特急しらゆきが運行を開始して10周年となりました。私にとって新潟は未履修の地でありますので、近々完乗の旅に出かけたいところです。新潟、万代橋のカレーを食べてみたいですね。

↑写真はDRFCの後輩会員より頂戴したものです。
特急しらゆきが運行を開始して10周年となりました。私にとって新潟は未履修の地でありますので、近々完乗の旅に出かけたいところです。新潟、万代橋のカレーを食べてみたいですね。

↑写真はDRFCの後輩会員より頂戴したものです。
<青梅線アーカイブス 1976年奥多摩・2002年鉄道公園>
青梅線に初めて乗ったのは昭和51(1976)年、大学3回生の時でした。春と秋に東京に小旅行に出かけ、春は立川→拝島→高麗川→川越→大宮と周り、秋には立川から終点の奥多摩まで全線を乗車しました。
前日、名古屋で高校の同級生と会って、ドリーム号で朝6時に東京駅に着きました。この日は夜に友人と人気男性フォークデュオのコンサートを見るまでは予定がなかったので、東京ミニ周遊券で行ける、遠くの奥多摩を選びました。

▲奥多摩駅は山小屋を連想させる趣きのある駅舎だった
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九州の列車 〈5〉 大分駅の蒸機列車
前項の「熊本駅 2」で、K.H.生さんから大分駅は3L共存の汽水域であるとの言葉をもらいました。今回は、その大分駅を昭和42年3月の時刻表とともに見て行きます。この時点で日豊本線の電化は新田原まで、この年の10月改正で、新田原~大分~幸崎が電化開業するため、構内には、すでに架線が張り巡らされていましたが、まだ電機の入線はなく、3L以前の地上駅であり、熊本駅とよく似た状況にありました。
▲大分10:42発、西鹿児島行き2523レが大分駅を出る。牽引のC57 196[大]は、C57四次型の1両で門デフを装備、右手は入換中の8620、その奥に貨物駅があり、左手には大分機関区があって、何でもありの総合駅だった。機関区には、日豊本線の旅客を牽くC57、豊肥線のC58、久大線のD60、入換の8620と、顔ぶれが賑やかだった。まだ地上駅、高架化されるのは2012年と最近のこと(昭和42年3月30日)。
九州の列車 〈3〉 熊本駅の発着列車 1
しばらく九州の県庁所在駅に発着する列車を見て行きます。58年前の昭和42年に訪れた際、高架駅は前回の博多だけで、ほかの駅はすべて地上駅でした。今はいずれも高架化されています。その変化ぶりも対比できると思います。
▲熊本駅に進入するのは出水発熊本行きの132列車 C60 37[熊]が客車5両を牽いて16:34に到着する。まだ熊本以南が非電化の時代で、急行こそDD51牽引だったが、普通列車は鹿児島・熊本区のC60、C61が牽いていた。電化は昭和45年10月改正で鹿児島まで完成するが、ひと駅先の川尻までは、撮影の翌年に部分電化するため、構内にはもう架線が張り巡らされていた。とにかく周囲が狭いところで、裏手には機関区があるが、まともな写真も撮れなかったのが心残りだった。現在は、新幹線ホームと一体で在来線も高架化されている。
九州の列車 〈2〉博多駅の特急「はやぶさ」
