車、車内から驚くほどの高校生が降りてきて、たちまち列車の前を埋め尽くした。坂下には、高校が3校あって、駅は時ならぬ高校生ラッシュ、これは現在も変わらず、最近も只見線へ向かわせる動機となった。

 

 

 

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