特派員氏幼少時の絵本に出ていたのが前回の「東武5700型」と、この「京成1600型」だそうでした。
扉が片側に一カ所とはなかなか特徴のある電車です。こうやってまとめて見比べられるのは良い企画ですね。
“梅嵐急行”から20年
「東北の鉄路」写真展も一段落、とは言え、来週には次の展示が控えていて、準備に追われる毎日ですが、デジ青にも“天然色”シリーズで復帰することにしました。
先の土日は、紅葉時期とあって、阪急電車も超満員でした。と言っても、現在の阪急電車には、撮影意欲も湧きませんが、以前、春秋の行楽シーズンには、臨時列車が多数運転され、京都線では梅田~嵐山の臨時急行、通称“梅嵐急行”が運転されていた“大運転”の時期を、ふと懐かしく思い出しました。もう20年近く前の話で、車両も様変わりしました。
▲なんと言っても、前パンの2300系が、二枚看板も誇らしげに走るシーンが、京都線の臨時急行の魅力だった。運転日に晴れると、決まって西向日~長岡天神~大山崎へ向かったものだ。近くとは言え、よく通ったものだった。このスタイルは、5300系非表示幕車でも見られたが、ほかの編成とも共通運用で、遭遇できない日もあって、がっかりして帰ったものだった。ちょっと前のことだと思ったが、前パン、二枚看板の2300系が消えてからもう20年も経ってしまった。その後、2300系非表示幕車の2301Fが2005年9月にさよなら運転を行い、2300系そのものも2009年に姿を消している(1997年 西向日~長岡天神)。
【ブルートレインたらぎ】 32.262422, 130.932556 2018年8月13日撮影
スハネフ14 3,オハネ15 6,オハネ15 2003
くま川鉄道多良木駅の線路に並行して3両の客車が並んでいる。ここは、小坂鉄道レールパーク・ふれあいランド岩泉と共に、現在では数少ない実際に宿泊できる施設で、2010年7月1日にオープンした。中央のオハネ15 6は受付と共通スペースである。
上屋があるので痛みの進行は抑えられるが、柱がありその分鬱陶しいのはやむを得ない。テールマークは「はやぶさ」であった。
続きを読む
「こころ旅」という番組は鉄道に因んだ内容であることが時々ある。とうちゃこの所が駅であったり、お父さんが機関士でその思い出であったり、自転車で走っている道が廃線跡あったりとか。2019年秋の旅も山口県に入った。山口県最初の訪問地は萩市玉江浦であった。ふと考えてみると、ここはO君と行ったところである。番組では鉄道がでてこない。番組に出てくるのは弁天様と浜辺である。しかし、私にとってはO君と汽車の写真を撮った地である。そこは玉江駅であり、海の見える山陰線、懐かしい田舎の風景であった。
【小金井公園】 35.713892, 139.509298 2018年3月17日撮影
スハフ32 2146
中央本線武蔵小金井駅から北へ約1㎞のところに東京都立小金井公園がある。その北にはゴルフ場がある、大きな公園である。上屋がないのですっきり見えるが、綺麗に維持するのは大変なのではないかと思う。
◆スハフ34447(1935年新製 梅鉢)→(1941年改番)スハフ32 146→スハフ32 2146→1974年廃車
現車には「梅鉢鉄工場(梅鉢紋有り・製造年無し)」と「昭和26年更新修繕-Ⅰ 大宮工場」の銘板が付いていた。
続きを読む
【生田緑地】 35.608637, 139.560677 2016年10月30日撮影
スハ42 2047
3年前の10月29日、クローバー会の江ノ電撮影会と大宴会に参加し、その後東京へ行って旧新橋停車場近くのホテルに泊まった。翌30日、汐留から都営大江戸線で新宿→小田急で向ヶ丘遊園まで行き、10数分歩いて生田緑地東口に着いた。入口近くに多数の古民家があり、その脇を通り抜けた木陰にスハ42 2047が置いてあった。また、近くにD51 408が保存されている。このような公園を毎日散歩できたらなあと羨ましく思った。
北海道のスハ42は消滅したようなので、現存する唯一のスハ42であろうか。
◆スハ42 47(1948年12月15日新製 日支)→1955年5月31日更新修繕 大宮工→(1962年5月16日電暖追設 大宮工)スハ42 2047→1975年8月5日体質改善C5 大宮工→1985年廃車
続きを読む
【北斗星食堂車 グランシャリオ】 35.871090, 139.748288 2018年3月18日撮影
