客車廃車体訪問記 内地編57 新潟県-1

【湯沢中里スノーリゾート】 36.910900, 138.849201 2020年1月3日撮影
スハ43系17両
国境の長いトンネルを抜けて越後湯沢で降りると、雪が積もっていた。在来線で2駅東京寄りの越後中里駅裏がすぐスキー場で、その食堂・休憩所・子どものスキー教室等としてスハ43系ばかり当初18両、その後1両減って17両が、広大な駐車場とゲレンデの間に南北に連なっていた。17両もの客車が並んでいるのは壮観である。南から1~6号車、8~12号車、13~18号車と、3グループになっていて、番号は次のとおりである。
①スハフ42 2067+②スハ43 2166+③オハ47 2232+④オハ47 2327+⑤スハ43 2326+⑥スハ43 2345
⑦オハ47 2058 … 撤去解体
⑧オハ47 2025+⑨オハ47 2071+⑩オハ47 2300+⑪スハ43 2481+⑫スハフ42 2069
⑬スハフ42 2143+⑭オハ47 2029+⑮オハ47 2027+⑯オハ47 2258+⑰スハ43 2479+⑱スハフ42 2032
車内は、座席間にテーブルを入れたり、座席を撤去してお座敷に変えたり様々で、トイレは水洗式に改造している。
このへんにノツボ(野壺)があったら、I波さんのようにたいへんなことになるが、スキー場なのでその心配はいらない。
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客車廃車体訪問記 内地編56 群馬県-3

【リサイクルショップてんぐ】 36.673372, 138.984910 2020年1月3日撮影
オロ12 853(わたらせ渓谷鐵道わ01-855)
みなかみ町のリサイクルショップに倉庫のように置いてある。強いて最寄り駅をあげれば上毛高原と後閑である。
現車は元「やすらぎ」の1両で、わたらせ渓谷鐵道「サロン・ド・わたらせ」の中間車わ01-855であった。「サロン・ド・わたらせ」として整備する際、1位の業務用扉を埋めた。後述の西村さんの画像のとおり、ユニットクーラーは全てAU13Aのようである。わたらせ渓谷鐵道にストックがあったのだろうか。
「855」とあるので、オロ12 855かと思ってしまうがそれは55回のスーパーカーミュージアムにいて、これはオロ12 853(2号車「荒川」)らしい。正月休みで門が閉まっていたので、公道から1-3位側を撮影し、2-4位側は撮影しなかった。
西村さんの「北関東に『やすらぎ』を求めて」の最後に、「サロン・ド・わたらせ」時代の1-3位側画像が紹介されている。
◆オハ12 319(1977年新製 新潟)→(1986年改造 大宮工)オロ12 853→2001年廃車
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北関東に「やすらぎ」を求めて

井原氏から1月10日に「昆虫のやかた三凱堂のスロフ」、続いて14日には「スーパーカーミュージアムのオロ」についてのレポートが登場しました。氏はどこでこんな珍奇な保存車両の情報を得て、わざわざ関東まで遠征されるのか、凡人には理解に苦しむところでもありますが、それでこそクローバー会員だとも思い、陰で拍手を送っている一人です。一方、「茶色い客車が見たい」と嘆くご仁がおられることも承知の上で、せっかく井原氏がご紹介頂いた「やすらぎ」が、元気で北関東を走っていた頃の様子をご報告することで、氏への御礼とさせて頂こうと思います。もう20年も前のことになりますが、時系列でレポートします。まずは八高線から。

2000年4月23日 八高線寄居・折原間にて DD51897牽く回9220レ

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河内長野の話題

近鉄南大阪線ラビットカーの投稿で、どですかでんさまが阿部野橋から”長野”に行けなくなったと嘆いておられましたが、数十年前は吉野口で国鉄と南大阪線は線路は繋がっていたと思います(確証はありませんが、南大阪線も吉野線も貨物輸送をしていたし、車庫で所属不明の貨車を見た記憶があります)。貨車なら長野まで行けたかも分かりませんね。その河内長野の記事が本日(1/14)の毎日新聞に載っていました。ホームの行き先表示板が「フィルムを回す旧型」から「液晶表示」の新型に更新されるそうです。旧型の「字幕回転式発車標」は近鉄286駅で唯一のものだそうです。これまでにもロール式やパタパタ式が無くなることを聞いたことがありますが、今は液晶型が主流ですね。

