昭和の電車 改訂版(154)ー東急デト3014・3015ー

東急デト3014

この一連の事業用車両など、模型にしたら面白いでしょうね。ゲテモノ趣味のどですかでんさん、西村さん、いかがでしょうか?

藤本哲男さんから投稿があったのを調べ漏らしていました。

東急電鉄デト3014、3015に寄せて

 やっぱり蒸機が好き! 《区名板》で巡る北海道の蒸機 ⑦

ラストナンバー468    D52(2)

“3年持てばいい”のD52でしたが、製造から2年後に戦争は終わってしまい、製造計画は中断します。粗悪なうえに、整備不良も加わって、戦後はボイラー破裂などの事故を多発します。山科の大築堤状で大音響とともにボイラーが破裂したのを、身を持って体験されたのが、大築堤の近くにお住まいだった須磨の長老で、その様子は「青信号64号」に詳説されています。さて戦後になって、状態不良のD52は廃車を進め、良好なカマは、長期の使用を見越し、戦時設計から改良が加えられました。一部のカマは、従台車を2軸にしてD62に、ボイラーを利用して旅客用のC62に改造されました。いっぽう、北海道へは、東海道、山陽の電化の進展で、余剰が生じたD52が昭和35年から順次、転属しました。軌道強化された函館本線の函館~長万部、室蘭本線の長万部~鷲別で貨物列車、一部で旅客列車を牽くことになりました。今回は、最大15両を擁した五稜郭機関区のD52のなかで、現在では京都鉄道博物館に保存され、ラストナンバーに当たる468号にスポットを当てました。

D52 468は、昭和21年の製造だから、戦争が終わってからの就役だった。三菱三原製作所の製造で、もともと同所では、468~492を製造する予定だったが、結局468のみ製造して、以降は中止となり、たまたま468がラストナンバーとなった。国縫(昭和47年3月)

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 やっぱり蒸機が好き!《区名板》で巡る北海道の蒸機 ⑥

D52 五稜郭機関区 (1)

太平洋戦争のさなか、“3年持てばよい”の考えのもと、徹底した戦時設計で建造されたのがD52でした。当時、最重要資源の石炭輸送は、鉄路だけでなく、航路もありましたが、攻撃の標的になることが多く、鉄路による重量物の輸送に変更され、急遽、当時の主力D51を上回る牽引能力を持った貨物用機が製造されることになり、昭和18年から300両近くが製造されました。計画ではさらに、増備の予定でしたが、終戦とともに中止、最終ナンバーは468号ですが、183両の欠番があり、実質の製造は285両となりました。しかし戦争末期の資材不足の約2年間で300両近くの大型機を製造したことは驚きに値します。その強力パワーで、東海道・山陽の二大幹線がその中心でしたが、昭和40年代にも、五稜郭機関区に10両のD52が配属されていました。夜の五稜郭機関区、扇形線に顔を揃えたD52136 D52468、昭和40年代、同区には最大15両のD52が配属され、函館~長万部~鷲別で、貨物列車、一部では旅客列車も牽いていた(昭和47年3月)

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近くに行こうよ! ちょっと、生駒線大和川の鉄橋あたりで

 ちょっと、となりまちに行くにも、最近は歩いて行く。どうしても運動不足になるからである。道のりは行きは楽々、帰りはしんどい。いつも小さいコンデジを持って行くのである。ちょうど生駒線が見えるところを歩いているのでついついパチリと。

 それでは写真を見てもらいますが、写真の講釈はいたしません。あしからず。

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 やっぱり蒸機が好き! 《区名版》で巡る北海道の蒸機 ⑤

倶知安区 9600

北海道を代表する蒸機と言えば、スタイルは別としても9600でしょう。数こそD51より少ないものの、昭和43年時点では、北海道の蒸機の約3割、145両を占めていて、ほとんどの機関区に配属され、ローカル線の客貨牽引、入換えに活躍していました。デフの切り詰め、警戒色など、北海道らしい改造がされて、その好みは分かれるところですが、そのなかで最も特徴的なのは、倶知安区の二つ目の9600でしょう。

倶知安区9600の運用は、岩内線(倶知安~小沢~岩内)、胆振線(倶知安~伊達紋別)の貨物牽引、倶知安の入換用でした。二つ目は、カーブなど見通し不良区間での警戒のため、前照灯を二個にしたとの解釈が多いようですが、これは倶知安だけの理由とはならず、倶知安周辺では、冬期、前照灯に氷雪が付着して、前方の確認に支障があったと言います。そこで、風の流れができる、デフのステー上に前照灯を置くことによって、付着を防ぐ目的があったのではと言われています。

 

夕闇に二つ目が輝く倶知安区の79616

 

 

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 やっぱり蒸機が好き!《区名板》で巡る北海道の蒸機 ④

室蘭区 C55

“北海道のシゴゴ”と言えば、急行「利尻」も牽いた旭川区のC55が有名ですが、もうひとつ、室蘭区にもC55がいました。ただ撮影したのは、昭和43年の一回だけで、在籍もわずか3両、翌年にはC57に置き換えられ、一部は旭川へ転属しました。昭和49年まで宗谷本線で活躍した旭川区のC55と比べると、知名度としては低いものでした。しかし舞台となった室蘭本線はほぼ複線、大カーブ、日本一長い直線と、スケールの大きな区間を、スポーク動輪をカシャカシャ回転させながら走り去る姿は、なかなか魅力的でした。(以下、昭和43年9月)

