【First Train】 34.347193, 135.242997 2011年12月29日撮影
オハ46 378
JR和泉鳥取と南海鳥取ノ荘の中間、蓮池の北縁にあるレストランである。現在も営業している模様。オハ46の廃車体は珍しく、他に京都鉄道博物館のオハ46 13がある。
◆スハ43 378(1954年5月新製 川車)→(1956年2月11日改番)オハ46 378→1966年7月22日近代化改造、信越線対策併施 幡生工→1971年7月15日体質改善B3 高砂工→1986年廃車
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「未分類」カテゴリーアーカイブ
東急3450系の窓の大きさ他
表題の件について米手作市様より関先生とお前の写真の窓の大きさが違うようだとご指摘があり、お詳しい方に助けを求めたところ、早速回答を頂きましたので原文のまま掲載をさせていただきます。なお、この方は、ぶんしゅう旅日記さんが名付け親の「不銹鋼」さんで時々デジ青の台湾編などで出てこられる方です。内容は以下の通りです。
↓
準特急様の撮影されたデハ3456号は1963年10月の更新後で窓高さを850mmから950mmに変更されています。
ちなみにこの車両は旧モハ517號で1981年11月に廃車後、宮崎台にある電車とバスの博物館にカットモデルとして保存されています。
この運転台部はそのまま更新後の姿、旧連結部はモハ517號にもどし、窓高さを850mmに、片隅式運転台を復活させています。
この改造工事は小職が1982年に担当させていただきました。
お時間がございましたら、ご案内させていただきます。
暫くはコロナの影響で不要不急の外出は憚られますね。
以上ですが、えらい方にご回答をいただいたもので宮崎台に行ってきたいと思います。そのころの紺と黄色、およびその後の青ガエル等緑色の復刻色の写真もご紹介させていただきます。
2018.08.22 多摩川線沼部1317▼
2020.01.30 多摩川線沼部1312▼
2018.10.02 東横線多摩川5822▼
客車廃車体訪問記 内地編65 兵庫県-2
【健康ひろば加古川】 34.736263, 134.853301 2005年5月4日撮影
スロ81 2122
旧型お座敷客車の廃車体である。珍しい。健康ひろば加古川は、山陽電鉄別府駅の北北東約500mにあって、お好み焼き・明石焼きのスロ81 2122、喫茶・寿司・麺類・丼のサシ581-25が営業していた。今は全く別の店舗になっていて現存しない。
◆ホハ(ナハ)35040(1925年新製)→(1928年改番)ナハ23481→(1951年鋼体化改造 大宮工)オハ61 123→(1962年改造 長野工)オロ61 2088→(1964年改造 松任工)オロフ61 2004→(1967年改造 多度津工)スロフ62 2004→(1979年改造 高砂工)スロ81 2122「摂津」→1986年廃車
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客車廃車体訪問記 内地編64 新潟県-2
【守門温泉SLランド】 37.356652, 139.038144 2019年10月26日撮影
オロネ10 2085
新潟県魚沼市の山奥、「守門(「すもん」と読むらしい)温泉SLランド」という名称で、廃業した宿泊施設のようであるが、今でも「守門温泉SLランド」と題するWebがあり、「リニューアル完成されました♪ 温泉浴室と大広間が新しくなりました。^^」とか、機関車の番号を9657と書いてある。荒れ放題で立入禁止になっていて、雨上がりで草が濡れていたため近寄ることができなかった。
29657に連結され、手前にもう1両オロネ10 2083もいたが、リニア・鉄道館のオロネ10 27に部品提供したため、2085だけになった。
◆オロネ10 2085(1963年新製 日車)→1976年廃車
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客車廃車体訪問記 内地編63 兵庫県-1
【はじかみ池公園】 34.900513, 135.189792 2009年1月3日、2019年10月28日撮影
マニ50 2036
神戸電鉄公園都市線南ウッディタウン駅の南に隣接する公園に、D51 25、ヨ8682と保存されている。新製後僅か9年で廃車にされた勿体ない客車である。一度目の訪問は2009年正月で緑色、二度目はその10年後で青色に塗られていた。上屋があるのはいいが、覆い被さっていて鬱陶しい感じがするのはやむを得ない。
◆マニ50 2036(1978年新製 新潟)→1987年廃車
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客車廃車体訪問記 内地編62 徳島県-3