夕方のラッシュ時を迎えた博多駅の上りホーム。今まで地上だった旧の博多駅は、新築移転し、高架駅ができたのが昭和38年、訪問の4年前のことで、まだ新駅の雰囲気が感じられました。帰宅者でにぎわうホームに、あざやかなブルーの20系寝台特急が発着します。いずれも東京行きの「あさかぜ」「はやぶさ」「みずほ」「さくら」の4本、うち「あさかぜ」は博多発ですが、あとは、西鹿児島、熊本、長崎・佐世保発で、到着、発車のシーンが見られました。うち「はやぶさ」「みずほ」は、博多で付属編成を増結、フルの15両編成になって発車して行くシーンが見られました。
▲17:10 ED75 303に牽かれた、熊本発の「はやぶさ」が20系8両で到着する。九州のED75は300番台で、蒸気発生装置のないED73の増備として11両が製造された(昭和42年3月26日)。
▲客車を残してED75が離れると、まもなく門司方からED73 19+付属編成が推進運転で連結され、15両のフル編成になる。少し湾曲した博多駅の長いホームで発車待ちする赤い電機に青い客車は、堂々として貫禄十分だった。停車時間は8分、ホイッスルを鳴らして発車して行った。
やっとデジ青に復帰します。今年になってから、ある業務に追われていましたが、3月末の締め切りに何とかやり終えることができました。外出もせず、閉じこもったままの生活でしたが、昨日、書店を覗くと、JTB時刻表100周年号が出ていました。そうか今年は昭和100年であるとともに、大正15年の「汽車時間表」発行以来100年なのです。言うまでもなく、鉄道輸送の実態を見るには第一級の資料です。何しろ全国2万キロを走る列車の動きが1分刻みで記載されているのですから、これほど有用な資料はありません。今回の業務でも、原稿作成、校正では、まず当時の時刻表に当たりました。
私もデジ青に多くの列車の写真を載せてきました。キャプションには、機号だけでなく、運転区間や撮影日を載せてきましたが、それだけで周辺の様子が分かってもらえたのか疑問でした。そこに時刻表を添えることによって、運転区間の駅や、前後の列車も分かり、より立体的に俯瞰できます。列車写真と時刻表をクロスオーバーすれば、使い古したネタでも、あらたな有効活用ができるのではと思いました。
▲時刻表は、実際に使ったものを保存して来た。廃棄したり、足りないものもは、古書で購入したり、人から貰い受けたりまた復刻版も加えると、戦後の時刻表は、毎年保存している。戦前分も加えると相当数になる。
昨年、ヤフオクに四国総局報号外(昭和54年春季荷物輸送)が出品されていた。旅客や貨物の輸送計画の号外は知っていたが、荷物輸送については全く知らず驚いた。
これによると、高知発3/21~4/9の228レに臨南東荷83(マニ、汐留~高知)が増結されており(南東荷3仕業を2車にしたようなもの?)、2024年8月4日に投稿した「讃岐財田駅」(id=153890)での車掌さんの話とも符合してくる。
また、以前に「DF50 18号(その1)」(id=153477)で、1981(昭和56)年10月(正確には同月13日)以降、DF50は貨物列車専用機となったと書いた。DF50の引退イベントである臨時列車以外の旅客列車をけん引していないのは事実なのだが、不定期ながら工場入出場や転配属する客車、あるいは線路検測のためのマヤ34を貨物列車に連結し、客車そのものはけん引していた。 続きを読む
2023年の水害以来復旧の目処の立たない山口県下を南北に貫く美祢線について、過去の記録もあるので、遅筆であるが先月書きかけた記事を進めてみる。

