片上鉄道

西村雅幸さんからのご依頼で、ふるいネガ・ポジアルバムを引っ張り出してデータを確認しました。

それによると片上鉄道への訪問は昭和36年12月19日となっています。この時は倉敷への“行きがけの駄賃”程度の気持ちで立ち寄っただけですので柵原へは行っていません。片上だけの訪問でした。たぶん、機関庫や客車区が片上だったからでは無いかと思います。結局、片上鉄道の写真はこの時だけでした。

それではご覧下さい。

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昭和の電車 改訂版(35)ー広電市内線152号ー

京都の市電に関しては反響が大きいが、関東のことになるとほとんど書き込みが無い。今回、広島になると・・・?
これについては中国地方通信員・西村雅幸さんにご登場頂こう!

昭和の電車 改訂版(34)ー京都市電N1型ー

これは自信を持って投稿できます。画に描かれている場所は七条西洞院を上がった、旧植柳小学校の南にある藪の内千家の前でしょう。西洞院通を走る北野線は、南北の通りでは西側に引き寄せて線路が引かれていました。そのため西側の家では飛び出すことは厳禁でした。中立売通では南側に寄っています。先日掲載された花巻電車と似ていました。

中村進一氏撮影

画とほぼ同じ付近と思われます。左のカゴのようなものは籐で作った乳母車。春の彼岸頃と思われる。

昭和の電車 改訂版(33)ー京王帝都デハ2110型ー

今回からしばらくはしんぶん紙面の割り付けの関係で二コマに分かれます。

前回の「京浜急行」はどなたからも投稿がありませんでした。車輌が古いのと、やっぱり関東の私鉄は遠い存在なのかもしれません。と、言うわけで今回も反応は望み薄です。前回の掲載時(2011年7月)には湯口徹先輩と準特急さんから貴重な写真と共にご意見が載せられました。

昭和の電車 改訂版(32)ー京浜急行クハ140型ー

今回は京浜急行。
時々、横浜まで乗りましたが「京阪電車」に乗っているのでは?と思いました。

関三平先生と会いました

『昭和の電車』シリーズの作者で迷路公団総裁の関三平先生から電話を頂き、6日の午後四条通の喫茶店で会いました。
思えば久しぶりの再会です。

ホームカミングデーにお招きしなかったことをお詫びして、須田寬さんの講演について話をしました。中で、須田さんが『京都市電の600型が一番好き!』と言われたので、手元にあった関先生の「600型市電」のハガキ型複製画をお送りしたところ、『葵橋の簡易裁判所前ですな』と懇篤なお礼を頂いた旨をご報告したところ、大層喜んでくださいました。

その時に最近発行された「昭和の鉄道旅~復活編~」を頂きました。
この中で関先生が昭和の電車で描かれた電車が思い出と共に掲載されています。新聞の記事とは違う思い出話ですからぜひとも読んでみてください。
他にも掲載記事はサブタイトルにもあるように「寅さんシリーズ」番外編とも言うべき復活編が上映されるのに因んで、今までのシリーズに出てきた鉄道シーンを再編集して紹介しています。さらに「この世界の片隅に」で出てくる広島市内のアニメカットを現在と比較して、見ていても楽しく資料としても役立ちます。
他にも全国の「駅そば」や、鉄道ファンの山田洋次監督の思い出を南正時氏が綴った記事などなかなか面白い内容となっています。

また、新年に飲み会でもしましょうと約束してお別れしました。

昭和の電車 改訂版(31)ー相模鉄道モハ5000型ー

関西の大学OB会である我がクラブでは、関東私鉄の興味がイマイチなのはやむを得ないと思うが、あまりにも反応が少なすぎていささかさみしい。
今回は最近でこそ都心直通とかで話題になっている相鉄ですが、私が横浜に務めていた頃の相鉄本社は西口にあった汚いビルでした。今回も反応は望み薄かも!

昭和の電車 改訂版(30)ー東急電鉄5000系ー

『アバンギャルド』=「前衛」を指す言葉であり、《革新的な試み》《実験的な試み》を指す。(Wikipediaより)
私は言葉の響きから何となく「あばずれ女」のイメージを持っていたが、今回改めて語源を引いて理解しなおしました!

東急5000系は私でも知っている有名人(車)です。熊本にもヘンなのがいました。

昭和の電車 改訂版(29)ー京成電鉄1600型ー

特派員氏幼少時の絵本に出ていたのが前回の「東武5700型」と、この「京成1600型」だそうでした。

扉が片側に一カ所とはなかなか特徴のある電車です。こうやってまとめて見比べられるのは良い企画ですね。

昭和の電車 改訂版(28)ー東武5700系ー

あの花巻のうまづら電車でも反応がうすかったのですから『猫ヒゲ電車』などダメでしょうか?