客車廃車体訪問記 内地編55 栃木県-2

【スーパーカーミュージアム】 36.400226, 139.720857 2019年12月15日撮影
オロ12 855(前位寄り半分切断)
栃木市にあるスーパーカーを集めた展示施設で、特定非営利活動法人ToSCA(トスカ)が運営していて、建物は旧栃木駅舎を移築した。入館は有料である。スーパーカーのことはわからないが、ランボルギーニ カウンタック LP400やミウラ、ブガッティ EB110(説明板によれば1994年式、新車当時価格4980万円)などが多数並んでいる。トヨタ2000GTもあった。
有料だけあってオロ12 855は掘りごたつのお座敷設備が休憩所としてよく手入れされていて、車内の状態は良いが、外部の塗装に一部劣化が見られる。現車は約半分に切断された車体であるが、台車が2つちゃんと付いていて模型のようでおもしろい。53回のオロ12 854と比較して、塗り分けとグリーン車マークの有無・位置が違う。
オロ12 855は、53,54回と同じJR東日本・高崎支社のジョイフルトレイン「やすらぎ」の4号車「吾妻」で、前位寄り半分に切断されている。廃車後、わたらせ渓谷鉄道に移り、部品取り車となった。
◆オハ12 321(1977年新製 新潟)→(1986年改造 大宮工)オロ12 855→2001年廃車
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 思い出の 京都雪景色 【4】

山崎で撮る、雪を載せた列車

昨日は、会社時代の仲間と、愛宕山へ新春登山に行きましたが、雪はありません。例年なら、雪の少ない季節でも、頂上付近では積雪が見られましたが、全く見られないのは、改めて暖冬ぶりをひしひしと感じます。さて、つぎは、近くで写した国鉄・JRの列車です。阪急京都線と同様で、東海道本線も山崎に近づくと、積雪量は、京都市街地より、やや増えることが多く、近くでもあり、雪が降るたびに何度か撮影に行きました。普段なら、自転車で行くところですが、安全を期してバス、徒歩で出掛けました。
雪の山崎で見る列車のなかでも、やはり北陸方面から来る列車は雪の付着具合が違う。前面に雪をたっぷり、こびりつかせたEF81のコンテナ貨物が通り過ぎる(平成6年2月)。

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客車廃車体訪問記 内地編54 群馬県-2

【昆虫のやかた三凱堂】 36.433722, 139.248727 2019年12月14日撮影
スロフ12 827
スロフ12 828
前回と同じジョイフルトレイン「やすらぎ」の1号車「神流」(スロフ12 827)、6号車「碓氷」(スロフ12 828)である。「やすらぎ」編成6両はJR廃車後、わたらせ渓谷鐵道に譲渡され、わ01-827、わ01-828になり、この2両(後に中間車1両追加)が「サロン・ド・わたらせ」として営業した(残り3両は部品取り用)。
2両は南北方向と東西方向にL字形に並んでいる。設置後も塗り替えが行われ、大事にされている。三凱堂は、桐生市の「群馬県立ぐんま昆虫の森」の南にある昆虫の店で、昆虫販売と直接関連が無さそうな客車を2両も(2両ワンセットが売却条件だった)引き取って維持保存されている篤志家である。
◆スハフ12 130(1978年新製 新潟)→(1986年改造 大宮工)スロフ12 827→2001年廃車
◆スハフ12 131(1978年新製 新潟)→(1986年改造 大宮工)スロフ12 828→2001年廃車
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行先板ひっかけ続行

Sさんより続行の話があり追加させていただきます。Sさんは昨年のホームカミングデイでのJR東海社長(旧制同志社中学入学)現鉄道友の会会長須田寛様講演にも参加されております。

例によって原文そのままです。私はよくわかっていません。

阪急板に関する件、青信号でもご紹介くださり恐縮です。
この話にしても、レイルロードのT・Tさん(面識なし)とかであればもっと具体的に
ご存知かと思うのですが、せっかく「実物部品」がありましたので、ご連絡しました。u後、レイルロードの新刊「阪急3300 Vol.1」なども読み返してみたところ、

