日本一の農村風景が見られる明知鉄道へのご案内 Part2 明知鉄道を撮る

4月12日 その2

14:44 恵那駅に戻ってからぶんしゅう7号に乗って乗り鉄で各駅とノミネートした撮影地へと向かいました。
1番目は恵那駅を出て約1.7㌔行った築堤です。ピンクと白、満開の桃と桜の花が合わさった絶景がありました。 続きを読む

日本一の農村風景が見られる明知鉄道へのご案内 Part1 明知鉄道に乗って見る

恒例となったDRFC-OB会(クローバー会)の春の懇親旅行も京都丹後鉄道三江線木次線と続きました。今年はどこにしようかと役員会で検討した結果は、最近話題の「明知鉄道」になりましたが、私は行ったことがありません。次の役員会が開催される前には下見に行かなければと思っていましたが桜時期は他にも行きたいところがありましたのでついついと遅くになりました。

4月12日 出発は昨日だったのですが雨で良くありません。予備日があったので翌12日の出発にしました。交通機関は青春18きっぷの利用期日外になったのでぶんしゅう7号です。
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 駅撮り一時間 -記録が記憶になる- 〈2〉

札幌駅 昭和43年(1968年)9月10日の記録

つぎの駅は札幌です。撮影した昭和43年は、43-10ダイヤ改正に先立つ8月28日、小樽~札幌~滝川で、北海道初の交流2万Vの電化が完成し、営業運転が始まりました。真っ赤な交流電車711系が走り始めますが、絶対数が足りず、旅客列車は大部分が蒸機の牽く客車列車のまま残っていました。駅もまだ地平駅で、いまに見る札幌駅とは全く違っていました。この時は、釧路からの夜行鈍行424レに乗って、6時02分に札幌に着き、10時00分発の「ていね」に乗るまで、朝の札幌に発着する列車です。
1番ホームの東寄りには切欠きの0番ホームがあり、おもに千歳線の列車が発着していた。列車は定山渓行きの1761Dで、定山渓鉄道のキハ7002が、単独で東札幌から千歳線に乗り入れて札幌駅に顔を出した。定山渓の札幌乗り入れは、一日9往復あり、うち2往復は千歳線のDCに併結されていた。

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2018年 日本海の春爛漫 Part9 桜満開の京都丹後鉄道を撮る

第6日目 4月3日

今日はこの旅最後の日です。早めに朝起きして浴衣を着ながら城崎温泉街を散歩です。
▲ 6:46、浜坂方面行の1番列車の161D(豊原⇒浜坂)が発車していきました。
温泉街を流れる
大谿川の鉄橋たもとからの撮影です。
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〈クローバー会活動報告〉 都電撮影会 行われる

本日、クローバー会の役員会が開催されました。その席上、優しい眼差しながらも、研ぎ澄ましたように鋭い発言をされる当会マルーン会長から「この前に実施した東京での撮影会・懇親会の報告がなされていない。これは由々しき問題である」との指摘がありました。なるほど、当欄で逐一活動報告もしていますが、今回に限っては、まだ報告がなされていません。“今さら”とは思いましたが、イラク派遣の日報が一年以上も経ってから発見され、当の大臣が謝罪する時代、わずか一ヵ月遅れぐらいでは、全く気にする必要はなく、クローバー会には隠蔽体質がないこと、すべてオープンにする会であることの証しとして報告することにします。以下、写真付きの報告のため、会員の顔写真も出てきますが、個別に承諾はとっていませんので了承お願いします。

スカイツリーをバック荒川線「荒川区役所前」を行く都電。15名が参加し、各所で下車して撮影した。好天気に恵まれ、収穫の多い撮影会だった。

 

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 駅撮り一時間 -記録が記憶になる- 〈1〉

秋田駅 1968(昭和43)年9月15日の記録
「駅」は、旅の出発点であり、鉄道撮影の原点でもありました。鉄道少年だった頃、乗客からの冷たい視線を背中に感じながら、恥ずかしそうに撮影した経験は誰でもあるはずです。長じて歳を重ねると、カネと時間を駆使して、駅からウンと離れたお立ち台で高級カメラと大型三脚を使って一日一本のネタ列車を追うようになります。それどころか、最近は、鉄道すら利用しない鉄道愛好家が多いと聞きます。駅から列車に乗り、鉄道に貢献してこその鉄道愛好家だと思うのは、年寄りのひがみでしょうか。

