梅小路の28698 が話題のようです。当会OB奥山直秀さんのアルバムにも2枚ありました。 何かのご参考になれば。
▼1966.1.2 梅小路にて、所属は【梅】と読めました。機番は読み難いですが、間違いありません。
▼1968.1.3 梅小路にて。所属札に【梅】は表示されていません。
左後方は88638機です。


去る5月、ゴールデンウィーク期間中に開催された、第7回鉄道写真展 『鉄路輝く』 は成功裏に幕を閉じました。企画立案から印刷、展示レイアウト、キャプションの作成・印刷、はては会場運営まで一手に引き受けて頂いた総本家青信号特派員・Fさんに感謝申し上げます。それから会場設営と撤去作業が、限られた短時間内に完遂できたのは、携わった会員諸氏の協力と見事な手際良さでした。会場は一流のギャラリーとあってなかなか立派でした。会員諸氏の力作に加えてゲストの方々の作品、併せて100点近く、壮観でした。・・・・・終ってみれば、いつもと同じ一抹の寂しさが。
遅くなりましたが、第7回写真展『鉄路輝く』 Web版を upload しました。会員の作品はフリーテーマとテーマ展示の二編。そして今回新企画のゲスト作品と絵画を含む特別展示編。最後に会場周辺風景と展示会場情景を併せてup しました。立派な展示会場の雰囲気が感じ取れるようです。
閲覧方法は、
①この画面の最上部、緑の帯、右から3つ目「写真展」にマウスを重ねる。
②写真展『鉄路輝く』が表示されるので、これをクリックする。
③『鉄路輝く』Web版、Top 頁にジャンプするので、上部の『第7回』をクリックすると、
今回のWeb版を閲覧できます。勿論第1回から6回、EVE編も閲覧できます。
Top 頁も今回、内容を更新しました。
Top ページではBGMに、同志社大学グリークラブの演奏による同志社カレッジソングが、展示写真の各頁では、オルゴールで同じくカレッジソングが流れます。
画面遷移は自動スライドですが、キャプションを読む時など、< Pause Slideshow > ボタンで一時的に止める事ができます。再始動は<Play Slideshow> ボタンです。また、< Previous Photo > および < Next Photo > ボタンはそれぞれ前に戻る、次に進むです。時にこれらボタンを使いながら、それでは、手を離して自動スライドショーで、ごゆっくりご鑑賞下さい。
河 昭一郎様、西村雅幸様、大津の86様、
28698のことですが、私が梅小路で次のような写真を撮っていました。
続きを読む
向日町や京都の話題で「こんなモンありまっせ!」シリーズが盛り上がっていますので 悪乗りしてみました。大津のハチロクさんも登場されましたので、私は草津のハチロクでゆきます。
草津駅の東方 東海道線と草津線が別れてゆく地点に「草津給炭転向所」があって、ここへよく行きました。草津線のC57やD51,信楽線に入るC58、そして大津から守山、野洲方面の入換えに行く梅小路のハチロクが休んでいて すぐそばを通過するEH10やカーブして手原方面に向かう草津線の客レなどが撮れる手頃な場所でした。今は草津線も高架になって分岐し、線路のつけかえも行われて当時の面影は殆どありません。かろうじて保線基地?として残っているようです。梅小路や向日町は敷居が高く、入りにくかった施設でしたが、ここはこじんまりとした施設で好きな場所でした。米手作市殿がご紹介された桂川鉄橋東の28698を私はここで撮っていました。ナンバープレートには形式名も入っていて由緒正しきハチロクでした。昭和45年7月11日に梅小路区で廃車になっています。「昭和の電車」3月16日【83157】で、小湊鐡道キハ5800形が紹介されたので少し補足したい。
キハ5800形(5800・5801)は、昭和35年、国鉄から譲り受けた電車、クハ5800、5801を日本車輌でDMH17C形ディーゼルエンジンと液体変速機を取付け気動車化した車両で、台車は、元々履いていた明治45年式釣合梁式鉄道院電車形台車をコロ軸受化等の改造を行った上で使用した。
車号は「クハ」を「キハ」に変更したのみでそのまま使用した。
前歴は、大正時代まで遡り、下記の通りである。
キハ5800
鉄道院デハ二6463(大正3年)→デ二6458→モニ3009(昭和3年改番)→三信鉄道デ101(昭和11年譲渡、鋼体化)→デ301(昭和16年改番)→鉄道省デ301(昭和18年8月1日買収)→クデハ301(昭和26年更新修繕クハ化)→クハ5800(昭和28年6月1日改番)→昭和34年2月廃車→小湊鐡道キハ5800→平成9年3月廃車
キハ5801
鉄道院デロハ6136(大正3年)→デハ6370→デ二6459→モニ3010(昭和3年改番)→三信鉄道デ102(昭和11年譲渡、鋼体化)→デ302(昭和16年改番)→鉄道省デ302(昭和18年8月1日買収)→クデハ302(昭和26年更新修繕クハ化)→クハ5801(昭和28年6月1日改番)→昭和34年2月廃車→小湊鐡道キハ5801→昭和53年1月廃車
キハ5800は、廃車後も五井機関区の庫内に保管されているが非公開である。
続きを読む
本日米手作市様にお会いして、関先生から頂いた「阪急・能勢P-5」をお預かりしました。豊富な写真と読み物、残念ながら内容について詳細にご紹介できませんが、阪急ファンならずとも手元に置いておきたい1冊ではないでしょうか。大きな書店でないと置いていないのではと思いますので、まず一度ご覧になられたらいかがでしょうか。閲覧ご希望の方は事務局までご連絡ください。
小学校時代からの写真を整理していると「これはなんや?」と撮した本人が首をかしげるモンに出くわします。ちょっとそんなモンを数枚ご覧に入れます。
向日町運転区が出来たのはちょうど中学を卒業する頃です。まだ新幹線もない田んぼの真ん中にダンプが砂煙をあげて整地されていきました。やがて線路が敷かれ、建屋が出来てきましたが、架線が引かれるのはずっと後になってからでした。
その頃の運転区は多分に漏れず出入り自由(とは国鉄は言っていませんが)で、カメラを持って日参していました。この写真はそんな頃に撮りました。
《阪急P-5こと10形は新京阪鉄道が製造した11m級小型木造車。P-4 ・P-5A・P-5B形の各形を総称してP-5(デロ10形)と呼ばれ-中略-すでに「のせでん」での引退から50年が経過したが、本書は阪急及び能勢電で活躍したP- 4・P-5 木造車の活躍の記録である。》巻頭より
本日、関三平先生から「阪急・能勢P5」という素晴らしい本が出るとのお知らせを頂きました。
同時に本を一冊、クローバー会に贈呈頂きました。
中には当時としては貴重なカラー写真や、P5の全ての系譜が掲載されています。もちろん、関先生の写真やイラスト、原稿「愛しのデロ」もご覧下さい。
この本は事務局長にお渡ししますのでどなたでもご覧頂けますが、是非とも書店でお求め下さい。
札幌市電のディーゼルカーの話題に悪のりします。
というのは、この写真を撮った記憶が無いのです。いろいろと忘れてしまう歳になりましたが、この写真に関することだけを忘れるというのもヘンです。従って説明はできません。
と、言うことをご理解の上ご覧下さい。