スシ24 504
武蔵野線東川口駅南東徒歩数分の、ピュアビレッジなぐらの郷にある、「北斗星食堂車 グランシャリオ」というレストランであった。現在は「ベーカリーレストラン グランシャリオ」という屋号に変わっているようだ。車内はできるだけ現役時のままにしてあるらしい。傍にあった軽トラックも同じイメージのブルーに塗装されていた。元々同じ敷地のレストランの駐車場だったが、そこにレールを敷き食堂車を搬入してレストランとして開業したものである。
◆サシ481-64(1973年新製 東急)→(1988年改造 新津工)スシ24 504→2016年廃車
続きを読む
頃は昭和46年、西暦では1971年11月16日。EVE(同志社の学園祭)で能勢電をフォトルポで展示しようということになって、何回かにかけて撮影行。朝早くに阪急との乗換をするラッシュの駅風景を撮ったりしたのであった。その中で無人駅の笹部駅はマルーンさんが言われるように信じられないような無人駅。撮った写真の内で選んだ3枚を・・・
【船岡駅前公園】 38.059004, 140.767093 2018年4月29日撮影
オハフ61 2527
山陰本線の船岡ではなく、沿線の桜並木が有名な東北本線船岡駅南側の公園に、ED71 37とともに保存されている。上りホームに石川啄木の歌碑があり、ホームからも大変よく見える。上屋はなく、状態は良いとはいえないのが気に掛かる。
◆ホハフ25700(1922年新製 日車)→(1928年改番)ナハフ24101→(1953年鋼体化改造 長野工)オハフ61 527→(1965年電暖追設 土崎工)オハフ61 2527→1984年廃車
続きを読む
この記事は2011年5月2日の投稿で、コメント欄には藤本さんの解説と湯口さんの能勢ー京都間の鉄道敷設に関する逸話がでていますので、是非読んで下さい。
さらに遡ること半年前の2010年11月21日に「ポール時代最末期の能勢電」で藤本さんが「借入中の阪急40形(大正12年藤永田造船所製)の40・41を昭和29年9月に譲り受けてナニワ工機で鋼体化改造して30年1月に竣工した。昭和41年1月集電装置変更時にZパンタに取り替えられた。60は同年12月に廃車となり、残った61は川西能勢口~川西国鉄前間で使用、昭和56年12月20日同区間廃止により休車、翌年6月に廃車となった」と写真入りで解説されています。
【アタゴール】 35.672355, 139.806163 2012年1月30日撮影
オロネ25 901
江東区の首都高速木場ランプすぐ北にあるフレンチレストランである。通常はこの客車を眺めながら食事をする。ここのオーナーシェフはオリエント急行のシェフを務めたことがあるらしい。訪問時は工事中であった。
◆オロネ25 901(1989年新製 日車)→2014年廃車
続きを読む
【福岡市 貝塚公園】 33.632279, 130.423940 2013年11月23日撮影
ナハネフ22 1007
西鉄貝塚駅の西側、西鉄と国道3号に挟まれた貝塚公園に49627と一緒に保存されている。ナハネフ22になる前はスハ32が保存されていた。ここには他にプロペラ飛行機も保存されている。貝塚交通公園ともいうらしい。
◆ナハネフ22 7(1965年新製 日車)→(1977年改造 幡生工)ナハネフ22 1007→1987年廃車
続きを読む
【蒲郡市博物館】 34.822476, 137.218831 2017年11月7日撮影
オハフ33 2424
駅前ロータリーに白いヨットがある蒲郡駅からぶらぶら歩いて蒲郡市博物館に行った。地味な蒸機(浜松工場生まれで梅小路のD51 200と兄弟分)と地味な客車であるが、良好に保存されているのはうれしい。
◆オハフ33 424(1947年新製 日車)→オハフ33 2424→1982年廃車
続きを読む
【浦島ハーバーホテル】 33.478717, 135.787818 2013年1月2日撮影
オハフ50 66,211,218,240
串本の浦島ハーバーホテルでプールの更衣室や休憩所、食堂等として利用されていたようである。
銘板から、プール側の画面左はオハフ50 218、右はオハフ50 66と確認できたが、海側の残り2両は確認できなかった。車内には何か手掛かりがあったかもしれない。
