昭和100年から 二分の一の時代に還ってみる  〈7〉

広島のバス

約1ヵ月ぶりに投稿に復帰します。この空白期間でも、鉄道界では話題が続いていますが、いま最も熱いのが広島電鉄市内線の駅前大橋線の開業でしょう。本欄でも西村さんから最新のレポートが届き、クローバー会でもビッグなイベントの企画が進行中です。呉線のC59・C62が昭和45年に終わってから以降も、何度か広島へ行く機会がありました。当時も、広島は路面電車が元気に走る街として知られていましたが、一方では広島は全国有数の“バスの街”でもありました。市内には、広島電鉄バス、系列の備北交通、芸陽バスのほか、広島バス、広島交通、中国JRバスなどが、市内の道路を埋め尽くしていました。

なかでも車両数、路線数で圧倒していたのが、中国地方最大手の広島電鉄バス(広電バス)。昭和29年に制定された白にオリーブ色のストライクのデザインは、現在もほとんど変わっていない。いまは先端のバスが走っているが、昭和50年前後、もう京都ではすっかり姿を消した、古いバスがゴロゴロ走っていて、路面電車以上に興味をそそられた。2台とも日野BR系(昭和50年2月、横川駅前)。

続きを読む

登場して間もない頃の近鉄「あをによし」乗車レポート

2022年7月、デビュー間もなかった近鉄特急「あをによし」に乗車しました。
所用で関西を訪れており、ほぼ一日予定が空いていたため、試しにDRFCの同期と後輩に声をかけてみたところちょうどよい人数が集まったので、あをによしの往復乗車をすることになりました。

だいぶ時間の経ってしまったレポートのため、現在では異なる点もあることをご承知おきください。

前面に負けず、側面も高級感を醸し出している。塗装と帯の色がよく似合うと思い撮影した

続きを読む

広電 新線開通まで1ケ月を切りました

広島駅ビル2階に乗り入れる駅前大橋線での乗務員訓練が続いています。7月9日の中国新聞朝刊には、広電のダイヤ改正の記事も載りました。

令和7年7月9日 中国新聞朝刊

続きを読む

かぼちゃ電車の思い出 (京都編③) 中学時代 (3)

貴生川駅にて並ぶ、113系と信楽高原鐵道の列車 (2015.12.20)

前回と同じく中学2年の時のことです。12月中旬に、友人何人かと後輩と一緒に草津線に乗りに行きました。もちろんお目当ては113系です。ただ往復するだけでは面白くないということで、目的地を貴生川にし、往路は京都から奈良線、関西線で柘植まで行き、そこから草津線で貴生川まで乗車、帰りは草津経由にしました。貴生川では、駅から徒歩10分ほどの所にある撮影ポイントに行きました。草津線はもちろんのこと、関西線や奈良線の黄檗以南に乗車するのはこの時が初めてで、結構充実した旅行だったと思います。

この日は117系の団体列車も運行されていた (京都にて)

草津線は草津~貴生川間が毎時2本、貴生川以南が毎時1本の運行で、この日は草津~柘植間の列車に113系が、草津~貴生川間は221系が充当されていました。やって来た113系は全て緑色でしたが、築堤上を行く113系は迫力があり、とても格好良かった印象です。この場所で湘南色やカフェオレ色を記録できなかったことに悔いは残りますが、113系の晴れ姿を見ることができたのは、良い思い出です。(続く)

三雲~貴生川間の築堤上を行く柘植行きの113系

草津~貴生川間の列車に充当された221系 (三雲~貴生川間にて)

草津行きの列車

どうする木次線第二部

先月に続いて松江在住の友人から地元紙「山陰中央新報」掲載の『どうする木次線』の第二部が送られてきました。

今回は木次線と接続する芸備線、同じく切り捨てられようとしているローカル線です。
読むと、JR西日本は早く廃線へ持って行こうとしている様子が見て取れます。
でも、地元はなんとしても阻止したい、と頑張っているようですが旗色悪し、と言うところでしょうか。

いつも言うことですが、乗って残そうではダメでしょう。無くてはならない芸備線(木次線)にしなくては。

皆さんのアイデアも聞かせて欲しいものですね。

続きを読む

駅名喫茶店(第141回:77の駅はどこだ?)