続きを読む
札幌市交通局700形をご覧にいれます。701と702です。
701は東七丁目-東三丁目のサッポロビールの前です。
702は北大正門前-札幌駅前で、国鉄札幌駅桑園方でオーバークロスする所です。すごい所を走っていたのですね。
昭和46年9月の撮影で、山形のKさんとご一緒して幕張博士の会社に押しかけ、そのまま琴似の大四畳半に転がり込み重なって寝た時のものだと思います。


関三平さんの「国電ひょうきん族」でデジ青コメントが盛り上がっているようですが、富山に居た頃に何回か乗っていました。何やら車内は陰気な電車でした。しかし、わざわざ乗ろうとするような電車でもなく、乗ったからには何とかして楽しみを見つけるしかない電車でした。そんな電車を富山で1枚だけ撮りました。
住んでいるところが以前の北陸線の線路際でしたので、ここから富山地鉄の稲荷町にあるスーパーに行くのに線路際を歩いて行くのですが、カメラを持っていることが多く、たまたま撮ったものです。車内に入るといつも暗い、陰気な感じでした。ただし、対面シートの間隔が広いので、前に人が座っていてもゆったりした感じです。この電車のいいところはこれぐらいでしょうか。昼間特急として走っていた頃に名古屋から特急つばめとして岡山の方へ乗ったことがありました。その時は陰気な感じではなかったのですが・・・