【阿波っ子ステーション】 34.127979, 134.477642 2010年11月20日撮影
オハ47 107→その後の調査で、オハ47 2282であることが判明
オハ47 129
↑左がオハ47 129、右がオハ47 107(オハ47 2282が正)
訪問時は藍住町のレストランであった。最寄り駅は板野。現在は店舗ごと無くなったようである。次の目的地もあったので店に入らなかったが、車内も調査しておけば良かったと思う。
◆スハ43 632(1955年新製 汽車)→(1963年改造 大宮工)オハ47 107→1964年近代化改造 大宮工→1985年廃車
◆スハ43 104(1952年新製 帝車)→(1963年改造、近代化改造併施 土崎工)オハ47 129→1985年廃車
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本日の鮮魚列車
先日の赤目口の菜の花では、出だしが遅れて間に合わなかったのですが、今日は午前中は晴れるとの天気予報を信じて再度出掛けてきました。狙いは鮮魚列車で、約20年前から変わっていない2782+2683+2684の編成です。朝の上本町行きはいつも後追いですが、今日は曇っていたこともあり正面から撮れました。しかも方向幕は無地の白いままで、サボで「鮮魚列車」「大阪上本町」とあります。サボをぶら下げている列車なんて珍しいかぎりです。
今年の菜の花
今年はいつもより早く「赤目口」で菜の花が咲き出しました。近鉄では昨年末から「ひのとり」の試運転が始まり、名張でも見かける機会がありますが「撮る」機会を逃しています、菜の花と一緒にと思うものの3月になれば何時でも見られるので急ぐことは無いと勝手に決め付けています。それよりも3月以降に姿を消していく車両もあるので、そちらを「撮っておく」ことにしました。2021年までに置き換わるのは名阪ノンストップ特急の「アーバンライナー」が「ひのとり」に、名阪主要駅停車の12200系は徐々に廃車されていくと思われます。特に12200系は来年の春が最後になるのでしょうか。
「アーバンライナー」と名阪特急(12200系+22000系+22600系)の今日の姿です。
ちなみに、「ひのとり」は今年のダイヤ改正では、平日難波発が8:00,10:00,13:00,14:00,16:00,20:00名古屋発が7:00,11:00,13:00,17:00,19:00,20:00の往復6本のようです。
客車廃車体訪問記 内地編61 茨城県-3
【ザ・ヒロサワ・シティ レールパーク】 36.292435, 140.019078 2019年12月15日撮影
オロハネ24 551・オハ25 503・オハネフ25 12・スシ24 505
↑左から E224-227 D51 1116 EF81 138
ザ・ヒロサワ・シティは、茨城県筑西市にある、「自然・健康・文化」をテーマにしたテーマパークだそうである。下館ゴルフ倶楽部や廣澤美術館、クラシックバイク・クラシックカーミュージアムなどもあり、鉄道車両も保存している。客車はホームと樹木に挟まれて撮影しにくい。
◆オハネ24 28(1973年新製 富士)→(1989年改造 大宮工)→オロハネ24 551→2015年廃車
◆オハネ25 25(1974年新製 富士)→(1988年改造 大船工)オハ25 503→2015年廃車
◆オハネフ25 12(1974年新製 富士)→2015年廃車
◆サシ481-68(1973年新製 日車)→(1988年改造 新津工)スシ24 505→2015年廃車
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客車廃車体訪問記 内地編60 群馬県-4
【高崎 重量品運搬等の会社】 36.358128, 138.978751 2019年12月14日撮影
オハ12 196
オハ12 333
高崎駅北東約5㎞の会社敷地にある。事務所に挨拶に行くと、日本語が非常に達者な外人がいて、責任者(社長)が午後2時頃まで外出中で、責任者でないと敷地内で撮影する許可は出せないといわれた。他にも行く予定があり、とても待てないので、公道からの撮影しかできなかった。現車調査もできなかった。
◆オハ12 196(1970年新製 日車)→1997年廃車
◆オハ12 333(1977年新製 富士)→1997年廃車
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遠江に消えた鉄路・・・いま、それは 光明電鉄の巻
ホームとトンネル跡だけで話は簡単に済むと思っていたのだが・・・昨年の10月31日から始めたのであるがなかなか奥が深くて長くかかってしまった。
昨年の東西会員交流旅行は天浜線、かつての国鉄二俣線である。なかなか行くことができなかった路線である。東海道本線との接続がとにかく悪いのである。これは今でも同じで東京へ行くときに乗ろうとして考えてみたがうまくいかない。今回も早く出発して新所原から集合場所の西鹿島に行こうとした。残念!接続が悪くてダメ!結局のところ、浜松から遠鉄でということになった。