私は、昔から旅行した際、乗換時間を利用して駅に出入りする列車を撮ってきました。効率良く撮影するため、撮影用に特製の時刻表を自作したこともありました。駅そのものが撮影の目的地だったのです。それは車両の記録が主目的で、叙情の欠片もない、堅い堅い写真ですが、年月が経つと、貴重な時代の生き証人になって来ます。まさに“記録が記憶になる”です。これは、北海道へ行った際の帰りで、奥羽本線の普通列車で秋田に到着、羽越線経由の上野行き「羽黒」に乗り換えるまでの約2時間の記録です。

乗車列車の津軽新城発米沢行き442レが15時25分、秋田に到着、牽引機はD51548〔弘〕からC5768〔米〕に交替した。発駅の津軽新城とは聞き慣れない駅だが、この日は、東北本線青森電化の直前で、青森駅構内の工事のため丸一日、全列車が青森の発着を運休、東北本線は隣駅の浦町、奥羽本線はこの津軽新城から列車を特発し、青森からはバス連絡だった。

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2018年 日本海の春爛漫 Part8 山陰本線 大岩、香住、柴山の桜を撮る

第5日目 4月2日 その2

11:35 若桜鉄道の第二八東川橋梁での撮影終了後は当初に予定していた山陰本線大岩駅へと向かうことにしました。
▲ 予定走行距離は約42㌔、所要時間は約1時間です。
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大分交通別大線 150型、1000型

関先生の仰るとおり、私も修学旅行で宮崎への途中に併走したことがありました。その後もテレビでマラソン中継を見るたびに横を走る電車の方に目が行ってしまいました。いつの間にか電車はなくなり、別大国道が広くなっていました。

2018年 山陰の春爛漫 Part7 桜満開の若桜鉄道を撮る

第5日目 4月2日 その1

今日決めていた撮影地は山陰本線大岩香住柴山です。時間には余裕がありますので不銹鋼號さんから要望のあった若桜鉄道に行くことになりました。

① 東横イン鳥取8:12⇒若桜駅11:18⇒徳丸11:36⇒12:33大岩
② 大岩12:41⇒13:37餘部⇒14:30柴山15:30⇒15:54香住
③ 香住16:04⇒香住鉄橋16:52⇒17:40城崎温泉お化粧

8:12、宿泊した東横イン鳥取を出発、郡家までは因美線沿いを走った後、若桜鉄道では旧道に入りました。若桜鉄道は米っ子時代の2007年10月21日にコンプレッサーの圧縮空気で動くC12167号機の視察に参って以来です。こちらが訪問記です。▲ 8:48 撮影地① Google座標;35.377335, 134.287190
満開の桜が見つけて隼~阿部で、まずは最初の撮影です。

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 いとしのDD51 -5-

北海道を走ったDD51

DD51は、北海道から九州まで全国に配置され、軸重14t、丙線入線可能な特性を生かして、D51が入れなかった線区にも入線しました。最終製造機が出揃い、最大の642両の配置となった昭和56年の車両配置表を見ますと、道内には、釧路、旭川、北見、小樽築港、岩見沢第一、滝川、鷲別、五稜郭の各区に配置があり、合計すると217両ものDD51が北海道で活躍していました。北海道にはDF50の配置がなかった分、DD51が爆発的に増えていった経緯が分かります。実に、DD51全両数の三分の一が道内配置でした。過酷な大地で、客貨を牽いて活躍したDD51は、文句なしに北の鉄路の功労者だと改めて称えてやりたい気持ちです。ここでは、昭和40年代のDD51の記録をまとめてみました。
▲室蘭本線静狩~小幌の大築堤を行く、DD51の牽く貨物列車(昭和46年3月)。

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2018年 日本海の春爛漫 Part6 木次線も寄って撮る

第4日目 4月1日 その2

① 潮温泉9:27⇒12:35三次駅
② 三次13:16⇒13:53道の駅「たかの」14:09⇒撮影地②⇒15:23撮影地①
③ 撮影地①16:10⇒撮影地②17:20⇒18:59鳥取東横イン

▲ 15:00 三次から松江自動車道を走る中で不銹鋼號さんより木次線も撮ってみたいなあと要望が出ました。木次線は昨年末と一昨年5月の新緑時に西村君と訪問しましたがスイッチバックの出雲坂根駅中心で木次周辺ではまだ撮った事がありません。今回はチャンスと思いました。調べていくと今日はトロッコ列車「奥出雲おろち号」が運行されています。時間も備後落合から木次へと下りてくる列車にピッタリと会えます。
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 いとしのDD51 -4-

