天然色写真で語り継ぐ あの日あの時 【1】

米手さんにならい、令和になってからの新シリーズ始めます。今までは「昭和」の鉄道をセッセと投稿してきましたが、大部分がモノクロで、平成に至るまで、ずっと撮影のメインフィルムとして使用してきました。一方で、カラーもソコソコは撮っています。カラーポジは、モノクロと平行しながら、昭和40年代前半から使っており、カラーネガも、モノクロフィルムの代替として、平成時代からは多用するようになりました。ただ、いずれも国産のフィルムであり、現在では、褪色やカビの発症があり、修整しても、なかなか原色に近づけることはできません。
しかし、古いフィルムの劣化は当然のことで、それを受け容れて、気にせずにカラーもどんどん発表すべきと思うようになりました。カラーの持つ情報量は、モノクロの比ではありませんし、時代を知る手掛かりとしては、最適の手段です。ただ、カラーは、モノクロの補助として恣意的に撮っていただけに、連続性に乏しく、記録としての価値は弱いのです。それなら、逆手にとって、“埋め草”として、メイン記事の繋ぎ役として、年代も意識せず載せて行けばと思いました。ただ無秩序に載せるのではなく、撮影月と、デジ青の掲載月は一致させて、季節感だけは感じられるようにしました。
カラーは、ポジ、ネガとも一応は整理している。ただ最終形が、ポジはマウント、スリーブのまま、ネガはプリント、一部はネガのままと、さまざまな形があり、なかなか一体となった整理ができないし、モノクロとの連携も取れない。

阪急から撮る新幹線
阪急大山崎駅の下り方ホームの側壁の窓を開けると、新幹線が見える。もちろん今でも見えるが、防護網などにジャマされる。撮影当時は、遮るものがなく、きれいに収められた。ほぼO系が独占の時代、クルマが全く無い171号線とともに、時代を感じさせる。“新幹線のカラーは絶対に撮っていない”と思っていたが、今回、調べると、この2枚だけ撮っていた(1987年5月)。
いま京都鉄道博物館に100系新幹線の先頭車が保存されていて、あのエッジの効いた先頭部は、多くの新幹線形式のなかで、いちばん好きフォルムだと思うようになった。まさか自分で撮っていないと思っていたが、2枚目のコマにあった。100系は国鉄最後の新幹線車両として、撮影の直前にデビューしたので、撮れたのもラッキーなことだった。

 天然色写真で語り継ぐ あの日あの時 【1】」への3件のフィードバック

  1. 誰からもコメントがありませんので、自分で補足します。今までカラー(とくにポジ)のスキャン時のネックは作業時間の長さでした。あとあとの使用・保存を考えて、高品位でスキャンしていましたが、一点当たり10分ほど掛かり、それだけでイヤになっていました。そこで今回は、デジ青掲載だけに限定し、低品位(1200dpi)でスキャンしました。これですと一点当たり2分程度で終わり、ストレスを感じず快適に作業を進められます。ネット掲載は、これぐらいで十分です。何事もオーバースペックは止めて、身の丈に合ったやり方で進めるべきと思いました。

  2. 総本家青信号特派員様
    ちょっと懐かしい写真で、大袈裟ですが、自分のような年代の者にも同時代を生きてきたという感があります。デシ青では、80〜90年代の写真が少なめですが、総本家青信号特派員さんは、そんな年代も切れ目なく撮られていて発表されているのは凄いと思います。自分も80年代以降の記録も発表したいと思いました。スキャンは、今はズボラしてフィルムコピーで済ましています。品質からすると次善の策ですが、シャッター一押しなので安楽さには勝てません。

    • ブキウギさま
      コメント、ありがとうございます。鉄道雑誌の編集者に聞きますと、鉄道の回顧ものの対象も変化しているそうです。少し前までは、書籍の購買層の中心が、私のような団塊世代で、やはり蒸機ものが多かったのですが、そのコアが、いまや昭和30年代生まれに移ってきたそうで、回顧の対象も蒸機廃止後の電機・電車などになっていると聞きました。ある雑誌も先号から大胆な変身を遂げました。私も蒸機だけでなく、1980年代以降の鉄道の様子もデジ青誌上で発表しようと思った次第です。この時代は、私も仕事で忙しく、遠くへはほとんど行っていませんが、地元だけを“細く長く”撮ってきた賜物です。

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