客車廃車体訪問記 内地編59 石川県-4
【甲駅】 37.207344, 137.024687 1987年4月12日撮影
国鉄能登線甲駅構内である。能登半島のこんな辺鄙な所に、廃車になって半年も経たない郵便車がこっそり置かれているなどまだほとんど知られていない頃であった。当日、ホームの桜が満開の能登鹿島駅で撮影した後、甲駅に着いて事務室で許可をもらい撮影を始めたら突然吹雪いて急に寒くなったので、待合室でストーブにあたって暫く待っていたら今度は快晴になり、さっきの猛吹雪がうそのような無茶苦茶な天気であった。
郵便車の廃車体は珍しい。このオユ10 2565はその後、2004年11月16日に能登中島駅に引っ越した由。
◆オユ10 2045(1969年新製 新潟)→(1976年改造 大宮工)オユ10 2565→1986年廃車
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尼崎港線の関連グッズ
連続投稿申し訳ありません。
総本家青信号特派員先輩の「廃駅をめぐる【3】」のコメントで書かせていただいたDD13 256の車番とサボです。
DD13 256は、1966.3.7 汽車会社で製造され、姫路第一機関区に配置、その後1968.10.3に吹田第一機関区に転属、1984.2.4再び姫路第一機関区に戻り、1986.10.27廃車となっています。
続いて、サボです。
一番上は、川西池田行×大阪行のサボです。所属は大宮です。
川西池田~尼崎港で走っていたころの、宮原客車区から送り込むためのサボでしょうか?送り込みの列車番号などわかりません。ご存じの方、教えてください。
二番目は、川西池田⇔尼崎港×尼崎港⇔川西池田のサボです。所属は、大池です。
三番目は、塚口⇔尼崎港×大阪行のサボです。所属は、大塚です。尼崎港線で活躍したのち宮原客車区に帰るためのサボでしょうか?塚口でどのような入換が行われ、宮原には、どの列車に併結され帰っていったのか?興味津々です。こちらもご存じの方、教えてください。
尼崎港線 最後の日々
総本家青信号特派員先輩の尼崎港線の記事に触発され、尼崎港線の最後の頃の写真を投稿します。
私が訪れたのは、1981(昭和56)年3月24日と27日、31日です。
24日の朝の821/822列車はDD13 101 大吹一 の牽引でした。
まだ、あまり人はいませんでした。
客車はスハフ42 2162 大ミハで、木製の板で作られたサボでした。
3月27日は、尼崎港から塚口のきっぷを買うために出かけました。準常備式の普通乗車券を手作業で発行するため時間がかかります。ろくな写真を撮影できませんでした。821/822列車の牽引機は、DD13 376 大吹一でした。
最終日の3月31日、塚口から尼崎港に向かう最終の下り823列車です。
客車は2両に増結されDD13 256 大吹一 には、保安要員がたくさん乗っています。金楽寺~尼崎港間です。
急いで尼崎港に行き、本当の最終列車 上り824列車に乗ります。
遠くから撮影していなかったことが悔やまれます。
塚口到着後、木製のサボは、「好きな人もっていっていいよ!」と言ってサボの近くに陣取っていた人が持って帰られました。
うらやましかったです。
客車廃車体訪問記 内地編58 群馬県-4
【高崎駅前(西口)】 36.321752, 139.012000 1999年9月23日撮影
オハフ61 2542
高崎駅西口にあった、ジパング倶楽部の営業所である。その前は「ボワチュール」という店名の喫茶店として営業していた。現在この場所は居酒屋と高崎駅西交番になっている。
この日は、西村さんとM助さんのご案内でわたらせ渓谷鐵道で元京王のトロッコ列車に乗って楽しく1日を過ごした。
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客車廃車体訪問記 内地編57 新潟県-1
【湯沢中里スノーリゾート】 36.910900, 138.849201 2020年1月3日撮影
スハ43系17両
国境の長いトンネルを抜けて越後湯沢で降りると、雪が積もっていた。在来線で2駅東京寄りの越後中里駅裏がすぐスキー場で、その食堂・休憩所・子どものスキー教室等としてスハ43系ばかり当初18両、その後1両減って17両が、広大な駐車場とゲレンデの間に南北に連なっていた。17両もの客車が並んでいるのは壮観である。南から1~6号車、8~12号車、13~18号車と、3グループになっていて、番号は次のとおりである。
①スハフ42 2067+②スハ43 2166+③オハ47 2232+④オハ47 2327+⑤スハ43 2326+⑥スハ43 2345
⑦オハ47 2058 … 撤去解体