お召列車を初めて牽引

つぎのDD51は、お召列車を牽いたDD51について触れてみます。これもちょうど50年前ですが、1968年(昭和43年)9月、北海道にお召列車が走りました。この年は、「北海道」と命名されてから百周年に当たり、札幌での記念祝典も含めた行幸に伴い、各線区でお召列車が運転されました。北海道ではまだ小樽~岩見沢が電化しているだけで、すべてDLが牽引しました。うち函館本線・千歳線・石北本線で牽いたのがDD51でした。これが、DD51にとっては最初のお召牽引となり、1号機新製後、7年目にしての栄誉となりました。
旭川~新旭川を行くDD51548〔旭〕牽引、旭川発上川行きのお召列車。以後、同機が単機でお召牽引に当たった(昭和43年9月3日)。

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ありがとう三江線 Part5 廃線1日目、三江線(口羽~長谷)の廃止駅訪問

第4日目 4月1日 その1

静かな朝を迎えました。連泊したバカンスハウスの近くに鉄路はありますが、今日からはもう走行音を聞くことはありません。昨日まで鉄ちゃんたちが群がっていた線路横の道路には人影はなく時折通る自動車のタイヤ音しか聞こえてきません。

8:00 コテージから大和荘へ行って朝食をとりながら地元紙朝刊を見ますと三江線廃線の記事で埋め尽くされています。朝のTVニュースも昨日の騒動をトップニュースで伝えていました。

9:27 宿泊した大和荘は新しく建て替えるために5月でいったん閉鎖されるそうです。リニューアルオープンするのは2年後になるそうですので支配人と再会できるのはその後です。今度は廃線跡がどうなったかを見に来ますと、言い残して大和荘を後にしました。
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 50年前の撮影地を歩く -25-

八瀬駅の今むかし

今からちょうど50年前の1968年(昭和43年)4月9日は土曜日でした。大学に入学した私は、入学時の手続きを終えて、キャンパスのオリエンテーションで、鉄道同好会の出店を見つけ、待望の鉄道同好会の一員となることができました。50年にわたって鉄道趣味を通じた交流の輪が続く原点となったことを思えば、私にとっては記念すべき一日でした。土曜日のため、午後からは用事がなく、入学早々にカメラ持参で来ていた私は、京福電鉄の出町柳駅から、終点の八瀬遊園へ向かいました。
現在の出町柳駅、ホームで待ち受ける人たちのカメラの放列のなか、デビューしたばかりの「ひえい」が到着した。先ごろ、全国ニュースでも紹介された「ひえい」のデビューだが、この眼で見るのは初めてだった。

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三江線口羽延伸時の写真に寄せて

三江線廃止から1週間となりました。最後はやはり大層な賑わいだったようで、TVのニュースでもよく見かけました。もう現地は静かになっていることでしょう。先日、人間国宝様撮影の貴重な口羽延伸開業時の写真を特派員様よりご披露(95174)いただき、興味深く拝見しました。これに応えて昨年夏に訪問した際の口羽の写真を紹介させていだきます。

三次から上り始発に乗れば、口羽で下り始発と交換、さらに30分近い停車時間があるのでゆったりと駅で過ごせます。

人間国宝様撮影の5点目と同じ建物をバックに口羽を後に三次へ向かう421D  建物は西念寺という寺院のようです。 続きを読む

 いとしのDD51 -3-

優等列車を牽引する

DD51が最も似合っていたのは、やはり長編成の急行・特急列車を牽く姿でしょう。本欄でも、米手さん、準特急さんから、昭和40年代初頭、東北本線に投入直後に特急を牽く貴重な写真が寄せられています。以来、つい最近の「北斗星」や「カシオペア」まで、50年に渡って優等列車を牽引していました。同一形式が50年も同じ任に就いていたのは、DD51以外には見当たらないでしょう。今回は、昭和40年代、各地で急行・特急を牽いたDD51にスポットを当てました。
奥羽本線白沢付近を行くDD51牽引「日本海」。昭和43年10月改正で、日本海縦貫線に待望の寝台特急列車が新設され、列車名は、急行「日本海」からスライド命名された。急行は「きたぐに」に変更されて残存した。あたかも今年はヨンサントウ改正から50年、特急が各地で新設・増発されたことに当時のダイヤ改正のパワーを感じる(昭和44年9月)。

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ありがとう三江線 Part4 惜別の桜満開の花道、廃線最終日

第3日目 3月31日

とうとう三江線に惜別の日が参りました。今日も悔いが残らないように最終列車まで撮ろうと早朝に起きて昨日は後から来て撮れなかった大和荘横の駐車場からカメラを構えました。
▲ 6:09 潮を出発した9421D(浜原⇒三次)、かつては1両で運用されていましたが、廃線が決まってからの乗客増で2両に増結されました。
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