写真は昨年2024年8月27日に目撃した、美祢線の中間駅於福の運休中の現状である。
線路は1年以上の休止で錆びて、駅の建物内では地元の人たちの会合が開かれていた。話の内容は聞けなかったが、無人駅になり長い時間も過ぎて、諦めムードも強いと思った。
広電が新駅ビルの2階に乗り入れることで一躍注目を浴びているJR広島駅の新しい駅ビルが開業しました。但し、広電の乗り入れは工事の遅れのために今年夏頃までお預けです。いつものように中国新聞記事の連射です。
新緑がまぶしい青梅線ハイク 2008.7.5
青梅線沿線の奥多摩地域は、東京都心から手軽に行け、ハイキングやレジャーを楽しむのにもってこいの場所です。私の住んでいた埼玉からだと武蔵野線を使うと西国分寺で中央本線に乗り換えができますので、直通の電車なら青梅まで1本で行けます。
第9日目 2月24日 後編
▲ 7:45 まず向かうのはロンビエン橋です。GoogleMapで見ると2.4㌔、徒歩34分と表示されました、歩けない距離ではないと思っていましたが駅前の客引きに掴まりました。「Grabと同料金でいいよ」との事ですぐ前にいたTaxiを案内します。50,000ドン(300円)なら安いと乗り込みました。
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お久しぶりです。1988年度生の子パンダの保護者です。
鉄道ネタに関係あるようなないような話です。
おかげさまでうちの娘も無事高校に合格しましたが、その中でちょっとおもしろい経験をしましたので、今回はそのネタをご披露しましょう。
なぜ、この写真が出てきたのは続き以降で。
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第7日目 2月22日 後編
▲ フエからダナンのホテルへ送迎中にツアーリーダーから今晩は7時からドラゴン橋で火と水を吐くショーが開催されます。橋のたもとでは多くの夜店が立ち並んで美味しい屋台飯を食べられますので是非にお越しくださいと案内がありました。
ホテルへ到着後バスタブに浸かってしばしに休憩後Google-Mapでドラゴン橋までのルートを検索しますと2.3㌔、徒歩32分と結果が出ました。ダナンはホーチミンと違ってバイクがそれほど多くはありません。街を見ながら歩いてみるかと出かけました。
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小・中学校を宝塚で過ごした関係で鉄道写真を始めた昭和30年代後半の写真には福知山線のC11牽引旅客列車が多少残っている。これは大阪から篠山口まで2往復(昭和31年の時刻表によると1往復や気動車との2往復体制の時代もあったようだ)していた区間列車で現在の「丹波路快速」のルーツのように考えている。当時は国鉄吹田第一機関区のC11271、C11280、C11316、C11363の4両のC11が担当していた。
1963(昭和38)年1月2日、大阪駅8時37分発725列車篠山口行きのC11271で左はキハ82系の京都発1D特急「かもめ」長崎・宮崎行きが8時に出発したところをとらえたものである。左は8時22分に東京から到着した寝台専用急行15ㇾ「彗星」牽引のEF58169[浜松]である。▼
第7日目 2月22日 前編
「GetYourGuide」企画によるツアー『フエ皇室日帰り旅行、ハイヴァン峠鉄道、ランチ』に参加します。フエ皇室を絡めたツアーはたくさんあるのですがハイヴァン峠を鉄道で越えるツアーはこれだけでした。
7時前には昨日同様に送迎バスがホテルまで来てくれてダナン站迄送ってくれました。
▲ 7:18 夜7時になると火を吐くというドラゴン橋を渡り7:30にはダナン駅には到着しました。
第6日目 2月21日 後編
今日はこれからマーブルマウンテン&ホイアン夜の灯籠流しコースに参加します。ホテルに迎えのバスが来ますのでホテルへ行って待つことになります。ホテルまでは駅から約6㌔程ですので徒歩では困難です。ダナン駅に客待ちのTaxiがいてお兄さんたちが呼び込みをしていますので料金を聞いてみました。すると200,000ドン(1,200円)との返答です。それは高すぎる100,000ドンでどうだと半値での交渉をしましたら150,000ドンと返ってきました。もう一押し必要です。他の客引きと交渉しようとすると120,000ドン(720円)と値引きしてきたのでOKを出しました。ホーチミンでの経験を考慮するとまあ妥協してもいい額です。粘ったら希望通りの金額になったでしょうが夜行列車で疲れていましたので粘る気力が失せていました。

▲ 13:27 予約していましたグランド サンライズ ブティック ホテルに到着。ウエルカムコーヒーをいただきました。
用意された部屋は広いツインベットでバスタブ付きです。屋上には街を見下ろすプールまであります。これで2泊の宿泊料は1,337,600ドン(8,026円)、激安です。 続きを読む