浦島ハーバーホテルは2016年3月31日で閉館し、その後最近になって大江戸温泉物語が引き継いだ。現在でも存在しているだろうか。
◆オハフ50 66(1978年新製 新潟)→1991年廃車
◆オハフ50 211(1980年新製 新潟)→1991年廃車
◆オハフ50 218(1980年新製 富士)→1991年廃車
◆オハフ50 240(1980年新製 新潟)→1991年廃車
続きを読む
【関門海峡めかり駅前】 33.960724, 130.967006 2013年12月31日撮影
オハフ33 488
関門海峡の壇ノ浦古戦場跡を間近に望む九州の北の端、山陽新幹線の新関門トンネルのほぼ真上に位置する。松本清張「時間の習俗」に登場する和布刈神社が近い。天気が良く、本州が川の対岸のように見えた。
九州鉄道記念館-関門海峡めかり間は、平成筑豊鉄道が第2種鉄道事業者で、門司港レトロ観光線として営業している。保有している第3種鉄道事業者は北九州市である。暖かかったので、門司港駅まで歩いて戻った。
◆オハフ33 488(1948年新製 日車)→1978年廃車
続きを読む
【小松島ステーションパーク SL記念広場】 34.011652, 134.585838 2010年11月20日撮影
オハフ50 272
小松島ステーションパークは、1985年に廃線になった旧小松島線の廃線跡で小松島駅より少し中田寄りにある。上屋付のホームがあるが、角度は旧小松島線に対して直角である。
◆オハフ50 272(1980年新製 富士)→1992年廃車
続きを読む
加太で写したカラー
ホントによく行ったものです。前稿でも採り上げた「鉄道ファン」別冊の撮影地ガイド本の原典となった、本編の52号に加太の撮影地ガイドが載っていました。その前から憧れの地で、記事で全体を把握して、高校1年の時に初めて行きました。まだ特急「あすか」が走っていた時でした。DRFCに入ってからは、新入生歓迎旅行、打上げ旅行、現地闘争などと称して、メンバーとともに頻繁に行き、会社に入ってからも、蒸機が無くなる直前まで通ったものでした。
ただ狙いは蒸機、山間地の勾配区間とあれば、勢いモノクロ写真となり、カラーでは、わずか昭和47年の秋に訪れた以下の数点を写しただけでした。少し前にあった江若鉄道の廃線跡ウォーキングを終えて、浜大津で飲んでいると、向かいに座っていた、ご近所の無印不良品さんから、「加太の駅を降りて、村田屋へ行く途中の川に蛍が無数にいてなぁ、ホンマにきれいやった。一生忘れられへん」と語ってもらったのが、印象に残っています。▲秋の日曜日、加太では運動会が行なわれていた。ちょうど、村田屋の向かいにあった加太小学校、多くの地区家族も参加していた。その向こうをDC急行が下り勾配を駆け下りて行った。
【㈱技研製作所 記念の森】 33.549669, 133.727105 2019年7月15日撮影
オハフ50 189
㈱技研製作所の記念の森プロジェクトとして開発中の工事現場に仮置きのような感じで置いてある。
記念の森プロジェクト公式ブログ(http://gikenkinennomori.blog59.fc2.com/page-3.html)によれば、2008年7月15日(火)にスタートしている。奇しくも11年後のジャスト同日に訪問したことになる。しかし、ブログは約2ヶ月後の2008年9月25日を最後に途切れている。何か事情がありそうだ。11年経っても現場はブログの最初の画像(オハフ50も写っている)の状態から大きくは変化していないように見えた。
現地には完成予想図の看板もあり、近年オハフ50に屋根(金属パイプにビニール張りであるが)も付けたし、現場事務所もあって、祝日だったので少数だったが働いている人もいて、工事はなにかしらしているようである。
できれば近い将来に、記念の森が、化粧直ししたオハフ50をマスコットとしてオープンしてほしいと願う。
◆オハフ50 189(1979年新製 富士)→1990年廃車
続きを読む
昭和37年3月号が見つかりましたので、お目にかけます。
↑150頁
↑151頁 内容は3月15日時刻改正前です。
昭和29年4月と比較して、府中-下川辺間電車運転廃止直前の福山発着の電車は各30本に増加していましたが、下川辺発着は各3本に減少していました。電車は3往復になりましたが、府中-三次間の列車は差引増加しました。
続きを読む