いくつか追加の発見・自分なりの新たな仮説が出て来ました。

幸い、いずれもデジ青に転載いただいた内容をひっくり返すものではありません。

以下、実車写真は同書より転載。

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客車廃車体訪問記 内地編53 群馬県-1

【梣(とねりこ) 跡】 36.292790, 138.895353 2019年12月14日撮影
オロ12 854
オロ12 854は、JR東日本高崎支社のジョイフルトレイン「やすらぎ」の3号車「利根」で、お座敷車であった。廃車後、わたらせ渓谷鐵道に譲渡され、部品取り用に留置されていたものである。腰板裾の帯に「危険ですので電車の下に入らないでください」と書いてある。ユニットクーラーの前位寄りの1基が新製時のものと違う古いタイプ(AU13A)である。梣は安中市の山にあるダチョウ料理店で、多数の人の往来などまず無さそうな場所である。営業休止らしいが10年位経つのではないか。それでも食べログ等には今でも中途半端に載っている。
敷地に雑草が生い茂っているわけでもなく、経年の割には荒れた印象はないが、雨晒しで露天なので行く末が心配である。
◆オハ12 320(1977年新製 新潟)→(1986年改造 大宮工)オロ12 854→2001年廃車
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 新春の阪堺線で 新発見ふたつ

正月三が日も過ぎましたが、まずは、“デジ青”読者の皆さま、本年もよろしくお願いいたします。正月は、恒例の阪堺線もうでに行って来ました。電車は大増発、カメラを持った人間も多く、馴染みのファンとの出会いも正月の阪堺線ならでは。たしかKAWANAKAさんも車内から見たような‥‥。毎年のように行っているため、住吉鳥居前での撮影はサクッと済ませて、一日乗車券で、各所で降りて路面電車の旅を楽しんできました。昨年も書いたことですが、老いも若きも、金持ちもそうでない人も、みんな平等に電車に乗っています。改めて、鉄道ってエエなぁと思ってしまいます。今年のレポートは、世の中では先刻承知のことですが、私としては、初見参の二件について載せます。

4両残っている161形も大活躍、こうなったら製造100年目まで走り続けてほしい。

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行先板ひっかけ

昨年暮れ「阪急京都線急行のちょっとした思い出」を投稿し、その文末に東京在住の大京阪ファンの方からは行先板のひっかけ金具が阪急京都線と京阪は同じ型だと興味ある話を聞いたことがあり、それならこれも一度ご説明していただければと締めくくったところ、早速その内容について送信いただき原文のまま掲載させていただいた。

1970年代前半まで、京都線は京阪と同じく「車体が雄、板が雌」でした(その後、神宝線タイプに変更)。
一方、神宝線は現在の「ヘッドマーク掛け@貫通扉」(1985年頃設置)に至るまで、一貫して「車体が雌、板が雄」です。

興味深いのは京都線が神宝線と同じ仕様に変更されつつあった時期のあれこれで、

1)雌雄両タイプの板に対応出来るように、京都線車両のサボ掛けには汎用タイプがありました。
2)この汎用タイプに「雄サボ」を掛けると、妙に位置が高くなったようです(サボ上端が、前面窓下端より高くなる)。

以下、添付写真の説明です。

4274・4275番:上が京都線車両の汎用(雌雄具有)金具、下が神宝線標準の雌金具(Sコレクション)。

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客車廃車体訪問記 内地編52 千葉県-1

【いすみ市  ポッポの丘】 35.299166, 140.276124 2016年6月18日撮影
オロネ24 2
オハネフ24 2
いすみ鉄道(元国鉄木原線)上総中川駅の北、徒歩約30分にポッポの丘があり、緑に囲まれた丘の上にJRや私鉄の各種車両が保存されている。客車は24系の最初期の2両である。
養鶏業の会社が経営しているので、ここのカフェでは卵かけご飯が名物である。
◆オロネ24 2(1973年新製 ※注)→2012年廃車
◆オハネフ24 2(1973年新製 新潟)→1983年2段寝台化 土崎工→2012年廃車
※注 日車製とする資料があるが、現車の説明板には富士重工製となっている。狭い場所で立入禁止のため、現車の銘板の有無も確認できなかった。
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客車廃車体訪問記 内地編51 鹿児島県-1

