こんなモンもありまっせ!

河 昭一郎様
ご覧いただく写真は昭和36年(1961年)7月25日の撮影です。この10月から「まつかぜ」が走るため、キハ82系が梅小路に入庫して訓練をしているところを撮ったものです。後に見えるのは扇状機関庫で今の機関車館です。左の留置線が京都客車区で少し客車も見えます。右に山陰線の築堤が見えて今もある給水タンクがそびえています。この場所は今はJR貨物の梅小路駅で、トラックターミナルになっています。

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こんなモンもありまっせ!

ゆっくり整理をしながら古い写真を見てもらうつもりですが、西村さんや河昭一郎様のリプライを拝見すると嬉しくてついつい連続投稿してしまいます。軽佻浮薄です。許して下さい。

まず西村さんの職員輸送用の気動車について

この当時はキハ05が働いておりました。他にも梅小路機関区より8620が手伝いに来ていたのを覚えています。

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こんなモンもありまっせ!

小学校時代からの写真を整理していると「これはなんや?」と撮した本人が首をかしげるモンに出くわします。ちょっとそんなモンを数枚ご覧に入れます。

向日町運転区が出来たのはちょうど中学を卒業する頃です。まだ新幹線もない田んぼの真ん中にダンプが砂煙をあげて整地されていきました。やがて線路が敷かれ、建屋が出来てきましたが、架線が引かれるのはずっと後になってからでした。
その頃の運転区は多分に漏れず出入り自由(とは国鉄は言っていませんが)で、カメラを持って日参していました。この写真はそんな頃に撮りました。

都ホテルの従業員バス

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「阪急・能勢P5」上梓

《阪急P-5こと10形は新京阪鉄道が製造した11m級小型木造車。P-4 ・P-5A・P-5B形の各形を総称してP-5(デロ10形)と呼ばれ-中略-すでに「のせでん」での引退から50年が経過したが、本書は阪急及び能勢電で活躍したP- 4・P-5 木造車の活躍の記録である。》巻頭より

本日、関三平先生から「阪急・能勢P5」という素晴らしい本が出るとのお知らせを頂きました。
同時に本を一冊、クローバー会に贈呈頂きました。
中には当時としては貴重なカラー写真や、P5の全ての系譜が掲載されています。もちろん、関先生の写真やイラスト、原稿「愛しのデロ」もご覧下さい。

この本は事務局長にお渡ししますのでどなたでもご覧頂けますが、是非とも書店でお求め下さい。

車両アルバム.27
発行:レイルロード
定価:2500円+税

こんなモンもありまっせ!

札幌市電のディーゼルカーの話題に悪のりします。
というのは、この写真を撮った記憶が無いのです。いろいろと忘れてしまう歳になりましたが、この写真に関することだけを忘れるというのもヘンです。従って説明はできません。
と、言うことをご理解の上ご覧下さい。

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こんなモンもありまっせ!

久しぶりに投稿します。
この当時は自転車で行ける範囲で撮影していましたが、向日町付近が南限でした。この頃に向日町運転所が出来つつあり、旧型客車や新型電車など撮り放題でした。ついでながら阪急の写真も撮っていたようです。

向日町付近の特急

向日町付近のデイ100

 

国鉄ひょうきん族!419系

この電車を敦賀で見た時はひっくり返りました。「なんじゃ!これはッ」寝台車のようで寝台車ではないベンベン、と言いたくなります。ただ、色が私が見たのはクリーム色に青線だったように思いますが・・・

青信号特派員氏の疑問を解く

拙稿の上り「白鳥」に関しての疑問が投稿されていました。
とりまとめると、
①下りの後追い写真ではないか?(つまり南側二線は下り用)
②その時だけの臨時運行ではないか?
撮影後六十年も経って写真の検証をするとは思いも寄りませんでした。いくら頭を絞っても確実なことは思い出せません。そこで当時の写真を撮影コマ順に並べて時系列で検証しました。その写真をご覧に入れますが、全く補正などはしていませんので見にくいのはお許し下さい。
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デハボ1201様に答える

私の無責任投稿をご覧になった”デハボ1201”様から「白鳥上りが下り線を走っているのでは?」とのご質問を頂きました。現在は緩行線と列車線が平行して上下に分かれています。当時の写真を見ると上下別に二組走っていたようです。私は設備に詳しくありませんので誰か線路配置に詳しい方が代わって説明して下さい。