明日は令和7年7月7日ということで、七並びの記念グッズを販売する鉄道会社もあるようです。ということで、私は寝床で思いついたネタである「駅ナンバリングで77の駅名」を調べてみました。関西私鉄が4社も登場したのは関西人の一人として誇りに思います。【2025/7/7加筆修正済】

橋本駅にて

橋本駅にて

続きを読む

駅名喫茶店(第140回:「四」を含む駅名)

最近は若年層の投稿・コメントが増えており嬉しく思います。私はいつも通り、備忘録も兼ねてデジ青投稿を続けてまいります。もちろん、Facebookでの365日連続投稿も引き続き頑張ります。駅名喫茶店も今回が節目の第140回。数字シリーズは、本投稿で7回目です。

続きを読む

  一つの鉄道の応援の仕方

先日はクローバー会の交流会お疲れ様でした。
自分の発表は判り難いテーマだったかもしれません。

先だっての芸備線の存続に関する米手さんの投稿に関して、芸備線奥地の現状や先行きは悲観的な観測が強いかもしれません。
これを広島地区全体として見ると、間も無く開通する広電広島駅乗り入れ新線の開業と合わせて、鉄道全体で応援したり盛り上げていこうという動きが、ネット鉄全体の中では、「宮島線探索チャンネル」という個人なのか、組織なのかが盛り上げて行こうとしています。

https://x.com/Miyajimasen/status/1940402759846522917

続きを読む

駅名喫茶店(第139回:「湖」を含む駅名)

「池」、「海」ときて、今回は「湖」です。暑い日は、涼しそうな漢字をみて暑さを和らげましょう。

駅名喫茶店(第69回:「池」を含む駅名)

駅名喫茶店(第135回:「海」が入る駅名)

調べてみたところ、そこまで数が多くないことが分かりました。では、早速まいりましょう。

続きを読む

かぼちゃ電車の思い出 (京都編③) 中学時代 (2)

初めて113系に乗車したのは、中学2年の5月でした。京都から湖西線の近江舞子まで友人と出かけました。往路は117系に乗車、近江舞子の一つ手前の比良で下車し、しばらく列車の写真を撮って時間を潰していました。その後、117系の旧塗装の電車に乗って近江舞子まで移動。再び比良に戻り、昼過ぎの電車で京都まで帰りました。京都まで乗車した電車が他でもない113系です。緑色であり、車内もリニューアルされていたものの、初めて113系に乗車できたことが本当に嬉しかったことを覚えています。

初めて乗車した湖西線の113系 (2015.5.31 比良にて)

比良から近江舞子まで乗車した117系 (2015.5.31 近江舞子にて)

それから約2ヶ月後の夏休み、友人と京都駅に行き、列車を撮影していた時のこと。偶然、113系の湘南色を見ることができました。後に分かったことですが、この列車が湘南色を纏う最後の1本でした。

湘南色の113系C10編成。今であれば4番のりばへ移動して撮影していただろうか
(2015.8.9 京都にて)

うだるような猛暑の京都駅に佇む113系。夏の日差しを浴びるその姿は風景によく映えていたことと思う
(2015.8.9 京都にて)

さらに1ヶ月後のこと、部活の練習試合で唐崎まで出かけました。唐崎駅で集合し、移動していた時のこと。後ろで電車の音がしたので振り返ると、8両の113系 (堅田行きだったと記憶)がちょうど発車した所でしたが、なんと前4両が湘南色でした。もしその列車に乗っていれば遅刻は必至でしたが、それでも「湘南色と分かっていたら迷い無く乗っていたかもしれない」そう思いながら走り去る列車を見送りました。(続く)

駅名喫茶店(第138回:いよいよ明後日から7月です(駅名読み方クイズ4))

本日のクローバー会サロンでは、駅名クイズを披露させていただきました。その中の読み方クイズに関しては、デジ青内でこれまでに計60駅名を紹介してまいりました。本投稿では、サロンで出題した計20題を再掲します。

梅雨が明けて、いよいよ夏本番を迎えます。暑くならないうちに、ぜひ読み方クイズにチャレンジしてください。

駅名喫茶店(第111回:たまには駅名で涼みましょう(駅名読み方クイズ))

駅名喫茶店(第112回:蒸し暑い日こそ駅名で涼みましょう(駅名読み方クイズ2))