【あくねツーリングSTAYtion】 32.023578, 130.195989 2018年8月13日撮影
オハネフ25 206
オハネフ25 2209
肥薩おれんじ鉄道阿久根駅にあって、2014年頃まで車内で宿泊できたようであるが、訪問時は立入禁止になっていた。現在のところ日本最南のJR客車廃車体であろう。この2両は、同じロットで生まれ、仲良く働き、リタイア後もまた手をつないでゆかりのある駅の傍で余生を送っていたのであるが、この先どうなるだろうか。
◆オハネフ25 206(1977年新製 富士)→2008年廃車
◆オハネフ25 209(1977年新製 富士)→(1991年改造 小倉工)オハネフ25 2209→2008年廃車
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客車廃車体訪問記 内地編50 栃木県-1

【真岡駅:SLキューロク館】 36.438760, 140.002856 2019年12月15日撮影
スハフ44 25
真岡鐵道真岡駅のSLキューロク館内にスハフ44 25が置いてある。良好な状態で、栃木県に二重窓の客車とは面白い取り合わせである。訪問時にはクリスマスのデコレーションが施されていた。写真撮影するには少し狭い。
SLキューロク館では、49671とヨ8593が連結されて出たり入ったりしている。土曜日で家族連れがいて、ヨ8593には子どもが乗って往復していた。
12月22日(日)に49671の白寿を祝うイベントを行うそうである。
◆スハフ44 25(1954年新製 日車)→1967年近代化改造→1987年廃車
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客車廃車体訪問記 内地編49 石川県-3

【松任青少年宿泊研修センター】 36.512155, 136.560147 1998年8月8日撮影
オハ47 2079
オハ47 2235
スハ43として新製されたが、前回と違い、最終オハフ46にはならなかったオハ47の2両である。
松任青少年宿泊研修センターは、白山市の条例に基づく、スポーツ合宿等の宿泊研修用の施設であり、車両は現在は無くなって、駐車場になっている。「なかよし号」というサボがかかっていたが、車内を見ると、真夏・真冬の利用は厳しかったと思われる。
◆スハ43 317(1953年8月21日新製 日立)→1962年3月29日平板開戸 松任工→(1963年1月18日改造 長野工)オハ47 79→(1964年10月6日電暖追設、近代化改造 長野工)オハ47 2079→1971年7月1日 長野工→1985年廃車
◆スハ43 336(1954年1月新製 近車)→(1962年2月8日電暖追設、蛍光灯化 高砂工)スハ43 2336→1966年12月12日近代化改造 長野工→(1967年11月21日改造 松任工)オハ47 2235→台車TR23H化 松任工→1971年5月22日体質改善B3 松任工→1986年廃車
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阪急京都線急行のちょっとした思い出

JRの特急車両は趣味誌によく取り上げられる。個性ある私鉄の特急も同様でかつては速度比較もよく見られた。それに比べて私鉄の急行は沿線住民にとっては重要な位置づけにありながら趣味上は地味な存在であまり話題にならなかった。そこで学生時代に乗車した阪急京都線の急行を取り上げてみた。その理由はとにかく速かった記憶があり、私鉄の急行では一番表定速度が高かったのではないかと思っているからである。他社のちょっとした特急よりも速かったのではないかとも思う。速いといえば近鉄大阪線急行も速かった。両者を比較してみると私の手元にある時刻表で京都線の急行の速度がわかる最も古いのは1976年7月号で河原町を22時40分発が梅田23時24分着で47.7kmを44分で走り、表定速度は65.1km/hである。梅田23時40分発河原町行きも45分で表定63.6km/hある。早朝の河原町6時発は48分かかり表定速度59.6km/hである。昼間時もこれに近い速度で走ったのではないかと推察する。また、1980年10月5日発行の保育社「日本の私鉄阪急」では標準所要時間47分で表定速度は60.9km/hとある。一方、近鉄大阪線は1968年11月の時刻表を見ると上本町6時10分発宇治山田8時21分着で137.3kmを2時間11分で走破し、宇治山田20時22発も上本町22時33分着で同じ2時間11分で表定速度は62.9km/hある。近鉄大阪線は青山越え等連続するアップダウンと単線区間の存在がありハンデがあったが、鶴橋~大和八木間ノンストップなど今では考えられないほど停車駅が少なかった。阪急の場合は新京阪鉄道が高速運転に向くような車両や線路を用意し山間部の勾配区間もないので停車駅がそこそこ(停車駅は十三、淡路、茨木市、高槻市、桂、西院、大宮、烏丸でラッシュ時長岡天神にも停車した)あるにもかかわらず表定速度が高かったものと思われる。