⑧オハ47 2025+⑨オハ47 2071+⑩オハ47 2300+⑪スハ43 2481+⑫スハフ42 2069
⑬スハフ42 2143+⑭オハ47 2029+⑮オハ47 2027+⑯オハ47 2258+⑰スハ43 2479+⑱スハフ42 2032
車内は、座席間にテーブルを入れたり、座席を撤去してお座敷に変えたり様々で、トイレは水洗式に改造している。
このへんにノツボ(野壺)があったら、I波さんのようにたいへんなことになるが、スキー場なのでその心配はいらない。
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客車廃車体訪問記 内地編56 群馬県-3
【リサイクルショップてんぐ】 36.673372, 138.984910 2020年1月3日撮影
オロ12 853(わたらせ渓谷鐵道わ01-855)
みなかみ町のリサイクルショップに倉庫のように置いてある。強いて最寄り駅をあげれば上毛高原と後閑である。
現車は元「やすらぎ」の1両で、わたらせ渓谷鐵道「サロン・ド・わたらせ」の中間車わ01-855であった。「サロン・ド・わたらせ」として整備する際、1位の業務用扉を埋めた。後述の西村さんの画像のとおり、ユニットクーラーは全てAU13Aのようである。わたらせ渓谷鐵道にストックがあったのだろうか。
「855」とあるので、オロ12 855かと思ってしまうがそれは55回のスーパーカーミュージアムにいて、これはオロ12 853(2号車「荒川」)らしい。正月休みで門が閉まっていたので、公道から1-3位側を撮影し、2-4位側は撮影しなかった。
西村さんの「北関東に『やすらぎ』を求めて」の最後に、「サロン・ド・わたらせ」時代の1-3位側画像が紹介されている。
◆オハ12 319(1977年新製 新潟)→(1986年改造 大宮工)オロ12 853→2001年廃車
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北関東に「やすらぎ」を求めて
井原氏から1月10日に「昆虫のやかた三凱堂のスロフ」、続いて14日には「スーパーカーミュージアムのオロ」についてのレポートが登場しました。氏はどこでこんな珍奇な保存車両の情報を得て、わざわざ関東まで遠征されるのか、凡人には理解に苦しむところでもありますが、それでこそクローバー会員だとも思い、陰で拍手を送っている一人です。一方、「茶色い客車が見たい」と嘆くご仁がおられることも承知の上で、せっかく井原氏がご紹介頂いた「やすらぎ」が、元気で北関東を走っていた頃の様子をご報告することで、氏への御礼とさせて頂こうと思います。もう20年も前のことになりますが、時系列でレポートします。まずは八高線から。
河内長野の話題
近鉄南大阪線ラビットカーの投稿で、どですかでんさまが阿部野橋から”長野”に行けなくなったと嘆いておられましたが、数十年前は吉野口で国鉄と南大阪線は線路は繋がっていたと思います(確証はありませんが、南大阪線も吉野線も貨物輸送をしていたし、車庫で所属不明の貨車を見た記憶があります)。貨車なら長野まで行けたかも分かりませんね。その河内長野の記事が本日(1/14)の毎日新聞に載っていました。ホームの行き先表示板が「フィルムを回す旧型」から「液晶表示」の新型に更新されるそうです。旧型の「字幕回転式発車標」は近鉄286駅で唯一のものだそうです。これまでにもロール式やパタパタ式が無くなることを聞いたことがありますが、今は液晶型が主流ですね。
客車廃車体訪問記 内地編55 栃木県-2
【スーパーカーミュージアム】 36.400226, 139.720857 2019年12月15日撮影
オロ12 855(前位寄り半分切断)
栃木市にあるスーパーカーを集めた展示施設で、特定非営利活動法人ToSCA(トスカ)が運営していて、建物は旧栃木駅舎を移築した。入館は有料である。スーパーカーのことはわからないが、ランボルギーニ カウンタック LP400やミウラ、ブガッティ EB110(説明板によれば1994年式、新車当時価格4980万円)などが多数並んでいる。トヨタ2000GTもあった。
有料だけあってオロ12 855は掘りごたつのお座敷設備が休憩所としてよく手入れされていて、車内の状態は良いが、外部の塗装に一部劣化が見られる。現車は約半分に切断された車体であるが、台車が2つちゃんと付いていて模型のようでおもしろい。53回のオロ12 854と比較して、塗り分けとグリーン車マークの有無・位置が違う。
オロ12 855は、53,54回と同じJR東日本・高崎支社のジョイフルトレイン「やすらぎ」の4号車「吾妻」で、前位寄り半分に切断されている。廃車後、わたらせ渓谷鉄道に移り、部品取り車となった。
◆オハ12 321(1977年新製 新潟)→(1986年改造 大宮工)オロ12 855→2001年廃車
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