駅名喫茶店(第125回:鉄分補給にクイズでも(駅名読み方クイズ3))

続きを読む

かぼちゃ電車の思い出 ② 中学時代(1)

中学校に入り、バス通学を始めたこともあり、これまでより少し行動範囲が広くなりました。そして、同じクラスの鉄道好きの友人と、主に定期考査明けの休日に関西の電車に乗りに出かける、ということを始めました。様々な場所へ出かけましたが、中学1年の12月には、福知山へ行きました。この時、初めて113系の姿をカメラに収めたのでした。

福知山を発車する豊岡行き普通列車

二条から嵯峨野線の快速福知山行きに乗車。当時、園部以北にも221系が乗り入れる運用があり、その列車に乗車しました。時雨模様の福知山駅で、113系に何度もシャッターを切りました。113系は舞鶴線の直通列車を除いて、福知山以南では運行されておらず、この時は乗車できませんでした。

福知山駅に到着した221系の快速

特急はしだてに充当された「丹後ディスカバリー」

北近畿タンゴ鉄道(当時)宮福線のMF200形

福知山で見られる特急列車4本並び
4本中3本が381系だった

数を減らしたとはいえ、まさか現在でも見られるとは
(写真は全て2014年12月25日撮影)

当時の福知山駅では、381系や「丹後の海」改造前のKTR8000形のように、今では見られない列車が多くありました。まさか福知山の113系がそれらの列車よりも長く残り、しかも復刻塗装の列車が走るようになることなど、当時の私は知る由もありませんでした。(続く)

駅名喫茶店(第137回:五新線の駅名(停留所名) 奈良交通八木新宮線)

デジ青では現在バスブームが起きていますね。今回は、ブームに便乗して今まで投稿を躊躇していた奈良交通八木新宮線の停留所名です。数ある停留所名の中から五新線の駅名が誕生していたことでしょう。

今度はWEST EXPRESS 銀河で新宮まで向かって、新宮から大和八木まで乗り通してみましょう。

↑ 3回目の休憩地である「十津川温泉」停留所にて。 続きを読む

リハビリを兼ねた関東からの日帰り旅 12

ひたちなか海浜鉄道の続きの投稿を半ば失念していました。いささか新鮮味を感じられない内容ですが、ご容赦ください。

湊線アーカイブと未来の展望

湊線初乗りは1993年。20系気動車の天下

当時の茨城交通湊線に初めて乗ったのは平成5(1993)年9月26日でした。現在走っているキハ3710はまだなく、JRでは殆ど見られなくなったキハ20系が中心となって活躍していました。新鉾田→常澄まで鹿島臨海鉄道に乗り、2.5キロ近くを歩いて那珂湊駅までやってきました。駅に隣接して車庫があり、道路からも写せました。駅のホームからも車庫で休む車両が撮影できました。

続きを読む

 昭和100年から 二分の一の時代に還ってみる  〈6〉

大阪市バスを撮る (昭和50年5月)

本欄では、鉄道に劣らずバスの人気も感じています。先ごろ、観光バスのカラーにも多くのコメントを頂戴しましたが、大阪通信員さんからは、住まいの近く観光バス事情についても報告をいただきました。大阪の市バスも大変革を遂げました。大阪メトロから運行を受託された外郭団体の大阪運輸振興は、2014年には「大阪シティバス」として新発足、現在は、万博輸送も担っています。いちばん目立つ外部塗装も、目まぐるしく変わっていて、ずっと同じ塗装の京都市とは対照的です。そんな懐かしい昭和の時代の“ゼブラバス”をカラースライドの中に見つけました。先に発表した阪神国道線のカラーのなかで、中津の電停前、国道176号を行く大阪市バスを撮っていた。2台が続行していて、前は昭和47年から塗り替えが始まった新塗装、後が当時の塗装、通称“ゼブラバス”。

続きを読む

駅名純喫茶店(武庫川女子大が武庫川大へ)

昨日、武庫川女子大学が共学化するとのニュースが入ってきました。少子化の影響で男子学生の受け入れを行わないと経営が難しいからでしょう。https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUF170U00X10C25A6000000/

