お久しぶりです。最近、鉄活動は低調ですが、調べ物をする為に京都府立総合資料館(市営地下鉄、北山駅下車)を訪れました。
古い新聞のマイクロフィルム(長尺)を請求して紙箱を開けると、強烈な臭い! 続きを読む
お久しぶりです。最近、鉄活動は低調ですが、調べ物をする為に京都府立総合資料館(市営地下鉄、北山駅下車)を訪れました。
古い新聞のマイクロフィルム(長尺)を請求して紙箱を開けると、強烈な臭い! 続きを読む
松江へ行く機会がありましたので帰りに倉吉へ寄り道をして、倉吉線鉄道記念館へ寄ってきました。
以前のご報告の通り、我がクローバー会のコーナーをご用意下さり、丁寧な注釈を入れた展示がされていました。
突然の訪問でしたから連絡もせず寄りましたら、どなたもおられず、壁に勝手に電気を付けて帰りには必ず消してくれとの注意書きがありましたのでその通りにいたしました。
写真はご覧の通り額に入れてきれいに展示して頂いております。
見ますと、思っていた以上に多くの会員の写真が展示してあり、資料のボリュームに改めて感心しました。
先輩諸兄から若手の皆様まで多彩な写真内容になかなか去ることができませんでした。
行かれる時は、事前に連絡をしてから行かれることをお勧めします。
西村様、ぴおちゃん様、情報ありがとうございます。昨年大津線感謝祭に行った折、どうも見当たらなかったようでしたが確信が持てませんでした。Web情報によると丁度このころお色直しでいつもの留置線にはなく、ぴおちゃん様のおっしゃるように昨年11月30日搬出されたそうです。個人宅におかれるので見学できないとのことですが、あの名車が解体されずに、大事に保管されることになったのは何よりです。私の数少ない80形の写真の中で、たまたまポール時代の82号を撮ったものがありましたのでご紹介します。撮影は1969年1月2日、登場してまだ7年余り、まだ、新製時の姿をそのまま残していた頃ではないでしょうか。また、再会の機会を楽しみにしています。
↑ 浜大津-上栄町間
今朝の中国新聞の連載記事をご紹介します。
江津口側の様子はわかりませんが、三次口側の状況はと言うと、江の川に架かる橋が少ないため、対岸の住民は鉄道を利用したくても駅まで行くのが不便極まりないという状況です。道路も両岸に立派な道路があるわけではなく、ようやく片側の道路が整備されつつあり、対岸の細い道路は離合も難しいような区間が多くあります。鉄道に代わってバスが走るにしても、両岸の住民が便利なようなルート設定やダイヤ設定は容易ではないでしょう。結局対岸を走るバスに乗りたくても乗れないという今と同じような状況になることが予想されます。バスは鉄道より格段に自由なルートを設定できるとはいえ、積雪地帯でもあり 道路の改良や橋の増設などが伴わなければなりません。昨今「今までに経験したことのない」自然災害が各地で続発しています。今までに何度も災害を何とか乗り切ってきた三江線の歴史を考えれば、今まで以上のリスクも想定したプランが望まれますが、現実的には非常に難しい課題だと思います。現在三江線沿線には備北交通、美郷町営バス、石見交通のバス路線がありますが、基本的には沿線住民のための生活路線であり 相互の関連はありません。既存の路線をベースに観光客、通過客のことも少しは考慮に入れた新たな路線網を考えるのでしょうが、紆余曲折が予想されます。三江線の取組みが全国各地の類似案件の先進事例になれば良いのですが、今までの動きをみていると大きな期待はしないほうが良さそうです。
ぶんしゅう殿が去る8月5日 73983で倉吉線鉄道記念館のリニューアルについてご紹介下さいました。その予告通り 倉吉市の広報紙「市報くらよし 9月号」の最終ページにクローバー会からの写真寄贈を機にリニューアルを行ったとの記事が載っています。
丁度1年前 私が呉線開業80周年記念イベントに関わった際に 特派員氏に古い写真探しをお願いしたところ急なお願いにもかかわらず、tsurukame氏と特派員氏からすぐに貴重な写真が数多く集まったことを思い出します。今回のぶんしゅう氏のように きちんと広く会員に呼びかければ 全国すみずみまでレールがあるところには当会の誰かが必ず一度は訪れて記録を残しているものと思いますので 比較的容易に貴重な記録が集まるのでは思います。東日本大震災に関わる東北地方の鉄道写真集めもそうだったように思います。倉吉のようなかたちで地元に協力ができるのが我々の強みでもあり、また若い頃に各地でお世話になったことへの形を変えてのお返しのようにも思います。決して売名行為ではなく このようなかたちで各地に足跡が残れば誇らしく思えます。是非倉吉線の跡をたどって 記念館を訪ねようと思っているところです。
5月21日 71996で福塩線の通学列車の様子をご紹介しました。あれからしばらく足が遠のいていましたが、そろそろ学校の夏休みも終わり、9月に入れば通学列車も走るだろうし、田んぼの稲穂も垂れてくるので初秋の福塩北線や芸備線に行く計画を立てようとしました。しかし臨時列車の運行日がわかりません。ネットで検索してもわからないので 三次駅に電話して 9月の運転日を確認しました。
福塩線(府中・三次間)臨8726D、8727Dの運転日は9/10、17、24、25 芸備線(三次・備後落合間)臨8354D、8357Dは9/20、21、23、24