昭和の電車 改訂版(27)ー花巻電鉄“うまづら”デハ1ー

宮崎繁幹さんの『秋保電鉄』秘宝写真が見つかるまで先へ進めていきます。

花巻電鉄デハ1は有名な車輌で、湯口さんが復帰されたら解説をお願いしたいと思っています。この私でさえ一枚の写真を持っているほどです。

改めて写真を見たら木造の5号車だった!

昭和の電車 改訂版(26)ー秋保電鉄モハ410型ー

子供のころ、大丸の模型売り場でOゲージの電気機関車で「EB58]というのを売っていました。もちろんEF58の小型版ですが、狭い畳の上に引いたOゲージレールで走れるようにとの考えでしょうが、せめて「ED58」がほしいと買いませんでした。
この秋保電車はその形が京都市電600型の小型版に見えました。

秋保電鉄というと宮崎繁幹さん、お後をよろしくお願い致します。さすがにこれはデーヴィスさんでも撮っておられないでしょう!

昭和の電車 改訂版(25)ー銚子電鉄デハ101ー

例によってこの車輌も過去(2009年8月11日)に藤本哲男さんが詳細を投稿されています。参照して下さい。(https://drfc-ob.com/wp/archives/4039)
ここには現役時代と最晩年のカラー写真もでています。

昭和の電車 改訂版(23)ー能勢電60型ー

この記事は2011年5月2日の投稿で、コメント欄には藤本さんの解説と湯口さんの能勢ー京都間の鉄道敷設に関する逸話がでていますので、是非読んで下さい。
さらに遡ること半年前の2010年11月21日に「ポール時代最末期の能勢電」で藤本さんが「借入中の阪急40形(大正12年藤永田造船所製)の40・41を昭和29年9月に譲り受けてナニワ工機で鋼体化改造して30年1月に竣工した。昭和41年1月集電装置変更時にZパンタに取り替えられた。60は同年12月に廃車となり、残った61は川西能勢口~川西国鉄前間で使用、昭和56年12月20日同区間廃止により休車、翌年6月に廃車となった」と写真入りで解説されています。

昭和の電車 改訂版(23)ー京福電鉄モボ101型ー

和歌山電鉄でちょっと話題が出た京福電鉄嵐山線(らんでん)です。
私などは嵐電といえばこの形を思い浮かべます。
新型になった新101型は色も相まって全く気に入りません。なんであの色なんやろ?

昭和の電車 改訂版(22)ー和歌山電鉄クハ803号ー

一目で気動車改造とわかる面構えの車輌です。これと似た車輌は別府鉄道、倉敷市交通局、西大寺鉄道などで見たり乗ったりしたことがありますが、詳しくは湯口さんと西村さんにお願いします。

わらくろやツアーin鹿児島

マルーン会長を鉄道界の“漢(おとこ)”にしようと始まった旅もついに九州は鹿児島まで来ました。

今回は初めての二泊三日の豪華旅。わらくろや社長の渾身の企画です。
10月9日
新大阪発9:17さくら549から始まりました。四人一組のセットですから一ヶ月前に指定席をそれぞれが一斉に買わねばなりません。10時に窓口に並ぶようにするのですがこれが難しい!私は京都駅みどりの窓口で並び、ちょうど10時に窓口にたどり着きましたが社長から指定された5号車は全席売り切れ(というより修学旅行用で)。あわてて社長に電話したら「4号車で同じ座席をとれ」とのことで無事購入完了。後の三人にも社長から電話で指示。なぜかわらくろや旅行社はキップをとらず、各自でとる方式です。リベートをくれないところには冷たいらしい。
鹿児島へ13:31着後、なぜかソフトクリーム店へ強引に連れ込まれ、知覧茶の抹茶ソフトを全員で購入します。どうやら社長はサイダーをやめてソフトクリームに乗り換えたようです。そういえば前回の津山でも津山城でソフトクリームを我々に買わせて、自分は「岡山名物の桃ソフト!」と言って食べたうえ、さらに売店のお姉ちゃんにヒソヒソ話したと思ったらバニラソフトを舐めていました。

その日は南薩鉄道の特急バスで枕崎へ。
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昭和の電車 改訂版(21)ー近鉄 特モ2303号ー

乗ってみたかった!
「しまかぜ」のご先祖でしょうか?

昭和の電車 改訂版(20)ー阪和電鉄モタ303号ー

私は阪和線にはトンと縁がなかったので知識はありません。
このタイトルにある「国鉄阪和線モタ303号」には「?」が付きます。国鉄時代にモタと称していたのか疑問です。また、「アイスキャンデー塗装」とは何か?疑問がわいてきます。

河さん、教えて下さい!

昭和の電車 改訂版(19)ー阪急115号ー

ちょっと忙しくて遅れましたが、P-6に関する投稿が出たのでいいタイミングかと思います。