そうすると、阪神の「鳴尾・武庫川女子大前」は「鳴尾・武庫川大前」に変更の可能性が高いです。一層のこと、「鳴尾」に戻してもよいのではと思う今日です。

*写真は武庫川駅構内です。

かぼちゃ電車の思い出 (京都編) ①幼少期

前回の投稿にて、113系・115系について触れましたので、その思い出を綴ろうと思います。まずは、京都の113系について数回に分けて書かせていただきます。

京都駅の3番のりばへ行けば、必ずその姿を見ることができた113系 (2023年1月7日撮影)

かぼちゃ電車 (ここでは塗装に関わらず、113系や115系の他、415系等の所謂東海形のデザインの電車全ての呼称としてこの用語を用いることとします)に魅了され始めた時期は具体的には分かりませんが、幼稚園の頃に描いた絵に湘南色を纏ったそれらしい電車が登場していることから、物心ついた頃にはすでにかぼちゃ電車は私にとって特別な存在だったようです。JRの沿線に住んでいたわけではありませんが、新型車両には無い丸いライトや鮮やかな塗装に、子ども心ながら魅了されたのかもしれません。当時は首都圏でも活躍していたため、図鑑に掲載されていた他、京都駅に行けば当たり前のようにその姿を見ることができました。また、湖西線や草津線の他、嵯峨野線でも活躍していました。塗装も湘南色の他、体質改善色 (カフェオレ色)があり、いつか乗りたいと思っていました。幼稚園の遠足で梅小路に出かけた際、SLスチーム号の車内から電留線に停まるカフェオレ色の113系に釘付けになっていたことは今でも鮮明に覚えています。

嵯峨野線を行く223系2500番代と展示車両横の電留線で休む221系。かつては113系が行き交っていた。 京都鉄道博物館屋上スカイテラスより (2025年3月28日撮影)

結局、当時の113系乗車は叶わず、中学2年の時に湖西線での初乗車まで待たねばなりませんでした。(続く)

 昭和100年から 二分の一の時代に還ってみる  〈5〉

京都市電も撮影 (昭和50年1月~4月)

まだまだ“古古古写真”、続けます。先に昭和50年は、京都市電にとっては廃止も無く、安泰の年のようと記しましたが、時間を見つけては、来たる日に備えて、こまめな撮影を続けていました。車両面で見ると、ある事情で今までにない車両も現れた。それが赤帯なしのツーマンカーだ。市電は、合理化のためのワンマン化を推し進め、前年の昭和49年3月の烏丸線廃止で、ツーマン車である700、800、900形は姿を消し、ワンマン改造した1600、1800、1900形が占めるようになった。退職による自然減や、配置転換を行ったが、まだ余剰を抱えることになり、苦肉の策として、ワンマンをツーマンに戻すことになった。内訳は1600形(錦林、九条)、2000、2600形(烏丸)で、なかでも2000形は初めて見るワンマン表示の赤帯のない姿で、まるで別形式のように映った(烏丸車庫前)。

続きを読む

駅名喫茶店(第136回:大阪24区内の駅名)

東京23区をまとめようという気は今のところありませんが、気づけば取り組んでいることでしょう。とりあえずよく訪ねる大阪24区内の駅名を紹介します。同じ駅名でも会社によって所在区が違う場合もあるのが興味深いですね。

訪ねた駅がどこの区の所属なのか知っておくのも勉強です。

続きを読む

木次線情報

松江在住の同級生が、木次線に執着している私を気にかけていてくれて、最近地方紙に連載された記事を送ってきてくれましたのでご紹介します。

三江線が無くなって久しく、木次線の話題もこちらでは聞かなくなりましたが、中国の山間部では芸備線とともに存廃が現実味を帯びてきているようです。

何よりも出雲横田以南の人口が467人とは知りませんでした。
これではJR西日本のおろち号廃止などの嫌がらせを待つまでも無く立ち枯れになるのもやむを得ないか、と思うかも知れません。
しかし、記事にもあるように三段スイッチバックや鬼の舌震いなど貴重な観光資源があることも強みです。

どうかDRFCクローバー会の皆さん、現地で頑張っている皆さんを今一度応援しましょう。

それにしても「おろち号」の廃止は納得できるものではありません。
当時、奥出雲町長とも連携してJR西日本の説得を企てましたが効果をえませんでした。中国新聞でも取り上げて貰いましたがダメでした。なにより地元が興味を示さないのが致命的です。そしてこれが最後の機会かも知れません。