宮崎繁幹さんの『秋保電鉄』秘宝写真が見つかるまで先へ進めていきます。
花巻電鉄デハ1は有名な車輌で、湯口さんが復帰されたら解説をお願いしたいと思っています。この私でさえ一枚の写真を持っているほどです。
この記事は2011年5月2日の投稿で、コメント欄には藤本さんの解説と湯口さんの能勢ー京都間の鉄道敷設に関する逸話がでていますので、是非読んで下さい。
さらに遡ること半年前の2010年11月21日に「ポール時代最末期の能勢電」で藤本さんが「借入中の阪急40形(大正12年藤永田造船所製)の40・41を昭和29年9月に譲り受けてナニワ工機で鋼体化改造して30年1月に竣工した。昭和41年1月集電装置変更時にZパンタに取り替えられた。60は同年12月に廃車となり、残った61は川西能勢口~川西国鉄前間で使用、昭和56年12月20日同区間廃止により休車、翌年6月に廃車となった」と写真入りで解説されています。
マルーン会長を鉄道界の“漢(おとこ)”にしようと始まった旅もついに九州は鹿児島まで来ました。
今回は初めての二泊三日の豪華旅。わらくろや社長の渾身の企画です。
10月9日
新大阪発9:17さくら549から始まりました。四人一組のセットですから一ヶ月前に指定席をそれぞれが一斉に買わねばなりません。10時に窓口に並ぶようにするのですがこれが難しい!私は京都駅みどりの窓口で並び、ちょうど10時に窓口にたどり着きましたが社長から指定された5号車は全席売り切れ(というより修学旅行用で)。あわてて社長に電話したら「4号車で同じ座席をとれ」とのことで無事購入完了。後の三人にも社長から電話で指示。なぜかわらくろや旅行社はキップをとらず、各自でとる方式です。リベートをくれないところには冷たいらしい。
鹿児島へ13:31着後、なぜかソフトクリーム店へ強引に連れ込まれ、知覧茶の抹茶ソフトを全員で購入します。どうやら社長はサイダーをやめてソフトクリームに乗り換えたようです。そういえば前回の津山でも津山城でソフトクリームを我々に買わせて、自分は「岡山名物の桃ソフト!」と言って食べたうえ、さらに売店のお姉ちゃんにヒソヒソ話したと思ったらバニラソフトを舐めていました。
その日は南薩鉄道の特急バスで枕崎へ。
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河 昭一郎さんからこんなメールを頂きました。
先日、鉄道関係の写真を整理していたところ貼付のような1枚が出て来ました。 これは、この年の夏に京都へ行った時、想い出の高槻も訪問したのですが、その時高槻駅で見付けホームから撮ったものです。 この電車らしき物は高槻駅の橋上駅舎と思われる建物の中に有って、なんとなくチャチな模型に見えました。 一見ベニヤ板で出来ているような感じもあるのですが、イベント?の展示品でもなさそうで、引き戸式のドアが開いている所を見ると、物置等何かに使用している様子もあります。 何のつもりで、何のために存在していたのかがミステリーで、更に言えば塗色も国鉄やJRには有り得ない派手派手色です。 と言う事で、物知り揃いのDRFC会員の方に教えて頂きたいのですが、これを『デジ青』上で、ご教示いただく訳にはいかないでしょうか? 漫才の『地下鉄の電車は何処から入れたんでしょうネ?』では有りませんが、『夜も眠れません!』(笑)
と、いうわけで問題の写真をご覧下さい。
今日の夕刊でご覧の方もあるかと思いますが、京都鉄道博物館が秘蔵のヘッドマークを一挙に展示するそうです。その数、140点。“目玉”は昭和26年から33年まで走った臨時特急『さくら』用の黒地に桜の花が三つ描かれたもの。
この中で、『ゆのはな』という臨時急行に関して資料がないのでぜひとも情報を提供して欲しいとのことです。昭和52年~61年頃に金沢から和倉温泉を結ぶ臨時急行として走っていたとか。
ご存じの方や、写真を持っている方があれば投稿をお願いします。
なお、21日から12月8日まで企画展が開かれます。