だそうです。数年前には「三次鉄道部」がネットで公表していたのですが、現在ではネット上での告知もありません。JR発行の時刻表には掲載されていますが(9月の運転日のみ)、JTB発行の時刻表には出ていません。JR西の「おでかけネット」でこれらの運転日を指定して検索しても 駅時刻表には反映されていません。電話口の社員に「運転日は都度電話で確かめないといけないの?」と聞くと、「沿線の駅には掲示してあるのでそれを見てください」との返事。沿線の人はともかく、「遠方からのお客は駅に見に行けないが どうすればいいの?」と聞きましたが、明快な答えはありませんでした。
貸切の臨時列車ならともかく、通学生を主眼にした臨時列車とは言え一般客も乗車できる列車が「知る人ぞ知る」列車になっているのです。これは一種のミステリー列車ですね。要は一人でも多く乗ってもらおうという商売っ気が全く感じられません。いつも空気を運ぶことに慣れてしまった閑散線区はこれでは立ち行きません。ある意味定期通学生は前払いの空気扱いかもしれません。
もうひとつ不思議なことがあります。芸備線の臨8354Dは広島から来た「快速みよしライナー」に2分の乗り継ぎで11:24に三次を発車し、12:40に備後落合に着きます。そして12:59発の「奥出雲おろち号」にベストの接続になっています。要は広島を10:00に発てば、最短で「おろち号」に乗れるわけです。また逆に出雲から「おろち号」で来た乗客は 落合発12:48の臨8357Dに乗れば 三次で3分の乗り換えで15:48には広島に到着します。ということでこの臨8354D、臨8357Dは通学列車の性格もありますが むしろ「おろち号」の広島との連絡列車なのではないのかと思っていました。ところが9月の運転日を聞き、「おろち号」の運転日と突き合わせてみると 9月の「おろち号」運転日と重なるのは2日間だけで、残りの13日間は「おろち号」は芸備線の接続列車のない落合駅で ただ折り返してゆくだけだということがわかりました。通学列車がたまたま「おろち号」とうまく接続していただけだったようです。「おろち号」は米子支社木次鉄道部の管理、芸備・福塩線は広島支社三次鉄道部の管理ということですが、「おろち号」は夏休み中の8月は運休なく31日間すべて運転、9月は15日間、紅葉が始まる10月は20日間運転予定で、日祝は出雲市始発というダイヤで 出雲大社方面からの集客も意識し がんばっている意図が伺えます。一方広島方面からの集客はあきらめているのか、木次と三次の連携は全く感じられません。
またしても「老人の戯言」になってしまいましたが、10月の「秋の乗り放題切符」で中国山地をさまよってみようと思われているご仁は 事前に三次駅(0824-62-2445)に臨時列車の運行日をお確かめ下さい。臨時列車のあるなしでガラッとプランが変わってしまいます。余談ながら10月、11月には岡山管内でも「姫新線開業80周年記念号」、「みまさかスローライフ号」などが姫新線や津山線を走る日があります。以上苦言交じりの乗り鉄、撮り鉄の皆さまへのお知らせでした。
米手作市様に教えて頂いて録画しておいた三江線旅番組を先ほど鑑賞しました。録画しておいた方が途中のしつこいCMをジャンプして見れるので効率的ですね。ぶっつけ本番旅には良い面もありますが、宿が無くて太田市に泊まる三江線の旅とはいかがなものかとは思いましたが、マアそれは良しとしましょう。駅前風景やそれなりに走行風景も出てきて楽しめましたが、この手の番組を見ていていつも感じるのは、日本全国どこに行っても突然の来訪者への地元の人たちの親切な対応です。半世紀前のtsurukame氏ご紹介のステホ旅で駅長が官舎の風呂に入れてくれたエピソードがありましたし、私自身も各地で見ず知らずの方にお世話になった多くの思い出があります。半世紀前だけでなく今でもこの良き精神風土が受け継がれていることをうれしく感じた番組でした。
「尾鉄」と書くと「尾小屋鉄道」と「尾道鉄道」の2つがありますが尾道鉄道の方です。尾鉄は1964年(昭和39年)8月1日に尾道ー石畦(いしぐろ)間が廃止され、バス会社に転身しています。現在の中国バスにあたります。石畦から先の御調(みつぎ)町市まではそれ以前の1957年(昭和32年)2月1日に廃止されています。先に廃止されたこの区間には最急勾配40‰の長い峠越えがあり、私鉄では珍しいスイッチバック駅 諸原(もろはら)駅がありました。今に残る尾鉄の遺構としては4号トンネルが有名ですが、それ以外ではかろうじて諸原駅前後の線路跡が道路として残り、スイッチバック駅であったことが現認できます。2014年にどですかでん氏と現地を訪れたときのスナップです。
左手にまっすぐ伸びる舗装道路が市から諸原駅に入ってくる線路跡です。右手に斜めに登って行き、両側に桜並木があるのが、尾道方面への線路跡です。
相も変わらずローカルネタです。全線廃止の正式表明まで10日ほどとなりましたが、今朝の中国新聞から2つに記事をご紹介します。
遠路三江線に早稲田の学生さんを招いて津軽三味線を聞くという、津軽鉄道で開催されてもおかしくないようなイベントが三江線で行われたようです。連日の猛暑のため三江線でも8月に入ってもうすでに何度かレールの温度上昇で運転見合わせが報じられています。安全第一が大原則であることには異存ないのですが、雨が降れば・・・、雪が積もれば・・・、温度が上昇すれば・・・とリスク回避の度が過ぎていないかと思ってしまいます。せっかくの貸切列車が途中で代行バスにとってかわるようでは 主催者もガッカリされたことでしょう。
7月21日の73781で福山にある博物館で鉄道展が開かれるとの小ネタを提供致しました。この鉄道展を取り纏められた山本主任学芸員が中国新聞にこの展覧会の目玉を紹介されていますので その記事を引用致します。
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