それでは阪急京都線の思い出の急行運用の車両を順に見ていく。

まず1300系。神宝線1010、1100系の京都線バージョンである。この日1300系急行4連を2本撮影しているが、これが私が撮った最初で最後の急行運用の姿で、この後の1300系の撮影は4連の本線や千里線の普通列車ばかりである。吊り掛け式モーターの710型に続くカルダン車として登場しクロスシート車もあったが優等列車に使われた時代は短かった。既にあの有名な2800系の計画があったからかもしれない。1300系は晩年は宝塚線1200系に組み込まれたものもあったという。一度その姿は見たかった。

1965.09.30 大山崎~長岡天神間 河原町行き急行後部1305▼

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昭和の電車 改訂版(33)ー京王帝都デハ2110型ー

今回からしばらくはしんぶん紙面の割り付けの関係で二コマに分かれます。

前回の「京浜急行」はどなたからも投稿がありませんでした。車輌が古いのと、やっぱり関東の私鉄は遠い存在なのかもしれません。と、言うわけで今回も反応は望み薄です。前回の掲載時(2011年7月)には湯口徹先輩と準特急さんから貴重な写真と共にご意見が載せられました。

客車廃車体訪問記 内地編48 石川県-2

【松任駅前 軽食喫茶シャルム】 1988年7月10日撮影
オハフ46 2030
現車は、内地向けオハフ46のラストナンバーである。
松任駅前にあった喫茶店で、なぜかこの1枚しか撮影していない。営業中の店内に入った記憶もなく、なぜそんなに急いでいたのかも思い出せない。天気は悪いようである。
今は松任駅付近はすっかり変わってしまい、場所を特定し難いが、駅の下をくぐる地下道になっているあたりではないだろうか。駅前東側にはD51 822が置かれているようである。
◆スハ43 283(1953年新製 日支)→(1961年電暖追設 高砂工)スハ43 2283→1965年近代化改造 小倉工→(1968年改造 松任工)オハ47 2223→(1974年改造 長野工)オハフ46 2030→1985年廃車

癒しの島 台湾鉄道2019年秋の旅 Part 5 花蓮港線の貨物列車を撮る

第4日目 11月24日 その2

① 崇徳 11:22(區間車4146)⇒11:46 花蓮

志水断崖から崇徳での撮影を終えてからは徒歩で崇徳站へと向かいました。歩行距離は約1㌔、所要時間は約20分です。そして来た区間車に乗車して花蓮へ向かいました。

花蓮では昼食後にTaxiに乗車して花蓮港へと向かいました。撮影目的の貨物列車ですが、①亞州水泥公司のセメント列車と、②中鋼公司のコンテナ列車の2種類あります。

①は工場のある新城站からセメントを満載して花蓮港へと運行して降ろすと再び新城へと回送します。編成は専用のホッパ車約20両、運転間隔は1時間30分から2時間と結構あり、ほぼ毎日運行されます。

②は石灰岩を多く含んだ残土を積載したコンテナを和仁站で平車に乗せて、花蓮港まで運びます。コンテナを降ろすと空コンテナを載せた編成を再び和仁まで回送します。編成は約10数両、約3時間~3時間半で運行されますが残念ながら今日は日曜日で運休日です。

14時前に花蓮港に着きましたが貨物列車は入線していません。6月に不銹鋼號さんと一緒に来た時に訪問した「維納斯藝廊」へ参り台東線の写真や本を見ながら待つことにしました。
14:05 本を見ていますと列車が入線してくる音が聞こえました。

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客車廃車体訪問記 内地編47 埼玉県-2

【ららぽーと新三郷】 2012年1月3日撮影
オハフ25 901  35.858528, 139.868090
オシ25 901  35.858560, 139.866061
内地編41 東京都-3で紹介した【アタゴール】のオロネ25 901とトリオを組んでいた「夢空間」の残り2両である。新三郷駅前の歩道橋から筑波山がきれいに見えた。関東平野は広い。
オハフ25 901は車内に入れた。ピアノがあったが、いつ演奏したのだろうか。まさか走行中?
オシ25には入れなかった。一度この車両で食事をしてみたかった。
◆オハフ25 901(1989年新製 富士)→2009年廃車
◆オシ25 901(1989年新製 東急)→2009年廃車
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