下り緩行電車

下り貨物列車

国鉄クハ157系

皆様、写真展ご苦労様でした。大変楽しい催し物でした。

今回のテーマはクハ157系「日光」型です。私は「ひびき」として知っています。
画に描かれているクロ157は、お召し列車として見た記憶がありますが写真はありません。今も保存されているとは知りませんでした。京都鉄道博物館に展示してほしいものです。

京都駅で撮ったクハ157「ひびき」をいっしょに掲載します。
どなたか、クロ157の写真があれば「こんなモンあるで!」と見せて下さい。

こんなモンも有りまっせ! 特注編2

マイドの題目で申し訳ありませんがお許し下さい。
先ほど終わりました打ち上げ会(京都では伝統的に”足洗い”という)で、あの写真展担当大幹部のF田さんの作品(京都駅東方の本町跨線橋から京都駅方向を撮した夕方の写真)と同じところから撮ったものを持っている、と言うやいなや、遙か前方の議長席から「同じやないやろ?見たるから掲載してみ」とF田さんの罵声が飛んできたのでやむを得ず続けての投稿となることをお許し下さい。苦情がある方は大幹部の福Dさんへ直接お願いします。

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こんなモンもありまっせ!特注編

本日、大幹部のF田さんからの命令で泣き叫ぶ孫を放り投げて写真展の警備員に馳せ参じてきました。素晴らしい会場と、素晴らしい作品の数々は置いといて、入り口の絵に見入りました。著作権の関係で画はご覧に入れられませんが、鉄道画の重鎮・黒岩保美氏の作品が二点掛けてあります。一点はC54が京都駅山陰線ホームを出発するところ、もう一点は京都駅の東方にあった梅小路機関区の東駐泊所の絵です。昭和30年頃の京都駅ということで、夕日を背景に転車台に乗るC51が黒煙を上げているものです。後には当時あった貯炭庫が描かれ、さらに遠くには市電の八条変電所がうっすら見えています。
この場面の写真を持っているで!とつぶやいたのを後で聞き耳を立てていた大幹部の福Dさんが聞きつけて「今日帰ったらすぐにアップしろ!」と厳命されたので特注編としてお目を汚します。

東駐泊所に関しては少し説明しておきます。東海道線がまだ蒸機であった頃、梅小路機関区との往復が手間なため、高倉陸橋の南詰めに転車台と留置線を置いて蒸気機関車を駐泊させていました。東海道線が電化しても山陰線用や奈良線用に利用していたと思います。新幹線が開通する頃、転車台は撤去されスレート造りの電機用車庫が出来ましたが今はありません。

新幹線の出来るずっと前、昭和36年(1961年)2月の写真です。貯炭庫はすでにないようです。

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こんなモンもありまっせ!

実は昨年のHCDで北陸特派員氏から「車両の写真もいいが当時の雰囲気が分かる風景が写っている写真も見たい」と言われたので、鉄道写真としてはロクなものではないが当時の雰囲気が分かる風景を出します、と約束して半年になりました。そんな時に準特急氏や西村氏、893氏が”修学旅行電車”にかこつけていい写真を出して下さったのでこれをきっかけに準備していたゴミくず写真をご覧に入れる決心が付きました。
いい加減な知識しかない投稿写真に、鉄道界の重鎮・河様からのおだてのお言葉にも嬉しくて舞い上がりました。

皆様も作品のような写真ばかりでなく、キズがあっても、カビが生えていても、ピントが合ってなくても、変わった車両や今ではとれない場所からの写真などもドシドシ投稿して下さい。

向日町運転所 西村氏の撮したのと同じ色のEF58

京都駅西方、堀川通り付近

鴨川を渡るEF58重連急行
まだ新幹線は建設されていない

こんなモンもありまっせ!

皆さんの修学旅行電車の写真を見ていると、私も乗り遅れないように投稿したくなりました。
特に西村さんの梅小路構内横切り事件!を見て血が騒ぎました。梅小路は私の縄張り、東山隧道から桂川鉄橋までは小学生~高校生までの遊び場ですから写真だけは山ほどあります。その中からご覧に入れます。

なお、記録のなさはひどいもの、ご推察願います。

桂川鉄橋を渡る上り快速旧80系 153系開発の実験車と聞いている

修学旅行電車155系“ひので”“きぼう”

私は私学中学でしたからこの車両には乗れずじまいでした。その代わりバスのように補助イスを付けた、スハ32系の客車に乗って東京タワーを見に行きました。

ところで、155系は知っていますが、159系や167系というのは知りません。準特急さん、写真があったら見せて下さい。修学旅行用というと九州の”とびうめ”という気動車もありましたね。