ついに最近のJR西日本型電車が出てきました。前回の212系はなじみがありませんが、この221系は80系並みに親しみがあります。新快速の座を117系から奪った電車です。ステンレスの車両は韓国の歌手と同じで見分けが付きませんが、鉄製車両は塗装されるので変化も楽しめて趣味心を満たしてくれます。ところで新快速と京阪の旧3000系が併走するところってありましたか?
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吉野川の夏
祇園祭と市電の架線
少し旧聞になりましたがお許し下さい。
青信号特派員氏から、巡行時は信号機を90度廻して道路と並行にした旨のお話がありました。
私事ですが当時は四条寺町と三条河原町に店を開いておりましたので、毎年宵山と巡行日には店頭に出ていましたが見物は出来ず手伝いに没頭しておりました。そのため話題の信号作業は見ていたような、見ていないような有様です。ただ気になったのは架線をつるしたブームのことです。昭和30年代中頃までは架線柱を上下線の真ん中に天秤型のものを設置して鉾の巡行を助けていましたが、阪急の地下延長で南側の歩道上にあった電柱に片持ち式のブームを付けて“それを90度廻して鉾は四条通中央を巡行した”と思っておりました。
しかし、どうも自信がないので交通局のある方に伺いましたところ、ご丁寧な検証報告を頂きましたので皆様にご報告いたします。
なお、転載などのご了解も頂いております。画像処理は私の責任で行っております。
まずは当時の写真ですが印刷物のコピーですので見にくい点はお許し下さい。
(右)四条河原町の写真ですが、左側に高島屋があり電柱からブームが延びています。四条通の東行車線を鉾が巡行しています。鉾の影になっていますが信号機は回転しています。
余談ですが、撮影者の伊藤とのひろさん(故人)は同志社の先輩で、お客様でもありました。北海道の方でしたが終生京都を愛して京都のスナップを多く残して居られます。
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伊賀の夏
国鉄クロ212型
こんなモンもありまっせ!
しばらくぶりに投稿いたします。と、言いましてもまとまったものではありません。京都駅周辺や向日町での写真ばかりで、車両ファンには申し訳ありませんが「昔はこうだったのか」「こんな車両が走っていたのか」程度のものです。ご笑覧下さい。例によって記録はありません。
今回は「電化前の青大将」ではありませんが、初期のブルトレ用機関車などをカラーで撮っていました。東映映画の名作「大いなる驀進」の『特急さくら』はこの色でした。
向日町運転所も電化が完成して、電車や電気機関車が留置され、客車はそろそろ時代が去ろうとしている時期です。しかし、電気機関車はまだEF58が幅をきかし、EF61や65が顔を見せ始めていました。EF58も特急塗装の青色がありましたが、茶色がまだまだ主流です。
同じく向日町で、新製時から前面を警戒塗色にしているEF65も撮りました。
青大将のEF58の写真もあるのですが白黒です。昭和40年頃からカラーフィルムを使い始めたようで、チラホラとアルバムに混じっています。しかし褪色が激しいものも有り、今回も一切の補正はしておりません。この当時の客車もおもしろいものを撮っていますが、機会があればお目に掛けます。
京急の前日
先日は準特急様の投稿にあるように、京急で「青い空、青い海、赤い車体」の写真を撮ることができました。準特急様には願いを叶えていただき本当にありがとうございました。懐かしい方々とも会うことが出来て、また猛暑で熱中症になることもなく楽しい一日でした。なお、横浜に行く前日は、別件で河口湖に居たのですが、ホテルの朝食前に出かけた河口湖駅です。駅前にあったのがモ1号で、説明によりますと…富士山麓鉄道が昭和4年に5両製造(日本車両)したもので、電気ブレーキ・砂まき装置付き。創立60周年記念事業として上田丸子電鉄より引き取り整備・復元した… とあります。自重34t、定員102人(座席50人)、電動機93.25kw×4 です。次にあるのが「瑞雲まつり」とのコラボ車両です。瑞雲とは旧海軍の水上偵察機です、富士急ハイランドでは実物大模型が展示されているようですが、この地と水上偵察機にどのようないわれがあるのか分かりません(スミマセン)。さらに私事ですが今回富士山を山梨側から見ることが出来ました。富士山というとほとんど静岡側からしか見たことがなかったのですがいつもとは違った(山梨ではこちらが正面ですね)体験でした。
北欧の旅2(フィンランドの鉄道)
通りがかりの閉館した交通科学博物館で見つけたKS50台車
西村さんが梅小路にKS50台車の存在を確認された写真を投稿されました。1900生さんのコメントに返事をしましたが、その時撮った写真を御披露いたしましょう。
あれは2年前の今頃です。近鉄九条駅近くにあるとある会社の本社建物の中にC57が保存されているのを見に行こうと有志が集まりました。見学後に弁天町から安治川隧道を通って西九条に行くという計画でした。その途中の弁天町にあった交通科学博物館がどのようになっているか周辺道路から見ていたのです。その時に見つけたのが京阪KS50台車でした。交通科学博物館は展示していなかったのに何でこんなところにあるのか不思議に思っていましたが、今になり梅小路に展示されることになっていたんだと、わかったのです。
「補機」をデジタル化する