室蘭区のC55のなかには、トップナンバーのC55 1がいたこと特筆される。白老~社台を行く小樽発札幌経由の室蘭行き722レ ゆるくカーブしているが、ここから沼ノ端まで、日本一長い直線区間28.7キロが続くことになる。

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 やっぱり蒸機が好き! 《区名板》で巡る北海道の蒸機 ③

D61 京都に現る

それはちょうど50年前、昭和46年11月のことでした。どこからともなく「梅小路にようけ蒸機が集まっとる」のウワサが流れてきました。BOXでも、その話で持ちきりとなり、ある日の午前、BOXにいたメンバーで実際に見に行くことになったのです。約10人で梅小路機関区のラウンドハウスへ行ってみると、な、なんと北海道のC622、C551、D52140、9633、九州のC612、D50140、D6031と、彼の地で夢中になって写していた蒸機がそろっているではありませんか。そのなかに、昨年に留萌で見たはずのD612も含まれて、横にはあのC622と並んでいるのです。なにか夢を見ているような瞬間でした。

突如、梅小路機関区に現れたD61 2、左に「梅小路」のネオンの一部も見える、ここは間違いなく京都、まだ蒸気機関車館が開業する前で、現業部門の機関区に、北海道、九州から人気の蒸機が集まって来たのか、この時はよく理解できなかったが、あとで理由を聞いて氷解した。(昭和46年11月)

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京阪大津線オリジナル塗装の終了

先の京津線800型のオリジナル塗装の終了に続いて、最後まで残っていた709+710が2月3日を最後に運行を終了しました。若草色と青緑のツートンカラーで、物心ついてからずっと長年なじんでいたこの色がなくなるのはちょっと寂しいものがあります。ここ何年か何かの記念と称して塗り替えられた車両もありました。これらを浜大津交差点付近で撮った写真をご紹介します。

何年か後に復刻色として、この若草色と青緑のカラーに塗り替えられた車両も走ることがあるのでしょうか。↑ 2012年9月26日より大津線100年記念として旧特急色に塗られた600型、2016年3月21日まで走りました。

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 やっぱり蒸機が好き! 《区名板》で巡る北海道の蒸機 ②

留萌区 D61 〈2〉

D61の働き場所は、深川~留萌~築別であり、留萌本線、羽幌線の両方の区間で使われていました。当時は、築別から羽幌炭砿鉄道が分岐していて、終点付近には、良質炭の採れる羽幌炭坑があり、石炭を増毛、深川まで運ぶのがD61の役割でした。運用表を見ると、ほとんどが留萌~築別であり、D61の目的である、丙線での運用に合致していました。D61は二軸従台車のためキャブの揺れが少なく、D51より乗り心地が良かったと言われますが、軸重軽減のため空転が多く、途中には20‰勾配もあるため、補機が付く場合が多く見られました。今回は、今は無き羽幌線留萌~築別で撮ったD61の活躍です。

留萌に向かう872レが、D61 5+D51 543の重連で夕方の築別を発車。この日は鉄鈍爺さんと一緒だった。築別に着くとD61が蒸気を吹き上げて満を持している。聞くとまもなく発車だと言う。二人で必死になって線路上を走って駅の外れまで来ると、発車の汽笛が聞こえて来た。枕木を井桁に組んだ高台が見つかり、とっさによじ登って連写した。(昭和43年9月)

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 やっぱり蒸機が好き!《区名板》で巡る北海道の蒸機 ①

留萌区 D61  〈1〉

「やっぱり好き!」シリーズ、昨年に掲載の九州から、今年は北海道へ移ります。北海道で蒸機が活躍していた昭和40年代には、夏冬に計4回行っています。そのうち半分近くは、今まで紹介したC62に費やしましたが、そのほかにもクローバー会会員ととも、各地で撮影をしています。昭和43年時点で、九州には458両、北海道には536両もの蒸機がいました。ただ、九州と比べると、手入れが悪いうえに、醜い改造があったり、後年になると“団結列車”も出現して、美しい形式写真など望むべくもありません。勢い、機関区でじっくり形式写真を狙うより、駅での編成写真や、駅間で北海道らしい走行写真を撮ることが多くなりました。

そこで今回は、九州編のように、機関区別に形式ごとに紹介するのを止めて、特徴的な蒸機を採り上げます。編成写真や走行写真を中心に紹介して行くことにして、今まで紹介のC62は除外しました。第1回は、北海道だけにいたD61、所属は、深川機関区留萌支区です。以下の写真を見ると、キャブの区名板は本区の〔深〕となっています。支区の〔留〕が掲げられていたかは不詳ですが、所属先を明確にするために、〔留〕とします。

留萌本線の峠下を通過するD61 6〔留〕の牽く石炭列車774レ、留萌本線が増毛まであって、留萌から日本海沿いに幌延まで羽幌線が伸びていた時代、沿線には、まだ炭砿が多くあって、両線には石炭列車が多く運転されていた。峠下は、深川と留萌の中間付近、文字どおり峠のすぐ近くにあって列車交換も盛んに行われていた。当時から人家は少なかったが、駅員もちゃんと配置されていた。転轍機を操作するため、広い構内に必要な自転車が置かれていたのも、当時らしいアイテム、4年前に、約50年ぶりに峠下を列車で通ると、ちゃんと列車交換があった。駅はとうの昔に無人化されていたが、保線要員の基地として駅舎もそのまま残っていて、50年前の既視感にとらわれたものだ。(昭和44年9月)

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