癒しの島 台湾鉄道2019年夏の旅 Part 10 花東線、花蓮港海岸線、花蓮港站展示館を見る

第7日目 6月9日 その2

事務所ビルのような花蓮港站

CT273号機イベント列車を撮影、見送った後、花蓮市内へ向かう帰りのタクシーがあるかと付近の方にお聞きしましたがありません。路線バスの停留所もなくどうしようもありません。市内まで歩くと1時間以上はかかりますのでこの猛暑ではたどり着くまでに倒れてしまいます。名案が出るまで花東線の歴史の写真が展示してある花蓮港站駅舎内を見てみることにしました。

【 日本統治下時代後の台湾鉄路 】
1895年(明治28年)4月17日、日清戦争後清朝から日本に割譲された台湾は日本統治下時代に入りました。清朝が運営していた全台鉄路商務総局鉄道を接収し、開業していた基隆~新竹日本軍の軍用列車が運行開始しました。しかしゲージは日本と同様の1,067㎜ながら、16㎏レール、勾配50‰、最小曲線半径75mと低規格であったために106㌔のうち0.8㌔しか再使用は出来なく、既存の施設を抜本的に改修したうえ経路変更、高規格化再建設せざるを得ませんでした。西部循環線の基隆~高雄 404.2㌔が開業できたのは日本統治下に入った13年後の1908年(明治41年)4月のことでした。

【 花東線(台東線)と花蓮港海岸線 】
当時の東部地区は道路も未整備、鉄道もなく港運だけに頼った陸の孤島になっていました。開発のために1898年(明治31年)より鉄道敷設の調査を開始、1910年(明治43年)2月1日に花蓮~璞石(玉里)の運行を開始しました。レールゲージは762㎜のナローゲージでしたが将来的には東部幹線との接続を考慮して改軌を見据えた上での建設でした。
※ 駅名( )は現在の駅名、以下同様です。
▲ 1910年12月16日に初開業された花蓮港~鯉魚尾(寿豊)17.1㌔では蒸気機関車1両、客車2両、貨車23両で運行されたそうです。途中駅はなく、1911年(明治44年)2月10日に田浦(荳欄)、同年9月25日に賀田(知伯)、1914年(大正3年)12月1日に吉野、1916年(大正5年)11月1日に初音、1934年4月20日に池南と徐々に中間站が開業していきました。
写真は撮影日不明ですが開業間もない頃で鯉魚尾の発車間際に撮られたと思われます。客車が足りなかったようで無蓋貨車に人が乗っておられます。

蒸気機関車は1910年米国Vulcan lron Works社製造のC形タンク車のようで以降計4両が輸入されています。台鐡ではLCK20形です。
▲ 花東線建設は花蓮台東の両方から始まりました。台東からは1919年12月30日に開業したサトウキビ輸送の簡易軌道、台東開拓会社(台東~里瓏)を買収して改修のうえで使用、璞石(玉里)から南下開業して来た路線とは1926年(大正15年)1月20日、頭人埔~池上の開業でもって結ばれ170.7㌔が全線開業しました。

【 花蓮港海岸線 】
旧花蓮港站は1910年(明治43年)12月16日 開業、1912年(大正元年)1月14日には花蓮港からの荷揚荷物及び不定期ながら旅客も輸送するために鉄路が建設され海岸站も開業しました。しかしながら港と言ってもf輸送船が安全に運航するのに必要な防波堤・岸壁・航路はなく沖合に停泊した船から艀船に荷を積み替え、波に乗って砂浜に突進して荷をおろすといった原始的なものでした。
このために大型船舶が直接入港接岸できる築港建設が1931年に着手され、当時世界でもトップクラスの長い防波堤で守られた堀込式港湾の花蓮築港が1939年10月に完成しました。
同時に陸揚げされた荷を輸送するために旧花蓮港~東花蓮港(現;花蓮港海岸線4㌔が1939年(昭和14年)9月20日に建設開業しました。また美崙站民立站と中間站も同時開業し、花蓮高校生及び鉄道員輸送のため朝夕に客車7~8両を連結した2往復の通勤通学列車が運行(日・祝日は運休)されていました。1939年(昭和14年)9月20日には新村站も開業しています。
1972年の時刻表を作成しましたが民立站での発着記載は見つかりませんでした。駅間距離が400mと短かったために通過したのか?

1982 年7月1日に花東線の1,067㎜改軌にされてからは花蓮旧站花蓮新站へと機能を移し、田浦~東花蓮港は廃線廃駅となっています。現在路線跡はサイクリングロードとなり、花蓮旧站も都市計画による道路拡幅のため解体撤去され面影は消えています。

▲ 花蓮旧站 2代目の駅舎のようです。▲ 1969年(昭和44年)に花東線はディーゼル化されています。日本車両で製造されたLDH200形ディーゼル機関車が12両が投入されました。花蓮港に陸揚げされた車両を牽引している様子と思われます。

1041~1042年▲ 1932年(昭和7年)台東機関区の航空写真です。台東~里瓏41.9kmは台東開拓会社が1919年(大正8年)12月16日に開業した私設鉄道の買収区間でした。台鐡となって改修拡充されています。

花東線を走ったナローゲージ最大のLDT100形 102号機 1041~1042年日本車輛製 4両  転車台に乗った機関区はどこなのでしょうか。

▲ ナロー時代に使用された蒸気機関車たちです。他にLCK10型機もありました。
▲ 花蓮機関区で撮られたLDT100形バックでのこの機関区の検車員方々の記念写真なのでしょうね。

▲ 花東線中間の玉里機関区で機関士たちの記念写真。

▲ DC2両編成が停車していますが駅名は不明です。時間は9時40分と見えますので古い時刻表からも探しましたが分かりません。DR2100型が客車を牽引しているようにも見えます。

▲ 1957年(昭和32年)から投入されたLDR2200型編成の列車、4両が投入、運用されました。

14:00 花蓮港站の展示を見た後、館内におられたご姉さんに花蓮市内まで戻る方法はないかと相談しましたら管理人さんの娘さんでした。タクシーもバスもないので送ってあげるよとの有難いお言葉をいただき不銹鋼號さんと2人、自家用車に乗せていただき旧花蓮站にある旧鉄道文化商圏まで送っていただきました。感謝、感謝です。
記念写真を撮りましたが後に移っていますモニュメントはアーティストである娘さんの旦那さんの作品だそうです。

▲ 14:30 旧鉄道文化商圏に到着、前回訪問した時は遅くだったので花蓮港站のジオラマ展示室に入れなかったので楽しみにしておりましたが、なぜか殆どの展示室は閉鎖されて花蓮港站のジオラマも撤去されていました。どうしたのでしょうか。
前回訪問した記事はこちらにあります。 https://drfc-ob.com/wp/archives/44348

▲ 16:02 不銹鋼號さんは昼食がまだでしたので旧鉄道文化商圏近くで入った食堂、若者たちが多いので当たりかなと思いましたが蒸餃子はまあまあながら小籠包はスープ入りではなく皮も包子生地のようでしっとり感がありませんでした。昨日も食しましたがどうも花蓮ではこれが小籠包と呼ぶようです。台北や高雄で食べるのとは全く違ったものになっていました。

▲ 19:02 むしろ花蓮で食するならやはりワンタン麺です。これは台湾一美味しいといって過言ではありません。  Part 11 へ続く   Part1 へ戻る

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