知らないうちに投稿回数が今回で100回となりました。100回記念で盛大に超大作を投稿ということでもいいのですが、そんな超大作になるようなネタも、今のところないのです。ところで以前から気になっているのが学生時代のガリ版刷りの「青信号」と「補機」です。現在保有するもので一番古いのが1968年7月発行の「青信号20号」です。なぜこの「青信号20号」を持っているのかわかりません。だれかに頼んで余っているのをいただいたようです。掲載されている記事をみると1900生さんの「京阪1900のすべて」があります。たぶんこの記事を読みたくていただいたのかもしれません。それはともかく、40年以上もたっているガリ版刷りの本ですし、紙も周辺部が茶色に変色して読みづらくなり、またあるものは劣化が激しくなっています。このままでは読めなくなってしまいそうです。何とかしなけらばなりません。いろいろ考えていたのですが、本をバラバラにして画像データとしてスキャンすることにしました。思い出のある本をバラバラにするには忍びないですが、読むことを前提とすると仕方のないことです。
手始めに残しておきたい雑誌をデジタル化をしました。バラバラにして家族が所有しているシートフィードスキャナーを借りてPDFにして保存です。一般の雑誌は印刷屋さんで印刷したものですので、印刷面に濃淡のムラがありません。スキャン条件設定が普通に行えます。そんなに問題なくデジタル化が出来ました。さて、ガリ版印刷の「補機」と「青信号」は印刷ムラがどうしてもあります。しかも劣化しています。スキャナーはフラットベッドスキャナーを使うことにしました。
友あり関西より来る また楽しからずや 第2弾
九州北部が豪雨というのに関東は晴天猛暑続き。そんな中、今日7月10日にはWAKUHIROさんが来られた。お住まいが美旗なので正式には「朋あり伊賀より来る また楽しからずや」といったところでこれにはINUBUSEさん、藤本さん、逗子の旦那こと高田さんが参加された。WAKUHIROさんはデジ青には桜や紫陽花などを入れた季節感のある作品を発表されているが今日は「海」がテーマ。京急線で海が入るところはあるようであまりなく、それより心配なのが晴天続きとは言えまだ梅雨開けしておらず空に水蒸気が多いのか真っ青にならないことである。
最初は京急の安針塚から徒歩で横須賀線を俯瞰する有名な場所で撮影。後から駆け付けたINUBUSEさんは撮影場所へはかなりお迷いになられたようで、藤本さんに至っては迷いに迷って到着が昼前になってしまう始末。
軍港をバックに津田沼発816F久里浜行き217系 ▼ 続きを読む
近場で紫陽花
友あり関西より来る また楽しからずや 第1弾
28698 奥山さんのアルバムから
第7回写真展 『 鉄路輝く 』 Web版 upload
去る5月、ゴールデンウィーク期間中に開催された、第7回鉄道写真展 『鉄路輝く』 は成功裏に幕を閉じました。企画立案から印刷、展示レイアウト、キャプションの作成・印刷、はては会場運営まで一手に引き受けて頂いた総本家青信号特派員・Fさんに感謝申し上げます。それから会場設営と撤去作業が、限られた短時間内に完遂できたのは、携わった会員諸氏の協力と見事な手際良さでした。会場は一流のギャラリーとあってなかなか立派でした。会員諸氏の力作に加えてゲストの方々の作品、併せて100点近く、壮観でした。・・・・・終ってみれば、いつもと同じ一抹の寂しさが。
遅くなりましたが、第7回写真展『鉄路輝く』 Web版を upload しました。会員の作品はフリーテーマとテーマ展示の二編。そして今回新企画のゲスト作品と絵画を含む特別展示編。最後に会場周辺風景と展示会場情景を併せてup しました。立派な展示会場の雰囲気が感じ取れるようです。
閲覧方法は、
①この画面の最上部、緑の帯、右から3つ目「写真展」にマウスを重ねる。
②写真展『鉄路輝く』が表示されるので、これをクリックする。
③『鉄路輝く』Web版、Top 頁にジャンプするので、上部の『第7回』をクリックすると、
今回のWeb版を閲覧できます。勿論第1回から6回、EVE編も閲覧できます。
Top 頁も今回、内容を更新しました。
Top ページではBGMに、同志社大学グリークラブの演奏による同志社カレッジソングが、展示写真の各頁では、オルゴールで同じくカレッジソングが流れます。
画面遷移は自動スライドですが、キャプションを読む時など、< Pause Slideshow > ボタンで一時的に止める事ができます。再始動は<Play Slideshow> ボタンです。また、< Previous Photo > および < Next Photo > ボタンはそれぞれ前に戻る、次に進むです。時にこれらボタンを使いながら、それでは、手を離して自動スライドショーで、ごゆっくりご鑑賞下さい。
井原様、
幅の狭い線路が似合う? 細面の阪神電車
河 昭一郎様、西村雅幸様、大津の86様へ
河 昭一郎様、西村雅幸様、大津の86様、
28698のことですが、私が梅小路で次のような写真を撮っていました。
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草津のハチロク
向日町や京都の話題で「こんなモンありまっせ!」シリーズが盛り上がっていますので 悪乗りしてみました。大津のハチロクさんも登場されましたので、私は草津のハチロクでゆきます。
草津駅の東方 東海道線と草津線が別れてゆく地点に「草津給炭転向所」があって、ここへよく行きました。草津線のC57やD51,信楽線に入るC58、そして大津から守山、野洲方面の入換えに行く梅小路のハチロクが休んでいて すぐそばを通過するEH10やカーブして手原方面に向かう草津線の客レなどが撮れる手頃な場所でした。今は草津線も高架になって分岐し、線路のつけかえも行われて当時の面影は殆どありません。かろうじて保線基地?として残っているようです。梅小路や向日町は敷居が高く、入りにくかった施設でしたが、ここはこじんまりとした施設で好きな場所でした。米手作市殿がご紹介された桂川鉄橋東の28698を私はここで撮っていました。ナンバープレートには形式名も入っていて由緒正しきハチロクでした。昭和45年7月11日に梅小路区で廃車になっています。